穴掘り

 更衣室を出ると、同僚のBDFらとぶつかりそうになった。少し大げさに仰け反るFにナギは会釈していった。


「おはようございます」

「おう。おはようさん」


 と、Fは短く刈り上げた頭をなで上げた。


「あれ、お前のとこだろ?」

「はい?」

 

 ナギが首を傾げると、Fの背後でBが白く濁った右目の瞼を指で一度、押し下げた。


「宿舎のとこに研修生が整列して待ってたんだよ。ほら、例のC-43番がリーダーづらして並べやがってさ」


 C-43番とは、ナギことCが担当する班の研修生四十三番という意味だ。萌芽では研修生も番号と指導担当者の記号で呼ばれている。


「やりすぎんなよ?」


 Bにからかうような口調でいわれ、ナギは小さく頷き返した。

 どの程度でなのかは一度も説明されたことがない。はっきりしているのは、指導員の肩を突こうとした研修員の態度と大腿骨を砕くという教育は釣り合わないらしいことだけ――


「……お前、ほんっとーに、わかんねえよな」


 階段を降りる途中にAがいった。ナギは肩越しに一瞥して答える。


「努力はしてるんですけど」

「あ? ――ああ、じゃなくてよ」

「はい?」


 ナギは足を止めずに首を振り向けた。Aは難しい顔をしていた。


「なに考えてるのかわからねえってこと」

「今日もいいことあるといいなあって考えてます」

「今日? 昨日はなんか良いことあったんか」

「雑誌をもらいました」

「雑誌?」

「アトランティスとアインシュタインです」


 本部の外に出ると、研修生宿舎のほうから整列を促す声が聞こえてきた。

 Aが両手を空に突き上げて背筋を伸ばしながら笑った。


「アトランティスってお前、あんなヨタ雑誌が好きなのかよ。――てか、アインシュタインも似たようなもんだろ」

「充分に発達した科学は魔法と見分けがつかない、でしたっけ」

「あー……なんか聞いたことあるな。誰だっけ?」

「生涯をかけて宗教について考えていたお爺ちゃんです」


 いって、ナギは建物の陰から首を伸ばす。騒がしくなりはじめた宿舎の前で、救世会のシンボルカラーである薄い黄緑色のツナギを着た研修生たちが、両手を足の横で揃える気をつけの姿勢で並んでいた。それぞれの胸元には白い名札があり、黒マジックの手書きで番号が書かれている。名前に該当する文字はない。


「Cサン!」


 列の手前の端付近から、白目がやけに白い男が大股の一歩ぶん前に出てナギに振り向く。腰を九十度に折り曲げながら言った。


「オハヨウゴザイマス!」


 他の研修生たちも声を揃えて後に続いた。声量のせいか、Aが顔をしかめた。

 ナギは小さく頭を下げて答える。


「はい、おはようございます、四十三番さん。――みなさんも」


 研修生たちは真っ直ぐ正面を――いや、ナギのほうを見ないようにしているのだろう。両手をぴったりと太腿に添わせ、直立不動の姿勢を取っている。C-43が隊列に戻ると、ナギは研修生たちの前に立ってクリップボードを見ながら言った。


「今日は――穴掘りだそうです。僕も何をするのかよく分かってないので、特別に、Aさんにも来てもらいました」


 いって、ナギは手のひらでAを指し示す。

 研修生たちが声を揃えて挨拶すると、Aは両手を後ろに組み迷惑そうに呟いた。


「これじゃ軍隊だろ……」

「なにかありますか?」

 

 ナギに問われ、Aは首を振った。


「なんにも。――あー、ここでは俺のほうが古株だが、あくまでCの補佐で入ってるだけだ。指示はCに従うように。いいか?」

「ハイ!」


 と外国人特有のイントネーションでみなが答えた。ナギが穴掘りで指定されている地図を横目に倉庫で足掛け付きのスコップを取るよう移動を促すと、C-43番がインドネシア語と日本語をまじえて隊を誘導し始めた。


 いまではC班のリーダー格を担っている43番こそ、ナギが赴任初日に大腿骨を叩き折った男である。理由は単純明快で、赴任したばかりのナギが自己紹介をすると、他の研修生たちにいいところを見せようと思ったのか、彼の襟首を掴もうとしたのだ。

 

 そのとき、ナギは教育棒を抜き放ち、瞬く間すら与えずに太腿を殴打した。骨が圧し折れる音とC-43番の絶叫は霊験あらたかで、他の研修生は口を閉ざした。

 

 その後、C-43番は驚異的な――より正確には異常というほかない一ヶ月という短期間で回復し、いまでは同班でリーダーのように振る舞っている。もっとも、振り返ってみれば、元からリーダー格であったために真っ先に反抗を試みたのかもしれないが――


「あの、Cサン。穴掘リって、なにするデスか?」


 施設を出て、山のほうへと登る道すがら、C-43番が遠慮がちに尋ねた。

 ナギが首を傾げつつAを見やると、彼は悪い片笑みを浮かべた。


「お前らの墓穴を掘るんだよ」

「……ボケツ?」

「墓の穴だよ。わかるか? 墓だ。死人を入れる――」


 話の途中、C-43番が顔を強張らせるのをよそに、ナギはちらりと山道途中の乾いた木々を見ていった。


「何人ぐらい埋めるんですか?」

「――あ?」


 楽しげだったAの顔が胡乱うろんげに歪む。。


「なんだって?」

「人数です」


 ナギは顔を向けていった。


「この山、けっこう獣がいそうですから」

「なん……なに?」

「土葬するなら二メートル以上の深さがいるんです。浅いと腐敗臭が漏れて獣が寄ってきちゃいますからね。でも二メートルっていうのは一人の人間が膝を抱えた場合をいっていて、二人以上になると広さも深さももっと必要です」


 ごくん、とC-43番の喉が鳴った。ナギは肩越しに一瞥し、Aにいった。


「当然ですけど、死体は土に還るときに土中の容積を減らしますからね。そのぶんを見越して盛り土をしておかないと掘り返されちゃいます」

「……詳しいんだな」

「アトランティスかアインシュタインのどっちか……もしくは両方に書いてたと思います。記事の主題は違ったと思いますけど」


 振り向くと、C-43番の顔から血の気が引いていた。

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