第3話 マクギリウス。

 ♢ ♢ ♢


「なるほど。お嬢はそれに唯々諾々と従うのですか?」


 わたくしの目の前にどんと立ち、こちらを見下ろすように話すマクギリウス。

 黄金の髪は炎のように逆立ち、その燃えるような赤い瞳は何もかも見透かすようで、周囲にかなりの圧をかけている。

 この目の前にいるのがわたくしじゃなかったら、それも普通の令嬢とかだったら今頃泣き出しているかもしれない。そんなこわもてな雰囲気。

 わたくしの『護衛』であり『右腕』であり『侍従』でもある彼は、お祖父様の推薦で、こちらに嫁いで来た時にわたくしに付けられた公爵家の影、だ。

 そんな彼はわたくしにとって、使用人というよりも兄のように頼りになる、そんな存在だった。

 ここのところはもっぱらトランジッタ侯爵家の事業の要、ブラウド商会の立て直しのために奔走してくれていたマクギリウス。

 わたくしが離縁されることになれば、当然彼も商会のお仕事から手を引くことになる。

 ラインハルト様はそういった事業の内容にはとんと無頓着であったから、その点は少し心配ではあるのだけれど。


「しょうがない、でしょう? 三年間あの人とは何も無かったのだもの。王国法に照らし合わせてもどこにも非の打ち所がない離縁なのよ。まさか彼から言い出されるとは思っていなかったわたくしの落ち度だわ」


「交渉をする余地はありますよ?」


「交渉?」


「ええ。今のままではエルグランデ公爵家からの持参金、そしてそれを元手に立て直した商会の資産、それら全てをトランジッタ侯爵家の財として残したまま出ていく事になりますよ?」


 それでよろしいので?


 最後はそう言いたげな表情で首を少し傾げるマクギリウス。


「でも、今ブラウド商会からわたくしの持参金を引き上げたら、経営が成り立たなくなりますわ」


「そうでしょうね」


「そんなこと、できませんよ……」


 破綻しかけていた商会をやっとここまで立て直したのだ。流石に今そんな事をすればトランジッタ侯爵家そのものが再び危機に見舞われないとも限らない。

 元々。

 お祖父様の代に恩を受けたのはエルグランデ公爵家の側だった。だからこそマーカスお祖父様はブラウド・トランジッタ様亡き後、経営が行き詰まった侯爵家に援助の手を差し伸べるため、盟約だとおっしゃってわたくしとラインハルト様の婚姻をお急ぎになったのだもの。

 多額の持参金もそのため。

 それがこの三年でやっと経営も軌道に乗り借金を返済し終え少しは資産を増やすこともできたところだというのに。


「なあに。足りない分はまた借入をすればいいだけです。しっかりと経営ができさえすれば以前のような借金まみれになることもないでしょう。まあ、その才のある人間がいれば、ですけれど」


「そんな。だって」


「まあ、そんな経営の才がある方だったら、お嬢を今離縁するような真似はしないでしょうね」


「ラインハルト様のこと、ですか?」


「そうですよ。彼は何もわかっていない。今お嬢を離縁すると起こりうる事を何も。商会の経営も従業員が勝手になんとかしてくれている、くらいにしか思っていないのでしょう」


 それはきっと正しい。それでも彼も商会の経営状況くらいは理解しているはず。わたくしが毎日ちゃんと報告していたもの。

 それに。


 ああ。わかってしまった。

 だからこのタイミングで離婚なんだ。

 もう、わたくしは必要ない。

 彼はそう考えたに違いない。


「お嬢が必要ない、って。それこそ思い違いにも程があると言ってやりたいが」


「やめて。マクギリウス。お金なんてわたくしはいらないわ。それにそもそも持参金はお祖父様が用意したものですもの。ラインハルト様のお爺さま、ブラウド様の為にうちのお祖父様が用立てたお金ですから。マクギリウスにとっては今までの働きを無にされたみたいに感じて嫌なのでしょうけれど。どうかおねがい。事を荒立てるのはやめて」


「お嬢がそう言うのなら。ところでお嬢、一つだけ確認しておきたいんですけど、お嬢はあいつに未練はないんですか? 商会の現状を訴えればもしかしたら離縁を回避することができるかもしれませんよ?」


「未練、というのはよくわかりません。わたくしはあの方に尽くす為に生きてきたようなものですから——。必要がないと思われていたことがショックでしたけど……」


「愛している、というわけではなさそうですね。その辺の情緒には疎いから、お嬢は」


「そんな、まるでわたくしが人としてダメみたいな言い方……」


「まあそんなところが可愛いんですけどね。まあいいや。ああそうだ、せめて引き継ぎに一週間ください。俺の仕事を誰かに引き継いでおかないと。まあ、一週間ですべてを理解出来る者もそうはいませんけどね」


「そうね。お願いしてみるわ」


「あのお坊ちゃんが素直に聞き入れてくれるかどうかはわかりませんけどね」


 そう呆れたような表情をしてマクギリウスは部屋から出て行った。本当にごめんなさい。この家に来てからの三年間、一番頑張ってくれたのはマクギリウスだったのに。わたくしは彼のその仕事に報いてあげることもできなかった。

 それが、一つだけ心残り。

 陽はそろそろ南中に差し掛かろうとしている。

 彼、ラインハルトとの話し合いは定例のお茶の時刻がいいだろうか?

 そんな事をぼんやりと考えていた。

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