第25話

 フランシェスカたちが戻ってくる頃には、アルは再び眠っていた。回復は順調で、今は呼吸も安定しているし酷い寝汗もいていない。


「一度、仙龍せんりゅう様にアルのことを話してきます」


「分かった。ワイバーンで送ろう」


「いえ、私一人でも大丈夫です。二人はアルの傍にいてあげてください」


 仙龍も心配しているだろう。取り敢えずアルの無事は伝えておきたい。

 ソフィは里の外に出た後、かつて勇者を運んだようにジュエル・ドラゴンの背に乗った。

 桜仙郷へ着き、すぐに仙龍のもとへ向かう。


「アルは、どうだった?」


 ソフィに気づいた仙龍は、すぐに問うた。

 アルのことを気にしていたのだろう。仙龍の吐息は普段よりも荒く、鼻の辺りから伸びる細長いひげが小刻みに揺れていた。


「今は落ち着いています」


「……そうか」


 心底安堵あんどしたのか、深い息が吐き出される。

 ソフィの髪が仙龍の吐息によって持ち上げられた。


「これで……いいのかもしれない」


 仙龍は地面を見つめながら言う。


「やはり、神獣と人間は相容れないものだ。意思を交わすことはできるが共存は難しい。だまし騙しでアルを育ててきたが……これ以上、あの子を苦しめるわけにはいかない」


 だから、これでいい。

 このままアルとお別れでいい。──仙龍はそう告げた。

 けれどソフィは、そう思わない。


「仙龍様。つかぬことをおきしますが、病の調子はいかがですか?」


 仙龍が目を丸くした。

 唐突な話題の変更に驚いているようだ。


「もしや、その病……再発してはいませんか?」


 仙龍が目を見開く。


何故なぜ、分かった」


 やっぱりか、とソフィは思った。


「心当たりがありましたので。……詳しい容体をお訊きしていいですか?」


「…… 上手うまく言語化できないが、胸が苦しくなる」


 仙龍はぐるるとのどを鳴らしながら語る。


「お前の言う通り、ここ数日で急に病がぶり返した。どのみちこの土地を離れなければならないため、黙ってはいたが……今も胸が張り裂けそうだ」


 仙龍は元々謎の病を患ったことでこの渓谷に下り、療養していた。百年経

たった今、その病が治ったので引っ越しを進めていたが……どうやらその病がぶり返したらしい。

 それは耐え難い苦しみだと、仙龍は言っていた。


「それは、治療できない病です」


「なに?」


 仙龍が訊き返した。


「それは、誰もが抱える病で……誰もが向き合わなくちゃいけないものです」


 ソフィは病の正体を知っていた。

 仙龍はソフィをにらむように見つめる。長年、我が身を苦しめていた病の正体とは何か。どうしてただの引っ越し屋がそれを知っているのか。いぶかしんでいるのだろう。

 なんてことはない。その病は誰もが知っているものなのだ。


「病の名は……孤独」


 ソフィは、仙龍を真っ直ぐ見据えて告げる。

 その巨大な身体からだの奥にある、小さな心に向かって告げる。


貴方あなたは、孤独に苦しんでいるんです」


          ◆


 病の正体を告げられた瞬間──仙龍は、遠い昔のことを思い出した。


 およそ五百年前。かつて仙龍は、神獣としての使命を果たすために人里の近くにある土地へ逗留とうりゅうした。当時はまだ文明も発達しておらず神獣のことを知る人間が少なかったため、最初は魔物として恐れられた仙龍だが、根気よく対話を試みた末に彼らとの信頼関係を築くことができた。


 仙龍が干上がったその土地を修復すると、人里の者たちは涙を流して感謝した。聞けば、その土地は元々大きな畑だったらしく、干上がってからはろくに食べ物を収穫できなくなり、かといって他に畑に適した土地も見つからず、随分長い間ひもじい思いをしてきたらしい。


 神気を浴び続けると危険だと伝えたが、彼らはそれでも仙龍に近づき、うたげを開いた。

 彼らは酒を飲み交わしつつ、仙龍と他愛ない話をした。

 仙龍は、彼らと関わるうちに──心が温かくなるのを感じた。


(……ああ)


 思えば、これが切っ掛けなのだろう。

 やがてその土地の回復が終わった後、仙龍は使命を全うするべく次の土地へ向かった。人里の者たちは、雲間へ昇っていく仙龍を滂沱ぼうだの涙と共に見送った。


 彼らと別れた後、仙龍は少しずつ心が冷たくなっていくのを感じた。心は、人里の者たちと触れ合う前の温度に戻るだけでなく、更に冷たくなっていった。


 その冷たさは底なしだった。かつては揺らいだことすらなかったのに、いつしか仙龍の心は暗くて冷たい、藻掻くことすら許されない底なし沼に沈んでいた。


 百年過ぎても、二百年過ぎても、心は沈み続ける。

 仙龍はそれを──だと考えた。


「……そうか」


 この、胸の苦しみは。

 この、耐え難い痛みは。


「……そうだったのか」


 他者と交わらなければ決して癒えることのないもので──。

 だから、アルと出会った日を境に回復していった。

 アルを拾った時、仙龍はこの子の親にならなくてはならないと思った。人を育てた経験などないが、他に頼れる者がいない以上、自分が育てるしかないと思った。

 だがその実、仙龍がアルを保護していたというのは半分の事実に過ぎず──。


「……守られていたのは、私の方だったのか」


 孤独に苦しむ自分のことを、アルは見抜いていたのかもしれない。

 支えていたのは仙龍だけではない。


 仙龍もまた、アルに支えられていた。






※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 


本作は12/8に発売する書籍の試し読み版となります。

発売日まで毎日3~4話ずつ更新していきますので、よろしくお願いいたします。


発売日まで、あと1日です。

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