第11話

 勇者の依頼を受けてから三ヶ月が経過した。

 あの後すぐに、勇者が引退したことは正式に発表された。人々は最初こそ悲しんだが、内心ではいつかその時が来ると思っていたのだろう。事後報告のような発表だったとはいえ、予想通り民衆は勇者の引退を温かく受け入れた。騎士や冒険者、軍人といった腕っ節で社会貢献してきた人たちは、治安維持に対する当事者意識を強くし、訓練にも一層熱が入るようになったそうだ。


 勇者の引退という事実に人々が慣れ始めた頃。いつも通りの朝早い時間に目覚めたソフィは、顔を洗い、寝巻姿のまま店先に出た。


 温かい陽光を浴びながら「おいっちに、おいっちに」とストレッチで身体からだほぐす。どちらかと言えば夜型なソフィにとって、朝はこのくらいやらないと目が覚めなかった。

 ポストを見ると、新聞が入っていた。

 ソフィは新聞を取り出し、中身を読みながら店に戻る。


「……なんだ。やっぱり二人とも立派じゃないですか」


 新聞には、宰相と騎士団長の活躍が記されていた。

 長年この国が頭を悩ませていた外交問題を解決へ導いたという宰相。街を脅かしていた強力な魔物を単身で倒してみせたという騎士団長。新聞の記事は二人を大絶賛していた。


 宰相や騎士団長が、勇者に対する思いの丈を吐き出したあの時、ソフィは思った。……この二人は勇者と離れなければ、自分自身と向き合うことができないのかもしれない。


 二人とも、勇者のことが好きすぎて、自分の功績を全部勇者のおかげだと思い込んでいたのだ。

 宰相も騎士団長も、とっくに一人前である。二人とも、曲がりなりにもこの国の重鎮なのだからもっと自信を持ってほしい。


 それに、そのうち勇者と再会する日もあるはずだ。

 陛下も言っていた。これが今生の別れになるわけでもあるまい。

 程よく目が覚めてきたところで簡単に朝食をとり、それから仕事着に着替えた。最後につえを軽く振ると、ドアの外側にるされた木のパネルがくるりと裏返る。パネルで確認できる文字が「本日の営業は終了しました」から「営業中」に変わった。


「すみません、お届け物です!」


「あら、どうも」


 店のドアが開き、荷物が届けられる。

 カウンターに置かれたのは……手紙が二通、それと大きな包が一つだ。

 仕事の依頼は手紙で来ることもあるため、ソフィはすぐに手紙の内容を確認した。

 まずは一通目。手触りのいい上等な薄桃色の封筒だった。香水を垂らしているのだろう、ちょっと強めのフローラルな香りがする。

 この力強い香りには、心当たりがあった。

 ソフィは溜息ためいききながら中の手紙を読む。




『我が生涯のライバル、ソフィへ

 久しぶりですわね!!!!!!!!!!!!!!!!

 貴女あなたが相変わらず王都の片隅で才能を腐らせていることは知っていますわ!

 一方、わたくしは宮廷魔導師として日々誉れ高き任務にいそしみ、先日も街に巣食っていた犯罪組織をコテンパンにしてやりましたの!!

 いつも澄まし顔な貴女も、そろそろわたくしにひざまずく日が近いのではないかしら? ついては、わたくしこそが『時代』の名に相応ふさわしいことを証明するべく──』




「めんどくさ」


 ソフィは手紙を最後まで読むことなく、足元の屑籠くずかごにぽいっと捨てた。

 何かと競争心を燃やしてくる同級生からの手紙だった。

 時間を無駄にしたなぁ、と後悔しながら二通目の手紙を手に取る。


「あら、これは……勇者様から?」


 差出人は、かつてのお客さんだった。




『魔法使いの引っ越し屋へ


 ロイドだ。以前は引っ越しを手伝ってくれてありがとう。

 連絡が遅れてしまったことを許してほしい。なにせ村での生活は思ったより大変でね。

 君には世話になったから、その後の経緯も伝えておくのが義理だと思った。


 記憶を失った私に村の皆は優しくしてくれたよ。君の言う通り私の心配は杞憂きゆうだったらしい。

 今は妹と二人で暮らしているんだ。お互いぎこちないところもあるが、いずれ慣れると思う。

 殿下から預かったウィムが、上手うまく橋渡しをしてくれているよ。……殿下はここまで予想していたのかな。流石さすがにそれは考えすぎか。

 最近は畑を耕しているんだ。土のいじり方も忘れていたけれど、身体が覚えていたのか思ったより上手くいっている。やはり私はこういう生き方をしていたんだなと実感することができたよ。


 ところで、君を知っているだろうが、私には女神の加護というものがあってね。勇者に目覚めると同時に獲得した能力なんだが、どうもこの力のせいで私の育てる野菜は異常な成長を遂げるらしい。

 おかげで私の畑は今、なかなか面白いことが起きている。

 折角だから君にも一つおすそけをしよう。

 是非、美味しく召し上がってくれ。


 ただの村人のロイドより』




「へぇ〜〜〜〜、野菜のお裾分けですか」


 それは素直にありがたい。

 しかし三ヶ月で野菜が育つのだろうか? ……異常な成長を遂げているとのことなので、その影響かもしれない。


 勇者伝説に書かれている勇者の過去には脚色が施されているそうだが、ソフィはそれを知ってなお今も勇者伝説を愛読し続けていた。……要はとらえ方の問題である。以前までは史実として楽しんでいたが、今はフィクションとして楽しんでいた。


 勇者伝説でも、勇者が故郷で食べた野菜を思い出すシーンは度々あった。その部分はアイリーン王女殿下の知識をもとに書かれたようだが、勇者の故郷にある畑ではしい野菜が採れるという情報自体に嘘偽りはないだろう。

 勇者伝説で登場するような野菜を食べられるのかと思えば興奮する。

 わくわくしながら、箱を開けると────。


『キシャアァアァアアァアァアア──ッ!!』


「わひゃあぁああぁあっ!?」


 瑞々みずみずしいキャベツが殺意を込めて襲い掛かってきた。

 ソフィは思わず魔法でキャベツを吹き飛ばす。

 バッコーン! と大きな音を立てて、キャベツが壁に打ちつけられた。


「な、なな、なんですか、これは……っ!?」


 我ながら珍しく悲鳴を上げてしまった。

 杖を構え、じりじりと警戒しながら床に転がったキャベツをにらむ。

 もう動く気配はない。ソフィはゆっくりと身を屈め、砕けたキャベツの一部を手に取った。

 とても新鮮で美味しそうだ。数秒悩んだ末に、ソフィはそれを口に入れた。


(甘い……美味しい……)


 なんだこれ……。

 新種の魔物か……?

 味と食感は問題ないどころか最高である。警戒するべきかもしれないが、一応、世界を救った勇者が送ってきたものだし、まさか毒というわけではないだろう。

 ひょっとしたら、勇者は思ったよりもいたずら好きなのかもしれない。

 ははは、と笑う勇者の姿を幻視した。

 その時──カランコロンとドアベルの音が響く。


「失礼」


 恐らく二十代の男性が、ソフィを見て小さく一礼した。

 男はくすんだ銀髪をきっちりセンターで分けており、生真面目な性格が見てとれた。服装も上質な黒い外套がいとうだ。その腕には見覚えのある刺繍ししゅうが施された腕章をつけている。


「仕事を依頼した…………なんだこれ、キャベツ?」


「ちょ、ちょっと待ってください。今掃除します」


 ソフィは速やかにキャベツを魔法で浮かせ、キッチンの奥にある保冷庫に入れた。

 一連の動作を見て、男はあごに指先を添える。


「噂通りの腕前だな」


 噂されるほどキャベツの後始末なんかしたことない。


「お待たせしました。仕事の依頼ですね。ではまず、こちらの用紙に――」


「その前に、幾つかきたいんだが」


 男はソフィの言葉を遮って続けた。


依頼主クライアントは、人外でも可能かね」


 真っ直ぐソフィを見つめる男。

 対し、ソフィは淡々と答えた。


「はい。もあります」


 そんなソフィの回答に、男は一瞬だけ驚いたように硬直したが、すぐにうなずく。


「宮廷魔導師のルイス=フォーワードだ。君の腕を見込んで、是非受けてもらいたい依頼がある」


 宮廷魔導師──国に仕える魔法使いのことだ。

 魔法使いたちの間では、最も名誉な地位として有名である。宮廷魔導師になれば、主に国防や技術開発など、国の中でも重要度の高い仕事を任されることが多い。

 腕章に施された刺繍は、宮廷魔導師のあかしだった。


「ちなみに今回の依頼は私個人からではなく、国からのものだと認識してもらいたい」


「はぁ」


 なんだか仰々しい気配になってきたが、まだ依頼内容がよく分かっていないし、一先ず適当に相槌あいづちを打つ。難しければ普通に断ればいいだろう。


依頼主クライアントの住処は桜仙郷おうせんきょうの最深部。移動先は、国外にあるカロラの森だ」


 移動先であるカロラの森は知らないが、現在の居場所の方には聞き覚えがあった。


「桜仙郷……一年中、桜という植物が花を咲かせている、あの幻想的な渓谷ですね」


「そうだ。だが幻想的な景色とは裏腹に、非常に迷いやすく、そして凶悪な魔物が蔓延はびこる地……秘境ならぬ魔境だな」


 桜仙郷の噂はかねがね聞いている。

 なんでも、どこを切り取っても幻想的な絶景が広がっているとか。桜仙郷は特殊な土地であり、季節の影響を一切受けず、いつ訪れても心地よい気温であるらしい。だからかは知らないが、桜という稀少きしょうな植物が無限に生えている。舞い落ちる桜の花弁によって、流れる川が桃色に染まるほどとのことだ。


 だが、その噂の信憑性しんぴょうせいは不明だった。

 桜仙郷には知能も力も高度な魔物が棲息せいそくしており、探索が困難なのだ。

 詳細は不明だが、その理由は桜仙郷にむ最上位の魔物──神獣の影響だという。


「では、その依頼主クライアントとは……」


 話の流れから大体予想できたが、これを訊かないことには先へ進めない。

 ソフィの問いに、ルイスは答えた。


「桜仙郷の主……神獣、仙龍せんりゅう様だ」


 人と言葉を交わすほどの知能を持ち、その力は天変地異を起こすほどとされる、この世界の最上位に君臨する存在――神獣。

 次のお客さんは、それらしい。


 勇者の引っ越しでも色々驚いたのに、今度は神獣の引っ越しときた。

 今回もまた一筋縄ではいかなそうだなぁ……とソフィは思った。






※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 


本作は12/8に発売する書籍の試し読み版となります。

発売日まで毎日3~4話ずつ更新していきますので、よろしくお願いいたします。


発売日まで、あと5日です。

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