8
土曜日、天気は晴れ。井上は晴れ女だなと思いつつ僕は出かける準備をする。
と言ってもクローゼットにそこまで多くの服を持っている訳ではないしアイロンで髪の毛をセットすることもしないので最低限の準備ができたら外に出る。
太陽の光が眩しい。そんな時間に出かけられるくらいには僕の生活リズムは安定している。夜の散歩があるので寝るのは遅い時間だけど早起きは継続できている。世の中、当たり前のことを当たり前に継続することが一番難しい。
そんなことを考えながら僕は目的地の駅まで歩いた。
駅に着くと井上はまだいなかった。
この前は井上が待っていてくれたから今度は僕が待つ番だ。そう息込んだのも束の間、井上がすぐにやって来た。
「お待たせ」
走ってきたのだろう。少し井上の肩が上下している。息も荒い。
今日の彼女は髪型をツインテールにしていた。女の子だから、こだわっているのだろう。
「全然待ってないよ」
僕がそう伝えると井上は少し頬を膨らませる。
「そこは今来たところって言って欲しかったな」
「なんでだよ」
僕が苦笑してツッコむと彼女は溜息を吐く。
「え、僕が悪いの?」
不安になっていると井上が口を開く。
「女心がわからない石川くんに問題です。今日の私は何かが変わっています。さて何でしょう?」
唐突に問題を出されて僕は適当に答える。
「性格が悪くなった」
「違います。酷いなぁ、ちゃんと見えるところです」
「下着の色?」
「それも合っているけど見えないでしょ、バカ」
「馬鹿って、こんな問題になんの意味があるんだよ」
「意味あるよ。ちゃんとクラスメイトを理解するっていう」
「別に良いよ。他のクラスメイトに興味ないから」
「その言い草なら私には興味があるってことだよね?」
小悪魔のような笑みで彼女は聞いた。
「まあ、一応」
井上は他のクラスメイトと比べれば興味があるのは確かだ。彼女は嬉しそうにニヤニヤとしている。イラっとしたので僕は彼女をからかうことに決める。
「あ、頭」
「頭がなに?」
「頭のネジが一本足りない」
「違います!」
大きくバツを腕で作って言われた。
確かに頭のネジって見たことはないな。
彼女は自分の髪を触って口を開く。
「正解は髪型をツインテールにしている、でした!」
「知ってるよ」
「じゃあなんで答えないのよ!」
「見ればわかることを答えるなんて馬鹿がすることだ」
さっき彼女に馬鹿と言われたので僕はそう返した。意外と僕は餓鬼のようだ。
「それをクイズと言うの!」
出かける前から会話でカロリーを使うなと思い頭を掻く。
「面倒そうにしないでよ」
「実際、面倒だと思っているから仕方ないだろ」
「女の子は面倒な生き物なんだよ」
「知ってる。だから女子とあまり関わらないようにしている」
なんなら男子とも関わってない。それでも今のところ学校生活を送れている。まあ、少し前まで不登校だったけど。そんな自虐的なことを考えていると井上が口を開く。
「幼馴染以外は、でしょ」
「幼馴染は性別の前に属性が違うと言うか人種が違うと言うか」
幼馴染のことを説明するのは意外と難しい。異性として見てないわけではない。勿論、見ている。だけど時々だ。そしてそれに申し訳ないという感情がついてきてしまうのでいつも彼女を見る目には尊敬とか憧憬とかが混じっている。
特に明里は人間離れしているからそれが強い。
「それは逆に失礼じゃない?」
「井上が刺激するようなことを言うからだろ」
「幼馴染で刺激されるなんて石川くんって変わってるね」
「僕が変わっているなら僕に関わっている君も相当な変わり者だ」
こんなやり取りをしてお互いに笑い合う。
それだけのことなのに妙に居心地が良い。嫌なことを忘れられそうになる。
だから僕は井上晴香という女子と関わっているのかもしれない。
電車に乗って二駅で目的地には着く。近いって最高だなと思いつつ僕たちは改札を抜けて長いエスカレーターを降りる。
「今日は何をするんだ?」
「特に決めてないよ」
「ノープランかよ」
「色々見てまわって入りたい店に入り、遊びたいところで遊ぶ。最高じゃない?」
そう聞かれると、そう思うので僕は頷く。
「まあ、最高だな」
「そうでしょ。じゃあ早速行こう!」
幼稚園生のように元気良く言って彼女が先を歩く。
僕はそれについていき隣に並んで歩く。
「まずは映画を観に行こう。観たい作品が公開されているから」
「プランを決めているのか、いないのかどっちだよ」
「どっちでも良いでしょ。女の子は気まぐれなの。覚えておいてね」
「知りたくない知識をどうもありがとう」
「どういたしまして!」
僕の皮肉に彼女は元気一杯に答える。
僕たちは駅から少し離れた映画館に向かう。
映画館は東と西で分かれており東はイースト館、西はウエスト館と呼ばれている。
井上が観たい作品は大きいイースト館で上映されているのでそちらに向かう。
「映画館で観る映画って特別だと思わない?」
唐突に井上が言う。僕はそれに頷く。
「まあ、確かに。レンタルの方が断然安いけど映画館で観るのも嫌いじゃない」
巨大なスクリーンで映し出される映像は迫力があって作品をより楽しめる。
「石川くんってポップコーンとコーラ買う人?」
「水だけ持って映画観る人。買うのは……」
明里、と言いそうになるのを僕は堪えて言葉を飲み込む。
井上と一緒にいる時はなぜか彼女の名前を出したくなかった。
だから、代わりに違う言葉を差し出す。
「買うなら少しくれ」
「どうしようかな」
「無理にとは言わないけど」
「あげるよ。あげるから拗ねないで」
「拗ねてない」
こんなことで拗ねるはずがない。子ども扱いするなと思った。
イースト館に辿り着いて上映情報が表示されている水色の液晶画面を眺める。
「十二時からか。チケット買って少し待てば丁度いい時間だな」
「そうだね」
今思えば集合時間も最初から映画観る気満々のスケジュールじゃないかと思った。
彼女がそれほど観たがっている映画は恋愛映画だった。
よりにもよってこのジャンルを男女で観るのか。まあ、井上はあまりそういうのを気にしてなさそうだけど。
エスカレーターを上ってチケット売り場に行く。機械で高校生二人分のチケットを買った後、井上は塩のポップコーンとコーラ二つを買った。
入場が開始する。僕はトイレに寄ってからシアターに入る。席は中央の一番後ろの列、通路に近い席だ。
席に着くと井上がポップコーンを差し出してくる。
「一口どうぞ」
「おお、ありがとう」
僕はお礼を言ってからポップコーンを摘み、それを口に運ぶ。塩気が効いていて美味しい。
「美味しい?」
僕は頷く。
「ああ、美味しいよ」
明里はキャラメル味が好きだったなと思いながら僕はそう言った。
新作の映画の予告と映画泥棒のクネクネとした動きが流れてから本編が始まった。
物語は大切な人の死から投げやりに生きている主人公と不治の病を患っている少女のラブストーリーだ。ベタだがこういう作品はハズレが少ない。
主人公が彼女のお見舞いに行くところから物語は始まる。難病を患っているので学校に通えない少女に主人公は勉強を教える。
彼女が死ぬまでにしたいことを主人公が代わりに体験するシーンは面白かった。僕なら遊園地やスイーツ専門店に一人で行けないと思ったから尊敬すらした。
そして物語は佳境を迎える。
ヒロインが不治の病で死ぬなら自分も死ぬと主人公は言った。その言葉を聞いてヒロインは泣いて私の分まで生きて欲しいと彼に願う。その願いを彼は受け入れてヒロインは安らかに死んだ。
予告通り、感動の物語だった。
映画が終わり映画館のスタッフに誘導されて僕たちは外に出る。
「よがったね」
隣で泣きながら言う井上に僕は苦笑しつつ頷く。
僕も歩きながら映画の余韻に浸っている。
本当に美しく切ない物語だった。それと同時に現実もこんなに美しければ良いのにと思ってしまった。
映画を観たら午後二時になっていた。お腹も空いたので僕たちはイタリアンレストランに入り遅めの昼飯を食べることにする。
お昼時を過ぎているので店内は空いていた。窓から外が見えるボックス席に案内されてフカフカの皮のソファに対面で座る。
「映画良かったね、感動した!」
「めちゃくちゃ泣いていたな」
興奮気味に井上が言うので僕は苦笑する。
「石川くんは感動しなかったの?」
「感動したよ」
感動はしたが涙までは出ない。作品が悪いというより僕の涙腺が悪い。もっと言えば僕の性格が悪い。これはフィクションだからと頭でわかってしまっているので人よりすぐに熱が冷めてしまう。
そんな僕に井上が優しい眼差しを向ける。
「石川くん、無理しないで泣きたい時は泣いて良いんだよ」
優しい声音で井上は言った。
僕は首を横にふる。
人前で涙を流したことはない。
どうしても人前だと色々と考えてしまって泣けないのだ。
泣けない代わりに僕は軽口を叩く。
「泣いたとしても泣き顔を井上には見られたくないな」
彼女は小首を傾げる。
「なんで?」
「恥ずかしいから」
僕は彼女の疑問に対して素直に答える。
まあ、井上の前で泣くことなんてないから考えても意味ないけどな。
「そっか」
井上は窓の外を見てつまらなそうに呟いた。
店員が水とメニューを持ってきてくれる。それを僕は飲みながらメニューを見る。
「よし、和風パスタにしよう」
「決めるの早過ぎない? 私、まだ決めてないよ」
慌てる彼女に僕は苦笑する。
「ゆっくり決めて良いよ」
僕はスマホを弄って彼女が食べたいものを決めるまで待つことにする。
「決めた。トマトパスタにする!」
しばらくして彼女はおすすめメニューと書かれていたパスタを選ぶ。
僕は軽く手を挙げて店員を呼ぶ。すぐにハンディを持った店員がやってくる。
僕の和風パスタと井上のトマトパスタを注文して店員がハンディに打ち込み、メニューを回収して厨房へと伝えに行く。
料理を待つ間、僕たちは映画の感想を言い合う。
ここのシーンが特に感動したとか。この役者の演技が凄かったとかそんな話をした。
誰かと映画を観るとこういう時間を楽しめるから好きだ。
そして料理が運ばれてくる。
フォークで和風パスタを巻いて口に運ぶ。口の中に海苔の磯の香りとたらこのピリッとした辛味が広がる。
井上はトマトパスタをスプーンの上でフォークでくるくると巻いて器用に食べている。
僕も真似してみるが結局、フォークだけで事足りてしまう。
「慣れてるな」
「パスタ好きだからね。それに、よく友達と一緒に食べに行っていたし」
懐かしむように彼女は言った。過去形だったのが気になった。その友達と喧嘩別れでもしてしまったのだろうか。部外者なのでそこには触れるようなことはしない。
「そうなんだ」
「うん。和風パスタ少し貰っていい?」
「いいよ」
僕は和風パスタの皿を彼女に渡す。
美味しそうに和風パスタを食べる彼女は気づいたようにトマトパスタを僕に渡す。
「代わりにトマトパスタ食べていいよ。全部は食べないでね」
そう忠告を受けて僕は苦笑する。
「食べないよ」
「ポテトを泥棒した前科のある人は信用できない」
「根に持ちすぎだろ」
遊園地に行った時のことを持ち出されるとは思っていなかったので僕は溜息を吐く。
「井上って小さいのによく食べるな」
さっきだってポップコーンをほとんど食べていた。けれど太ってはいない。むしろ痩せている。その食欲はどこから来るのだろうか。そして栄養はどこに行っているのだろうか。
「小さいって、石川くんは失礼なことを平気な顔で言うね」
サイコパスだとでも思われているのだろうか。心外だなと思いつつ僕は軽く頭を下げる。
「正直者だから許してくれ」
「そう言うことは正直に言わなくて良いんだぞ!」
バシ!と僕の肩を叩く彼女に苦笑する。
「今度から気をつけるよ」
今度があるかはわからないがそう言っておいた。
レストランを出てショッピングを楽しみ、僕たちは電車で地元の駅に帰ってきた。
彼女を家の近くまで送っていると前から中学生くらいの男子が歩いてくる。
彼の表情は悲しげで僕を睨んでいるように見えた。そして僕はその子が明里の弟なのだと気づく。
「久しぶりだね、大輝くん」
僕は懐かしく思って声をかけると大輝くんは会釈してからすぐに僕の隣にいる井上を見る。
「……その人は?」
「ああ、クラスメイトだよ」
僕が答えると大輝くんは目を見開く。
「……女の子と出かけてたの?」
「まあ、色々あって」
「なんだよ、色々って。……歩くんまで姉ちゃんを忘れちゃったのかよ!」
そう口にして彼は走り出す。横を通り過ぎていく彼は泣いていたように見えた。
「危ないぞ」
僕の声は彼に届かずそのまま彼の姿は遠くなっていく。
「なんだったんだ?」
いきなりで戸惑う僕に井上は聞く。
「石川くん、あの子は?」
「僕の幼馴染の弟だ。なんか悪いな。初対面の人に失礼をする子ではなかったはずなんだけどな」
「私は良いよ。……言いたい気持ちはわかるし」
僕が首を傾げると彼女は真剣な顔で口を開く。
「……ちょっと公園に行かない? 大事な話があるの」
僕たちは明里と散歩に行っている公園にきた。
日が傾き始めている。葉を落とした木々が風で少し揺れている。公園内には僕たち以外、誰もいない。公園内に少し不気味な雰囲気が漂っている気がした。
ベンチには未開封のベットボトルが置いてあったのでそれを端によけてから僕たちはベンチに並んで座る。僕は寒いからコートのポケットに手を突っ込んでいる。落ち着かなくてポケットの中で拳を作ったり開いたりする。
少ししてから井上が僕の名前を呼ぶ。
「ねえ、石川くん。私、石川くんに言わなきゃいけないことがあるの」
「それが大事な話か?」
僕が確認すると彼女はコクリと頷く。
大事な話と聞いて僕がすぐに思いついたのは別れ話だったが僕と井上は付き合っていないのでそれはない。それではどんな大事な話なのか僕には想像がつかない。
緊張感が漂う中、彼女は話し始める。
「私ね、石川くんの幼馴染のこと知っているんだ。……明里ちゃん、だよね?」
僕の幼馴染の名前は松川明里だ。井上との会話では一度もその名前を出したことがないが、その名前を口にしたということは彼女が本当に明里を知っているということになる。
塾が同じだったのだろうか。僕も彼女と同じ塾に通っていたが友達の多い明里のことだから僕の知らないところで友達を作っていても不思議はない。
僕は適当な相槌を打つ。
「へえ、そうなのか。明里と井上が関わりあるなんて知らなかったよ」
「うん、というか石川くんも知っているはずだよね。……だって明里ちゃんは高校で私たちのクラスメイトだったのだから」
彼女の言っている意味が理解できなかった。
「……何、言ってんだよ」
僕と明里、そして井上が高校のクラスメイトだった? そんなはずがない。だって明里はこの街を離れて遠い所に引っ越したのだから。そして僕とは違う高校に通っているのだから。
呆然とする僕に井上はさらにとんでもないことを言う。
「明里ちゃんは石川くんの幼馴染で、私の親友だった。本当だよ。いつも明里ちゃんは石川くんと一緒にいて、登下校するのもお昼を食べるのもいつも一緒だった。それを私は毎日見ていた。早く付き合えば良いのになってなんか思ってさ」
「そんな訳ないだろ。……そんなの知らない」
作り話をしないでくれと思った。揶揄われるのは好きではない。
「知っているはずだよ。ただ石川くんが知らないフリをしているだけ」
井上は僕の心を抉るように言った。冗談だよと言って笑ってくれれば良いだけなのにそうはしてくれない。
状況が掴めない僕は首を横に振る。
「知らないフリなんてしてない。なんだよ、知らないフリって。僕が何を知らないフリしていると言うんだ?」
知らないフリなんてしてないのにしていると言われても証明しようがない。僕は参った。
「もう、わかっているでしょ?」
優しい声音で井上が聞いてきた。わかっていないから僕は困っているんだと言い返したくなった。
辺りはさらに暗くなっていく。闇が公園ごと僕らを包み込んでいるようだった。
公園の横を通る車のヘッドライトが眩しい。
車が通り過ぎてから井上は口を開く。
「明里ちゃんはもう死んだの。交通事故でね」
ハッキリと彼女は言った。冗談なんかでは済ませられないことをだ。
僕は勢い良く立ち上がって彼女を睨む。井上の潤んだ瞳の中に僕の顔が小さく映る。井上の目に映る僕はとても怖い顔をしていた。
「……そんなはず、ないだろ。だって僕は明里と夜に会って散歩しているんだ!」
井上と出かけることを伝えてアドバイスを貰った。それを夢だとでも思っているのか?
彼女はゆっくりと首を横に振る。
「ありえないよ。そんなの絶対にありえない」
確かに井上は言い切った。そんな彼女に怒りの感情が湧いてきてしまう。抑えようとしてもその熱は沸々と湧き上がってきてしまう。
「井上に何がわかるんだよ!」
僕の怒鳴り声が静寂に包まれた公園に響く。
井上は怯まずに声を震わせて言う。
「……わかるよ。だって親友だったんだから、私と明里ちゃんは」
嘘だ、そんなの嘘に決まっている。
明里が死んでいる訳がない。だって、だって。
明里は生きているのだから。
目を瞑って井上は過去を思い出すように言う。
「石川くんが認めたくないのはわかるよ。私より石川くんの方が明里ちゃんとの思い出を多く持っているも知っている。だけど認めないと前に進めないんだよ。……そうしないと石川くんが壊れちゃうんだよ」
僕が壊れる?
彼女は何を言っているんだ。僕は平気だ、大丈夫なんだ。
僕は苦笑しながら言う。
「レストランでからかったことは悪かったって、それとも遊園地でポテトを貰ったことか? 全部謝るからもう揶揄うのはやめてくれよ。冗談にしてもつまらないからさ」
井上は首を横に振って口を開く。
「からかいなんかじゃないよ」
そう言って泣きながら井上は僕の手を握る。
「その痛みも苦しみもわかりたいから、一緒に忘れていきたいから私を選んでよ。お願い、石川くん」
懇願する井上の姿が霞んでいく。そのまま僕は下を向く。
僕は立ち尽くしたまま地面を見ることしかできない。
思考が波のように押し寄せてくる。じゃあ僕が見ている明里の姿はなんなんだ。いや、違う。僕が持っているこの記憶はなんなんだ。全てがわからなくなる。
「嘘って言ってくれよ!」
「嘘じゃない」
なぜ人は正しくあろうとするのだろうか。少しも間違いを許容しない。間違えている人間を正そうとする。それが正義だからと強要してくる。そんな現実から弱い人間が逃げ出したくなるのは当然だ。
頭を抱えて僕はその場に蹲る。
「あー!!!!!」
彼女に告げられた真実に耐えきれなくなって僕は慟哭した。
頭が痛い。体が熱い。こんなの夢に決まっている、悪夢だ。そろそろ目が覚めるに違いない。
僕は自分の頬を強く引っ張る。寒さもあってとても痛い。
「ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな! なんだよ、これ。なんなんだよ!」
こんな現実認めない。だって僕は毎晩、彼女に会って散歩しているんだ。飲み物を飲みながら会話だってしている。それが現実だろ?
「これが現実だよ。その証拠に石川くんは不登校になっていたじゃない」
彼女の言葉を聞いて僕は目を見開く。
どうしても不登校になった理由が思い出せなかった。なんで自分の生活リズムが狂って、なんで平日になっても学校に行ってなかったのか自分でも不思議だった。誰かにいじめられていたのかと思ったがそうではないことはわかっていたし、気にかけてくれている存在がいたから学校に行くことのハードルは低いと思っていた。それならなぜ僕は家に引きこもっていたのか。
その謎を解き明かすように彼女は言う。
「クリスマスイブの日、石川くんと一緒にいた明里ちゃんは信号無視のトラックに轢かれて死んだの。そして、石川くんは不登校になった」
井上の言葉を聞いてギリギリで紡いでいた蜘蛛の糸一本がプッツリと切れた。
ああ、そうだった。僕は辛い現実から逃げていただけだったんだ。こんなクソみたいな真実から目を逸らしていたのだ。
井上晴香のおかげでやっと濃い霧が晴れてくれた。
なんで僕が不登校になったのか、なんで明里が夜に現れるようになったのか、やっと思い出した。いや、もしかしたら井上の言っていた通り全部わかっていて知らないフリをしていたのかもしれない。
僕の口から乾いた笑いしか出てこない。
明里が死んでいるなら深夜、家の扉を開けた瞬間必ず明里がいたのも、コンビニに入らず冬の寒い外にずっといても平気だったのも彼女の顔がとても冷たかったことも全て説明がつく。
「やっとわかった?」
そう挑発するように聞いてきた井上に僕はコクリと頷いた。
ああ、全部わかったよ。思い出した。井上のおかげでやっと現実を見られる。とても退屈でつまらない最低な最悪な現実を。
「そっか、そうだった。僕が、明里を……」
そこまで言って僕は黙る。
本当に困ったものだ。もう、どうしようもないのだから。
クリスマスイブの日、僕は僕のせいで幼馴染の松川明里を失ったのだ。
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