第3話
店舗兼自宅に帰ってきたソフィは、ゆっくり身体を伸ばした。
本日の依頼人である学者の荷物は少なかったが、
それでも、削られたものを補って余りあるほどの達成感が心を満たしていた。
(……外の空気でも入れますか)
気分がいいので、ソフィは軽く換気して店を掃除することにした。
窓を開けると、暖かい昼の空気が入ってくる。
「勇者様が帰ってきたぞ〜〜っ!!」
外の空気と一緒に、大きな声が窓から入ってきた。
「王都の中心街で
「今回の遠征は長かったな。どんな魔物を倒したんだ?」
「巨大なゴーレムらしい。町一つが潰されたらしいが、魔王を倒した勇者様なら余裕だろう」
「今年で七十歳になるというのに、噂通りの生涯現役だな」
凱旋に向かう者や、勇者について話す者たちの声が聞こえてくる。ソフィは彼らの声を聞きながらのんびり店を掃除した。
(相変わらず、この街の皆は勇者様が好きですね)
五十年前に魔王を見事討伐した勇者は、その後もこの国で人々のために戦い続けている。女神の加護というものが肉体の老化を緩やかにしているらしく、なんと勇者は七十歳になっても第一線で活躍していた。おかげで勇者は世代を超えて人々に愛されており、今や王国にとって守り神のような存在となっている。
多くの人が凱旋を見に行ったのだろう。外から人の気配が消えた。
掃除が終わり、カウンターの奥で座って一息つく。すると、カランコロンとベルの音が響いた。
お客さんが来たようだ。
「いらっしゃ──」
「ソフィ!」
ソフィよりも元気な声が、店内に響いた。
金髪をドリルみたいに巻いた少女が、ずかずかとソフィのもとまでやって来る。
「また
「ええ! 貴女の生涯のライバルが来てあげましたわよ!」
コレはお客さんではない。
簡単に説明すると、元同級生である。
ソフィはすぐに愛想を捨てた。体力の無駄使いだから。
「あ、これ差し入れですの」
「あ、どうも」
基本的に破天荒な言動が多いフランシェスカだが、ちゃんと礼儀は弁わきま
えていた。これでも貴族のご令嬢である。冗談みたいな髪型をしているが。
フランシェスカがくれたのは、
「おぉ……これはいいものですね」
「相変わらず渋い趣味ですわね」
「人の趣味にケチつけるもんじゃありませんよ」
ソフィは早速受け取った煎餅を食べる。パリ、ポリ、と
煎餅はこの国ではあまり
「──で! 貴女はまだ、こんなところで才能を腐らせているんですの!?」
いつもと同じことを言われる。
「こんなところとはなんですか。ここは郊外とはいえ、れっきとした王都の一部。
「い、いえ、建物のことを言っているわけじゃなく……」
職業柄、物件の立地には詳しいソフィだった。
フランシェスカは、元同級生の中では数少ないソフィの現在を知る者だった。しかし知っているだけで応援しているわけではない。
「まったく……貴女がこうしてのんびりしている間も、わたくしは宮廷魔導師として誉れ高き任務に
「へぇ」
「先日は遂に、悪しきドラゴンを成敗してやりましたの!!」
「すごいですねぇ」
ソフィの
「学園では惜しくも貴女に首席の座を譲りましたが、今やその差は覆ったと言っても過言ではありません! いつか、貴女から時代 の名を奪い取ってさしあげますわ!」
「あの名前は便利ですから手放したくありませんけど、まあ貴女がそれに
フランシェスカが不敵な笑みを浮かべる。
今の一言でやる気が出たようだ。
「……あ、差し入れがもう一つあることを忘れていましたわ」
「二つもあるんですか。じゃあ本日の営業妨害は許してあげましょう」
「営業妨害なんてしていませんわ。ちゃんとお客さんがいない時を見計らっていますもの」
思ったよりもちゃんと気遣われていた。一周回ってちょっと気持ち悪いなとソフィは思う。
「これを差し上げますわ」
そう言ってフランシェスカが取り出したのは、一冊の本だった。
「これは……勇者伝説の最新刊ですか?」
「ええ! しかも直筆のサイン入り! プレミアものですわよ!」
勇者伝説。それは文字通り、勇者の経歴を綴つづった本だ。
既に勇者の活躍は教科書や演劇によって人々に知れ渡っているが、勇者伝説はそれを物語性のある書物として巧みに再構築しており、今では無数の愛読者が続きを
「ありがたいですが、私は別に勇者様のファンというわけではありませんので……」
「そんなことを言っていると非国民と言われますわよ!」
ソフィは「はいはい」と適当に受け流した。
「では、わたくしはそろそろ仕事がありますから、これで失礼いたしますわ」
宮廷魔導師は忙しそうだ。
しかし最後に、フランシェスカは微かに頬を紅潮させてこちらを見た。
「……ところで、いつも言っていますが、わたくしにはフランという愛称がありますの。フルネームで呼ぶのも長いでしょうし、そっちで呼んでくださっても構わないんですのよ?」
「分かりました。フランシェスカ=シルファリーオさん」
「初対面のやつ!」
ですわ! と語尾を後付けしたフランシェスカは、ぷんぷんと怒った様子で店を出た。
外から入ってきた風がソフィの髪を揺らす。
(別に、勇者様が嫌いというわけではないんですけどね……)
むしろどちらかと言えば好きである。
ただ、この街の大多数の人たちのように熱狂することはできなかった。
昔、凱旋中の勇者の顔色を見て以来、どうしても興奮することができなくなってしまったのだ。
「……読んでみますか」
ソフィは勇者伝説を読み進める。
最新刊では勇者である少年ロイド=エクステラと四天王の戦いが描かれており、当時の勇者の苦悩と
勇者は最初から強かったわけではない。時には強敵を前に苦戦することもあった。しかしその泥臭い執念が、何度も活路を切り拓くのだ。
その生き様を想像すると勇気が湧くような気がした。
勇者は今も現役であるという事実が、この本の説得力を増している。
生ける伝説。生涯現役。……今の仕事を末永く続けたいと思っているソフィにとって、それらの言葉自体はとてもいい響きだと感じた。
「……っと、集中しすぎましたね」
勤務中の休憩にしては長めにとってしまった。
気づけばフランシェスカが店に来てから一時間が過ぎている。勇者の凱旋ももう終わっている頃だろう。外の人通りも普段の落ち着きを取り戻していた。
本を片付けると、ドアベルが音を鳴らす。
「すまない、営業しているだろうか」
「はい、大丈夫ですよ」
答えながら、ソフィはお客さんを見る。
第一印象は…………正直、
フードで顔の上半分を隠しているのだから、そう思うのは無理ないだろう。
頬、唇、体型から察するに、恐らく四十歳くらいの男だ。フードの端からは白髪交じりの黒い髪が
(……はて)
ソフィはこの男の顔を見て、首を
顔は隠されているが、なんとなく見覚えがあるような……?
「どうかしたのか?」
「……いえ。ではこちらにお名前とご住所、見積もり希望日のご記入をお願いします」
男は淡々と渡された用紙に記入する。
「荷物についてだが、呪われた魔導書や魔剣も運んでくれるだろうか?」
「追加料金をいただきますが、問題ないですよ」
「……邪龍の呪いだが、本当に大丈夫なのか? 最悪、死人が出ることもあるんだが」
「封印魔法を使えば運べます」
男は一瞬だけ目を点にして驚いたが、やがて安心する。
「……それはよかった。どの店でも難しいと言われて困っていたんだ。この店は優秀な魔法使いを雇っているようだな」
「いえ、このお店は私一人で切り盛りしています」
つまり封印魔法を使うのはソフィだった。
「それは失礼した。どうやら君は立派な魔法使いのようだ」
むふふ、とソフィは得意気な顔をした。
男がペンをソフィに返す。ソフィは用紙を手に取り、記入漏れがないか確認した。
「ええと、お名前はロイド=エクステラさんですねぇぇ………………ぇぇぇえ?」
細くなっていたソフィの目が、あっという間に見開かれた。
顔だけでは気づかなかった。しかしその名は見覚えがある。──ありすぎる。
「ゆ、勇者様……?」
「ははっ、もう昔のことだ」
世界の英雄――勇者・ロイド=エクステラは、慣れた様子で笑みを浮かべた。
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本作は12/8に発売する書籍の試し読み版となります。
発売日まで毎日3~4話ずつ更新していきますので、よろしくお願いいたします。
発売日まで、あと7日です。
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