日々の仕事

 縁環えんかん救世きゅうせいかい――通称、救世会は、えにしをもってうつたすくと標榜する新興宗教団体である。その歴史は百五十年前に遡るとしているが、それを示す記録はない。


 また、法人格を取得しておらず、所有するすべての土地・施設はそれぞれ管理代表が異なっている。にも関わらず各施設は必ず同じ屋号を掲げていた。教義上はそれを指して『縁の環』としているが、実態としてはトラブルに対して責任を分散したいがための方便なのだろう。


 逆にいえば、という意味にもなる。


 たとえば、ここ農業研修センター『萌芽ほうが』では研修生と称して多くの外国人労働者を抱えているが、そのいずれもが不法滞在者か密入国者であり、農業実習生として入国したのち逃亡した者なども在籍していた。


 しかも、真っ当と言い難いのは外国人労働者だけではなく、彼らの指導を行うという名目で監視している日本人の職員もまた脛に傷をもつ者しかいない。施設運営を担う管理者や当然センター長と呼ばれるべき責任者もいるにはいるらしいのだが、施設内に姿を見ることはない。帽子の男の指示でナギが通い働き始めてから二ヶ月が経っているが、未だに、ただの一人も見たことがなかった。


 同僚や、ナギが接したことのある数少ない現場上司が漏らした噂によれば、幹部はみな救世会の信徒であり、本部施設の地下で働いているのだという。集めた外国人労働者を被検体サンプルにした奇妙な実験を行っているのだ、と――。


 噂は噂でしかないが、奇妙な事柄があるのもまた事実。農業研修センター萌芽では、何人もの外国人労働者を受け入れているが、出所したという話もないままに幾人も姿を消していた。


 ナギはまだ閑散としている本部の建物に入り、二階に上がる。廊下の窓越しに研修生宿舎を見ると、カーテンのない部屋の奥で彼らも動きだしていた。ナギはそのまま指導員詰め所に入った。まだ誰も来ていないらしく、整然と並ぶデスクの上のノートパソコンはみな閉じられている。

 

 ナギは勤怠管理用のホワイトボードに近づき『C』と書かれた赤いマグネットを出勤欄に移動させた。小さく頷き、簡素なアルミ棚から『C班』とラベルされたクリップボードを引き抜いて、確認しながら更衣室へ向かう。


「……穴掘り?」


 呟き、かくんと小首を傾げた。先日のうちに準備されたであろう、クリップボードに挟まれた『本日の作業内容』と書かれた紙に、『穴掘り』と書かれていたのだ。タイムスケジュールを見ると四時間も割かれている。他は指導――という名の監視――を任されている研修生の一覧表だけだ。


「長生きできなかったんだ……」


 ナギは一覧表を見ながら息をついた。また一人いなくなっていた。

 更衣室の扉を開けると先客がいた。背の高い、がっしりとした体格の男だ。年は二十五、六だろうか。男はナギの姿を認めると、小さく顎をしゃくっていった。


「よう、C。おはようさん」

「おはようございます、Aさん。夜勤明けですか?」

「そう。もう眠くて眠くて。明日は休みだからいいけどよ」


 男の名はA。ナギは本名を知らない。萌芽の職員はお互いの名前を知らされておらず、口にするのも禁止されている。

 ナギはロッカーにランニングバッグを下ろしつつ、Aに尋ねた。


「あの、穴掘りって何をするのか知ってますか?」

「あー……? ああ、初めてなのか?」


 問われ、ナギが頷き返すと、Aは右手で顎を撫でながら目を逸した。親指の付け根に歪んだ五芒星のタトゥーが入っていた。彼はその姿勢のままナギが作業用のツナギに着替えるあいだ宙を見つめ、ファスナーを引き上げる音に振り向いていった。


「俺ぁ今日はもうあがりだし、一緒についてって教えてやるよ」

「――いいんですか?」


 はたと首を振り、ナギは目をしばたかせた。萌芽では職員同士の接触を制限しようとしているフシがあるが、それに反して現場の職員の動きは流動的で融通が利く。それが説明が少ないゆえなのか、例のえにしの環とやらが理由なのかはわからない。


「いったろ、俺、明日は休みだからさ」

「でも、悪いですよ」

「なんだよ、俺のこと嫌いかあ?」

「はい。少しだけ」

「……真っ正直にいう奴があるかよ」

「ここにあります」


 ナギの即答に、男はへっと強く息を吐いた。


「お前がした後を引き継ぐほうが面倒だから見張っとこうっていうんだよ、バカ野郎」

「僕は同じミスはしないですよ」


 いって、ナギはロッカーからを収めた革ベルトを出した。

 は樫の木から削り出された長さ五十五センチの棍棒だ。研修生の多くは素性からも明らかなように反抗的であり、一人の指導員は十人以上の研修生を一度に監督するため、人数差を克服するべく配備されているのである。


「準備、もう終わります。いまから行きますけど……」


 ナギは教育棒を吊るした革ベルト腰に巻き、ランニングバッグからPHSを出してポケットに隠した。最後に非常事態を知らせるための警笛を首に下げ、男に振り向く。


「……もうか? 早すぎだろ。あいつら、まだ寝てるぞ」

「そんなことないと思いますよ」


 言いつつ、ナギは壁の時計を見上げた。午前五時二十五分。彼にとってはいつもと変わらない時間だ。Aのいうように一般的な研修生にとっては早すぎるのかもしれないが、ナギの監督しているC班はすでにが行き届いている。

 

からずっと、みなさん時間前に集まってくれるようになりました」


 とは、反抗的な研修生の大腿骨をナギが一撃で砕いた日のことだ。

 Aは肩を竦めるような仕草をしてみせ、ため息まじりにいった。


「んなら、行こうか。忘れモン無いようにな」


 頷き返し、ナギはAと共に更衣室を出た。

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