第17話

 フランシェスカたちがアルを追う一方、ソフィは仙龍に分身の核を返していた。


「こちらが四体目の核になります」


「感謝する。……これであと二つだな」


 核が仙龍の前でふわりと浮かび、光の粒子になる。その粒子は仙龍の身体に吸い込まれた。


「アルが迷惑をかけたか?」


「いえ、大丈夫でした。むしろ分身の特徴を教えてもらいましたよ」


「あの子がお前たちに協力したのか?」


「協力というよりは……恐らく、私たちでは分身を倒せないと考えたから教えたんだと思います」


 本人は手伝ったつもりなんて微塵みじんもないだろう。

 仙龍は「そうか」と短く相槌あいづちを打った。


「私の制御から離れた分身は、独自に進化を始めてな。療養に専念して動けなかった私より、アルの方が詳しいことがあるのだ」


 なるほど、とソフィはうなずく。

 仙龍の背中をよく見れば、桜の花弁がたくさん載っていた。いくら常に桜が舞い落ちる桜仙郷だからといって、わずかな時間でここまで積もりはしない。あまり身体を動かしていないのだろう。


「仙龍様。課題は二つあると言っていましたね」


 ソフィは神妙な面持ちで訊いた。


「二つ目は、アルのことですか?」


「……そうだ」


 仙龍は静かに吐息をこぼす。

 その吐息には微かな緊張が含まれていた。


「アルはこれ以上、神気を浴びるべきではない。だから私はもうアルの傍にはいられないのだ。それにお前も理解していると思うが、私のせいでアルはいびつな成長をしてしまった。……多分、あれは正しくない生き方だろう」


「……そう、ですね」


 食事の仕方や衛生観念を中心に、アルは人間らしくない生き方をしている。

 あれでは病気になることも多いだろう。仙龍が人間に関する知識を持っていたおかげで、まだ修正可能な範囲ではあるが、いつまでも続けていいものではない。


「お前の言う通り、それが二つ目の課題だ。……頼む。アルを人の世に帰してやってくれ。でないと私は安心して旅立つことができない」


 どこか遠くを見つめるような仙龍のひとみは、慈愛に満ちており、子を見守る親そのものだった。


「すまない。こんなこと、引っ越し屋であるお前に頼むべきでないのは承知しているが……」


「いえ、お願いする相手は私で間違っていませんよ」


 ソフィは仙龍を真っ直ぐ見つめて言う。


「つまり、仙龍様は、私にアルの引っ越しを依頼したいということですよね?」


「……む?」


「でしたら当然、引き受けます。なにせ私は引っ越し屋ですから」


 胸に手をあてて言うソフィ。

 仙龍は、アルを桜仙郷ではなく人間が住む街で引き取ってほしいと頼んでいる。──これが引っ越しの依頼でなくて何なのか。であればソフィに任せても全く問題ない。

 何も遠慮する必要はない。そう暗に告げたソフィに、仙龍は微かに笑った。


「頼む。アルを、人間の社会に引っ越しさせてくれ」


かしこまりました」


 仙龍とこうして対面で話すようになってから、分かったことがある。

 神獣にも人と同じような感情があるのだ。寂しいという感情も、それを押し殺す感情も。

 このお客さんも──心から寄り添うべき相手なのだ。


「アルのことは、私にお任せください」


          ◆


 その後、ソフィはフランシェスカたちと合流した。


「というわけで、依頼が増えました」


 ソフィは仙龍からされた依頼について、二人に説明する。

 フランシェスカとルイスは、唐突な発表にポカンと口を開いていた。


「仙龍様の引っ越しは勿論もちろんちゃんとしますが、私にとってはどんな依頼も平等に大切です。なのでこれからは、アルの引っ越しも並行して進めたいと思います」


「いや、まあ引っ越し屋がそれでいいなら私たちも言うことはないが……」


 負担は大丈夫だろうか、と言わんばかりにルイスが心配してソフィを見る。


「あの子を説得するのは至難の業だと思いますわよ」


「……大丈夫です。多分、アルは、そこまで子供ではありませんから」

 桜仙郷という過酷な環境で育ってきたアルを、ソフィは幼稚な人間だとは思っていなかった。無知で、世界が狭いだけで、心はきっと人並み以上に育っているように感じた。


「アルはどちらに?」


「あそこですわ」


 フランシェスカが指さす方向に、不機嫌そうに木の根に腰かけるアルがいた。

 そんなアルへソフィは近づく。


「アル、大事な話があります」


「……なんだよ」


 ソフィは身をかがめ、アルと同じ目線になる。


「もしかして貴方あなたは、ここで仙龍様と別れたら、もう二度と会えないと思ってませんか?」


「……思ってる。だって、俺と仙龍が離ればなれになる理由が仙龍の神気だとしたら、どれだけ時間がっても変わらねーじゃん」


 その通りだ。

 アルはちゃんと状況を理解している。


「それを、私がどうにかしてみせます」


 目を丸くするアルに、ソフィは続けた。


「いつか、遠い未来になるかもしれませんが……貴方と仙龍様が再会できるようにします」


「……どうやって?」


「神気に耐える方法があるんです。それを貴方に教えます。ただし習得には時間がかかるため、残念ながら仙龍様の旅立ちには間に合いません」


 そう告げるソフィを、アルは怪訝けげんな目で見た。


「信じられねー。適当に嘘ついてるだけだろ」


 魔法のことをよく知らないアルが、ソフィの提案を疑うのは無理もなかった。

 だからソフィは、フランシェスカの方を見る。


「フランシェスカ。私に炎を放ってもらっていいですか?」


「は?」


 アルが目を見開く一方で、フランシェスカは「いいですわよ」とあっさり頷き、つえを振るう。

 次の瞬間、灼熱しゃくねつの業火がソフィを焼いた。


「なっ!? お、おい!? 何してんだっ!?」


 あまりの熱にアルはあと退ずさりしながら叫ぶ。

 だが、よく見れば──ソフィは炎の中心で何事もないかのようにたたずんでいた。


「耐性魔法といいます。言葉通り、あらゆる耐性を身につける魔法です。焼けるような熱にも、凍ってしまいそうな寒さにも、この魔法があれば対処できます」


 フランシェスカが炎を消す。

 ソフィの身体には傷一つなかった。

 アルは声も出ないほど驚いていた。魔法を知らなかったアルにとって、炎に焼かれても人が耐える光景は想像すらできなかっただろう。


「耐性魔法を使えば、神気を浴びても多少は平気になります。実際、私たちは仙龍様の前では常にこの魔法を使っていますし」


「そ、そうなのか!?」


 アルはフランシェスカとルイスの方を見たが、二人も首を縦に振った。

 厳密には──耐性魔法では神気を完璧かんぺきには対策できない。

 神気は、暑さや寒さとはわけが違う、人智を超えた力だ。どのような魔法でも神気を完全に無効化することはできない。ただし耐性魔法を極めれば、一時的に負担を軽減することはできる。

 ソフィの知る限り、アルが仙龍と再会するための一番の近道が、この耐性魔法の習得だった。


「時間はかかるかもしれませんが、私が貴方にこの魔法を伝授します。……その代わりに、私の言うことを聞いてくれませんか?」


 神妙な面持ちでソフィは言う。


「今回だけは、仙龍様との別れを受け入れてください。でなければ貴方は死んでしまいます」


 アルが唇をきゅっとんだ。

 受け入れがたい現実と、なんとか向き合おうとしているのだろう。ソフィはしばらく待って、アルの険しい顔つきがほぐれてから話を再開した。


「仙龍様と別れた後、貴方は人間の社会へ引っ越してもらいます。そこで、人間としての生き方を学んでください」


「……桜仙郷じゃ駄目なのかよ」


「ここでは人の生き方が学べません」


 しの自然が支配するこの地で、人が人らしく生きるには限界がある。

 それに仙龍の引っ越しが終われば、仙龍も仙龍の分身もこの地から消えるのだ。桜仙郷にはやがて魔物が蔓延はびこり、環境は一変するだろう。いずれここはアルの知る土地ではなくなる。


「貴方の仙龍様と別れたくない気持ちはよく分かります。ですが、そのせいで貴方が死んでしまったら、それこそ永遠の別れです。しかも……その別れ方は、仙龍様が酷く悲しむでしょう」


 そのような本末転倒な結果には絶対にしたくない。

 そんなソフィの気持ちを察してか、アルは強くぎしりして、


「……仮に、俺がその耐性魔法ってやつをすぐに覚えたら、仙龍と別れずに済むのか?」


 それはつまり、仙龍が旅立つよりも前に習得できたらという話か。確かにそれならアルは仙龍と同行できるようになるため、別れる必要はない。


「そうですね。すぐに覚えられたらの話ですが」


「……分かった」


 あくまで覚えられたらの話だが、アルは首を縦に振った。


「お前の言うこと、聞いてやる。ただしもしお前が嘘をついてたら――ぶっ殺してやる」


「構いません」


 力強くこちらをにらむアルに、ソフィは頷いた。

 きっとアルの胸中には、ソフィに対する疑念が渦巻いているはずだ。しかしアルはそれを振り切ってソフィを信じることにした。

 そんなアルの気持ちには応えねばならない。


「今日はもう遅いですから、魔法の伝授は明日からにします。……私たちの拠点に来ますか?」


「……いい。寝床くらい自分で用意できる」


 アルはふらふらと覚束ない足取りでどこかへ向かった。

 こっそり感知魔法でアルの行き先を確認する。アルは桜仙郷の外側へ向かっていた。仙龍せんりゅうと少しでも離れた位置に移動している。表向きは気にしていない素振りだが、やはりアル自身にも、神気の影響をこれ以上受けてはならないという認識があるのだろう。


「嫌な仕事を押しつけてしまいましたわね」


「……これは私の仕事ですよ。誰にも渡しません」


 ぶっ殺してやると告げたアルは、子供とは思えないほど恐ろしい形相をしていた。

 けれど、それはアルが本音を吐き出してくれている証拠でもある。

 だから気にしてなかったが、フランシェスカはソフィを心配そうに見つめていた。


「……まあ、宮廷魔導師様に、子供を導く仕事はちょっと難しいかもしれませんね」


「なっ!? ひ、人が心配しているというのに……っ!!」


 ソフィの軽口に、フランシェスカは顔を赤くして怒った。

 ちょっとだけ申し訳ないと思う。でも、勘違いしてほしくなかったのだ。

 ソフィは、アルを導くという自分の役割に誇りを持っていた。






※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 


本作は12/8に発売する書籍の試し読み版となります。

発売日まで毎日3~4話ずつ更新していきますので、よろしくお願いいたします。


発売日まで、あと3日です。

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