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夏、僕は明里と野球部の応援に行った。うちの高校は公立で野球部は強くないし知り合いもいないが明里が行きたいと言うので僕はついていった。
球場までは学校が用意したバスに乗って行った。バスに乗り込む明里の顔はなぜか真剣で戦うのは明里じゃないのにと思った。
僕はプロ野球を観るが高校野球には疎かった。だから対戦相手が強いか弱いのかもわからない。知っているのは相手が私立校ということだけ。
明里に聞くと相手チームは去年ベスト8だったらしい。
僕はコールドゲームにならなければ良いなと思って試合を見守る。
炎天下、プレイする選手たちは太陽を反射してキラキラと輝く金属バットを、スタンドにいる僕らはプラスチックでできた赤いメガホンを持って共に戦う。
相手投手が投球練習をしている。それに合わせてうちの野球部がベンチの前に並んでバットを振る。練習風景などあまり見ないから貴重な経験だなと思う。
投手がロジンを手の上で弄んで地面に捨て置く。うちの高校の一番打者が審判に会釈してからバッターボックスに立つ。
審判のプレイボールの声で試合が始まる。
初球は左打者の外角低めのストレートだった。オーバースローの左投げでとても落ち着いている。二球目はカーブだ。そして内角高めの少しボール気味のストレートで一番打者が三振する。
「もう!」
明里が声を上げる。
「まだアウト一つだぞ」
僕が嗜めるが明里は悔しそうに言う。
「一番バッターなら少しは揺さぶりなさいよね」
「打席に入る前に言ってやれれば良かったな」
僕は苦笑して言う。
二番打者にはスライダーから入ってきた。初戦の相手にしては変化球もカーブとスライダーを持っていてストレートも遅くはない。厄介だなと思った。
三番打者も倒れて先攻だったがあっという間に三者凡退になり僕たちは溜息を漏らす。
攻守が入れ替わる間、明里が呟く。
「私が男だったらな、ホームラン打つのに」
「本当に打ちそうだな」
明里はリトルリーグの時もバッティングが良かった。上位打線を打っていたはずだ。僕は下位打線だった。
「あーあ、男だったらな」
隣で嘆いている彼女に僕は申し訳なく思う。彼女が彼女でいてくれるから僕は隣にいられている気がするからだ。
「明里は明里だから良いんだよ」
「どういうこと?」
首を傾げる彼女に僕は答えずにグラウンドで戦う選手たちに視線を戻す。
「さあ、応援しよう」
白球を追いかける彼らが眩しい。下手なりに野球を続けていたら僕もあそこにいられたのかもしれない。そんなたらればに意味はないけれど。
回は進み最終回、うちは5対0で負けている。
正直、僕は諦めていた。好投を続けている投手から5点差をひっくり返すのはうちの打者には難しい。コールドゲームを避けられただけでも凄いと思った。
それでも明里は諦めていなかった。懸命に声を出して選手たちを応援する。声を出し過ぎて声を枯らしながらもまだ声を出そうとする。球児には悪いが僕はそんな彼女の方に釘付けだった。
打球が一、二塁間を抜けてランナーが出る。
「やった!」
僕にハイタッチを求める明里。その手を叩いてから僕もメガホンを叩く。
いつも彼女は全力で誰かに勇気を与え続ける。そんな彼女だから僕は憧れているのだ。
結局、試合は5対0のまま負けてしまった。
グラウンドで戦っていた選手よりもなぜかスタンドで応援していた明里の方が泣いていた。
そんな彼女を僕は愛おしく思った。
プールにも行った。明里が暑いから泳ぎたいと言ったからだ。
とてもシンプルな理由だなと思った。それが彼女らしいとも思った。
子どもの頃から明里と行っているプールに高校生になっても一緒に行くとは思っていなかった。
「新しい水着買ったんだ!」
そう自慢するように言って明里は白色の水着を僕に見せてくる。成長した分だけその水着の胸は大きくなっていた。谷間から僕は慌てて目を逸す。
「感想は?」
感想を求められて困った僕は準備体操をすることにした。
「可愛い、綺麗とか言えないわけ?」
「かわいい、きれい」
棒読みで言う。内心では思っているがそれを素直に言うのは違う気がするからだ。
「素晴らしい棒読みね。まあ、良いや。背中押してあげるね」
そう言った明里はニッコリと不気味に笑った。
「いや、自分でやるから良い」
断ったはずなのに明里は僕の後ろに回り込む。
「遠慮しなくて良いよ。私が手伝ってあげる」
明里は悪魔のように耳元で囁いて僕の背中を押し始める。
電撃のような激痛が脚にビリビリと走る。
「ギブ!」
「もう、だらしないわね」
だらしないと言われても体が硬いのだから仕方がない。軟体動物に生まれればこんなことを言われずに済むのにと思った。
「お風呂上がりとかストレッチしないの?」
「しない」
「運動不足なんだから少しはケアしなさい」
身体が硬いだけで注意された。
それから僕たちはプールに入る。太陽の光で水面がキラキラと輝いている。冷たいプールは熱を持った体にはよく効いた。
「冷たいな」
「それが良いんじゃない。それ!」
明里は僕に水をかけてくる。やめてくれと言ってもやめないことは長い付き合いでわかっているので僕は動かずに水に当たる。
「気が済んだか?」
僕が聞くと不服そうに明里は言う。
「なんで避けないのよ。つまらない」
「避けたらかけ続けるだろ?」
「避けなくてもかけ続けるけど。もっと長い時間」
そうならそうと早く知りたかった。結局、僕は彼女との水遊びをするしかなくなった。
「楽しいね、歩」
そう笑顔で言って明里は水をかけ続ける。手でそれを防ぎながら僕は言う。
「弱い者いじめをするな」
「歩は弱くないから大丈夫!」
拳を硬く握って言い切る明里に僕は溜息を吐く。
「勝手に決めるな」
「じゃあ弱いの?」
そう問われて僕は戸惑ってから手を首にやって答える。
「……弱くはない」
「よし!」
「何がよし、だ」
「歩なら大丈夫! 歩は強いから!」
「わかったよ」
子どもの頃と何も変わっていない僕たちはその後もプールを楽しんだ。
プール近くにあるコンビニで買ったアイスをベンチに座って食べる。ガリっとした食感の後にソーダ味のアイスが泳いだ体に沁みる。
プールが終わった後にアイスを食べると小学生の頃を思い出す。じゃんけんで勝った方がアイスを奢ってもらうなんてことをよくしていた。安い賭けなのだけどあの時のドキドキは今でも覚えている。
小学生の頃とは違って僕はあっという間にアイスを食べ終える。木の棒には「ハズレ」の文字が刻まれていた。
棒に書かれたハズレを明里に見せる。
「ハズレだ」
「残念だね、私は当たったよ!」
「マジかよ」
本当に彼女の食べていたアイスの木の棒には当たりと刻まれていた。
「当たったのは良いけどまた食べないと駄目なの? いくら夏でも食べ過ぎるとお腹壊しちゃう」
真剣に話す彼女を見て僕は吹き出す。
「別に今日じゃなくても良いんだよ、交換したい時で。アイスやコンビニが逃げる訳じゃないんだから」
「あ、そうか」
明里は勉強ができるのに意外と天然なところがある。
彼女の頬は羞恥心で少し赤くなっていた。
自分の顔をパタパタと仰ぎながら彼女は言う。
「今日はアイスもういらないから持っておこうかな」
「まあ、良いんじゃない」
交換期限さえ守ればアイスは代えられる。できれば買った店で代えることが望ましいので来年の夏、また一緒にプールに来た時でもと僕は思った。
明里が当たりの棒を握りしめて口を開く。
「じゃあ、帰りますかー」
「そうだな」
あのアイスの当たりを明里は代えられなかっただろうな。僕が彼女の未来にある夏を奪ってしまったのだから。
八月の下旬には地元の夏祭り、『ふるさとまつり』にも行った。
祭りの規模は地元では一番大きく、並木道にはふるさとまつりと書かれた赤提灯が並んでいた。屋台が並ぶ中央公園は家族連れや友達同士、カップルで溢れていた。
驚いたのは明里が青の朝顔が描かれた浴衣を着て来たことだった。
「どうしたんだ、それ?」
「それって浴衣のこと? 歩のために着てあげたのに感想の一つもくれないなんて最低」
「まあ、似合ってる」
「鏡で見たから知ってる。他には?」
「こういうのって一つの感想で良いんじゃないか?」
僕が困ったように聞くと明里は不満そうに言う。
「私が満足できない感想だったからやり直し」
女王様は祭りだって変わらない。むしろ、いつも以上に女王様に見える。
「綺麗だよ」
明里の顔を確認すると彼女の顔はリンゴ飴のように赤くなっていた。
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫よ!」
「そうか、それなら良いけど。その浴衣、とても綺麗だな」
「え、浴衣?」
「僕は最初から浴衣のことを言ったつもりだけど」
僕が冷静にそう言うと肩を思い切り叩かれた。明里に痛いと伝えると自業自得と返された。
人混みを掻き分けて、明里が一つの屋台を指差して口を開く。
「ねえ、射的やってよ」
「射的?」
射的なんて小学生の時以来やっていない。
僕は頭を掻いて言う。
「自信ないなぁ」
「良いから、やるの。私に何か取ってよ」
そう明里が言って強引に射的の場所まで連れて行かれる。
白のタオルを巻いた白髪混じりの角刈りのおじさんにお金を支払い僕は貰ったコルクを猟銃に詰める。そして、側面のレバーを引く。適当にキャラメルでも狙って引き金を引くが外れる。
「下手くそ」
「仕方ないだろ。射的なんて久しぶりにやるんだから」
さっきよりも集中してキャラメルを狙う。レバーを引いてから照準を合わせて引き金を引く。
見事に命中する。そして、キャラメルが赤の布が敷かれた棚からぼとりと落ちる。
「当たった!」
隣で興奮気味に言う明里に僕は苦笑する。おじさんからキャラメルを受け取り、それを明里に手渡す。
「ほら」
「ありがとう!」
無邪気に喜ぶ明里を見て僕の顔もほころぶ。
「キャラメルくらいしか取れそうなのがなかったから、それで我慢してくれ」
「歩は冒険しないもんね」
臆病者の僕は確実性がないと何事にも手を出さない。そのことを唯一、知っている明里には敵わない。
「冒険しても良いことがないからな」
石橋を叩いて渡るくらいが人生丁度良いと思う。なぜなら、人の命は一つしかないから。
「つまらない男だ」
明里は笑顔でそう言って、僕も「そうだな」と答える。
そんなつまらない男と一緒に祭りに行ってくれる幼馴染に僕は心の中で感謝した。
その後、屋台でリンゴ飴やチョコバナナ、焼きそばなどを買って食べて花火が上がる時間がくる。
ブルーシートを敷いて花火を今か今かと待っている家族を見ると心がほっこりとした。
「来年は私たちもブルーシート敷いて花火を見ようか。夏にやる花見みたいで良くない?」
「日本には花見が多いな。まあ、面白そうだけど」
「でしょ」
そんな会話をしているとアナウンスが流れて花火が上がり始める。
夜空のキャンバスにヒューっと音をさせて琥珀色の種が打ち上がり、バン! と音を鳴らし、大きな赤い花が咲く。そして、それは残ることなく灰色の煙を残して儚くも消えていく。残念に思うとすぐに新しい色が現れその寂しさを埋めてくれる。
赤、青、緑、黄、ピンクなどの花が大小次々に咲いては散っていく。
そんな花火に僕と明里は釘付けになっている。それくらいの魅力が花火にはある。日本人がこぞって集まり、夢中になるのも頷ける。
「綺麗だな」
「そうね。私と同じくらい」
花火と争う幼馴染に僕は笑う。
僕は花火に釘付けの明里に視線を移す。花火に照らされた横顔が美しい。確かに花火に負けていないと思った。
「来年も行こうな、明里」
「うん」
そんな約束を儚く消えていく花火に誓った。
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