4:最後の夏に見えた夢

「普通の人間なら……常春の国こちら側のものを食べれば、あなたみたいにどんどん私たちに似てくるの」


 俺の両頬を手で挟んだ彼女の目が妖しく光る。甘い匂いで思考力がかき乱される。

 そんな中で、俺が思ったのは恐怖ではなくて、恍惚でもなくて、ジェミトのことだった。

 俺の思考を読んだのか、偶然なのかはわからない。浮かべていた笑顔が消えて、拗ねたような表情を浮かべたカンターレは首を傾げて俺の顔からも両手を離した。


「でもね、ジェミトは不思議ね。どんなに私の体を食べても、私と交わっても全然変わらないの」


「え?」


「あの人の中にある炎狼が彼を守っているのかもしれないわね」


 よかったと心の底から思った。俺が譲った神様の力があいつを守ってくれていたんだ。

 ホッとしている俺の横で、彼女は不意に自分の腹をそっとなで始めた。いつも服でふわっとしているから目立たない彼女の腹部だが、よく見て見ると少しだけ膨らんでいる。


「それでも……ふふふ……彼の種はたくさんここにあるわ。もちろん、あなたの種も」


「カンターレ……、どういうことだ? あんたたち隣人精霊もヒトの子を孕むのか?」


「ええ、少しだけ方法は違うけれど」


 無邪気に微笑む彼女は、可憐な少女のようだった。


「ヒトは勝手におなかで子が育つでしょう? 私はね、私の魔力と貴方たちの種を混ぜて捏ねて作ったの。ニンゲンみたいになるようにって願いながら、今はここで眠らせているわ」


 俺は、彼女が愛おしそうに撫でている腹へ目を向ける。まだ目立つほど大きくないそこに……俺とジェミトとカンターレ……三人の子供がいるっていうのか?

 人ならざるものから生まれた子供は、どのように育つのだろうか……そもそも村で受け入れられるのか? 親父は? ぐるぐると思考が廻る。


「この子が生まれる前に冬になるわ。みんなで常春の国あちら側へ帰りましょうよ。ええと、ヒトのままで向こうに行くと大変だから……ジェミトは、狼にでも変えてしまえばきっと向こうでも元気にやっていけるはずよ」


 無邪気に、ジェミトをジェミトでは無くしてしまう選択肢をとても愛らしく可愛い声で彼女は謳う。

 ああ、そうか。本当に彼女は人間俺たちとは違うんだ。

 俺が譲った力だけでは、ジェミトは守れない。それなら、俺が犠牲になるべきなんだろうな……と思った。


「カンターレ、まだジェミトには話してないんだろう? まずは話をしてみたらどうだ?」


 俺が反対をするとは思わなかったのか、カンターレは目を丸くしながらこちらをじっと見つめている。その表情からは何を考えているのか明確には読み取れない。ただ、刺さるような視線は獲物を前にした狼を思わせる鋭さだった。


「あいつは村を守らなきゃいけない。俺も……だけど」


「だけど……の後にどんな言葉が続くのか、私は優しいから待ってあげる」


 髪の毛が別の生き物のようにざわざわと動いて、伸びてきた彼女の髪が足下から俺を緩やかに締め付けてくる。

 怖くはない。いつでも笑顔だった彼女の恐ろしい地位面を前にして、俺は慎重に言葉を選びながら口を開く。


「二人のうち一人だけは、こっち側に残らないといけないんだ。だから、話してみるよ、ジェミトと。それでいいかい?」


「ええ、わかったわ。貴方もジェミトも村に残らなきゃならないのなら、あんな村は狼の護りごとめちゃくちゃにしてやろうと思ったけれど……」


 どうやら間違った答えは言わずに済んだらしい。

 あとは、どうジェミトに説明するかだ。馬鹿正直に「実はずっと彼女と逢瀬を重ねていて、彼女は俺かお前を妖精の国に連れて行かないと村をめちゃくちゃにするらしい」と話すわけには行かない。そうしたら、あいつは「自分が向こうに行けば兄貴に力が戻る」みたいなことを言い出しかねない。

 それでも、いいのかもしれない。でも、彼女がいうにはオレはかなり妖精側あちら側へ近付いているらしいから、あの狼が力を貸してくれるのかはわからない。

 俺が何を考えているのか知る由もないカンターレは、さっきまでの苛烈な怒りを露わにしていた森の貴婦人らしさは消え、元の少女のような可憐さを取り戻していた。


「愛してるわ、ディレット。私と貴方なのか私とジェミトになるかはわからないけれど、雪と氷で出来た楽園へ一夏の恵みを授け続けましょう」


 永遠の約束を交わしながら、俺は彼女の口付けを受け入れ、その後にカンターレが手渡してきた花の蜜で喉を潤した。

 この夏の終りから「おしまい」にする準備をしよう。

 ジェミトに見られるタイミングでカンターレに会って、それから……あいつがどう思ってるのか聞いてみよう。あいつがカンターレを愛してるっていうのなら、俺は加護を受けられなくてもいいから村を守る。

 好きな女と永遠になれるのなら悪くはないし、愛している家族になら好きな女を譲っても言い。どちらにしても、俺が動かないとな……そんなことを考えながら帰路についた。


 そして、夏の終りの目前、俺はわざとあいつに逢瀬を目撃され、それから相談を持ちかけた。


「好きな人が出来たんだ」


 そう伝えれば、察しが良いジェミトはすぐに何を言いたいのかわかってくれた。

 知らない振りをして、俺はあいつに問い掛ける。


「お前が、人ならざるものに恋をしたらどうする?」


「オレは番犬クーストースの長だからさ、本気でソレを愛することはないよ」


 俺の相談を真剣に聞きながら、ジェミトはそう言った。

 ああ、お前はちゃんと村のためにに残ることを選べるんだな。そう思ったのと同時に、やっぱりこいつに力を譲って正しかったなとも思った。

 俺は意志が弱いから、きっとここで番犬クーストースの長の座なんて投げ出してカンターレと一緒になることを選んだかもしれないから。

 話をしたその晩以降、ジェミトがカンターレへ会いに行くことはなかった。


 カンターレの腹はどんどん大きくなっていった。見た目は人間の妊婦とそう変わらない。

 大きく膨らんだ腹部を愛おしそうに撫でる彼女の表情は慈愛に満ちていて、豊穣の女神という名が相応しいように思えた。


「ねえ、ディレット……誰にも見えない場所で最後にジェミーに会えないかしら?」


「村のヤツらに見つからないような場所、探しておくよ。でも熊も冬眠前で気が立ってるから気をつけないとな……」


「熊なんていても、私がいれば怖がる必要はないわよ」


「さすが森の女神だ。頼もしいよ」


 罪悪感を抱えながらも、穏やかな時間を過ごしながら俺は村を出る準備をしていた。少しずつ私物を片付けたり、使わなくなる鉄製の武器や服を譲ったり。

 この夏が終わる前に向こう側へ行こうというのが彼女の意思だった。ということは、俺もこの夏が故郷で人間俺のままとしてすごす最後になるのだろう。

 だから、普段は人が寄りつかない場所を探すために一人で森の奥へ入った。それが失敗だった。

 冬眠前の熊は気が立っていて、近くにある鉄罠におびき寄せようとした瞬間に、威嚇もなしにこちらへ突進してきて腹に噛みつかれた。為す術も無く地べたに倒れた俺の頭へ噛みつこうとした熊が慌てて逃げていくのが見える。

 薄れ行く意識の中、こちらに駆け寄ってくるカンターレが見える。

 声が上手く出ない。痛い。熱い。冷たい。

 そこには鉄の罠があるから近寄るな。それすら言えないまま掠れた声が出る。

 その次に聞こえたのはカンターレの悲鳴と、生木が軋むような音だった。

 ごめんなジェミト……。俺はもう無理だ。せめて……カンターレとお前の子は……助かってくれたらいいなぁ。

 カンターレの悲鳴と鳴き声を聞きながら、冷たくなっていく足先とどんどん激しくなる痛みで思考も意識も散漫になる。

 最後に見えたジェミトの幻は神様がくれた懺悔の機会だったんだろうか。


「ジェミト……ごめんな。俺、知ってたんだよ……お前もカンターレのことを好きだったんだって」


 ジェミトの幻が何か叫んでいる。怒ってるんだろうか。そりゃ怒るよな。

 どうせ死ぬんだ。痛いはずなのにそれすら曖昧になってきた。だから、言いたいことは言っておこう。これが本物だったらよかったのにな。ああ。マジでもうダメだ。言っておこう、これ。


「ごめんな、幸せになってくれよ。カンターレの子供はお前の子供でもあるらしいからさ」


――Fin――

(本編 Chapter3 に続くhttps://kakuyomu.jp/works/1177354054884402503/episodes/1177354054886401124)

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最後の夏に見えた夢 こむらさき @violetsnake206

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