第三話 美しき魔術師

『悪魔……いいえ、この場合はクラウン様が言う様に妖精と呼ぶべきでしょうか……そんな事があり得るのでしょうか?』


『魔素が満ちて、この世界は変わった……いいや、昔からそうだったんだろう。個が巨大な力を持って良かった試しなどないんだからな』


『それ故に、この様にわしの様な存在が居るので御座います』


 自信を宿らせたポリフの所作は、この学園の生徒、或いはこの国の民からすれば恐れ慄き平伏すに値する貴賓を兼ね備えている様に見えるが、ここに居る二人からすれば、そんな事はどうでも良く。子供が少し自慢げに語る様な、その程度の事に思えた。


『そんなに長く生きたい訳じゃ無いのにボケたのかしら?』


『ティア様から見ればその様に見えるのですね』


 愛想笑いをして見せるポリフに対してティアは殺気を放ち、声の音域を下げる。


『何? 裁かれたいの?』


そんなティアの頭をアイラは抑える。


『ティア!』


『だって! アイラ様!?』


 声の音域を最大限に上げて甘えて見せるが、それ以上口を開く事をアイラは許さなかった。


『それで、ポリフ。法でどの様にこの力を縛るというのか? 世界を滅ぼす魔術があるとして、貴様はその魔術を用いた後に法で裁ける自信があるのか?』


『いえ、その様な……』


 アイラが笑みを浮かべて言った事だから、ポリフは微かに声を出す事が出来たが、を現実に持ち合わせているアイラに対して、ポリフは視線を送る事が出来ずに目を伏せる。


『だから、そうさせない為の法なのだろ?』


『すべて人族は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する人族の権利については、魔素の理に反しない限り、魔術行使の上で、最大の尊重を必要とする——ですか』


『流石は法の申し子。魔素の理に反しない様にしっかりと我が国のを管理、監視、監督する必要がある』


フアーーーと、ティアは退屈そうに大きく息を吸い込み瞳に涙を溜める。


『魔術は良くても魔法はダメだ』


『魔術六法——』


 アイラの圧に耐えるのがやっとのポリフは喉を詰まらせる。そんなポリフに代わって、ティアが気怠そうに口を開いた。


『界法、種法、険法、業法、種族訴訟法、冒険家訴訟法——ね』


『ティア』


『はひ!』


『流石だな』


 また余計な事を言って怒られてしまうと身構えるティアの頭をアイラは優しく撫でる。


『あ、ありがとう御座いますです』


『だから、我々は魔術を制限し、魔素に満たされた世界を正しく管理し続けなくてはならない。分かるか? ポリフ?』


『はい! 勿論で御座います!!』


『だったら、我儘を言うな?』


 アイラが困った表情を浮かべると、ティアは全てを悟った様に巨大な書物を軽々と持ち上げて頁をパラパラとめくり始めた。


『魔術委託契約——あ、NDA、守秘義務があるから中身は秘密ね』


『はぁ……』


 長くこの国の為に尽くして来たポリフも、ティアの魔術を実際に見るのは初めてで、何を言っているのか理解できず、何をやろうとしているのかなど、考え至る事など到底出来ずにその様子を眺めるしかなかった。


『我儘……』


 そう言った、アイラの言葉が不意に脳裏に過ぎる。


『そうだ。この国を、この世界を救う冒険が出来るんだ。悪く無いだろ?』


『はぁ……』


『いつまで呆けているのよ』


 そんなポリフの様子に苛立ちを覚えて手を止めるティアに対してアイラは急がせた。


九重奏ノネットを発動中に魔術の手を止めるな!』


『も、申し訳ありません!!』


九重奏ノネット……ですじゃと!?』


 聞いた事はあった。

 国の重責を担う立場として、独奏ソロから始まる魔術が、より複雑な術式を重ねる毎に多量の魔素を消費して強大な力を発する事を。そして、王妃級ティアラの称号を得たティアがこの世界で数人しか居ない、そして最高峰の魔法術式、九重奏ノネットの使い手である事を。


『わしも知っていただけぞ……』


 部屋一面に広がる幾何学模様。万を超える色素、その繊細な彩りと術式に心を奪われる。

 初めは手の平の上に収まる程度の基本的な独奏ソロ魔術。その上に奏でる魔術は、学生が授業で教わる術式の速度の理解を超えていた。


 美しい術式と共に奏でられる音に心を奪われ、気付いたら時には部屋を埋め尽くす膨大な術式に息を忘れ膝を折って涎を垂らして渇いた笑い声を上げることしか出来なかった。


『醜い……』


 そんなポリフに対して唾を吐きかけたい衝動に耐えて、アイラの視線を気にしながらティアは魔術を完成させる。


『良くやった——』


 頭に手を置いてアイラが微笑み掛けると、ティアは自慢げに魔術を行使する。


『——異議申し立ては認められない。乙の魔術はアイラ様の為に』


 途中、数千文字に及ぶを省略し、鍵となる文面だけを読み上げる。


『ポリフ、監視する為にはこれが一番だとは思わないか?』


『はへ?』


『ふっ。良いだろう。目が覚めた時には心地良い気分を味わえる。楽しむが良い二度目の人生を——』


『二度目?』


 五重奏クインテット。その術式が使えるだけで、国を代表する力を示すには十分な魔術だった。


『そうだ二度目だ。有り難く受け取れ——』


 アイラの施す、五重奏クインテットの魔術。身体の正面に描かれた術式は、ティアの術式を吸い寄せ吸収すると、一際明るく輝きを放ち部屋から音を消し去った。


『あ、有り難く……く?』


 どんなに優秀な学生も、卒業する時には四重奏カルテットの術式を身につけて、生涯を掛けて五重奏クインテットの高みを目指す。

 故に九重奏ノネットを奏でるティアがどれだけ規格外なのか、ポリフは理解し過ぎて、考えが追いつかず、されるがままにアイラの行使する、その魔術を全身に受け入れた。


『行くぞティア——』


『はい! アイラ様!』


 収束された魔術はポリフの頭上に輪っかを形成して、術式の束が全身を包み込む。

 眩く光るポリフの身体は何が起きてるのかなど、外から認識する事は出来ずに。

 そんな様子を見て、成功を確信してアイラは踵を返し部屋を後にした。


『あ、そうだ、これ! 起きたら読みなさいよね!』


 そんなアイラを急ぎ追い掛けるティアは、思い出した様子でポリフの足下に手紙を置いて走り去った。


『アイラ様ーーー! 待って下さいーーー!』


 部屋の扉には別の術式が施され、外部から開ける事は出来ず。また、それと同時に王妃級ティアラの命令で護衛を付けた上に、中からポリフが出てくるまでは、何人たりとも立ち入る事を禁じた。


 ——それから、三日三晩。


 ポリフは夢の中を彷徨った。

 最初に見たのは、世界の終わりと始まりの光景だった。様々な物が奪われ、混沌とした世界。その中で立ち上がる人々。


 魔素が満ちた後は、更に混沌を極めていた。


 力を手に入れた個と個の衝突。


『愚かな事を——』


 そうやって歴史の片鱗とも思われる光景を眺めながら、ポリフは目を覚ました。

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