第4話

 翌日の昼過ぎに、ソフィは勇者が住んでいる家を訪れた。

 勇者の家は、貴族のお屋敷にしか見えなかった。地価が洒落しゃれにならないほど高い王都の中心地に、三階建ての大きな屋敷がどっしりと胡座あぐらをかくようにきつりつしている。壁は白色で統一されており、屋根の下にはせいな模様が施されていた。……よく見ればそれは国章だと分かる。この家は国の意思で建てられたらしい。王族か大臣が勇者のために用意したのだろう。


 荘厳な門を抜けると庭園が広がっていた。花は色取り取りで手入れも行き届いているが、引っ越しを予定しているためか場所が余っている。それでも残っている植物の瑞々みずみずしい育ち方を見れば、この庭園を手入れした庭師の愛情を感じることができた。


(アメリアの花……)


 確か、勇者の故郷にも生えているという美しいあいいろの花。

 勇者伝説によると、勇者の故郷は王都の西にある小さな村だという。特徴はないが、豊かで広大な畑があり、村人たちは採れたての野菜を食べる度にそのしさに感動し、村で生まれ育ったことを感謝するらしい。


 ソフィは先日のお客さんである学者のことを思い出した。

 勇者様も、この花を見て故郷を思い出すことがあるのだろうか……そんなことを思った。


「やあ、待っていたよ」


 ソフィが屋敷のドアに近づくと、中から勇者が現れる。

 真っ直ぐな背筋と引き締まった筋肉を見れば、やはり四十歳くらいに感じる。しかし勇者の実年齢は七十歳だった。

 改めて見ても、とてもそうは思えない。


「では予定通り、見積もりをさせていただきますね」


 金色の手すりがついたごうしゃせん階段の脇を通り、荷物が置いてある部屋へ向かう。


 透明で傷一つない窓に、自分の姿が映った。

 白を基調とした仕事着に汚れは全くついていない。引っ越し屋はお客さんの家に直接入るため清潔感が第一である。青いスカートの皺もれいに伸ばした。白い帽子にも、大きな茶色のかばんにも、ほつれなどは特に見当たらない。

 うん、いつも通り可愛かわいい。貴族の前に立っても失礼にはならない姿だ。


「初めてこの家を訪ねた客人は、大体驚くものだが……君はあまり緊張していないな」


 それは、この家の広さと雰囲気に圧倒されていないことを言っているのだろう。


「こういう家には慣れていますから」


 引っ越し屋をやっていると、たまにこういう大きな家の引っ越しを任されることがある。特に魔法が使えるソフィは、普通の引っ越し屋と比べてを運べるため、上流階級の客から懇意にされることも多い。

 だから、この手の光景には慣れていた。


「それは何よりだ。……実際のところ、この家は知人が張り切って建ててしまっただけでね。私自身にこういう成金趣味はない」


 なるほど、とソフィは相槌を打つ。

 しかし勇者がそういう性格であることは、最初から知っていた。この国で生きていれば、勝手に勇者に関して詳しくなる。演劇、本、歌、詩……ありとあらゆる分野で勇者の生き様は語られていた。中にはソフィが気に入ったものもある。


 一階の大きな部屋に荷物がすし詰めになっていた。見積もりを円滑に進めるためにわざわざまとめてくれたらしい。

 本棚、衣装入れ、机、椅子、寝具。ソフィは大きな家具から順に運び出す荷物を確認する。

 その途中、ソフィは見つけた。


(これは……風の街ロンドウィニで勇者様がもらったという、蒲公英ダンデライオンの花冠ですか)


 舞台『勇者と少女の約束』にて。がけに挟まれた特殊な地形ゆえ、常に風が吹いている小さな街ロンドウィニを訪問した勇者が、幼い少女と魔王討伐の約束を交わし、その応援として貰ったものがこの花冠だ。勇者は旅の中でつらいことがあると、花冠のことを思い出して奮起していたらしい。花冠はところどころ編み目が不格好だが一生懸命作られていた。しおれることなく今も鮮やかな黄色を保っているのは、保護魔法でコーティングしているからだろう。


(こっちは、海底神殿の冒険で勇者様が使ったという、人魚姫の腕輪ですね)


 歌謡『揺蕩たゆたう勇者たち』にて。魔王の配下が海底にある神殿に逃げてしまったので、勇者たちは海中でも行動できる方法を探した。紆余曲折うよきょくせつの末、勇者は人魚姫からこの腕輪を貰い、水の中でも呼吸ができるようになったのだ。


 見る人によっては宝の山。

 丁重に運ばねばならない。


「見積もりが終わりました。お値段がこのくらいになるのですが……」


 ソフィは見積もりの明細を勇者に見せた。

 一般家庭とは比べ物にならない金額になってしまったが、勇者は特に気にすることなく「ふむ」と明細を確認した。


かいこん・配置オプションも使いたい。なにせ荷物が多いからな、老骨には厳しい」


かしこまりました」


 魔物を倒すよりは簡単だろう。勇者の冗談に、ソフィはくすりと微笑ほほえむ。


「この環境丸ごとオプションというのは?」


「池や植物など、庭にあるものも持っていくオプションです。引っ越し先の敷地に置けるかどうか事前に確認していただく必要がありますが。……ちなみに家ごと引っ越したい場合は、こちらの丸ごとオプションがあります。この家は大きいので、ちょっとお高めになりますが」


「家ごと、引っ越す……?」


「はい。魔法で家を持ち上げて運びます」


 勇者は目を丸くして、しばらく硬直した。

 やがて軽く笑う。


「五十年前に出会っていたら、間違いなく仲間にしていたよ」


「……ありがとうございます」


 多分、最上級の褒め言葉だった。


「作業開始日はいつにしますか?」


「相見積もりをする気はないし、いつでもいいよ」


「でしたら今からでも大丈夫でしょうか?」


「今から? 構わないけど、もう夕方だ。これだけ荷物が多いとこんぽうにも時間がかかるだろう」


 ソフィは窓の外を見た。空が夕焼け色に染まっている。荷物が多かったため、見積もりに思ったより時間がかかってしまったみたいだ。

 しかし、荷物の梱包なら見積もりと違ってそこまで時間がかからない。

 普通の引っ越し屋なら時間がかかるかもしれないが――ソフィは違う。


「いえ、すぐにできますよ」


「……では、頼む」


 ソフィはつえを振った。


「《召喚サモン》────」


 ソフィの足元に紫の魔法陣が描かれた。

 やがてその魔法陣から、大きな宝箱に二本の腕をつけたような魔物が現れる。


「これは……ミミックか?」


「はい。私の使い魔です」


 魔法使いは、特定の種類の魔物と使い魔の契約を結ぶことができる。

 その契約は一度結べば死ぬまで破棄できない。よってソフィが生涯使い魔として召喚できる魔物はミミックのみである。


「あまり知られていないんですが、ミミックの口の中は特殊な亜空間になっていて見た目以上に広いんです。召喚魔法でいつでも呼び出せますし、荷物の運搬に向いているんですよ」


「……普通、使い魔といえば少しでも強い魔物を選ぶものだが、そういう考え方で選ぶ場合もあるのか」


「少なくとも魔法学園では私が歴史上初めてだったみたいです」


「……それは相当だな」


 この国の魔法使いのほぼ全員が、王立魔法学園を卒業している。

 そして王立魔法学園では、使い魔の召喚および契約が教育カリキュラムとして組み込まれており、誰がどんな使い魔を選択したかは全て記録されている。

 要するに、少なくとも国内では歴史上初と言っても過言ではない。


「さあ、この辺りにある荷物は全部食べちゃってください」


 ソフィがそう命じると、召喚されたミミックがそばにあった棚を黒い手でつかみ、口の中に入れた。身の丈以上の家具が吸い込まれる様は見ていてなかなか面白い。


 魔法陣から二匹目、三匹目のミミックが現れ、同様のことをする。使い魔の契約は個体ではなく種族を対象に行われるため、ソフィはミミックだけなら十匹以上呼ぶことができた。


「……おや?」


 一匹のミミックが身の丈に合わないサイズのテーブルを口に入れようとした。しかし大きすぎたのか、なかなか入らずに困っている。


「あぁ、こらこら。無茶をする必要はありませんよ」


 ソフィはそのミミックに近づいて言う。


「あなたには、あなたの身体に合った大きさの荷物があります。……ほら、あの椅子なんてどうでしょう?」


 ミミックはちょっぴりプライドを傷つけられた様子で凹んでいたが、やがてソフィの提案に従って椅子を飲み込んだ。

 そんなソフィを、勇者は面白そうに見つめる。


「どうしました?」


「いや……随分、良好な関係を築いていると思って。使い魔とはいえ、そこまできずなを育むのは簡単ではなかっただろう」


「この子たちとは長い付き合いですから」


 ミミックは、引っ越しを手伝わせるには非常に便利で頼りになる相棒だった。

 ソフィにとっては、学生時代からの友達みたいな感覚である。


「細かい荷物は私の方で梱包しますね」


 足元にいたミミックが口の中から二種類の箱を取り出した。

 赤いチェック柄の箱と、それより一回り大きい青いチェック柄の箱だ。


「小物や割れ物は赤、衣類や書籍は青、植物など環境系は緑の箱に入れます」


「チェック柄が多いな」


「好きなんです」


 本当は仕事着もチェック柄にしたかったが、記念すべき一人目のお客さんに「目にうるさい」と言われ、渋々今の見た目に変えたのだった。


「《泡膜パッケージ》」


 ソフィが杖を振ると、カップや皿などの食器類が浮き上がり、泡に包まれた。


「それは?」


「衝撃を吸収してくれる、割れ物保護用のコーティングです」


「そんな魔法、見たことがないな……」


「オリジナルですから」


 ソフィが開発した魔法である。

 泡は徐々に食器の輪郭に合わせて形を変えた。ソフィは食器を赤い箱に入れる。荷物が次々と宙に浮き、優しく箱に詰められた。

 魔法使いならではのやり方だった。これなら見積もりと違って時間もかからない。


「あとは……封印魔法が必要な荷物ですね」


 荷物を入れたミミックたちが、ひょこひょこと魔法陣の中に戻っていく。

 その姿を見届けたソフィは、部屋の片隅に置いてある禍々しい武器類を見た。魔導書、杖、短剣、鎌……いずれも旅の道中で手に入ったものだろう。

 その中でも一つ、今にもどろりと汚泥の如き邪悪が溶け出しそうな武器がある。


「その魔剣は、運べそうにないなら無視してくれ」


 険しい顔つきとなるソフィに、勇者が言った。


「邪龍ヴリトラのきばで作られたものだ。さやに仕込まれた封印魔法で今は抑えているが、本来なら資格ある者でなければ近づくだけで危険な代物らしい。旅の道中、使い手を探したが私以外に平気な者はいなかった。息苦しくなったら拒まれている証拠だから、離れた方がいい」


「確かに、息苦しさはありますけど……」


 ソフィは顔の正面に杖を立てる。

 杖の先端にレンズが生まれ、そのレンズを通して魔剣を観察する。


(この手の、選ばれし者だけが使えるっていう武器は、大体特殊なギミックが搭載されているだけなんですよね〜)


 正義の心を持つ者だけが台座から引き抜けるという聖剣。身を焦がすほどの憎悪を宿した者だけが装着できる呪いのよろい。こういうものは大抵それを生み出した鍛冶師かじしのエゴであり、ふたを開ければただの仕掛けでしかない。極まれも存在するが、少なくともこの魔剣は違うようだった。


 近づく者に嫌悪感や恐怖を与える特殊な魔法が仕掛けられている。恐らく、本来なら魔物だけを対象にした、威嚇目的の仕掛けだったのだろう。しかし設計に瑕疵かしがあったのか、人間も対象にしてしまっている。

 ならば、その仕掛けごと封印すればいい。


「えいっ」


 導いた術式を空中に描く。

 魔法陣がピカッと光り、魔剣の禍々しさが消えた。

 封印成功だ。先程までは鞘から漏れ出た邪気に息苦しさを感じていたが、今はもう何もない。


「……君は、もしかしてとんでもない天才だったりするのか?」


「まあ、昔はよく言われてましたね」


 言われてうれしいと感じたことはあまりないが。


「一先ず、梱包はこんな感じですかね」


「ああ。……まさかこんなに早く終わるとは」


 勇者は心の底から感心していた。


「旅の途中、荷物の運搬に困ったことは少なくない。険しい山道を進むために、貴重な装備を泣く泣く捨てることもあった。……ミミックによる収納か。その発想はなかったな」


「お褒めいただきありがとうございます」


 ふと、廊下の方へ視線を向ける。

 向かいの部屋に家具がたくさん置いてあった。


「あの、あちらの部屋にも荷物がありますが……」


「あれは処分するつもりだから運ばなくていい。全部もらものでね……思い入れもないんだ」


 ソフィはうなずきかけたが、勇者の発言にさいな違和感があったので首を傾げた。


「……貰い物なら、大切にした方がいいのでは?」


「大切なものは持っていく。ただ、そこにあるような無駄に凝った置物などは、顔も名も知らない貴族から一方的に贈られてきたものばかりだ」


「……そうなんですか」


「先程も言ったが、私自身にそのような趣味はない。……小さな村の出身だからな。旅の途中で様々な財宝が手に入ったが、それらは全て慈善団体へ寄付したよ」


 確かにその部屋に置かれている家具や置物は、ふんだんに宝石や貴金属が使用されており、あまり趣味がいい代物とは言えなかった。ぜいを尽くした品々は、実用性でも美しさでもなく、相手の機嫌を取るためだけに生み出されたような、人の業を感じる見た目だった。


 ……散々、びを売られてきたのだろう。


 勇者の名声は世界にとどろいている。他国からは勿論もちろん、同じ国の人間からも嫌というほど媚びを売られたに違いない。元はただの村人だった少年が、そんなことされて何を思うのか……。


「実は、君に引っ越しを頼んだことには理由があってね」


 勇者が唐突にそんなことを告げる。


「今回の引っ越しは、お忍びで済ませたいんだ」


「お忍び……それは何故なぜでしょう?」


 一瞬、夜逃げのようなものかと思ったが、これほどの財力を持つ勇者がそのような行動を起こすとは考えにくい。


「隠居するためだ」


「……隠居、ですか」


 ソフィは軽く驚く。

 今の一言を勇者のファンが聞いたら、間違いなく卒倒するだろう。


「もういい歳だからな。女神の加護で肉体的な老化は抑えられているけれど、そろそろ落ち着いた余生をおうしたいんだ」


 勇者は落ち着いた老人のような声音で言った。

 実際、勇者は老人だった。しかし勇者から、こうもはっきりと老いた印象を受けたのは初めてだった。……それは勇者が、そういうふうに装っていたからかもしれない。


ちまたでは生涯現役と言われているけれど…… 流石さすがに疲れた。歳を取って摩耗していくのは、身体からだだけではなく心も同じだったらしい。この腕、この足にはまだまだ力が込められる。でも、この心はもう戦いではなく安らぎを求めている」


 勇者は静かに目を伏せ、胸の辺りに手をやりながら言った。

 その表情が、今の話は心の底からの本音であると物語っている。


「もう、戦わないということですか」


「ああ。これ以上、剣を握るつもりはない」


 生ける伝説。生涯現役。そう呼ばれる勇者の存在は、この国の人々にとって希望そのものだ。

 だから、もっと現役でいてほしい……そう伝えることはできなかった。

 勇者は本当に、疲れている様子だった。


「色んな人を悲しませてしまう自覚はある。その上での判断だ」


「……そうですか」


 申し訳なそうに言う勇者に、ソフィは頷いた。


「すまない。君をこんなことに巻き込んでしまって」


「いえ、驚きはしましたが……納得しています」


 小さく首をかしげる勇者に、ソフィは続ける。


「ずっと、疑問だったんです。がいせんしている時の勇者様は、あまり楽しくなさそうでしたので」


 勇者が目を見張った。


「……そうか。バレていたのか」


 ソフィは頷く。


「私は、この引っ越し屋という仕事を楽しんでいます。……だからこそ分かりました。勇者様は今の仕事を楽しめていないんだなって」


 多分何年も前のことだが、それでもソフィは鮮明に思い出せた。王都のど真ん中で勇者が凱旋していたあの日。誰もが歓声を上げて勇者の偉業をたたえていたというのに、当の本人である勇者だけは陰りのある表情を浮かべていたのだ。


 あの頃から既に擦り切れていたのだろう。

 身体ではなく心が現役ではなかった。

 だから―─いつかあっさり隠居するかもしれないと、思っていた。

 ソフィが勇者のファンを辞めたのは、その時だ。


「薄々予感はしていましたが、いざ隠居すると聞くと……寂しいですね」


「……すまない」


「気にしないでください」


 ソフィは首を横に振る。


「勇者様は、勇者としてではなく一人のお客さんとして私を頼ってくれました。なら私も、貴方あなたのことを一人のお客さんとして向き合います」


 勇者はソフィのことを信じて本音を打ち明けてくれた。

 それはとても光栄なことであり、応えねばならないことだ。


「長い間、お疲れ様でした。今回のお引っ越し、引き受けます」


「……ありがとう」


 勇者は深々と感謝した。

 勇者ではなく一人の人間として見てもらえることが、とても貴重であるかのように。


「ただ、一つお尋ねしたいのですが、どうしてお忍びにするのでしょうか? 勇者様が引退するなら、公の場で盛大に見送られる方が自然な気がしますけど」


「以前、王都から離れることを検討していたら、予想以上に色んな人に引き留められてね。宰相とか、騎士団長とか、冒険者ギルドの皆とか。騒ぎになって関係ない人たちを巻き込むのも申し訳ないから、彼らに内緒で事を進めたいんだ」


「なるほど」


 人望があるゆえの問題か。これぞまさしく有名税である。


「一応、信頼している人には話を通している。陛下からも許可は貰った」


 宰相、騎士団長、陛下……一介の引っ越し屋にとってはいささか仰々しい話題が続いているが、勇者をお客さんとして迎え入れた時点で覚悟していたことだ。ソフィは動じない。


 要するに――かねてより隠居は検討していたが、下手に動くと騒がれてしまうので、穏便かつ隠密に事を進めてほしいということだろう。


「引っ越し先に指定している、王都の西にある小さな村……これは勇者様の故郷ですよね?」


「……よく分かったな」


 丁度昨日、貴方の本を読みましたから、とソフィは心の中でつぶやく。

 勇者の引っ越し先は王都西部の小さな村だが、勇者伝説にもその村は登場していた。採れたての野菜がしくて、アメリアの花が咲いている村――勇者の故郷だ。


 長い間、王都の中心街で過ごしていた勇者が、この年齢で故郷に引っ越すというのだ。

 つい棲家すみかを探しているのかもしれないと考えるのは自然である。


「本でも、勇者様は故郷を愛していると書かれていました。心安らぐ土地に故郷を選んだのは、勇者様らしい選択だと私は思います」


「……ああ。まあ、そうだね」


 勇者はほんの少しぎこちないあいづちを打った。

 その様子を見てソフィは不思議に思うが、あまりせんさくするのもよくないと思い、仕事に戻る。


「お忍びということなら、こういう魔法を使ってみましょう」


 ソフィがつえを振ると、荷物の入った箱が浮かび、その姿を変える。

 五つの箱が、一匹の馬になった。


「これは……箱が、馬に?」


「変身魔法です。材質も形状も自由自在に変えられます。これを使って、馬を引くフリをして荷物を外に出しますね」


 厳密には材質、形状だけでなく質量も自在に変えられるが、それは消耗が激しいためできれば使いたくない。無茶をして途中で魔法が解除されてしまう危険性もある。


「やはり君に頼って正解だったな」


 勇者は、ソフィのことを強く信頼したような目で言った。


「隠居のために、信頼できる引っ越し屋を探していたんだ。すると君の店に辿たどいた。……ある噂を聞いてね。王都の郊外にある、魔法使いの引っ越し屋。そこに行けば、とか」


 勇者は嬉しそうに笑う。

 そんな噂が流れていることは知っていた。一体、誰が流したのやら。


「その噂が、私の店のことなのかどうかは分かりませんが……」


 適当にはぐらかしながら、ソフィは勇者を見る。

 どのみちやることは変わらない。


「私のお客さんになった以上、勇者様の旅立ちも素敵なものにしてみせましょう」


「頼もしいな」


 期待されている以上は、こちらも真剣に仕事をこなさなくちゃいけない。

 そんなふうに、ソフィはやる気をみなぎらせたが──。






※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 


本作は12/8に発売する書籍の試し読み版となります。

発売日まで毎日3~4話ずつ更新していきますので、よろしくお願いいたします。


発売日まで、あと7日です。

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