第6話
「好きに生きればいいさ」
国王陛下は、静かにそう告げた。
「隠居するだけだろう? 今生の別れというわけでもあるまいし、宰相たちは
陛下は白いバルコニーから王都の街並みを一望しながら言う。
素っ気ないというわけではなく、その声色には親しみが込められていた。
勇者と共に王城を訪れたソフィは、城の使用人によってこのバルコニーまで案内された。道中で通った王の私室は、あまり物が置かれておらず、この国で最も地位の高い人のものとは思えないほど簡素だった。
「陛下は、あっさりしていますね」
「止めてほしかったのか?」
「いえ、助かります」
「ふ……子供の頃からの付き合いだ。お前のことはよく分かっている」
たったこれだけの短いやり取りで、二人の間には深い友情があるのだとソフィは感じた。
陛下の名前は、アベルという。
勇者伝説でも彼は登場していた。ただし年老いた今の姿ではなく、幼い少年としてだ。
勇者が魔王討伐の旅に出ていた当時、アベルは国王ではなく王子だった。魔王討伐後、先代の国王が死去したことでアベルは国王となったのだ。
当時の勇者は、なんとこのアベルという人物を王族ではなく、近所に住んでいる子供と勘違いしていたらしい。王城ではなく街中で出会ったからこその勘違いだ。しかしアベルはそんな勇者の親しみやすい態度を気に入り、王子であることが明らかになった後も自分のことを「アベル」と敬称抜きで呼ぶよう命令したとか。
アベルが国王になった今、流石に呼び方は改めたようだが、それでも二人の友情は健在だった。
勇者と王子……今は勇者と国王だが、時を超えて立場が変わっても二人の距離は変わらない。
「ところで、そちらは?」
陛下が勇者からソフィに視線を移す。
「引っ越し屋のソフィと申します」
「……なるほど。さては巻き込まれたな」
陛下はどこか楽しそうに笑って言った。
「この男は典型的なトラブルメーカーだ。傍にいるだけで色々巻き込まれるぞ」
「陛下……私だって好きで騒動を起こしているわけではありませんよ」
勇者が困ったように言う。
「……いえ、おかげでいい景色が見られました」
騒動に巻き込まれたという流れは否定できないが、決して悪い気分ではない。
「この国は……この街は、こんなに
バルコニーから王都の街並みを一望する。
美しい街だった。石造りの建物が規則正しく並んでおり、赤色や青色の屋根が柔らかい日の光に照らされている。綺麗に整えられた石畳の上を老若男女が歩いていた。走る子供たち、散歩する老夫婦、露店で商売する男、誰かと待ち合わせをしている女。皆、自由に生きている。
穏やかで、いい景色だ。
「五十年前は、ここまで綺麗ではなかった」
勇者が街並みを眺めながら言う。
「魔王の脅威に国中が混乱していた。住民の心も荒れ果て、それを映し出す鏡のように街並みも
「……お前にそう言われると、心にくるものがあるな」
陛下は
「ロイド。お前は、幼い私にとって勇気の象徴だった」
陛下は過去を懐かしむ様子で言った。
「私はお前に色んな悩みを吐き出してきた。王になるのが怖いとか、勉強が難しいとか。……そんな私の悩みを、お前はいつも苦笑いして流していたな」
え、とソフィの口から声が出かかった。
いい話が聞ける雰囲気だったが、そういうわけではないのだろうか。
「いや……だって、王としての振る舞い方とか、王になるための勉強なんて、私に
「ははは、まあそうだろうな。当時は私も子供だった、無茶な質問をした自覚はある」
勇者は苦笑していた。多分、昔と同じように。
「だが、充分だった」
陛下は、
「お前は質問には答えてくれなかったが、代わりにその背中を私に見せ続けてくれた。戦場に駆けつけ、人々の期待に応えるお前の背中は……やがて、私の目指すべき道となった」
大切な宝物を丁寧に手入れするかのように、陛下は語る。
魔王の脅威によって国中が混乱していた時、陛下はまだ子供だった。だが王子でもあった。きっと幼い頃から苦悩の連続だったに違いない。目尻の深い皺がそれを証明している。私室が簡素だったのも、執務に追われてなかなか
そんな、この国を立て直してみせた陛下は、勇者のことを
陛下は勇者の中に光を見ていた。汚れることのない、決して手の届くことがない、それでもいつだって歩むべき道を示してくれるような、光の道標……。
人は、心の底から誰かを尊敬すると、こんな顔をするんだなとソフィは思った。
「勇者よ。世界を救っただけでなく、よくぞこれまで我が国を支えてくれた。……そろそろ、ゆっくり休むがいい」
陛下の優しい言葉が勇者に届く。
勇者はぶるり、と
「ご立派に……いや」
勇者は言い直す。
「立派になったな、アベル」
「ロイド……」
陛下の目尻に涙が浮かんだ。
陛下は――アベルという少年は、ずっとその言葉を待っていたのかもしれない。
五十年も前から、ずっと……。
陛下は手の甲で目元を
「……ロイド。実は、こんなものを用意していてな」
陛下が目配せすると、傍で待機していたメイドが恭しく頭を下げ、室内に入った。
しばらくすると、四人のメイドが台車を使って何かを運んでくる。台車の上には白い布に包まれた巨大な物が載っていた。かなり重たいのか、メイドたちは肩で息をしながら持ち場に戻る。
「こ、これは……?」
「お前の銅像だ! 是非受け取ってくれ!」
陛下は
それは勇者の銅像だった。
勇ましく仁王立ちする自分の銅像を見て、勇者は絶句する。
バルコニーに来る途中、部屋の片隅に布で包まれた巨大な物体があったが、その正体はこの銅像だったらしい。
「な、何故、こんなものを……」
「いやなに。近いうち、広場に設置する予定だったんだが、間違えてサイズを一回り大きくしてしまってな。今まで部屋に飾っていたんだが、これを故郷に持っていくといい!」
ソフィは勇者に同情した。
自分の銅像を贈られるというのは、果たしてどんな気分なのだろうか。しかもめっちゃでかい。
「……引っ越し屋。これも追加で運んでもらってもいいか?」
「えっと、それは大丈夫ですけど……でかいし重そうなので値が張りますよ?」
「頼む」
勇者は銅像を受け取ることにしたようだった。
まあ、陛下にこんなにもキラキラした目を向けられたら、断ることなんてできないだろう。
取り敢えず重さを量るために浮遊魔法で持ち上げ、食器と同じように《
「おぉ、こうも簡単に持ち上げるか。卓越した手腕だな」
「ありがとうございます」
簡単に持ち上げられない想定の代物を、こんな気軽に渡さないでほしい。
「では、陛下。そろそろ失礼します」
これ以上、長居するとまた面倒なものを贈られてしまいそうだ。多分、勇者はそう判断して足早にこの場を去ろうとした。
「ロイド。最後に姉と話してくれないか」
立ち去ろうとする勇者に、陛下が真顔で言う。
先程のふざけた様子ではなく神妙な面持ちをする陛下に、勇者は静かに
「初めからそのつもりです」
「そうか。……この時間なら例の場所にいるはずだ」
勇者は、
「陛下のお姉様となりますと……」
「アイリーン王女殿下だ」
ソフィの
「かつて、私の仲間だった人だ」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
本作は12/8に発売する書籍の試し読み版となります。
発売日まで毎日3~4話ずつ更新していきますので、よろしくお願いいたします。
発売日まで、あと6日です。
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