第8話

 墓参りが終わった後、殿下は城へ戻り、ソフィたちは勇者の屋敷に戻ることにした。

 荷物が運び出され、もぬけの殻となった勇者の家は寂しい雰囲気に包まれている。唯一、残っているものと言えば、勇者が「処分する」と言っていた成金趣味の置物だけだ。

 大きな家、豪華な置物。……虚栄だらけな空間で、勇者は口を開く。


「記憶が、なくてね」


 震えた声で、勇者は語り出した。


「仲間の話によれば、魔王軍と戦った時の後遺症だそうだ。幼い頃の記憶……特に、故郷にいた頃の記憶が抜け落ちている」


 ソフィは目を見開いた。

 初耳だ。……多分、ソフィだけでない。多くの国民が知らない事実である。


「……初めて聞きました」


「秘匿されているからな。本にも書かれていないはずだ」


 勇者は頼りなく笑って言った。


「私の旅が、本や演劇などで親しまれるようになったのは宰相の案なんだ。当時は宰相ではなかったがね。……魔王討伐が終わった当時、この国は疲弊していて復興の手立てが必要だった。そこで宰相が、勇者というブランドを最大限活用する方針を打ち出したんだ。……結果、勇者の名前と経歴は、幅広い分野で商品として普及していった。見込み通りの経済効果はあったそうだ」


 この国やこの世界のために、命をして魔王と戦ってみせた勇者のことだ。きっと宰相の案にも二つ返事で承諾したに違いない。


「ただ、私の旅路は過酷で、全てが順調だったわけじゃない。教育にせよ娯楽にせよ、これをな民衆にありのまま伝えるのははばかられる。──だから、いくらか脚色が行われた」


 脚色。事実ではないが、体裁を整えるために粉飾すること。

 そのうちの一つが、記憶喪失をなかったことにするというものだった。


「自分では実感が湧かない。でも皆の顔を見たら分かる。……記憶の喪失は、目を背けたくなるほどの悲劇らしいな。ならばこれを大衆向けの本に書くわけにはいかない。……本や演劇で語られている勇者の故郷の話は、私の記憶に基づいたものではなく、殿下が調べたものなんだ」


 勇者は小さく吐息をこぼした。


「宰相の言葉は間違っていないと思う。記憶を失った私が故郷に戻ったところで、意味はないかもしれない。むしろ故郷の皆を悲しませるだけだ。……実際、そう思っていたからこそ、今まで故郷には帰らずこの王都で暮らしていた」


 勇者はその唇を震わせて、胸中の不安を吐露する。


「しかし歳を取るにつれて、少しずつ自分の本音と向き合えるようになって……ふと、気づいたんだ。それはただの言い訳で、私はただ、故郷に帰ることを怖がっているだけなのだと。……受け入れられなかったらどうしよう。皆の知っている私でなかったらどうしよう。そんな不安が、ずっと自分の中で渦巻いていて…………」


 …………そうか。


 疑問が解ける。

 どうして勇者は、この歳になるまで戦い続けることができたのだろう? 故郷に戻ろうと思ったことはないのだろうか?

 それらの疑問の答えが今、分かった。


 勇者は怖かったのだ。記憶を失った自分が、もう一度故郷に馴染なじむことができるか分からないから。本当にそこは自分が帰ってもいい場所なのか分からないから。


 だから、戦い続けるしかなかった。

 剣を捨てても受け入れてくれる場所がなかったから、剣を握って前に進み続けるしかなかった。


 勇者が戦い続けてきたのは――怖かったからだ。


「……それでも、うっすらと覚えていることがある。記憶を失う前の私は、何度も故郷に思いをせていた。いつか必ず帰ると心に誓っていた」


 勇者は胸を、心があるところを押さえて言う。


「だから、帰ることにしたんだ」


 それが勇者の願い。

 かつての自分が、必ず帰ると願ったから。


「私は、記憶を失う前の私に報いたい。……魔王を倒すことができたのは、彼が故郷を出て、旅立つと決めたからなのだから」


 きっと、今の勇者にとって――過去の自分は、自分であり他人なのだろう。

 過去に報いる。己に報いる。

 それが勇者のやり残したことだった。


「きっと、故郷の人たちも勇者様のことを待っていますよ」


 ソフィは勇者を真っ直ぐ見つめて言った。

 だが勇者は、その表情に陰りを見せる。


「そうだろうか。……私は、親の死に目にも会えなかったんだ。向こうからすれば、どの面下げて帰ってきたんだという気持ちになっても、おかしくは──」


「──そんなことはありません」


 はっきり言い切るソフィに、勇者は目を丸くした。


「勇者様の世界を救う旅は、この国……いや、世界中に伝わっています。ですから皆、知っているはずです。貴方あなたが並々ならぬ覚悟でこの世界を救ったことを」


 多少の脚色はあったかもしれない。でも、その生き様は紛れもなく本物であるはずだ。

 誰かを助けるために剣を握ったことも。仲間を守るために我が身を盾にしたことも。悔しさで眠れない夜があったことも。それでも最後は絶対に立ち上がったことも。

 そんな勇者の旅路は、今や世界中の人間が知っている。


「全部、余計な心配だと思います。勇者様が成し遂げたことはそのくらい大きいんです。……故郷の皆さんも、貴方のことを待っていますよ」


 勇者は唇を微かにんだ。

 こらえきれない感情を、抑えるために。


「………………妹が一人、いるんだ」


 小さな声で勇者がつぶやく。


「顔も、名前も、殿下から聞いたことしか知らないが……旅立つ前の私は、歳の離れた妹を大切におもっていたらしい」


 勇者は今、七十歳。親は死んでしまったが、妹はきっとまだ生きている。歳が離れているのであれば尚更希望もある。


「妹に、会いたいな……」


「会いましょう。


 たとえ記憶がなくたって。故郷のことを忘れていたって。

 きっと勇者が覚えていなくても、相手の方は覚えているから──。


「──勇者殿! いらっしゃいますか!!」


 その時、大きな声が耳朶じだを打つ。

 騎士団長の声だ。

 屋敷の入り口が何度もたたかれる。ノックか攻め入りか分からないくらいの轟音ごうおんだった。


「留守でしょうか?」


「いや、いるはずだ。部下が見ている」


 団長の声だけでなく宰相の声も聞こえた。

 勇者がここにいることは調べていたようだ。居留守は通用しそうにない。勇者は渋々といった様子でドアを開いた。


「やはりいましたか、勇者殿」


 宰相は素早くドアに足をねじ込み、強引に開いた。


「勇者殿! こちらの署名を見てください!」


 宰相と共にドアから入ってきた騎士団長は、その手に抱える紙束を勇者に押しつけた。


「これは……?」


「署名です! 騎士や冒険者、その他にもこの王都で生きている多くの人たちが、貴方に隠居しないでほしいと願っています! 貴方はこんなにも多くの人に引き留められているんです!」


 ソフィも横から署名の中身をのぞる。

 見習い騎士、熟練の冒険者、年老いた司教、孤児院の子供たち。多くの人物が勇者の隠居に反対の声を上げていた。その悲しみを訴えるかのように強い筆圧でメッセージが書かれている。


 ──勇者様の背中をこれからも追わせてください。

 ──貴方が引退すると心に穴が空いてしまいそうだ。

 ──どうか私たちの前からいなくならないでください。

 ──やめないで、勇者様。


 それらの署名を見て、勇者の目が揺らぐ。


「勇者殿。故郷に戻るのは構いません。しかしまだ現役を続けてくれませんか……?」


 騎士団長は切実に告げた。


「穏やかな暮らしにあこがれる気持ちは分かります。ですがそれは本当に、このたくさんの声を無下にするほどのものでしょうか!?」


 勇者は、目に見えて揺れていた。

 決意が鈍いからではない。──優しいからだ。

 勇者はいつだって誰かのために剣を握り続けてきた。そんな勇者だからこそ団長の言葉は響いてしまう。自分の気持ちと同じくらい、誰かの気持ちも大切にしてしまうのだ。

 しかしその優しさは時に、付け入る隙になってしまう。


「勇者様、その署名を見せてもらっても構いませんか?」


「……ああ」


 気になることがあったソフィは、放心する勇者から紙束を受け取った。

 つえの先端にレンズを出し、署名を確認する。


「これ、偽造ですよね」


「ぬあっ!?」


 騎士団長が奇声を発する。

 予想が的中し、ソフィは小さく溜息ためいきいた。


「数を用意するために筆記魔法を使いましたね? 魔力の痕跡こんせきが全部一緒……つまり、この署名は全部一人で作成したものです」


「ぐ、ぐぬぬぬ……っ!!」


 宰相と騎士団長は顔を真っ赤にして黙り込んだ。

 筆記魔法とは、頭の中で考えた文章をそのまま紙に書いてくれる便利な魔法だ。

 署名を筆記魔法で書くこと自体は違法でも何でもないが、問題は全ての紙から同一の魔力を感じることである。魔力は指紋と同じように万人不同。この痕跡が示すのはつまり、一人の人物が全ての署名を作成したという事実だった。


「墓穴を掘りましたね」


 ソフィは宰相と騎士団長に向かって言う。


「わざわざ署名を偽造したのは、数を用意するためだけではないでしょう」


「引っ越し屋。それはどういう意味だ?」


 勇者が不思議そうにソフィを見る。

 宰相と騎士団長は、言わないでくれと暗に告げるような焦燥した面持ちでソフィを見た。しかし勇者の味方であるソフィは、彼らの気持ちには応えられず、説明する。


「この国の皆は、勇者様の引退を受け入れる覚悟ができています。勿論もちろん、寂しいですし悲しいですけど、それ以上に皆、勇者様のことをいたわりたいんです」


 若い頃から半世紀にわたって戦い続けているのだ。国民たちの間では、そろそろ勇者様は休んだ方がいいんじゃないかという言葉が飛び交っている。

 一国民として、ソフィはその空気を何度も体感していた。勿論、宰相や騎士団長のように勇者を引き留める者もいるだろうが、多分、労るべきだという人の方が多数派である。


「本物の署名を集めようとしたら、あんなふうに意見が偏ることはありません。きっと過半数が勇者様の引退に賛成すると思います」


「……そう、だったのか」


 勇者はそんなこと全く知らなかったかのように、驚愕きょうがくしていた。

 大方、宰相や騎士団長の洗脳じみた賞賛を真に受けてきたのだろう。実際、今回もソフィがいなければ署名の偽造が発覚しなかったかもしれず、勇者は引っ越しを断念した可能性がある。


「貴様らは知らんのだ! 勇者殿がどれだけすさまじい活躍をしたのか!」


 宰相が自棄やけになって怒鳴る。

 ここで自棄になるということは、ソフィが語ったこれまでの話が全て事実だということだ。


「憧れる人に、いつまでも現役でいてほしいと思うのはそんなに変なことか!」


「そうだそうだ!」


 宰相の主張に、騎士団長も首が千切れんばかりに勢いよくうなずいた。

 変ではないけれど、相手のことは考えてないなぁと思う。

 あと、それを宰相と騎士団長がやっていることが問題だ。……この国、暇なんだろうか。


わしらはなぁ! 勇者殿の影響を受けたからこそ、ここまで出世したんだぞ! 勇者殿がいなくなったら儂らは何を道標にして生きればいいというのだ!」


「そうだそうだ!」


「儂なんか、勇者殿のグッズを売りさばいているだけで何故なぜか国が復興して宰相になったし!」


「私だって、勇者殿のようになりたくて毎日訓練していたら、いつの間にか騎士団長になっていただけなんだぞ!」


 二人とも素直に自分を褒めたらいいのではないだろうか。

 若干、勇者から聞いた話と宰相の発言が食い違う。国を復興するために勇者の過去を商業利用したという話だったが、実は宰相はただ勇者の偉業を布教したかっただけ説が浮上した。

 これには流石さすがの勇者もぜんとしていた。


「勇者殿! 明日の昼、広場に来てくだされ! そこで存分に語り合いましょうぞ!」


 宰相はそう言って、騎士団長と共にきびすを返し、去って行った。






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本作は12/8に発売する書籍の試し読み版となります。

発売日まで毎日3~4話ずつ更新していきますので、よろしくお願いいたします。


発売日まで、あと6日です。

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