雪の偶像

 春、僕と松川明里は高校生になった。通うのは地元の進学校、四葉よつば高校だ。僕はランクを落としても良かったのだが明里が「同じところを受けなさい」と言ってきたので僕は言う通りにした。昔から彼女の命令には背けない。

「あーゆむ! 一緒に学校行こう!」

 午前七時半、家の外から幼馴染の大声が聞こえてくる。

 明里とは家が隣同士で子どもの頃から一緒に遊んでいた。僕たちの仲は高校生になっても変わらなかった。だから、高校生になっても学校に一緒に行く羽目になる。

 待たせるとうるさいので僕は急いで準備をして外に出る。

 天気はよく晴れていたと思う。

「歩、おはよう!」

 明里に元気一杯に挨拶をされて僕は欠伸を噛み殺して言う。

「なんで朝からそんな元気なんだよ。出来るなら、その元気を分けてくれ」

「高校生になったんだから当然でしょ。青春楽しまないと!」

 僕には縁遠い話だなと思いつつ苦笑する。

「学校には勉強しに行くんだよ」

「つまらない人ね。だから友達がいないのよ」

「放っておけ」

 本当に放っておかれたら困るのに僕はそんなことを言った。

「私が放っておいたら歩、不登校になるわよ?」

 真顔で言われて反論したかったがその光景が僕も容易に想像できてしまった。悔しいけど頭を下げることにする。

「……放っておかないでください」

 僕が頭を下げてお願いすると明里は得意げな顔で口を開く。

「仕方がないなー」

 嬉しそうに明里が言ってから僕たちは並んで学校に向かった。


「歩! 同じクラスだったよ!」

 学校に着くと昇降口でクラス発表がありそれを見るために同学年が集まっている。結論から言うと僕は明里と同じクラスだった。そのことを一番に前に行き貼ってある紙に書かれたクラスを見てきた彼女は嬉しそうに僕に伝えてきた。自分で見て知りたかった気持ちがあったので彼女のお節介に溜息を吐く。

「僕の楽しみを奪うなよ」

「ただのクラス発表なんだから良いじゃない。それに自分で探さないで済むのだから感謝して欲しいくらいよ」

「勝手な奴だな」

「でも、私と同じクラスになれて嬉しいでしょ?」

 当たり前のように聞かれて僕は頷くことしかできない。それを見て明里はニッコリと笑う。

「なら、良いじゃない。クラス発表を自分で見るよりも楽しいことがこれから待っているんだから」

 彼女は自信のドーピングでもしているのだろうかと思ってしまうくらい自信満々に言った。

 僕は苦笑して口を開く。

「楽しくなかったら責任取ってくれよ」

「それは未来永劫ってこと?」

 俺は吹き出す。

「馬鹿、違うよ」

「あー、馬鹿って言ったな。その言葉覚えておきなさい。高校最初のテストで土下座させてやる!」

 騒がしく怒る彼女に僕は浅く頭を下げる。

「……やっぱり馬鹿じゃないから勝負はなしで」

 中学三年間の学年一位に高校になって勝てるわけがないので僕は早々に白旗をあげる。

「すぐ負けを認めるなんて男らしくないわね」

「今の時代に相応しくない考え方だな」

男女平等を重んじる社会、それが正しいかどうかはわからないが明里はガン無視でそう言った。

「歩には良いの!」

「僕はどんな存在なんだよ」

どんな理論だよ。いや、理論なんてないからそんなことが言えるのか。どちらにしても僕に対して酷いことには変わりない。

「はあ」

「あはは」

 溜息を吐く僕と笑う明里、中学と変わらない関係で高校生活が始まった。


 松川明里は数日で学校のアイドルになった。アイドルと言っても踊ったり歌ったり握手会をするようなアイドルではない。男女の生徒問わずに憧れの象徴。それでいて彼女には嫌味がない人柄とカリスマ性があったので出る杭を打つものはいない。誰も出過ぎた杭は打てないようだった。そんなスターな彼女の隣には幼馴染という理由だけで凡人の僕がいた。

「ねえ、歩は部活とか入らないの?」

 授業が終わり、昼休みになると明里が廊下側の一番前の自分の席から窓側の一番後ろの僕の席まで小走りで来て聞いてきた。

「入らないよ。僕が運動苦手なの、明里だって知っているだろ?」

 僕は即答する。

 中学から僕の体育の成績は芳しくない。部活も卓球部に所属したがすぐ幽霊部員になった。だから高校ではどこの部活にも入らないことは決めている。

 僕の答えを聞いて明里は微笑んで言う。

「知っているけど歩は運動不足で太りそうだからさ。部活に入らなくても運動はしたほうがいいよ。いっそのこと一緒に野球部入って甲子園目指しちゃう?」

「そんな簡単に甲子園行けるわけないだろ。高校球児に謝れ。そもそも女子は公式戦に出られないだろ。マネージャーなら可能だけど」

 もし明里が野球部のマネージャーになったら野球部に入部する男が増えるだろうなと思った。

「マネージャーなんてやらないわよ。プレイできないし」

 明里ならそう言うと思った。

「じゃあ僕を野球部に入れようとするなよ」

 そう言って僕は溜息を吐いて机の上に弁当を用意する。その弁当を見て明里が言う。

「またおばさんに作ってもらったの? 高校生になったんだし、自分で早起きして作る気はないの?」

「ないな。僕は朝が苦手なんだよ」

 本当ならもう少し遅く学校に行きたいのに毎朝、明里が家まで迎えにくるからそれができない。

「中学も部活の朝練サボっていたしね」

「うるさいな」

 いちいち過去の罪を言わないで欲しいと思った。

 罰として掃除や階段ダッシュなどをやらされたな。

 明里は思いついたように口を開く。

「それなら今度、私がお弁当作ってきてあげようか?」

「あれ、明里って自分で弁当作っているのか?」

「そうだよ。偉いでしょ!」

 自信満々に言う彼女に僕は苦笑して母が作ってくれた弁当を開ける。

 唐揚げに卵焼きにブロッコリーにプチトマトか。トマトの酸味は少し苦手だ。僕の弁当を覗いた彼女は感嘆の声を漏らす。

「唐揚げなんて手間かかるのにおばさんは偉いね。私はあまり手間をかけない方だから期待しないでね」

「別に期待してないよ」

 例え弁当の内容が冷凍食品オールスターズでも明里が作ったと言えば学校中の男が食べたいと思うだろう。金を出す奴まで現れるのではないかと思う。「あかり」という名前で弁当屋を開いても良いかもしれない。

「少しは期待しろ!」

「自分で期待するなと言っておいて」

 なぜか肩を軽く叩かれる。理不尽だ。

「それにしても明里が料理できるなんて知らなかった。少しくらい欠点がないと可愛くないぞ」

「私は欠点がなくても可愛いから良いの」

「可愛げないな」

「歩は不器用で少し抜けている女子が好きなの?」

 明里が言った通りの女子を想像してみてから僕は首を横に振る。

「そう言われるとそれも嫌だな」

 僕が言うと明里は嬉しそうに微笑む。

「でしょ」

「まあ、可愛げのない奴よりはマシかもな」

「ふん!」

 明里は腹を立てて自分の弁当を食べる。覗くとその弁当の色合いは茶色かった。

「あんま女子の食べているところをじっくり見るのは良くないと思うけど」

「よくガッツリ食べて太らないよな」

 感心して僕は言う。

 明里は背が高いが太ってはいない。スタイルが良いのだ。体質なのか裏で努力をしているのか。どちらにしても凄いことだ。

「そういう星の元に生まれたのよ」

 なぜかキメ顔で彼女は言った。

「明里って時々、いや結構変わっているよな」

「歩だって変わっているじゃない!」

 顔を赤くする明里から視線を外して周りを見ると羨ましそうにこちらを見ている生徒たちと目が合う。そんな視線から逃げて僕は明里に聞く。

「なあ、僕と一緒に弁当なんか食べていて良いのか?」

「駄目なの?」

「僕が聞いているんだよ。……お前と一緒にいるとさっきから周りの視線が痛いんだよ。特に男子の」

 中にはあいつ誰だよと言った感じで僕のことを睨んでいる者もいる。いや、クラスメイトなのに酷くないかと思いつつ明里の横にいるのがモブだったらそう思うのも無理はないかと納得する。

「私、人気者だから仕方ないね。我慢して」

「我慢って。まったく、他人事だと思って」

 いつも彼女には振り回されている気がする。でも、それは嫌ではない。それだけは言える。

 箸をビシッと僕の方に向けて明里は言う。

「私の彼氏気分で僕の彼女は可愛いんだぞ、羨ましいだろ、と思っていれば大丈夫よ」

「何が大丈夫なのか全くわからない」

 僕は溜息を吐いて窓の外を眺める。青い空に桜の花びらが舞っているのが見えた。こうして見ると海の中で泳ぐ魚のようにも見える。

 明里も桜を眺めて言う。

「綺麗だから学校でお花見したいね」

「もう桜も終わりだろ」

 花の一生は早い。美しさと散りゆく儚さを兼ね備えた桜に人間は魅力を見出しているのかもしれない。

「じゃあ、来年しようよ。ブルーシート敷いてお弁当一緒に食べて二人でさ」

 桜なんて見て何が面白いのだろう。楽しいのは桜なんて見ずに酒を飲んでいるオッサンくらいではないか。そんなことを考えていると明里が上目遣いで言う。

「嫌だ?」

「嫌と言ってもどうせ連れて行かれるんだろ?」

「さすが幼馴染。よくわかっているね」

 満足そうに明里は僕を褒めた。こんなことで褒められても嬉しくはないのだけど彼女の中に当たり前に僕がいることは嬉しかった。

「まあ、楽しみにしとくよ」

「約束だよ!」

 小指を差し出す明里。指切りをしようとしてくるが周りの視線もあるので僕はそれを無視して返事をする。

「ああ」

 そんな春が来ないことをその時の僕はまだ知らなかった。


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