第9話
翌日の昼。
「絶対、
「かもしれないが、行くだけ行ってみる」
ソフィの忠告を受け止めつつ、それでも勇者は宰相たちとの約束の場へ行こうとしていた。
「彼らの言葉に
勇者を引退して故郷に帰るなら、尚更、次はいつ会えるか分からない。
勇者を止められないと悟ったソフィは、黙って同行することにした。
街の人たちに騒がれたくないため、勇者は
広場に着くと、そこには
その数、五十人ほど。
「あれは……?」
「近衛騎士団だ。全員いるな」
何故こんなところに由緒正しき騎士たちが集まっているのだろうか。おかげで王都の住民たちもこれから何か始まるのではないかと期待して集まっている。
隊列を組む彼らの先頭には、宰相と騎士団長の姿があった。
宰相がこちらの存在に気づき、不敵な笑みを浮かべる。
「王都の住民たちよ! ご照覧あれ!」
宰相は大きな声で、集まっていた観衆たちに言った。
「これより、近衛騎士団と勇者殿の特別訓練を実施する!」
宰相が宣言した直後、騎士団長を含む近衛騎士たちが一斉に動き出し、勇者を包囲した。宰相も騎士団長も近衛騎士たちも最初からこのつもりだったようだ。
「君、危ないから下がっていなさい」
「ちょ、待ってください──」
騎士たちに引っ張られてソフィは離れた位置まで移動させられる。
大勢の観客が盛り上がる中、ソフィは遠くで困惑している勇者の横顔を見た。
(まさか、勇者様を物理的に捕らえようとしている……?)
確かに直接拘束すれば引っ越しの予定は中止となるが、そんな安直な手に出るだろうか?
微かな違和感を抱くソフィの目の前で、特別訓練が始まった。
◆
近衛騎士たちが勇者へ肉薄し、剣を振るう。
勇者は
(ふふふふふ……宰相め、やはり頭が切れる!)
騎士団長は不敵に笑う。
観客は派手に湧いていた。無理もない。勇者の姿だけなら
勇者が剣を振るう度に歓声が上がる。
その光景に、騎士団長は宰相の作戦が
この特別訓練の狙いは、勇者を拘束すること――ではない。
宰相と騎士団長が、世論を味方につけることだ。
昨日、引っ越し屋の少女が言っていたように、世間は勇者の引退を受け入れようとしている。その理由はやはり、いつまでも勇者を現役で働かせることに抵抗感があるからだ。
だから、その抵抗感をなくすために特別訓練を実施することにした。
ここで勇者が活躍すればするほど――勇者が、この国の由緒正しき近衛騎士団よりも強いことを示せば示すほど、人々は考えを改めるに違いない。
──勇者は今でもこんなに強いのか。
──それじゃあ、まだまだ現役で頑張ってくれるな。
この光景を見ている者たちはそう思うはずだ。
そして、優しい勇者のことだ。もし世間が勇者の隠居を受け入れないようなら、きっと考えを改めてくれるだろう。
「勇者殿! 行きますぞ!」
騎士団長も勇者に猛攻を仕掛ける。
ほぼ本気の攻撃だった。しかし勇者はそれを難なく防いでみせる。右
ああ、見事だ。
この強さをもっと追い続けたい。
「何故、
いつの間にか、全力で剣を振るっていた。
発した声が
「ここには、
全力の振り下ろし。大型の魔物ですら致命傷を免れない、強力な一撃を繰り出す。
だが勇者はその剣を難なく受け止めた。こちらは両腕を震わせ、力一杯、
一人の騎士として……いや、一人の男として、その力に憧れる。
「向き合わなくてはならない現実だと思ったからだ」
剣を受け止めながら勇者は言った。
「私は、次の人生を歩みに行く」
次。
次の人生。
勇者が次の人生へ旅立つというのであれば、勇者の今の人生に
捨てるしかないのか?
(断じて──認めない)
あと五年、いやあと三年でもいいから残ってほしい。女神の加護を持たない自分は、その頃になれば肉体の老化によって剣を捨てねばならないだろう。
だからせめて、その時までは現役でいてほしいのだ。
騎士団長が己のエゴを燃やした時──強烈な違和感を覚える。
(……なんだ? 急に騎士団が優勢になった?)
近衛騎士たちが勇者を押している。
有り得ない光景だった。勇者のファンであり、騎士団長でもあるからこそ、勇者と騎士団の戦力差は熟知している。騎士団が束になっても勇者を倒すことはできないはずだ。
騎士団長はすぐに違和感の正体に気づく。
(剣と
剣は切れ味が鋭くなっており、鎧は軽くなっていた。おかげで騎士たちの動きは見違えるほど俊敏になり、勇者は防御ではなく回避を余儀なくされている。
しかもその魔法は、少しずつ、ゆっくりと装備の性能を強化し続けていた。だから他の騎士たちは気づいていない。誰もが今日の自分は調子がいいと思っている。
(全員の装備が強化されているのか!? ──馬鹿な!? 何人いると思っているんだ!?)
有り得ない光景だった。騎士団長として、無数の場数を踏んできたからこそ分かる。
五十人分の装備をここまで強化できるなら、素人集団を熟練の軍団に化かすことすら可能だ。そんな芸当が当たり前のように目の当たりにできてはならない。あらゆる大戦のセオリーが覆る。
こんなことができるのは、あの少女しかいない。
あの引っ越し屋だ。
「あっ!?」
その時、騎士が勇者の剣を
騎士団長が、引っ越し屋を探して
剣を弾かれて棒立ちになった勇者を、観客たちは口を
勇者は、微かに笑った後──大きく口を開いた。
「見ての通り、私はもう現役を名乗れるほどの実力ではない!」
剣を失ってもなお、その声は観客の心を震わせるほどの熱と迫力に満ちていた。
しかし、勇者が告げるのは──。
「だから私は、この瞬間をもって勇者を引退する!」
訓練を見物していた王都の住民たちが、激しくどよめいた。王が急逝してもこれほど民衆が慌てることはないだろう。
だが、勇者の目は真っ直ぐだった。
その目は、既に次を見据えていた。
(……ああ、そうだった……)
勇者の目を見て、騎士団長は悟る。
(勇者殿は……いつだって、我々の手の届かないところに旅立つんだった……)
視界が涙で
剣が地面に落ち、カラリと音を立てた。……もう、この剣を拾い上げる力は残っていないかもしれない。再び剣を握る理由が自分にはない。
「大丈夫ですよ」
そこには、外套で顔を隠した一人の少女が立っている。
「貴方も、宰相様も、勇者様がいなくたって一人前です。この私が 保証します」
騎士団長は目を見開いた。
沈んでいた心が、静かに熱を取り戻す。
それは、彼女の正体に気づいている自分たちには、あまりにも心に響く言葉で――。
「うわっ!?」
観客たちが再び騒ぎ出す。
見れば、勇者のすぐ
「ま、魔物!?」
「なんだ、あの美しい生き物は……っ!?」
「
それはドラゴンと呼ばれる魔物だった。全身を
だがその姿は魔物とは思えないほど美しい。真っ白な鱗は陽光を受けて、初雪のように柔らかい光を放っていた。
「ジュエル・ドラゴン…………」
全身が宝石でできた、ドラゴンの中でもかなり珍しい種類だ。
その性質上、死体は高値で取引され、一時期は幼体が乱獲されていた。すぐに乱獲は規制されたが既に時は遅く、今では絶滅の可能性を
宰相も騎士団長も、この場にいる全員が、初めてそのドラゴンを見た。しかも成体……
勇者と例の少女は、そんな神秘的なドラゴンの背に乗る。
ドラゴンが翼を揺らし、浮上した。
誰もが
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
本作は12/8に発売する書籍の試し読み版となります。
発売日まで毎日3~4話ずつ更新していきますので、よろしくお願いいたします。
発売日まで、あと5日です。
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