scute

フカ

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現在


海の上、小型ボートの上で、果物を食べる夢を見た。果汁の匂いと、鱗の匂いがしていたけど、薄い魚の鱗じゃない。目が覚める。

体を起こすとブランケットが肩から落ちる。開けっ放しのカーテンから見る今日の空は曇天だった。グレーの強い雲の群れが、陽を遮るからだるい。

首を向けると、サイドボードに南の果物が投げてある。バナナと椰子の実、貼られたシールのまんなかにわにがいた。

枕の下からスマートフォンを引っ張り出して、とりあえず時間を見る。キングサイズのベッドの、ずいぶん向こうで寝ていたマダラが寝返りを打ち、地べたに落ちた。ベッドのまんなかで寝ていたマットが、びっくりして起きた。マットが床を覗くと、呻き声が聞こえる。赤い頭がふちからはえてくる。

「んえーびっくりした。おはよー」マダラが手を振る。口のあたりがたぶん、よだれの跡でてらてらしていた。

「おはよ」

「おはよー。アッそれ、バナナ食べよ」

「うん。鰐は?」

「元気ぽかった。でもそろそろ違うかも?おれのほうあんまり向かなかった」

「そっか」俺はベッドから立ち上がり、洗面所へ向かう。マダラもマットも裸足でぺたぺたついてくる。

「夏はさあ、ワニ園夜に開いてるから楽しいね」

「そうなのか?」

「うん。ワニなんか元気だし。兄ちゃんさ〜、夏生まれらしいし」

「へえ」歯磨き粉をブラシにつけながら返す。

マダラには鰐の兄貴がいる。





鹿野かのマダラは親父の下でスナイパーをやっている。俺が九歳になった日に、お前に兄弟をやるよ。そう言って親父が連れてきた。殺人犯が着ているような赤と黒のボーダーシャツを、袖が長いから三重に折って、そこから出ている手のひらで俺を見つけた瞬間に飛びついてくる。ちょうど俺の鼻あたりにあるウルフカットの頭が臭かった。見上げてくる小せえ顔が異様に綺麗で俺はたじろぐ。目がでけえ、顔がえらく立体的だ。なんだこいつ。

動揺している俺の隣に、ベッドの上で寝ていたマットが寄ってくる。クリーム色のゴールデン・レトリーバーだ。マットはマダラの匂いを嗅いで、俺らの周りを三周すると、床に転がってマダラに腹を見せた。マダラは嬉しそうに、腹毛をかき分けて撫でる。なんだこいつ。

名前。聞くと、まだら。おおよそ人の名前じゃない、マダラは、ここに来るときにカーナビで観たアニメーションのキャラクタの名前らしい。髪の毛がおなじだったから。マダラはそう言った。


なんさい?と聞かれたから九、とだけ答えると、じゃあおれもきゅう。そう返ってくる。ウソだろうと親父を見る。「冬生まれってことにしとけよ」。薄く笑って、立ったままで葉巻をふかして親父もそう返す。それでいくなら兄弟でも、年子でも双子でもないけど、マダラが気に入ってしまったからそうなった。「鹿野」は、親父が仕事のために適当につけた。


別にわざわざ兄弟だとはしなくても、親父の仕事は組を動かすことだから、うちに来た人間は皆んな便宜上は兄弟だ。盃はない。代わりにタトゥーを入れる。この地区に存在している「組」は各々そうしている。羽と林檎、鰐、ニワトリと金貨。自分の家の旗印を皮膚に刻んで家族になった。階級によりタトゥーの数とサイズが変わる。

こうしておくと、死体になっても首が飛んでも、腐ったり、焼かれない限りは誰だかすぐわかる。ただ俺らはまだガキだったから、皮膚にはなんにも住み着かないでつるりと綺麗なままだった。


更地の皮膚を抱えたままで、俺とマダラは仕事をした。とりあえず銃とナイフと素手で、人をぶち殺す方法を親父に教えられたように、マダラに教えた。マダラは飲み込みが早かった。一度教えると、だいたい覚えた。しかもその通り以上にできる。時間が空いても、きのうのことみたいにしていた。なんだこいつ、とまた思ったし、やばい、とも思った。親父が俺に興味をなくす、と思ったときには手が震えた。バラしたレミントンが床に落ちる。床で跳ね返る金属が音を立てる。

「おわ。だいじょぶ?」マダラが拾って、手渡してくる。

「大丈夫」頭の中がぐるぐるした。親父のつまらなさそうな、とりあえずお前が兄貴なのにな、とか、そんなものが視線と声付きで再生される。兄貴、という箇所に引っかかって、兄貴は、と口から出る。するとマダラが、おれの?と勘違いしてくれたから、そのまま頷いた。

「いるよ〜、いまワニになってるけど」

「は?」答えが予想の外すぎて、声が出たけどマダラはそのまま続ける。

「あ、おれねーまえワニ園にいたんだよね。なんかもっとちっちゃいころにさあ、気づいたらワニ園にいてさあ、でそこにいままで住んでたんだよね。あったかいし。」

「それは親父に聞いた」

「あっほんと?そうなんだよね〜でさあワニ園にバナナが生えててさあ、勝手にむしって食べてたら見つかっちゃってさあ、でそこにいたのが兄ちゃんでさ、髪の毛のいろおんなじだったから。兄ちゃん、って呼んだらなんか、気に入ったんだかしておれのことそこに置いといてくれたんだよね」

俺はレミントンを机にもどす。顔と愛嬌が強い奴は、いつだって神かなにかに守られてんな、と思った。

それからマダラの兄貴はたぶん、、とも思った。

「鰐に喰われたんだろ」

「エッまじ?よくわかるね」

「処理場だろ。七地区、異様にデカい鰐がいるとこ」

「そ〜。誰だっけ?誰かの趣味でさ、死体を焼かないでワニにあげてさあ、ワニ育ててるとこ」

「隣が焼却炉なのにな」

「兄ちゃんそこの誰かにさあ、買われちゃって逃げらんなかったんだって。でもワニは好きなんだって。だからハッピーエンド?」

「なわけねえだろ」

「うははは」

マダラが俺を指さして笑う。


それから三日経った日に、兄ちゃんとこ行こう、と言われる。なんで?と聞くと、三兄弟揃うと嬉しくない?とか返ってくる。

「ジャグラーじゃねえんだから」

「え〜、でもさあ兄ちゃんに会ってほしいんだよね」

「なんで?」

「兄ちゃんもさあ、なんだっけ?細胞とか?入れ替わっちゃったらさ、ワニに戻っちゃうから。どのくらいかわかんないし」

「、ああ」そういう考えか、と思う。

確かにそれはなんとなくわかる。実際、人肉を食っていた奴に似たようなことが起きたりしていた。あれは頭の話だったかもしれないが、信じる信じないに関わらず、ヒトを食べた動物が賢くなった、故人の家へ戻ってきた、みたいな話はそんなに嫌いじゃない。

ヒトの記憶や魂は脳だけじゃなくて、血液や、体の細胞ひとつひとつに刻まれているのかもしれない。親父の書棚に、いまもそんなのがある。

そして細胞は代謝されて入れ替わる。そうじゃなくても、それでいくなら、七地区の鰐は日替わりぐらいで別人だ。マダラの兄貴も、わりと早くに上書きされていなくなるんだろう。

「親父は?」

「いってらっしゃいだって」

「そ。じゃあいいよ、明日の十時は」

「いいよ!やった~」はしゃいだマダラがピースしてくる。


次の日、バスを三つ乗り継いで、ようやく植物園に着いた。十時だって言ったのに、ゆすっても叩いてもマダラが全然起きなくて、かと思えば身支度をした俺が洗面所から出てくると、服だけ着替えたマダラがはやく!と急かしてきたりした。二個目のバスを降りたあたりで結局昼飯時になり、バス停のとなりのスタンドでホットドッグを買ってかじった。マダラの、ケチャップとマスタードを倍量にしたホットドッグは包み紙からはみ出してきて、マダラの手と口をべたべたにするから、またロスタイムが出た。

敷地の石畳を踏みながら、ついでに買ったコーラを飲み干して、アーチの手前のごみ箱に捨てる。入り口の鉄のアーチは、ずいぶん錆びている。

南の植物に囲まれたアーチを、はしゃいでいるマダラとくぐると、重い湿気と、生き物の匂いがしてくる。ここには亀や魚もいる。となりに建たる焼却炉から出る熱を使って、温水と温室を管理している。鉄格子のついた受け付けにいる、小柄なバアちゃんに小銭を渡すと手の甲に赤くスタンプされた。入場券のかわりだ。

「あのバアちゃん知り合いなのか?」ふと思って、俺はバアちゃんを指して聞く。

「うん。イルニャさん。でもねー最近、昔のことよく忘れちゃうらしいよ」

「ふうん」

「こないだはおれのこと呼んでくれたんだけどなー」マダラはこっちを向かないから、表情はわからなかった。


直ぐ側のロビーに表があった。壁に植物園の地図と、各区画の管理者の名前がマグネットでくっつけてある。

「ここ!」イリエワニの区画をマダラが指さす。

それで植物園へ繋がる廊下へ進んだから、マダラの袖をつかんで引っ張った。

「なんでそこから行くんだよ」

鰐の区画は、敷地のいちばん端にある。建物の造りをみる限り、植物園を通ってしまうと、自動的に中をほぼ見ていく羽目になる。

「エッだってバナナ見たいじゃん。バナナって草なんだよ?」

「、そうなのか?」知らなかった。

「そ〜だよ。いいじゃん。きょうはおかね払ったしさあ、バナナ見ようよ」

「払ったの俺だけどな」

「行きますよ〜」袖をつかんだまま、今度は引っ張られる。


植物園は広かった。天井の高い温室がいくつもいくつも連なっていて、そこにみっしり木が生えている。番号と種別が振られた引き戸を開けて中に入るたび、息苦しいぐらいの湿気と温度が、体や顔を包んだ。

時期なのか、だいたいの木に実がついていた。南に生える果物の木はどれもどこかが奇妙で、そいつらに囲まれていると落ち着かない。通路に貼られたボードに種子の写真が載っていて、首のあたりがかゆかった。


ソテツを通り過ぎたころ、草のバナナが出てくる。近寄ると確かに、幹のあたりが違う気がした。バナナは大量に生えていて、少しずつ違う青い実や熟した実を、どれもわさわさ抱えている。

「よくこんなんむしって食べてたな」植物園のどの植物も、あまり食欲がわかないような実の成り方をしている気がする。

「おなかすいてたからね」頑張って登ったし、とか言うから、想像してちょっと笑った。


植物園のエリアを抜けて、ピラルク、ガー、キャットフィッシュが泳ぐ水槽を通り過ぎた。ひれとひげをひろひろさせて、丸太のような体で水に浮いていた。彼らは水槽の端まで泳ぎ、また端まで戻ってきて、上へ浮かんだり沈んだりしていた。

紫色のライトを背中に受けながら、ガラス越しのマダラへ首を伸ばして振る陸亀と、それへ話しかけるマダラを十何分か眺めてやっと、イリエワニの区画へ着いた。


鰐は二頭いる。鉄柵の向こうに、陸地と濁った水辺があった。鰐と俺らの間にはだいぶ距離があったけど、ここからでも二頭とも、相当にデカいのがわかる。

「どっち?」俺はマダラに聞いた。

「ううん、たぶん水のなかかな」

マダラが口元に手を当てて、鰐を呼んだ。


二頭の後ろの水溜まりが波打って、三頭目の鰐が出てくる。水面から上がってきた顎の大きさを見た瞬間、背筋が勝手に冷える。他の二頭より明らかに大きい。

そうするうちに顔が見えて、まばたきをする。裂け目のような虹彩が、どこを見ているかよくわからない。

腕、背中と腹。揃った鱗が水に塗れて光る。

後ろ足に付く爪が、引かれた土を抉る。そこを、ぶ厚い尻尾がまたならしていった。

鰐の全身が陸に上がるまでずいぶんかかった。尻尾の先まで含めなくても恐ろしく大きい。

そこでまた背筋が冷える。腕の辺りが粟立った。

鰐は口を開け、マダラのほうを向き直る。気のせいかもしれない、しれないけど、どこを見てるかわからなかった瞳が、はっきり俺とマダラを見た。

口の開き方が変わる。微笑んだみたいに見える。

たまに笑ってる犬がいるだろう。うちのマットもたまにやる。マダラにはだいぶよく見せる。だった。

マダラが大きく手を振ると、鰐が口を閉じ、また開ける。すると、吹き抜けになった天井から白い小鳥が飛んでくる。鳥は陸地へ下りたあと、鰐の鼻先に止まり、首を二回、傾げると地べたに降りる。

そして口の中に入る。

鰐はそのままマダラを見ていた。




現在と少し後


最初に鰐の兄貴を見てから四年たち、俺らは十三歳になった。俺とマダラと同い年のマットがそろそろジジイになってきて、マダラを見つけるとそばに来て寄りかかり、鼻をピスピスさせながら眠ってばかりいる。


今日もまた、俺らは植物園に来ている。マダラが鰐を見ているあいだ、俺はそこにあるベンチに座って、売店で買ったポップコーンを食べている。赤と白の陽気なストライプの箱を抱えていると、足元に白い小鳥がたまる。塩味のポップコーンをいくつか割って、スニーカーの先に撒いた。


箱が空になると立ち上がり、潰して脇のごみ箱へ入れる。鉄柵のうえに腕を置き、そのうえにあごを置いているマダラに話しかける。

「よく四年ももったな」

マダラは鰐を眺めたままで返事をした。

「ねー。なんかね、兄ちゃんあれから死体、食べなかったらしいよ」

「ふうん。処分されなくてよかったな」

「うん。ほかの二匹がねー、食べてくれてたみたい」

陸地には鰐が三頭ともいる。水辺に体を半分つけたマダラの兄貴の鰐は、三頭のなかで一番小さくなった。他の二頭は、今では八メートル近い。

「どんな人だった」俺も鰐を眺めて聞いた。

「なんかねー、優しかったよ。働く人の休憩所にさ、コンロがあって、そこでソーセージとか焼いてさ。いっつも兄ちゃんさあ、きれいに焼けたのをおれにくれたんだよね」

「へえ」

「イルニャさんもそうだけど、ジゼルさんとかタバさんとか、好かれてた。もうみんないないけど」

「うん」

「あとはねー、やっぱり魚とか好きだったよ。生き物好きだって。ワニもさあ、きれいだなあ、いいなあ、つぎはワニになりたいなあ、ってよく言ってた」

「まあ。鰐は綺麗だな」

「ねー。ワニをさ、こう、デッキブラシで洗うんだけど、楽しそうにしてたよ」

マダラが、デッキブラシの動きをするからちょっと笑う。

また鰐のほうを眺めると、巨体を傾げてじりじりと動く。陸地の砂へ跡がつく。


「最近ね、また食べるようになったんだって」

「そっか」

「ありがとね」

「なにが?」

「ワニ園来てくれて」マダラがまた、こっちに向かってピースしてくる。

兄貴の設定だから。思ったけど、なんかいいかな、とも思った。マダラの兄貴は別にいるから、俺も別をやろうと思った。指の曲がったマダラのピースをなんとなく見て、兄弟じゃなくて、別のものがやりたい、と思った。


小さい鰐があくびのように口を開けた。そこに、白い小鳥が近づいて鰐の口の中に入る。

水飛沫がここまで飛んできて、顔に当たった。

鰐は何食わぬ顔をして、まばたきをする。

瞳はどこか遠くを見ていた。







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