第6話 エンプレススパイダー
朝食を食べ終えた後、ラズリを椅子に座らせて即席で作ったハサミを手に持つ。散髪をするのは初めてだ。
「ニーグリ様、一応聞きますけど、そのハサミは何製ですか?」
「ん? 多分オリハルコンじゃないかな」
「……私、散髪し終えたら顔半分無くなったりしないですよね……?」
「そんなに俺が信用ならないのか!?」
『ニーグリ殿は邪神だし』
『コケッコ』
くそッ……みんな揃いも揃って……。今に見てろよ貴様ら、ラズリの髪を華麗に散髪してやるからな……!
と言っても、ハサミで髪を切る前にやるべきことがある。この傷んだ髪をどうにかしなければならない。
「【
「わっ」
俺が呟くと、ボサボサで汚れていたラズリの髪は淀みない漆黒になり、絹のようにツヤツヤな髪質に変化した。
「さて……ここからだな」
ハサミを構えると、ピクリとラズリの肩が震える。緊張がこちらにも伝わってきて、俺も手が震えてきそうだった。
しかし……切ればいいだけだろ? 簡単だよ簡単……。
『ニーグリ殿、自然な柔らかさを出したいのならば、ハサミは縦にして切った方が良いかと』
「へー、そうなんだ。……じゃあもうお前が切れよ、シロ」
『我は手先がもふもふな故』
ゴンザレスを宥めるシロを睨み、ハサミを持ち直してラズリに顔を向ける。キュッと目を閉じて構えているので、手を動かしてチョキチョキとゆっくり切り始めた。
途中、不安で過呼吸になって死ぬかと思ったがなんとか無事に終わった。
「ふぃー……こんなもんだろ。いい具合か?」
「ま、前髪で目が隠れません……! ありがとうございますニーグリ様っ!」
「にひひ、こんなもんよ」
『初めてにしてはやるな、ニーグリ殿』
「なんでお前は上から目線なんだ」
夜空のように美しい黒髪に、朧にかかっていた月のように煌めく青い瞳がくっきりと見えるようになった。
……本当に、こう見るとあの人間の姿が重なるな。
ラズリは嬉しそうに頭を左右に動かして髪をなびかせている。見ているこちらも自然と口角が上がった。
『では、次は我が友人の元へ向かおうか』
「そうだな。服を作ってもらわないと」
「シロ、お願いします」
『コケーッ!』
シロに跨り、昨日と同じようにラズリを俺の前で座らせる。ゴンザレスは相変わらず俺の頭の上に居座っている。ここが定位置になってきているようだ。
深淵内を駆け回ること数分、そこそこの力を感じる空間へと到着した。
「趣味が良いのか悪いのか。よくわからない所だな」
俺がそうぼやいたのは、到着した所が少し変わっていたからだ。
ここには広々とした空間が広がっており、天井に巨大な蜘蛛の巣が張り巡らされている。しかし、どこにも獲物はかかっておらず、代わりに多種多様な人間用の衣服が引っかかっているのだ。
「お洋服がたくさんありますね」
「蜘蛛の巣と服ってな……。なんともミスマッチな」
『……む、ニーグリ殿、来たぞ』
音を立てずに頭上からゆっくり降りてくるソイツは、少々禍々しい見た目をしている魔物であった。
上半分は銀髪赤眼の女性の体だが、下半身が蜘蛛そのものだ。よく見ると額には四つの点、口は鋭い牙が生えている。
「成る程、蜘蛛系統の魔物で頂点に君臨する〝エンプレススパイダー〟か」
「ほほ、深淵の邪神たるニーグリ様が妾のことを知っているとは光栄じゃのう♡」
『此奴は
「絶対適当に決めたろ、その名前」
『コケ……?』
ニコニコと笑みを浮かべているエンプレススパイダー……もといクモコに、ラズリは怯えて俺の背中に隠れている。
エンプレススパイダーは3メートル程の大きさで、主食はドラゴンだから心配はいらないと思うけどな。
「氷神狼、妾に何用じゃ? ニーグリ様と人の子を連れてくるとは」
『我はこのニーグリ殿と人の子であるラズリ殿に仕えることとなった』
「あの一匹狼とて、終焉と神殺しの気を纏う邪神には逆らえぬか。ほほほ、良い気味じゃ」
『五月蝿い。我の報告なんぞどうでもいい。貴様にして欲しいことがあったから遥々来たまでだ』
「ふん、友人なのだから用も無しに会いに来てもいいんじゃが……良いだろう、邪神様に借りを作れるのならば喜んで♡」
妖艶な笑みで俺に熱い視線を送られる。
基本的には人畜無害なエンプレススパイダーだが、『面白そう』と思ったことを成す魔物ゆえ、時に牙を剥くことがある。
……ラズリが悲しむ要求をされなければいいがな。ま、もしもその時になったら葬ればいいか。
「それで? 妾は何をすれば良いのじゃ?」
「服を作って欲しい。このラズリのための服だ」
「ふむ、承知した。妾は服装作りな趣味故に、作れぬ服は存在せぬ。何か要望があればとことん投げるが良いぞ」
「ラズリ、どんなのが欲しい? 今ならあのお姉さんがなんでも作ってくれるぞ」
「えと、そうですね……。私は――」
その後、ラズリの要望を聞き出し、クモコにそれをどんどん伝えた。家用や外出用、農業もするのならばということで作業用の服まで作ってもらうことになった。
あとでとんでもないことを要求されなければいいが……。
蜘蛛の糸で採寸をし、早速服を作り始める。
エンプレススパイダーは蜘蛛の頂点に立つ魔物。そのため、吐き出せる糸は千差万別。鉱石の類までも糸として出すことができる。
――数十分後。
「完成したぞ。一旦50種類ほど作ったが、此れを早速着ておくれ、人の子」
「は、はいっ」
「ニーグリ様のも作ってみた故、是非とも着て欲しいのう♡」
「え、俺も?」
クモコから渡された服を受け取る。ラズリは陰に隠れて着替え始めたらしいので、俺も着替えることにした。
体にフィットするが、この服装は……。
「どうだお前ら、似合ってるか?」
『に、ニーグリ殿……それは……』
「ほほほ! 似合っておる似合っておる!」
『コケコッコー!』
白のシャツの上にオーバーオール。そして茶色のブーツと、首の後ろにあるおまけの麦わら帽子……。
……あまりにも〝農家〟だ。
「……けど、いいなコレ。気に入った。これからこの服着て暮らそう」
『えぇぇ!!?』
「流石は邪神様じゃ♡」
『コケーッ!』
よくわらないが、実に馴染むぞッ。愛用させてもらおう。
すでにホクホク顔の俺だが、本来の目的を忘れてはいけない。ラズリの服を見繕ってもらうのが本来の目的だ。
「ラズリー? 着替え終わったかー?」
「は、はい! けど……私に似合っているかどうか……。あ、あの、どう……ですか……?」
物陰からラズリが現れる。
かつて俺が
純白なワンピースによって黒く美しい髪が映え、どこを見ても非がない存在だ。
「似合ってるぞラズリ!!」
『うむ、良いではないか』
「やはり白は良いのう♡」
『コケコケッ!』
こちら側四人は全員賞賛の声を上げていたが、ラズリは少し曇った表情をしている。
何か気に入らない点でもあったのだろうか……。
「どうしたんじゃ? 気に入らぬ点でもあったかのう」
「い、いえ……。し、白いと、私の神が目立ってしまうので……。昔から不吉な色って言われてたのて……」
「……ふむ、人の子の社会はやはり面倒じゃのう。ニーグリ様、何か言ってやったらどうなんじゃ?」
「え、急に話振るじゃん」
何か元気付ける言葉? 慰め?
何を言ったら良いのかわからない。……なので、思っていることをそのまま伝えることにした。
「これが救いの言葉になるかわからないけど言っておくぞ。――俺は髪色だったら黒色が一番好きだ」
「――っ!!?」
靄が一気に吹き飛んだみたいに目を瞠目させたと思えば、今度は顔が薔薇色に染まる。
忙しない顔の中、ラズリはか細い声でこんなことを質問してくる。
「ぇと……。じゃあ、私の髪は……」
「好きだな」
「に、似合って、ますか……?」
「凄く」
「ほ、本当ですか……?」
「嘘つくとか面倒なことしない」
「っ……。――!」
ぐるぐるとした目に口をパクパクとさせるラズリ。少し俯いたと思うとラズリは、俺の懐に飛び込んで抱きついてきた。
「ら、ラズリッ!?」
「ありがとう、ございます……!!」
新品の服を濡らされるが、この上なく嬉しいことだ。
ラズリを抱き返すと、三つの視線が俺たちに送られる。目をやるとニヤニヤとした笑みを浮かべていたが、怒鳴ることはできなかった。
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