第5話

 翌日の昼下がり。

 ソフィの店を、お客さんが訪れた。


「いらっしゃ……あら? 勇者様?」


「すまない」


 罪悪感でいっぱいな表情を浮かべる勇者に、ソフィは首を傾げた。


「バレてしまった」


「何がでしょう?」


「私が、勇者を辞めようとしていることが」


 バン! と大きな音と共に、店の扉が豪快に開けられた。

 外から二人の男性が入ってくる。


「勇者殿! ここにいましたか!」


 恰幅かっぷくのいい禿はげあたまの男性が、勇者の方を見て言った。


「隠居なんて寂しいことを言わないでください! まだ貴方にできることは山ほどありますぞ!」


 銀色の甲冑かっちゅうまとったしょうひげの男も、勇者の方を見て言った。

 二人とも、どこかで見たことのあるような人物だ。


「宰相に、団長……」


 勇者が小さく呟く。

 そういえば新聞で何回か見たことのある顔だとソフィは思い出した。

 この国の政治を任されている宰相と、王族に仕えて彼らと彼らが住む王都を守る近衛騎士団の団長だ。宰相は言わずもがな、団長の方も相当地位の高い人間である。

 しかしそんな二人は今、品性を捨て、必死の形相で勇者を説得していた。


「今朝、懇意にしていた鍛冶屋かじやへ引っ越しの挨拶あいさつをしに行ってね。その時、騎士団の人間が偶々たまたま近くを通りかかり、盗み聞きしていたらしいんだ」


「……そして今に至ると」


 申し訳なさそうに事情を説明する勇者。

 一先ずソフィは状況を理解して、溜息ためいきいた。

 昨日こんぽうした勇者の荷物は今、この店の二階に置いていた。引っ越し自体はいつ始めても問題なかったが、この日は勇者が引っ越しの挨拶をしたいとのことだったので一日空けていたのだ。

 その挨拶を、聞かれてしまったらしい。

 勇者は宰相たちの方を見る。


「お二人とも、気持ちはうれしいですが隠居はもう決めたことです。このような老骨、今となっては使い勝手も悪いでしょう。そろそろ後輩へ道を譲らねば……」


 バレてしまったからには正直に頼むしかない。

 しかし二人の男は、そんな勇者の言葉に勢いよく首を横に振った。


「いや、そんなことはない! 勇者殿は噂通りの生ける伝説! 貴方が現役であること、それ自体が王国にとってありがたいことなのです!」


「団長の言う通りだ! 頼む! どうか、陛下にも考え直したと伝えてくれ! 勇者殿がこの王都から去ると聞いた時、わしは半身をもがれるような思いをした……っ!!」


 騎士団長はこぶしを握り締めて熱く語り、宰相は涙を流して悲痛に語る。


「かつて勇者殿は、諦めない精神でどんな強敵にも立ち向かったという! 今一度、その時の気持ちを取り戻してはくれないか! 貴方にはまだ戦える力がある!」


 そんな団長の言葉を聞いて、ソフィは小さな不満を抱いた。

 勇者伝説を読んだからこそ分かる。確かに勇者はどんな強敵が立ちはだかっても、決して諦めずに戦ってみせた。それ自体は間違いではない。

 しかし今、勇者は戦っているわけではない。


 ──もう旅は終わっているのだ。


 たとえ戦う力はあっても、勇者は疲れている。

 そう……勇者だって疲れる。

 ソフィは先日、それを知った。


「……あの。もう少し、本人の気持ちにも寄り添った方がいいのでは……?」


 こらえきれず、ソフィは三人の口論に割って入った。

 宰相と騎士団長が、ソフィをにらむ。


「なんだこの小娘は。失せろ、今大事な話をしている」


「……ほぉ」


 虫けらを見るような目で団長は言った。

 ソフィは額に青筋を立てる。

 なるほど、そっちがその気なら──。


「営業妨害になりますから、あまりやかましいと強制的に外へ出しますよ」


「強制的に? 私を誰だと思っている? この国で最も栄誉ある騎士団……近衛騎士団の団長だぞ? 小娘如きに後れを取るわけ――ぬわあああっ!?」


「警告はしましたからね」


 店の扉がひとりでに開き、暴風が団長の身体をさらっていった。

 外まで吹き飛ばされた団長は、困惑気味に立ち上がってソフィを睨む。


「な、なんだ、この小娘は!! 無礼な……!!」


「いや、待て……この小娘、どこかで見覚えがあるぞ……!!」


 宰相は心底いぶかしむような目でソフィを見て、


「あ、ああああっ!? 思い出した!! こ、この女……確か四年前の学術発表会で、あろうことか貴族が集まる場にもかかわらず、会場を丸焼きにした魔法使いだ!」


「失敬な。私は平和的な魔法を好みましたが、皆さんが『最近の魔法使いは軟弱だ』とか『平和ボケしている』とかしつこいから、仕方なく披露してあげたんですよ」


 学術発表会というのは、魔法学園が主催するイベントの一つである。

 色んな事情が絡んだ末に、ソフィはそこで悪目立ちしてしまったわけだが、四年もったのですっかり忘れ去られていると思っていた。しかし宰相にとってはまだ記憶に新しい事件らしく、冷や汗を垂らしながらこちらを見ている。


「時代の名を冠する魔法使い……姿をくらましたと聞いていたが、まさかこんなところにいたとは」


「こんなところ? ここは郊外とはいえ王都の一部。いちも近いですし、日当たりも良好で──」


「い、いや、物件のことを言っているわけではなく……」


 なんだかつい最近も同じやり取りをした気がする。


「取り敢えず、宰相様も店から出てもらって構いませんか?」


「あ、ああ。では店の外で話すとしよう」


「店の外でもあれだけ騒がれると営業妨害なので、出直していただきたいのですが……」


「……分かった。だからそう睨むな、お前を怒らせる気はない」


 宰相は渋々店を出て行った。


「──勇者殿!」


 店の外で、騎士団長が叫ぶ。


「我々には貴方あなたが必要だ! どうか、この街の平和のためにも残ってくれないか!」


「それは……」


 勇者が言葉に詰まった。

 長年、国の平和を守ってきた勇者に、今の言葉は重くのしかかる。

 店の扉が風によって閉じられ、宰相と騎士団長の姿は見えなくなった。しかし二人から投げかけ

られた言葉は今も勇者の頭で反芻はんすうされる。


「どうしますか?」


 ソフィの問いかけに、勇者ははっとしたように顔を上げた。


「引っ越しは、中断しますか?」


「……進めてくれ。宰相や団長に、あそこまで言われて気持ちが揺らがないこともないが……」


 絞り出したような声で勇者は言う。


「……君は、私のことをどう思う?」


 ふと、勇者はソフィに問いかけた。


「こんな歳になっても剣を握り、戦い続ける私は、君の目にはどう映る?」


「それは……」


「私は、偶に鏡で自分の姿を見て戦慄せんりつするんだ。まるで、戦い続けるしか能がない兵器みたい見えてくる。これが人としての正しい生き方なのか、不安になってくる……」


 勇者は己のてのひらを見つめた。

 幾度となく剣を握ってきたその掌は、年老いた人間のものとは思えないほど硬く、たくましい。だがその逞しさは、今の勇者から感じる心の弱さと不釣り合いのように感じた。


 ──どうして勇者様は、今まで戦ってこられたのだろう。


 魔王討伐から既に半世紀も過ぎている。その間、今と同じ悩みを一度も抱くことはなかったのだろうか? 一体、何が契機となってここまで悩むようになったのだろうか?


 魔王討伐の旅は苛烈だったと聞く。その苛烈な旅が終わってなお、戦い続けることができた理由は何なのか。勇者を突き動かしているものは何なのか。

 勇者はこの歳になるまで、故郷に戻ろうと思ったことはないのだろうか?

 色んな違和感がソフィの中で蓄積していた。でも、今は疑問をぶつける時ではない。


 勇者は広げた掌で己の顔を隠していた。

 まるで、心の奥から湧き上がる激情を隠すべく、仮面を被るかのように。


「……第二の人生という言葉があります」


 ソフィは自分の考えを述べる。


「歳を取ったり、職業が変わったりするとよくこの言葉が使われます。そして、それに合わせてよく行われるのが引っ越しです。……私は今まで、お客さんの人生が切り替わる瞬間を何度も見てきました。彼らは最初こそ不安そうでしたが、最終的にはきっと前向きになっていたと思います。ですから、勇者様にもそういうものがあっていいんじゃないでしょうか」


「……第二の人生か」


「はい。勇者様にも、勇者様だけの人生があるはずです」


 今の人生に思うところがあるなら、次の人生へ切り替えていけばいい。

 そんな旅立ちの切っ掛けを与えるのは自分の仕事だとソフィは思っていた。


「……そうだな。私にも、私の人生がある」


 勇者は唇をきゅっと噛かんだ。


「私の人生が……あったはずなんだ」


 小さな声で勇者がつぶやく。

 まるで自分に言い聞かせるようなその呟きに、ソフィは疑問を抱いたが詮索せんさくはしなかった。

 今回の引っ越しには……まだ、何か事情があるのかもしれない。


「……そういえば、まだ挨拶が終わっていないな」


 勇者はそう呟いて、ソフィを見た。


「よければ君もついて来てくれないか」


「え、私ですか?」


「君がいてくれた方が、なんというか、頼もしい」


 少々暴力的に問題を解決しすぎたかと反省していたが、勇者からするとそれが頼もしく映ったらしい。流石さすがは苛烈な旅をしてきた勇者、この手の光景には耐性があるのだろう。


 今回の件は、引っ越しに端を発する騒動だ。それなら自分も一緒にいた方が便利かもしれないとソフィは思う。引っ越しに関する誤解があっても、自分がそばにいればすぐ解消できる。


「分かりました。まずは誰に会いに行くのですか?」


「挨拶したい相手はあと二人いる。まずは国王陛下だ」


 いきなりこの国で一番偉い人だった。






※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 


本作は12/8に発売する書籍の試し読み版となります。

発売日まで毎日3~4話ずつ更新していきますので、よろしくお願いいたします。


発売日まで、あと6日です。

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