才能と幼児教育の人材戦略

浅賀ソルト

才能と幼児教育の人材戦略

幼児教育の効果というのはまだ証明がされていない。3歳までとか6歳までとか9歳までとか、英会話だのプログラミングだの楽器だのスポーツだの。

あとなんだ?

最近じゃプロジェクトマネジメントだのデータアナリティクスだのリーグオブレジェンズだのフォートナイトだの。なんだったらMBAにドローン操縦に脳神経外科に証券取引や為替相場まで習えるとか習えないとか。

どれもモノになったら1億円が楽に稼げる代物だ。そういうものを習わせて、小さいうちに他の子供と差をつけようという売り文句で幼児教育がどんどん進められている。

効果が証明されていないが効果があったらどうしようというところが脅しになる。

ポーカーなら、手札がブタかもしれないけどもしロイヤルストレートフラッシュだったらどうしようと思わせるのが勝負なのである。こっちの手札は関係ない。相手の脳内に強力な役を想像させる勝負だ。あなたの子供にはすごい才能が眠っているかもしれませんよ。それを使って勝負してみませんか? ほかの親はその可能性を見逃している。今がチャンスです。

逆に、あなたがのんびりしている間に他の子供とその親は将来に向けてどんどん差をつけている。気がついたら手遅れになりますよ、という話をしてもいい。

俺は相手の脳に最悪の想像をブチ込むという技術に惹かれて幼児教育の世界に飛び込んだ。

「私は子供には無限の可能性があると思うんですよ。何が伸びていくかは分かりません。だから、とりあえずなんでもやらせてみるのが子供の頃は大事だと思うんです」

「体を動かすというのも大事です。柔軟性が人より優れているかもしれない。筋肉の付き方がほかより優れているかもしれません。瞬発力が優れていたり持久力が優れていたり。子供にはそれぞれ可能性があります。そして、その可能性に気づかずに一生を終える子供も多いんです」

「あなたの子供にもきっと素晴らしい才能があります。それが何かは分かりませんが、絶対にあります」

人間というのは面白いもので、得をするという話より損をしたくないという恐怖に弱い。この幼児教育が将来の1億円になりますというよりも、やらないと1億円が他の誰かに渡っちゃいますよという方が心理的にくる。そして突っ込んだ金の元を取ろうとする。英会話に10万20万を突っ込んでそれをドブに捨てるというのはまず無理だ。元を取るまで100万でも200万でも出そうとする。

可能性はいくらでもある。

「12歳になってから急に能力が伸びた子供もたくさんいます。ここでやめたらもったいないですよ」

「絵画の才能と彫刻の才能はまた違うんですよ。もしかしたらそちらに適正があったのかもしれません」

「まだまだ。隠れた才能は絶対にありますよ。ちょっと方向を変えて将棋などいかがでしょう?」

俺は相手の親の顔を見ながら押したり引いたりする。

最初は失敗もあった。相手が完全に引いてどこかに消えていったり、なにか急に怒ったり——下手するとそのへんのものを壊し始めたり——した。俺は慎重に、そして経験を重ねて親馬鹿のどこのツボを押せばバチーンとハマるのかを学んでいった。完璧なタイミングで完璧なツボを押してやると、1000万でも親は出すのだ。

いつからこういうのが好きになったのか分からない。

子供の頃にポーカーにハマった時期があった。相手の顔を見て強さを判断するのもよかったが、こっちがうまく顔を作るとそっちに思考をコントロールできた。読みも大事だが誘導やフェイクといった揺さぶりも大事なのだ。

あと人狼ゲームはかなりやった。ハマった人なら分かるが、一段高い上級者同士では人狼ゲームは別の景色が見えてくるのである。ちょっと友達と遊ぶだけというのと、見知らぬ他人も含めたたくさんの人と100や200もプレイした人間では見えている景色が変わってくる。最初の1分のやりとりでやり込んだこっち側の人間かどうかというのは見分けがつく。

そしてベネッセの学習塾でバイトをしたとき、講師や正社員の中にそういう人間がいるというのが分かってきた。

親の脳に最悪と最高の想像をブチ込むプロである。

勉強を教えるプロとはまた別の種類の人種だ。そして自分もそちら側の人間だった。

勉強という意味では——そして知性とか頭の良さとかそういう意味では皮肉なことだが——相手を考えさせて思考力を身につけさせるのが正解なんだろう。それとは反対に、なるべく考えさせず、こちらの考えに従う馬鹿を育てる人間である。勉強というのが先人の知恵を学ぶという点にあるとすると、自分の頭で考える知性というものが何なのかがよく分からなくなる話だ。

先人の知恵を覚えないといけないのに、それを疑わないのもよくない。それが正しいことなどとっくに証明されているのに、その証明を疑わなくてはいけない。

相手を考えさせるタイプの先生のほかに、相手を考えさせないタイプの先生がいるのだ。

俺はどちらかといえば後者だったが、子供の成績という結果よりも、その親の期待や恐怖という部分を刺激することで成績などそっちのけで利益という結果を出す、また別のタイプだった。

何度も言うが、幼児教育の効果は証明されていない。

とはいえ、まったく効果がないと思っている人が何人いるだろうか? 幼児期にモーツァルトを聞いて英会話をして、さらにコミュニケーションや想像力を発達させる現代の最新幼児教育を受けた子供が、踏切で電車を一日中見て過ごした子供と同じ能力だと? そこで将来の年収に大きな差が付かないと本当に思うだろうか? 俺はプロだ。そんなことはない。証明されてないが、ちゃんとした幼児教育は子供の将来を劇的に変える。最高のものにする。そう断言する。シンガポールではとっくに実践されているし、中国でも上海などでは続々と成果が上がってきている。

ベネッセのほか、いくつかの学習塾でのバイトのあと、俺は独立して自分の学習塾を立ち上げた。

何人かの生徒と講師が俺についてきてくれた。

いい意味では暖簾分けだが、悪い意味では反乱である。引き抜きでもある。とはいえ、それで恨まれるような間抜けな交渉にはならなかった。うまく独立できたと思う。

最初から順調で、口コミで評判も広がり、生徒はどんどんと増えていった。

独立資金の借金が消える前にさらに次の融資を受けて2号店3号店ができた。5年でここまで拡大できたのは、まあ、やっぱり俺の力だろう。

もちろん非常に忙しかった。子供に教える教師・講師については俺の担当ではない。俺はその教師への教育と親との面談が担当になる。そこを他人に任せることはできなかった。そうなると塾は3つが限度のように思えた。週末も定時後も関係なく365日働くことになったが——社長というのはそういうものだ——嫌にはならなかった。年収はやばいことになった。ウハウハだった。いっておくが1千万や2千万じゃないぜ。

ただし、もっと増やすには自分と似たタイプの人間を雇う必要があった。右腕になるような、あるいは俺を越えるような。とにかく信頼できる奴だ。

交渉相手の心理を読み、さらに誘導し、この幼児教育をやめたら最悪な結果が待っていると想像させることのできるプロだ。

そういう人間はなかなか見つからない。

口コミで生徒は増えていったが塾を増やせなかったのでどうしても絞ることになった。授業料を上げていったらまともな一般家庭には出せない金額になっていった。それでも入学希望者が殺到して抽選や入学待ちといった二次グループまでできる始末だった。うちから漏れた生徒たちの第二候補塾というのも存在していたようだ。口コミで、うちに入れなかったら次はどこがいい?というのが話題になっていたということだ。

生徒が金持ちになってくると、塾の数は増やせないにしても立地として金持ちがいるところに引っ越しを検討するようになっていた。そういうところなら授業料をさらに倍にすることも可能だった。

代々木から声がかかったのはそんなタイミングだった。

元々幼児教育をやっていたところだが、さらにその高級路線を開拓するということだった。俺にそれを任せたいというヘッドハンティングだった。

社長として金を自由にできているのに、どこかに雇われてマージンやフランチャイズ料金を取られるのに納得する間抜けがどこにいるかという話である。しかし相手もそんなことは百も承知だった。そういうのも含めて落とし所というのを交渉してきた。

そして何より、あの人狼ゲームの手練たちと同じにおいがした。条件もそうだが、交渉にやってきた人間たちの雰囲気に俺は強烈に惹かれた。こういう人材をちゃんと揃えているというのはやはり大手には大手としての底力がある。俺は認めないわけにはいかなかった。

「もしこの話を受けたら、お前も私の部下として働いてくれるのか?」俺はこのときちょっとイキっていて、『お前』という言葉をわざと使った。

代々木からやって来たスカウトは俺の圧を受け流した。「私が部下になったらこの話を受けていただけるということでしたら、それも検討に含めます」

「俺はちょっと学習塾で働いていたが、すぐに独立を考えた。お前はどうだ? 独立を考えているのか?」

「あなたの塾で学んだあとで、ひょっとしたら独立するかもしれません」

いい面構えだった。独立するときにはやはり俺の生徒の何割かはもっていかれるだろう。だがそれまで2つか3つは任せることができる。塾を6つ経営できたら売上はどこまで行く?

俺は金の計算を繰り返した。

こういう人材があと何人いるかにもよるな。どうすれば一人でなんでもできるけど独立しないという都合のいい人間が見つかるんだろう。

そして、自分もそうだが、俺やこの手の人間が子供の頃にどういう教育を受けたかは、今の年収と関係がないなと思う。

俺は自分の手で自分の商売の才能を伸ばしているんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

才能と幼児教育の人材戦略 浅賀ソルト @asaga-salt

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ