第21話

 六人目に声をかけたところ、ソフィはその人の家に招かれた。

 こぢんまりとした宿屋を経営しているらしく、普段は旅人や商人をお客さんとして商売しているらしい。だからだろうか、余所者よそものであるソフィにもどこか慣れた様子だった。


「誰に似たんだか、うちの息子は分不相応な野心を持っちゃってねぇ」


 カウンターの裏にある部屋が、主人夫婦の住んでいるスペースらしい。「女将おかみさん」と里の人から呼ばれていたその女性は、ソフィの対面に座って語り出す。


「まだ早いって言ってるのに、私たちの言葉には耳を傾けることなく上京しちゃって、それからはろくに帰ってきもしない。まあ手紙を送ってくれるだけマシなんだけどね。……私たちが子離れする前に、子供が親離れしちゃったのさ」


 女将さんの隣には彼女の夫が座っていた。夫の方は無口らしく、あまり口を開くことはないが先程からうんうんと首を縦に振っている。

 聞けば、女将さんたちの間には十五歳になる息子がいるらしい。しかしその息子は騎士を志して王都へ上京したようだ。本気で騎士を目指すなら十五歳での上京は妥当だが、女将さんが「まだ早い」と言っているのは年齢ではなく腕っ節の方だろう。

 部屋の隅には、二人の息子が使っていたと思しき帽子と靴が置いてあった。……あと数年すればアルにとっても丁度いい大きさになる。


「だから、旦那だんなと二人で暮らしてはいるけれど、やっぱり寂しくてね。……里親の件、私たちでよければ引き受けさせてもらうよ」


「ありがとうございます」


 見知らぬ子供の里親になるのは決して楽なことではない。ソフィはこの女将さんと、その夫に深く頭を下げて感謝した。


「色々訳ありの子ですが、よろしくお願いします」


「神獣様に育てられた子供だろう? むしろ徳がつくってもんさ。ねえ、あんた?」


「ああ。きっと大物だ」


 里親となってくれる人たちに隠し事はできないため、アルの境遇についてはざっくり説明していたが、この二人は寛容だった。

 話がまとまったところで、ソフィは一度女将さんたちと別れる。

 子供たちが遊ぶ広場の方へ戻ると、ルイスの姿を見つけた。


「今、戻りました」


「引っ越し屋か。……アルの里親候補は見つかったか?」


「はい。温かいご家庭でした」


「それはよかった。……こっちも分身の情報を手に入れたぞ。偵察タイプの分身は、毎晩日をまたぐ時間に、里の上空を西から東へ横切るらしい。目撃情報によると地上に降りた姿は確認されていない。恐らく常に飛んでいるのだろう。空中戦になるはずだ」


「空中戦なら、里の皆さんを巻き込む心配もありませんね」


 周囲への被害を考えなければならない地上よりも空中の方が戦いやすい。特にソフィや宮廷魔導師のような、大規模な魔法が使える者にとっては尚更だ。


「ところで、なんでフランシェスカも子供たちに交ざって遊んでいるんですか?」


「アルにボールを顔面にあてられて、怒って駆け寄ったら、いつの間にかああなっていた」


 フランシェスカは子供たちに交ざってボールをばしていた。

 金髪縦ロールが千切れそうなくらい振り回されている。珍獣みたいだ。


「この里は子供が健やかに育っている。安心してアルを預けられるな」


「そうですね」


 二人で、広場で遊ぶ子供たちを見つめる。

 アルがフランシェスカからボールを奪った。すっかり里の子供たちに馴染んでいるらしく、「いっけー!」「アル! 決めろ!」とチームメイトから応援されている。


「魔王と戦争していた時代に、こういう田舎いなかの村や町は淘汰とうた

されたと聞いたことがありますが、こうして見るとそんなふうには思えないですね」


「ああ。……当時は魔王軍の侵攻を恐れて、田舎に住んでいる人たちはこぞって王都へ逃げ込んだからな。一時期は確かに村という村が放棄されていたんだ。しかし今は彼らも故郷に戻り、復興も大体済んでいるはずだ」


 詳しく知らなかったため、ソフィは「へぇ」と相槌あいづちを打つ。


「結局、勇者様のおかげで魔王軍はこの国に一度も入ってこなかったんでしたっけ?」


「正確には一つの村だけ犠牲になったが、村人は既に避難済みで被害はなかったと聞く。……魔王軍の腹いせだったんだろうな。勇者様には感謝してもしきれない」


 この村も、勇者が守ったものの一つだ。

 ソフィは改めて勇者の偉大さを思い知る。……だからと言って、宰相や騎士団長みたいに依存するのはまた違うと思うが。


「えー! アルって足し算もできないの〜!?」


 その時、子供たちの大きな声が聞こえた。

 遊び疲れたのか、子供たちは球蹴りをやめ、皆で集まって話している。


「な、なんだよ! 別にいいだろ!」


「よくないよ、そんなんじゃ賢く生きていけないぜ?」


「賢くなくたって、俺は……っ」


 アルは言い返そうとしたが、何も言葉が思い浮かばなかったのか、口をつぐ

む。


「そろそろご飯よー!」


「はいっ!!」


 子供たちの親が、夕食の時間を報せた。

 アルにとっては助け船だったのだろう。「じゃあな!」「明日も遊ぼうねー!」と楽しそうに言い合う子供たちの輪から、アルはどこか物憂げな様子でこちらへ戻ってきた。


「お帰りなさい。楽しそうでしたね」


 ソフィの言葉に、アルは反応しない。


「……なあ。足し算って、できた方がいいのか?」


 アルは顔を伏せたまま訊いた。

 その問いかけに、ソフィはゆっくり時間をかけてから口を開く。


「アルはどう思いますか?」


「分からない。でも、皆はできるって言うし……できないと、なんか、恥ずかしい気がする」


 アルは、きゅっとこぶしを握り締めた。

 悔しそうだ。イライラしているようにも見える。でも不機嫌になるのは何か違うと分かっているのだろう。だからアルは恥を忍んでいた。

 それは、人の社会で生きていれば当たり前のように感じるものだ。

 アルは今、初めてというものと向き合った。


「では学びましょう。アルにその意思があるなら、いくらでも機会はありますよ」


 この里の教育がどこまで行き届いているかは知らないが、王都の子供の場合、十歳なら簡単な四則演算くらいはできる。


「あ、いたいた」


 アルが学ぶ意思を見せたその時、一人の女性がアルを見てこちらへやって来た。

 アルの里親候補である女将さんだ。


「アル君、よかったらうちでご飯食べていかない? 今朝、この里の猟師が大型の猪を狩ってくれてねぇ、お肉がたくさん余っているのよ。だから今、皆でなべを作ってるんだけど……」


「なべ……? そ、それは、美味いのかっ!?」


「ええ、とってもしいわよ」


 そう言いながら、女将さんはソフィの方を見る。

 もしよければ今晩にでもアルと話してみてほしい──そういう約束をソフィは女将さんと交わしていた。予定通り、女将さんはアルと話す機会を作る。


「行ってきてもいいですよ。ただし、ちゃんと作法を守るように」


「……ま、まあ! くれるって言うんなら、もらうのが礼儀ってやつだもんな!」


 作法が酷いことについては女将さんにも説明しているので、幻滅されることはないだろう。

 しかし、作法はともかく言葉は巧みに使いこなしている。

 千年以上の時を生きる仙龍せんりゅうと、幼い頃から対話していたのだ。少なくとも話すことに関して言えば、同世代よりも見識が広いのかもしれない。常識に疎いことだけはやはり難点だが。

 キラキラと目を輝かせて女将さんと話すアルを見て、ソフィは安堵あんど

する。


 ──よかった。


 アルが、人の社会にも心を開いてくれて。

 仙龍と桜仙郷、この二つがアルにとって何より大事なのは理解している。けれどその二つしか目に入らない子ではない。食べ物に、遊びに、景色に……ちゃんと人の社会に興味を示している。

 なら、きっと大丈夫だろう。

 アルはこの里でも幸せに生きていける。


「アル」


「なんだ、師匠?」


 楽しそうに振り返るアルに、ソフィは告げる。


「今日の深夜に分身を倒します」


「──っ」


 アルの顔が急激に強張った。


「日が変わる頃に広場まで来てください。一緒に分身を倒しましょう」


 アルは返事をしない。

 そのまま女将さんに手を引かれて去って行くアルを、ソフィは黙って見送った。


「言わない方がよかったんじゃないか?」


「私は、アルをだましたいわけじゃありませんから」


 隠れて分身を倒したら、アルは激昂げきこうするかもしれない。

 そして後悔するはずだ。人の社会に関わったことを。


「ちゃんと、向き合ってほしいんです。……アルならきっと、それができます」


 アルはまだ子供だが、己の人生と向き合う強さは持っている。

 ソフィはそう信じていた。






※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 


本作は12/8に発売する書籍の試し読み版となります。

発売日まで毎日3~4話ずつ更新していきますので、よろしくお願いいたします。


発売日まで、あと2日です。

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