第10話

 目の前を雲が横切った。

 純白のドラゴンに乗って空を移動する勇者は、前方の少女へ声をかける。


「君の使い魔はミミックのはずだろう? 何故なぜ、ジュエル・ドラゴンを使役できるんだ?」


「使役してませんよ。この子は隣人みたいなもので、力を貸してもらっているだけです」


 隣人? と首をかしげる勇者にソフィは説明する。


「ジュエル・ドラゴンは宝石を食べます。そしてミミックは箱の中に宝石類を集める習性があります。つまり、この二種は共生できるんです」


「共生……ミミックと、ドラゴンが……?」


「はい。このドラゴンは、私の使い魔であるミミックの中に巣を作っているんです」


 いわば友達の友達みたいなものか。


「いや、しかしジュエル・ドラゴンが入るほどのミミックとなると……」


 とてつもなく巨大なミミックになるわけだが、そんなミミックは見たことがない。

 一体どんなミミックなのだろう、と想像したところで勇者は思わず吹き出した。脳がパンクしたのだ。宰相たちの企みといい、それを打破するソフィの驚異的な魔法といい、そして突如現れたジュエル・ドラゴンといい……。

 魔王討伐の旅をしていた時も、ここまで驚愕きょうがくが連続したことはない。


「これが、魔法使いの引っ越しか」


 ポツリと独り言をこぼす。

 改めて思う。やはり彼女に頼って正解だったと。


「勇者様は、隠居した後は何をするご予定ですか?」


「そうだな……のんびり畑でも耕すかな。記憶はないが、殿下の調査によると旅立つ前の私はそうしていたらしいし」


 眼下に広がる草原を一望しながら、勇者は言った。

 途中、舗装道路の真ん中にいる騎士たちが、ジュエル・ドラゴンとその上に乗るソフィたちの存在に気づいて慌てふためく姿を見た。宰相に通行止めを命じられていた部下だろう。残念ながら彼らは任務を果たすことができない。


「これは、今まで誰にも言ってなかったんだが……」


 風に髪をなびかせながら勇者は言う。


「魔王と初めて対峙たいじした時、妙な目で見られたんだ」


「妙な目で?」


「ああ。まるで化け物を見るような目だった。まさか魔王からそんな目で見られるなんて思いもしなかったから、今でもよく覚えている」


 勇者はどこか遠くを見るような目つきで言った。

 その目は、かつて決死の思いで対峙した魔王を見ているのだろう。


「結局あの目が何だったのかは分からないままだが、あれ以来、自分のことを客観視する癖ができた。……だが、それがいけなかったのかもな。記憶を失った人間が故郷に戻っても迷惑をかけるだけだと思っていたが……そのせいで今度は、自分の本当にやりたいことを見失ってしまった」


 そう言って勇者はソフィを見る。


「ありがとう。君のおかげで、私は第二の人生を始められる」


 それはかつて、ソフィが言った言葉だった。──世の中には、第二の人生という言葉がある。


 勇者は長い時を経て、遂に故郷への帰還を果たす。それは帰還ではあるが、記憶を失った勇者にとっては新たな旅でもあった。


 問題ないだろう。なにせ勇者は、長い旅の経験者だ。

 風に揺られながら景色を見下ろす勇者を見て、ソフィはそう思った。


「着きましたね」


「……ああ」


 ドラゴンが着地し、ソフィたちは地面に降りる。

 勇者の故郷である村は、長閑のどかで牧歌的な雰囲気に包まれていた。子供たちの遊び声や、濃い土の香り。穏やかで、柔らかい時間が流れている。

 勇者は硬い表情を浮かべて村の中に入った。

 そんな勇者に、村人たちも気づいて近づいてくる。


「ん? ……おや、余所者かい? 珍しいね、この村に」


「勇者のファンかい? 確かにここは勇者の故郷だが、見ての通りなんにもない村だよ」


 ははは、と村人たちが笑う。

 村人たちは勇者のことは知っていても、勇者の顔立ちまでは知らないようだ。王都のように頻繁に凱旋がいせんしているわけでもないため仕方ない。


「私、は──」


 勇者の口からかすれた声が聞こえた。その心に渦巻いている躊躇ためらいが伝わってくる。

 村人たちは見たところ三十歳くらいだろう。勇者が旅立った後で生まれた世代だ。村人たちは勿論もちろん、勇者にとっても彼らは初対面である。

 既に故郷には新しい世代の風が吹いていた。

 やはり、ここにはもう、自分の居場所はないかもしれない――。


「…………兄さん?」


 小さな声が、風に乗って聞こえた。

 そこにいたのは白髪の老婆だった。目も細く、背は丸まっており、手足も震えている。けれど老婆は徐々にその目を力一杯見開いて、潤んだひとみで勇者を見つめた。


「あ、あ……っ! 兄さん! 兄さん……っ!!」


 泣き崩れる老婆に、村人たちが驚く。

 老婆は胸のあたりを押さえ、ゆっくり勇者に近づいた。


「お帰りなさい、ロイド兄さん……!!」


 老婆は勇者に抱きついた。

 その温もりを感じて勇者も涙を流す。覚えていないはずなのに、何も知らないはずなのに、勝手に涙が流れ落ちる。


「ああ……ただいま……っ!!」


 二人は互いを抱き締めながら、ひたすら泣き続けた。

 多分、これから勇者は記憶がないことを皆に説明するのだろう。妹は勿論、他の村人たちも困惑するはずだ。


 でも、きっと大丈夫だと思った。


 この二人の姿を見ていたら……やはり心配はいらなかったのだとソフィは思った。






※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 


本作は12/8に発売する書籍の試し読み版となります。

発売日まで毎日3~4話ずつ更新していきますので、よろしくお願いいたします。


発売日まで、あと5日です。

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