第16話

 四体目の分身を捜しに、ソフィたちは桜仙郷を歩く。

 地をう木の根を踏み越え、肩に乗った桜を手で払ったところで、ルイスが口を開いた。


「……どうする?」


 ルイスがさり気なく後方を見て言う。


「……ついて来ていますわね」


 フランシェスカもさり気なく振り返って言った。

 先程からアルがついて来ていた。一定の距離を保ちながら、こちらの様子をうかがっている。


「このまま駆け引きを続けるくらいなら、合流した方がいいと思います」


 ソフィの提案に、フランシェスカとルイスはうなずいた。

 仙龍の分身はそれなりに強い。アルを警戒しながら戦うのは面倒だ。

 それならいっそ、最初からそばにいてくれた方が助かる。


「どうせついて来るなら、もっと近くに来ませんか?」


「……ちっ」


 アルは声をかけられて驚く様子を見せたが、やがて観念したように近づいてきた。


「よく気づいたな」


「感知魔法です」


「……なんだそれ?」


 アルは首を傾げた。魔法はあまり詳しくないのかもしれない。


「何でついて来たんですか?」


「邪魔するために決まってるだろ。仙龍はどこにも行かせねー」


「アルは、仙龍と離ればなれになりたくないのですね」


「当たり前だろ」


 確かに、当たり前だ。

 アルにとって仙龍は育ての親。……一度親に捨てられた自覚がある子供にとっての親だ。離れたいなんて思うわけがない。


「でも問題ねー。仙龍の分身は皆、強いんだ。どのみちお前たちじゃ敵

わねーよ!」


「だが、私たちは既に三体倒しているぞ」


「残りの三体は特別だ! お前たちが倒したのなんて、雑魚ざこだよ雑魚!」


 アルは本当に余裕そうに言う。


「ですが、仙龍様はこの地を去ることに納得していますわよ」


 だからソフィに引っ越しの仕事を依頼したのだ。

 フランシェスカから正論をぶつけられたアルは、唇を引き結んだ。


「……うるせぇ。気が変わるかもしれねーだろ」


 十歳の子供は、こういう感じだったかとソフィは思う。

 ソフィにとって、自分の過去はあまりあてにならないが、当時周りにいた同い年の子供たちを思い出す。

 感情と理屈のせめい。あの頃はいつだって感情が勝っていた気がする。

 それは、理屈を考えられるほど頭脳が発達していないからでもあるし……子供の方が、人や物を大事におもう気持ちがより強いからでもある。

 その時、くぅ、と誰かの腹の虫が鳴いた。


「す、すみません……わたくしですわ」


「そういえばまだ食事をとっていなかったな」


 恥ずかしそうに赤面するフランシェスカに、ルイスは言う。

 アルはフランシェスカを嘲笑ちょうしょうし、


「腹ぺこドリル」


「突き刺しますわよ!」


「ドリルは否定しないのかよ……」


 思ったよりもいじられ慣れていたのでアルは困惑した。

 髪型に関しては、学生時代からよくいじられてきたフランシェスカである。


「では、食事にしましょうか」


 ソフィはつえを握り、《召喚サモン》と唱えた。

 すると、ソフィの足元から腕の生えた箱が現れる。


「な、なんだよ、それっ!!」


「ミミックですよ。知りませんか?」


「知るわけねーだろ! そんなやつ桜仙郷にはいねぇ!!」


 驚くアルを他所よそに、ミミックはふたを開けた。

 箱の中には、しそうなサンドウィッチが入っていた。


「食糧は持参とのことでしたので、作ってきたのですが……ちょっと多すぎたみたいですね。よければ皆さんもどうぞ」


「くっ、女子力アピールですの……!?」


「そんな大したものではありませんが、嫌なら結構です」


「ああっ!? た、食べますわ!」


 ルイスとフランシェスカも持参した食事を用意するが、どちらも簡素な携帯食料だった。色んな事態を想定して、食べやすくて持ち運びやすいものを選んだのだろう。いつでも召喚可能なミミックを弁当箱扱いするソフィが反則なだけだ。


「アルも食べますか?」


「……寄越せ」


 サンドウィッチの入ったミミックをアルの方へ寄せる。

 同時に、フランシェスカがアルの手を見た。


「アル、手に泥がついていますわよ。これできなさい」


「このままでいいだろ。飯食うのに手なんて使わねぇし」


「は?」


 ハンカチを差し出すフランシェスカを無視して、アルはミミックの中に顔を突っ込み、手ではなく口でサンドウィッチを取り出した。ミミックが驚いて跳び上がる。

 アルはそのままサンドウィッチを地面に落とし、動物のように口だけでガツガツと食べた。


「ちょっ!? な、なんてはしたない食べ方をしているんですの!?」


仙龍せんりゅうみたいなこと言うな。俺はこれが一番食べやすいんだよ」


 仙龍が教えた作法ではないらしい。となれば……桜仙郷に棲息せいそく

する動物の真似か。


「なんだこれ!? うまい! うまいぞ!」


 はしたないが、食べっぷりはいい。

 初めて食べたのだろうか?


「普段はどんな食事をしているんですか?」


「木の実。魚。あと肉」


 自給自足はできていたらしい。アルの身体はせこけているわけではなく、むしろ筋肉質だ。食べ物はまともに摂取している。

 しかし、それでも普通の人とは程遠い。


「というか…… 貴方あなたの身体、かなり臭いますわね」


「最近、雨が降ってないからな」


 雨を水浴びに使っているらしい。

 衛生観念も低そうだ。


「これは……」


 フランシェスカは、アルの話を聞いて食事の手を止めた。

 続く言葉はソフィにも想像できる。

 これは──想像以上に酷い。

 会話は問題ないが、会話以外はほとんど駄目だ。人間の生き方ではない。

 仙龍を責めるつもりは毛頭ないが、やはり神獣と言えど人の子を育てるのは難しいようだ。


「というか、その服装もどうしたんですの? サイズが合っていない気がしますが……」


「拾ったり奪ったりしたやつを適当に使ってんだよ」


 アルはボロ布のような服を着ていたが、よく見ればシャツのすそに女物らしい刺繍ししゅうがあり、靴は左右がぞろいだった。桜仙郷には観光客や冒険者が訪れるそうだが、彼らから手に入れたのだろう。


「む」


 サンドウィッチを咀嚼そしゃくしたルイスが、杖を取り出す。

 ソフィも口元をぬぐった後、落ち着いて杖を構えた。


「いますね、近くに」


「ああ。だが……目視できない」


 急に様子が変わったソフィたちに、アルが首をかしげた。


「なんだよ、急に?」


「分身が近くにいます。でも何故なぜか姿が見えません」


 ソフィがそう言うと、アルは不敵な笑みを浮かべる。


「うまいもの食わせてくれた礼に教えてやる。お前たちが倒した三体の分身は戦闘タイプで、一番単純な奴らなんだ。でも残りの三体は違う。……姿が見えない奴がいるなら、そいつは隠密タイプだ。身体を透明にすることができる」


 やけに詳しく教えてくれるアルに、ソフィは疑問を抱いた。


「いいんですか、倒しても?」


「倒せるわけねーだろ。だって透明なんだぞ? よく考えたら邪魔する必要もねーや」


 アルは既に安心しきった様子で、サンドウィッチをひたすら食べていた。

 そんなアルに、ソフィは同情に近い感情を抱く。

 ああ──この子は、


「では、倒します」


 わざわざそう宣言してしまったのは、罪滅ぼしがしたいからかもしれない。アルの前で分身を倒すのは心が痛むが……それでも、倒さなければならなかった。

 仙龍が言っていた二つ目の課題を理解する。

 随分、酷な課題だ。


「まずは姿をとらえましょう」


 感知魔法で大まかな位置は把握できるが、やはり目視できた方が距離感などをつかみやすい。

 ソフィは足元の桜を浮かせ、放射状に放った。すると、斜め前方の空間で桜の花弁が何かとぶつかり、空中で静止する。

 すかさずソフィが杖を振ると、花弁がその物体に絡みついた。

 徐々に輪郭が明らかになっていく。……大きな狼のような分身だった。


 次の瞬間、狼の尻尾しっぽが一気に膨張し、はじける。

 ソフィたち三人の魔法使いは、直感に従って正面に障壁を展開した。

 障壁に命中した何かはパラパラと地面に落ちる。それを見てフランシェスカはまゆを寄せた。


「これは……針、ですの?」


「また、危険な分身だな……っ」


 透明化に加えて尻尾から針を飛ばしてくる分身のようだ。

 危なかった――敵の姿を捉えることを横着して先に攻撃を仕掛けていたら、今頃この針の反撃を受けていたかもしれない。今のは前兆が見えたからこそかろうじて防げたのだ。


「フランシェスカ、閉じ込めますよ」


「っ!! ──ええ、承知いたしましたわ!!」


 元同級生なだけあって、フランシェスカはすぐにソフィの意図を察した。

 針を防ぎながら障壁で分身を囲う。分身は横合いへ飛び退のこうとしたが、ソフィが追加で二枚の障壁を展開し、完全に四方への動きを封じた。


「ルイスさん、トドメを!」


「ああ」


 フランシェスカの叫びに呼応し、ルイスが杖を振り下ろす。

 風のやりが、分身を真上から貫いた。


「これで四体目だな」


 分身が霧散し、核が現れたのを見てルイスが一息つく。

 思ったよりもあっさり倒せたが、当然のことである。

 宮廷魔導師が二人に、『時代の魔法使いロード・オブ・ウイザード』の継承者がいるのだ。油断はできないが、この三人が連携すればまず負けることはない。

 だが────アルには、そんなこと知る由もない。


「………………は?」


 無傷で、あっさりと分身を倒したソフィたちを見て、アルは目を見開いた。


「な、なんだよ、それ……」


 アルは震えた声で言った。

 小さな歩幅で後退する。ざしゅ、と桜の花びらの潰される音がした。


「そんな力……今まで、見たこと……っ」


 その目はソフィたちのことを、まるで化け物のように見ていた。

 有り得ない……。

 信じられない……。

 アルの表情がぐしゃぐしゃにゆがむ。


「……っ!!」


「アル!?」


 アルはどこかへ走り去ってしまった。フランシェスカが叫んでも、その足は止まらない。

 あっという間に遠ざかる小さな背中を、ソフィたちは複雑な心境で見つめる。


「桜仙郷で生きてきたなら平気だと思うが、万一のこともある。私が追おう」


「わたくしも行きますわ」


 連戦で魔力の消耗が激しい。ルイス一人では不安だとフランシェスカは判断した。

 けろっとしているソフィの方がおかしいのだ。


「……では、私は核を仙龍様に渡してきます」


 ソフィもアルの行方は気になったが、二人を信じて自分の仕事をこなすことにした。

 それに……仙龍には、きたいことがある。


          ◆


 行く当てもなく、走り続ける。

 迫り来る現実から逃げるように、走り続ける。

 行く当てなんてあるはずがなかった。最初から自分の居場所はここしかない。

 自分の居場所は──仙龍のそばだけだ。


「アル〜! どこにいるんですの〜!?」


 大声で名前を呼ばれる。

 アルは無視して走り続けた。

 熟練の冒険者ですら、気を抜けば遭難してしまうという桜仙郷。しかしそこはアルにとっては見知った庭で、迷うはずなんてなかった。

 ここで仙龍と共に、ずっと生きると思っていた。

 なのに──。


(なんだよ、あれ……)


 駆けながら、アルは思い出す。

 今までも何度か桜仙郷に入ってきた人間はいた。魔物を討伐するためにやって来た冒険者、何らかの調査をしに来た騎士、好奇心旺盛おうせいな村人、商売の種を求めた商人、その他にも研究者や芸術家など大勢の人が今まで桜仙郷にやって来た。


 しかし彼らはすぐに退散した。

 彼らが魔物だと思っている仙龍の分身はとても強い。桜仙郷を訪れた冒険者や騎士は次々と返り討ちにされた。自信に満ちた彼らの顔が恐怖に歪んでいく様を見るのは、桜仙郷で生きるアルにとってちょっぴり痛快だった。この土地をめるな、とアルはいつも思っていた。


 つい最近も、厳つい甲冑かっちゅうまとった騎士たちが桜仙郷を訪れ、仙龍と何か話していた。話を盗み聞きしたら、彼らは仙龍に桜仙郷を去ってほしいと頼んでいた。


 だからアルは彼らを襲った。すると騎士たちは慌てた様子で仙龍に出直す旨を伝え、桜仙郷を去ろうとしたが、その前に分身と遭遇して交戦した。騎士たちは抵抗の意志を見せたが分身には敵わず、命からがら桜仙郷から逃げ去った。

 それを見てアルは「問題ないな」と思った。……ああいう奴らが来る度に、分身たちが追っ払ってくれる。仙龍は桜仙郷を去ることに納得しているみたいだが、あいつらが来なくなったらきっと仙龍の気も変わるだろう。


 ここは俺たちの庭だ。

 誰が来ても決して歯が立たない人外魔境……そこが、俺と仙龍の居場所だ。

 そう、思っていたのに……。


(あいつらは……)


 先程の光景が頭に焼きついている。

 今までの人間は皆、尻尾を巻いて逃げていた。


 でも──あいつらは違う。


 正直に言うと、最初に三体の分身が倒された時は何かの間違いだと思った。……きっとマグレで倒しただけだろう。それなら問題ない。マグレなんてそう何度も続くものじゃないし、四体目の分身は倒せず、結局他の奴らと同じように逃げると思っていた。

 しかし現実は違った。


 あいつらは────本当に強い。


 今までの訪問者とは完全に別格だ。

 ……そう感じた。


「どう、しよう……」


 太い木の根元でうずくまり、アルは自らの身体からだを抱えながら震えた。

 分身の特徴を教えるべきではなかった。

 あいつらなら、分身を全部倒せてしまう。


 そしたら、俺は……。

 そしたら、仙龍せんりゅうは…………。


「仙龍が……本当に、行ってしまう……っ!!」






※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 


本作は12/8に発売する書籍の試し読み版となります。

発売日まで毎日3~4話ずつ更新していきますので、よろしくお願いいたします。


発売日まで、あと4日です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る