第29話 暴走(4)

「下がって」


 夜宵さんは酷く震えており、足元もおぼつかない。これでは走って逃げるのは無理だ。


「ね、ねぇ、き、きみ、夜─YORU─ちゃん、だよね……?」


「彼女は関係ない! その“ナイフ”を下ろせ!」


 俺はストーカー野郎が本物の脅威である、そしてナイフを持っていることをバレないように父さんへ伝えた。


「至急至急、本庁より各局。スーパー○○裏路地にてナイフを持った不審者との通報アリ。至急現場に急行せよ」


 ポケットに入れたスマホから、父さんの無線通信が聞こえてくる。




「大丈夫。大丈夫だよ」


 俺はストーカー野郎と彼女の間に入るような形で彼女を片手でゆっくり後ろへ下がらせる。


「岬、時間を稼ぎなさい。もう少しで着く。もし駄目そうならその子を置いて、お前一人でも逃げなさい。お前なら逃げ切れるはずだ」


 ……ごめん父さん。それはできない。


「さっきから誰だよお前ぇぇぇ!!! なんなんだよ! 俺の夜─YORU─ちゃんと仲良くしやがってぇぇぇぇ!!!」


 激昂してその場でナイフを振り回すストーカー野郎。奴とはまだ十メートルほどあるが、走ってこられればそんなものは一瞬で詰められる。




「さっきからその夜─YORU─ってのは誰なんだ……? きっと君は勘違いしている。俺たちはただの学生だ。ナイフを下ろして帰ってくれ……」


 俺はなんとか説得を試みる。しかし興奮した男に俺の言葉は届かない。


「そんな訳があるかぁぁぁ! その声、俺が聞き間違える訳ないだろぉぉぉ!」


 これは俺のせいだ。一人孤独にひっそりと、しかし生活を守って平穏に生きてきた彼女を変えたのは俺なのだ。

 俺が彼女と出会わなければ、あの時問いたださなければ、こんなに仲良くならなければ、図書館で勉強しなければ……。数え切れない後悔が俺の頭を埋めつくし思考を鈍らせる。




「声なんて聞き間違えもある。そんな曖昧なものでこんなことをするな。まだ引き返せる……」


「その指輪だよ……」


「いや彼女の指輪は雑貨屋で買ったただの安物──」


「あの夜─YORU─ちゃんが安物を着けて、なんだと思ってロゴを調べたらそれはハンドメイドの雑貨屋だった! だから、その形、その傷の付き方をしている指輪はこの世でそれひとつだけなんだよぉぉぉおぉぉぉぉ!!!」


 彼女は右手を覆って指輪を隠す。しかしそれは手遅れだ。

 これも元はと言えば俺が原因なのだ。




「どうして! どおしてだよぉぉぉぉ! なんで俺を裏切ったんだよ夜─YORU─ちゃん!!!! 俺がいつも一番投げ銭してるのに!!!」


 あの気持ち悪い長文を送ってるガチ恋か。俺の中で合点がいった。

 あいつはマネージャー管理である夜─YORU─公式SNSにも粘着紛いの行為をして、掲示板でも有名な厄介ファンとして認知されている。


「そんなガキのどこがいいんだよぉぉぉ!? 俺は夜─YORU─ちゃんのために深夜バイトもなんだってやってきたのに! そんな一緒に遊び回る悪い男に騙されて! なんなんだよもぉぉぉぉ!!!」


 話が通じる相手ではない。それだけが確かだった。




 とその時、俺の背中でぐすぐす泣いている夜宵さんの声に混ざってパトカーのサイレンが聞こえてきた。

 やっと助かるのだ! 俺と夜宵さんに一瞬の安堵が訪れる。しかしそれは全くの勘違いだった。


「……馬鹿が! ……サイレンを消せ!」


 電話から父さんの怒鳴り声が聞こえてきた。

 そして父さんの危惧する通り、パトカーのサイレンを聞いたストーカー野郎は自暴自棄を起こした。


「もういい!!! こんなの夜─YORU─ちゃんなんかじゃないんだよ!!! その男も、夜─YORU─ちゃんの偽物もぶっ殺そう! そしたら配信に映った夜─YORU─ちゃんが本物だもんね! きっと俺の夜─YORU─ちゃんは戻ってくる! だから殺さないと……! 殺さないとぉぉぉぉぉぉぉ!!!」


 ストーカー野郎は大きくナイフを振りかぶって走ってくる。


「夜宵!」


「嫌ァァァ!」


 俺は彼女の手を引いて逃げようとしたが、彼女は恐怖のあまり腰が抜けて動けなくなっている。

 その場にへたり込む彼女を置いて自分だけ逃げるなど、俺にはできなかった。




「うぉぉぉぉ!!!」


「グッ──」


 ナイフを振り下ろすストーカー野郎の手首を掴み、その切先が彼女に届かぬよう受け止める。


「あああぁぁぁぁぁぁ!!!」


「クソッ──」


 しかし、興奮して脳のリミッターが外れたストーカー野郎の馬鹿力は俺の力を遥かに上回っていた。




「うおぁぁぁぁ!」


「ちくしょうが……」


「嫌ァァァ! みざぎぐん!!!!」


 押し負けた俺の肩にナイフが振り下ろされ、肩から胸にかけての前面を切りつけられた。

 だが不思議と痛みは感じなかった。ただ切られたところが熱い。そして不快なぬるい液体がボタボタと体から流れ出ていくのが分かる。




「お前たち何をしているか! 貴様! ナイフを捨て離れなさい!」


 到着した警察官は拳銃を抜いてこちらへ向けている。しかし向こう側からでは俺が影になってストーカー野郎を撃てない。だが俺が避ければこのナイフは今度は夜宵さんに突き刺さる。


「クソがァァァァ!!!」


 再びナイフを振り下ろすストーカー野郎。


「夜宵ッ……」


「嫌だ! みざぎぐん!」


 抵抗する力も残っていない俺は夜宵さんに覆い被さる。これが今の俺にできる、せめてもの抵抗だった。


 最後に好きな女のために命を投げ捨てられる。そんな幸せな死が迎えられたのだと、薄れゆく意識の中俺はゆっくり目を閉じた。





◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 

あとがき


お読み頂きありがとうございます。

次話2023/12/23 本日20:00過ぎ投稿予定です。

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