第14話

 二手に分かれた後も、ルイスは胸中複雑だった。

 フランシェスカの上司にあたる宮廷魔導師のルイスは、並々ならぬ場数を踏んでいる。だから定石にめて行動するなら、ルイスが一人になるべきだった。


 それでも、ソフィの案を採用した理由は─―彼女から凄味を感じたからだ。

 ただの少女が出せるものではない。自信と貫禄かんろくに満ちたその顔を見て、ルイスは無意識に信頼してしまった。それこそ、己の直感よりも……。


 だが二手に分かれた後、我に返った。

 桜仙郷は人外魔境。だというのに、宮廷魔導師である自分たちよりもただの引っ越し屋に大きな負担をかけさせてしまうとは……肩書きに泥を塗る行為をしてしまった。


(……今からでも戻るべきか?)


 ルイスは己の愚行を恥じた。

 まさか自分が、年下の少女に陶酔を覚えるなど……。

 魅了魔法でもかけられたかのような気分だ。


「ルイスさんは、ソフィのことをどのくらい知っているんですの?」


 後方から一定の距離を保ちながらついて来るフランシェスカがいた。

 胸中の不安を見透かされたらしい。


「正直、噂程度だな。……王都の郊外にある、魔法使いの引っ越し屋。そこに行けば、どんな人でも素敵な旅立ちにしてもらえる。……噂というより都市伝説か」


 王都に長く住んでいる者なら、一度くらいは耳にしたことがある。その程度の風聞だ。


「そのような都市伝説に頼るような人は、難解な事情を抱えているに決まっている。だがその引っ越し屋は、そうした難解で特別な事情をあっさり解決してみせるという。……目撃者によると、浮遊魔法を複数展開していたとか、変身魔法で荷物を動物に変えていたとか。突拍子もない話だが、火のない所に煙は立たない。だから今回、わらにもすがる気持ちで頼ったんだ」


 ただでさえ高難度の浮遊魔法を複数同時に展開できる者は、宮廷魔導師の中でもそう多くない。

 無生物を生物に変身させることも同様だ。

 本来ならこの仕事は宮廷魔導師だけでやるべき危険なもの。しかし宮廷魔導師は万年人手不足なので、今回のように助っ人を頼むことも多い。


 正直に言うと、ルイスは九割九分、あの少女には依頼を断られると思っていた。

 店で桜仙郷の話をした時点で四割、神獣と対峙たいじした時点で五割、その他諸々で九分。……だがあの少女はいずれの時点でもルイスの予想を上回った。桜仙郷の話を聞いても恐れず、神獣と対峙しても圧倒されない。そしてあろうことか、ルイスを頷かせる胆力もある。

 それに──初めてソフィと会った時の会話を思い出す。


依頼主クライアントは、人外でも可能かね』


『はい。実績もあります』


 少なくとも、この受け答えの時点で、彼女がただの引っ越し屋であるはずがなかった。


「大丈夫ですわよ」


 フランシェスカがルイスを真っ直ぐ見て言う。


「ソフィなら大丈夫ですわ。わたくしが保証しますの」


「……そうか」


 フランシェスカの瞳には、滅多に見せないほどの強い信頼が込められていた。

 しかしルイスには、あの少女を雇った責任がある。慎重になるに越したことはない。

 その時……気配を感じた。

 遠くに巨大な猪が見える。全身はこけのような緑色で、口からは白くて太いきばが伸びていた。


「見つけた。──すぐに倒すぞ!」


 先手を取ることができたのは大きい。ルイスはつえを振り、風のやりを生み出した。

 ぎゅるる、と音を立てながら風の槍が放たれる。舞い散る桜の花弁を巻き込みながら、槍は猪の胴に突き刺さった。


 猪が悲鳴を上げ、樹液のような琥珀こはくいろ飛沫しぶきが舞う。

 だが倒せてはいない。猪は怒りに我を忘れた様子でルイスに突進してきた。


「フラン、防御を!」


「了解ですわ!」


 ルイスの正面に半透明の壁が作られ、迫り来る猪を食い止めた。

 強烈な衝撃に地面が揺れる。ただの魔法使いならコンマ一秒も止めることができず、今頃ルイスは壁ごと粉砕されていたに違いない。


「も、もうちませんわ!」


こらえろ! 今、!」


 ルイスは頭の中でこの猪の脅威度を上げた。

 槍を突き刺したというのに微塵みじんひるんでいない。もっと強力な魔法が必要だ。


「いけ!」


 猪の頭上に、先程よりも巨大な風の槍が三本現れた。

 槍は全て猪の巨躯きょくに突き刺さる。直後、ルイスが杖を振ると、槍の先端が猪の体内で炸裂さくれつし内臓をズタズタに引き裂いた。

 猪が動きを止め、倒れる。


「……思ったよりも、消耗させられたな」


 汗をぬぐうルイスの前で、猪の身体からだが霧散した。飛び散った樹液のような血も黒い粒子になる。

 後に残ったのは仙龍が説明した通りの、拳大くらいの核だった。


「フラン、すぐに引っ越し屋を探すぞ。やはり一人で手に負える相手ではない」


 そんなルイスの発言に、フランシェスカは何か言いたそうな顔をした。

 しかし刹那せつな、フランシェスカは顔色を変える。


「ルイスさん! 下ですわッ!!」


「何──ッ!?」


 フランシェスカが警告したと同時に、ルイスの足首が何かにつかまれ、勢いよく持ち上げられる。


「ぐっ!?」


 強烈な遠心力に身体がきしむ中、ルイスは自らの足を掴むを見た。

 木の上に緑色の猿がいた。猿にしては巨体だが、それ以上に長すぎる腕が特徴的だ。枝の上にいるにもかかわらず、もう一方の腕が地面まで垂れている。

 この猿は、地面を覆う桜の下に腕を隠していたらしい。

 括りわなにかかった動物のような気分だ。


「いかん! けろっ!!」


 猿がルイスを振り回し、フランシェスカにぶつけようとした。

 フランシェスカは一瞬だけ防御の魔法を発動しようとしが、先程のように壁を展開すればルイスがたたきつけられてしまう。


「きゃっ!?」


 すべなく、ルイスとフランシェスカは衝突する。

 猿はすぐにルイスを掴み直した。まるで鈍器のような扱いだ。


 ──まずい。


 ルイスは焦った。振り回されている間は魔法が当たらない。フランシェスカの援護に期待するしかないが、今の負傷で骨でも折れたのか反応が鈍い。

 どうする? ルイスが対策を考えた、その時──。

 パン! という音と共に、ルイスを掴む猿の腕が千切れた。


「大丈夫ですか?」


 猿が悲鳴を上げる中、のんびりとルイスに歩み寄る人物がいる。

 積もりに積もった桜の道を、悠々と歩くその少女は──ソフィだった。


「引っ越し屋……」


 ソフィの足元から、隠れていた猿の腕が飛び出る。

 しかしそれを見切っていたソフィは、ひょいと隣へ跳ぶだけで回避してみせた。


「少々、見晴らしが悪いですね」


 ソフィが杖を振ると、辺り一帯を旋風が包んだ。

 地面に積もっていた桜が、全て――宙に浮く。


「風情を台なしにするのは心が痛みますが、許してください」


 元来の美しさは確かに損なわれたかもしれない。

 だがルイスは、この光景にこそ風情を感じた。


(……美しい)


 宙に浮いた桜は、まるで天蓋てんがいのように辺りを包んでいる。たった一人の少女が生み出したとは思えない幻想的で派手な景色だ。


 逃げも隠れもできなくなった猿を、舞い散る桜が包み込んだ。

 宙に浮かせるだけではない。ソフィは桜に魔力を通し、武器として活用している。

 大量の桜が、静かに猿を覆い──圧殺する。


「ふぅ……これで三体目ですかね」


 ぶわりと風が吹き、宙に浮いていた桜が舞い落ちた。

 猿を包んでいた桜も散り、コトリと音を立てて核が落ちる。


 今、三体目と言ったか? こちらが分身を一体倒したことを把握しているのはともかく──彼女は既に一体倒した上で、まだあれほどの魔法を使う余裕があったのか?

 ルイスは冷や汗を垂らした。分身ではなく、あの引っ越し屋の少女の実力に……。


「……フラン。彼女は一体、何者だ?」


 フランシェスカの身体を治癒魔法で治しながら、ルイスは尋ねる。

 動けるようになったフランシェスカが、ゆっくり身体を起こす。


「一つ、魔法学園を首席で卒業すること」


 フランシェスカは指を立てて言った。

 何を言っている──ルイスはそう思ったが、


「二つ、現在の所有者から継承の許可を得ること」


 その条件には聞き覚えがあった。

 それは、あるを獲得するための条件――。


「三つ、国家を除きいかなる組織にも属さないことを終生誓うこと」


 フランシェスカが三本目の指を立てて言う。


「まさか……」


「その、まさかですわ」


 フランシェスカはうなずく。


「全ての条件を満たした魔法使いは、この国からある称号を与えられる」


 そう言ってフランシェスカはソフィの方を見た。

 舞い散る桜は、まるで彼女を祝福する妖精ようせいのようだった。


「『時代の魔法使いロード・オブ・ウィザード』──ソフィ=イザリア。彼女こそが、この時代を代表する魔法使いですわ」


 時代の名を冠する魔法使い──。

 その称号を持つ者は、この時代において最も優秀な魔法使いとされている。国もこの称号を持つ魔法使いは重宝しており、いざという時はあらゆる便宜を図ってくれるとか。


 だが、その仰々しい称号とは裏腹に、あまり表舞台には姿を見せない。

 三つ目の条件が理由だった。……優秀すぎる魔法使いがどこかの組織に属すると、組織間のパワーバランスが崩れ、国は最悪内部分裂を起こす。だから『時代の魔法使いロード・オブ・ウィザード』に選ばれた魔法使いは政治にも軍事にも関わることができず、表舞台には滅多に現れない。


 国も、下手に存在を知られて争いの火種になっては困ると思っているのだろう。だからこの称号に選ばれた魔法使いは秘匿されがちである。一部の権力者は知っているが、魔法に疎い一般市民はそもそも称号の存在すら知らない者も多い。歴史の陰に隠れがちな名誉だ。


 それでも──魔法を修め、磨き、極めようとした者ならば誰しも一度はあこがれる。

 宮廷魔導師のルイスもその一人だ。魔法学園に在籍していた頃は目指していた時期もあった。たとえ表舞台に上がることはできなくても、その地位に憧れていた。


 まるで、使

 それが今、目の前にいる。


「そう、か……」


 ルイスは小さな声をこぼす。


「『時代の魔法使いロード・オブ・ウィザード』は、いかなる組織にも属せない。つまり宮廷魔導師にもなれない。だから彼女は、引っ越し屋を装って……」


「あ、いえ、それは違いますわ」


 引っ越し屋はあくまで、世を忍ぶ仮の姿……そう推測したルイスだが、隣にいるフランシェスカが否定する。


「ソフィは在学時から引っ越し屋になるつもりでしたわよ。というか引っ越し屋になるために魔法学園に入ったのですわ」


 ?????? と、ルイスの頭上に大量の疑問符が浮かんだ。

 引っ越し屋になるために、魔法学園に入った……?

 なんだそれ?


「わたくしも、学生時代はそんな感じでしたわ……」


 フランシェスカがどこか懐かしそうにルイスを見て頷く。

 栄えある魔法学園に、そんな理由で入学してくる生徒がいるとは……当時のフランシェスカはソフィという存在を前にして、毎日疑問でいっぱいだった。


「核を回収しました。仙龍せんりゅう様のもとへお届けしましょう」


 二人を他所よそに、ソフィは核を拾って言った。

 我に返ったルイスは念のため感知魔法を使う。魔力を周囲に散布して索敵するための魔法だ。

 確かに、最初に感知していた三体の分身の反応は全て消えているが──。


「──待て、何かが近づいてくるぞ!!」


 新たな反応が接近していた。

 杖を構えるルイスの脇を、小柄な影が駆け抜ける。


「分身!? ──四体目ですの!?」


 灰色の毛皮をまとった影だった。

 影は速度を落とすことなく、回り込んで再び突進してきた。


「速い──ッ!?」


翻弄ほんろうされるな! 迎撃の陣形を組むぞ!」


 フランシェスカとルイスが背中合わせになり、それぞれ杖を構える。

 見慣れない陣形に嫌な予感がしたのか、影は標的をソフィへと変えて突進するが──生憎あいにく、その少女は宮廷魔導師二人ではとても釣り合いが取れない魔法使いである。

 迫り来る影に対し、ソフィは杖を一回転させながら軽く振り下ろし──。


「こら」


「──いてっ!?」


 ずどん、と音を立てて影が地面に叩きつけられる。

 影は──


「いたずらにしては、度がすぎますよ」


「うぅ……な、なんだよ、今の……っ!?」


 影がゆっくり起き上がる。

 分身ではない。そこにいたのは、動物の毛皮をまとった十歳くらいの少年だった。赤い、燃え盛る炎のような髪を泥と花びらだらけにした少年が、ソフィをにらむ。


「子供? 何故なぜこんなところに……?」


 魔境と名高い桜仙郷に、ただの子供が迷い込むはずがない。


「ここから出て行け! お前ら、仙龍を連れて行く悪者だな!!」


 何の話だ……?

 ソフィたち三人は顔を見合わせるが、誰もこの少年に心当たりはない。


「……取り敢えず、仙龍様のところへ連れて行きますか」


 ソフィの提案に他二人は頷いた。

 少年と仙龍は顔見知りのようだ。詳細は仙龍にいてみよう。






※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 


本作は12/8に発売する書籍の試し読み版となります。

発売日まで毎日3~4話ずつ更新していきますので、よろしくお願いいたします。


発売日まで、あと4日です。

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