3-2
昼になると約束通り迎えの馬車がやってきた。やってきた馬車は真鍮の豪華なフレームで車輪までもが金色に光り輝き、馬車につながれた四頭の白馬ですら金の装飾でめかし込んでいる。ひときわ目立つこの馬車は港にはまるで不釣り合いで誰もが酒場から顔をだしのぞき込んでいる。
シャルロッテは群衆に見守られ、奇妙な緊張感の中、馬車に乗り込んだ。頭の中では繰り返し「命日」という言葉がよぎる。まさか脅しだとは思ったけれどよく考えてみれば積極的に生かしておく必要もないのだ。もしかしたら今日の呼び出しだってすべて眉唾で扉を閉めた瞬間殺されたっておかしくない。
しかし幸いにも正面に座るいかめしい顔つきの番人は今すぐ事に及ぶつもりはないようだった。むしろその顔立ちや振る舞いからシャルロッテはこの男がかなり任務に忠実な人であるらしいとすぐに気がついた。馬車が動き出しても挨拶以外は一言も言葉を発そうとせず、背筋をぴんと伸ばして、何かあればいつでも腰に差したサーベルで小娘の首をはねられるように右手は常に武器に触れている。
何か気の利いた世間話でもできればよかったけれど、目の前の男に怯えてシャルロッテは何も口にできず、馬車の中には車輪が小石をはねてガタガタという音と重苦しい沈黙が流れるだけだった。ほどなくして馬車が目的地に到着するとシャルロッテはようやく堅く握った両手をほどいて肩を下ろした。少なくともこのまま断頭台に連行されるわけではなかったということだ。
王家御用達の高級ホテルの入り口にはがたいのいい男が二人、自分の背丈よりも高い槍を持って入り口を塞ぐようににして立っていた。二人は馬車から降りたシャルロッテに奇異の目を向けた。
「これが例の女か? とてもじゃねぇが悪党って面には見えないな」
「人は見かけによらないからな。特に女はそうだろう」
「違いないな」
男たちの豪快な笑い声をあとに、シャルロッテは二人の間を通り抜けホテルの中に入った。室内はかなり厳かだった。長い廊下の両側には十フィートごとにマスケット銃を持った近衛兵が並び、彼らは背筋をしゃんとさせて微動だにしない。黒い縦長帽子に飾られた赤い羽根はまるで石でできているみたいにずっと高い天井を向いていた。「こちらです」案内人の指示に従いあとに続くと、いつの間にかシャルロッテの両側には二人の男が立っていた。どちらも無愛想な顔で監視にもってこいだ。
シャルロッテはすっかり宮廷さながらの空気に気圧されてしまって今更ながらに女王の御前にその身をさらすのが恐ろしく思えてきて声も出なかった。歩幅は普段の半分しかなくホテルの奥に進むにつれてさらに小さくなった。右側にひかえた男はまったく進もうとしないシャルロッテに焦れて眉間のあたりがピクピクと動いたが、左側の老練の男はまったくの無反応だった。
シャルロッテは直接女王の宿泊する部屋に案内された。どこからどうみてもこのホテルで一番の上質であることは間違いない。入り口の大きな扉の周りには金の洒落た装飾が施され、弧の一番高いところには黄金色をしたライラックのレリーフがかけられている。扉の前にはホテルの入り口と同じような格好をした男が二人、扉を塞ぐように立っていて、シャルロッテが到着したのを確認すると王室流の妙に手順の多いノックを披露した。
扉の中には思わぬ先客がいた。大きな窓を背後にソファーに腰をかける女王の正面にはエドワーズ・ロウ船長がかしずいていた。貴族が着るような白いシャツにほんのりと赤みがかった粋なベストを身につけている。女王の御前だというのに固い服は着慣れないとばかりに少し着崩してはいるけれど、なぜだかだらしない感じはこれっぽっちもなく、それどころか抜群に
それほどまでにロウ船長の身なりは目をひくものがあって、もしもこれほどの有名人でなければシャルロッテだってどこかの貴族の御曹司だと勘違いして、不覚にもときめいたっておかしくなかった。今だって彼が粉をまぶしたかつらをつけていないのが不思議なくらいだ。ロウ船長は今日もいつものように黒い髪をオールバックにして片側に流していた。
シャルロッテは予期せぬ状況に困惑しながらも五歩ほど前に歩み出て女王に対して深々と挨拶した。
「これは残念だ。あなたとの逢瀬はいつも邪魔されますね。それとも物さえ手中に収めればお払い箱か――」ロウ船長はそう言いながら部屋の隅に控える使用人をちらりとみた。ワインレッドのクッションの上には見たこともないほど大きなルビーで彩られた指輪が置かれている。口ぶりからして献上品だろう。ロウ船長は小さく肩をすくめて続けた。「まぁいい。事務的な関係は互いにお手のものだ。次の予定もあるようですし、わたしはこの辺りで」
「お待ちなさい、ロウ船長。実はおまえの腕を見込んでわたしから頼みがあるのですよ。その前に紹介しましょう。そちらの娘はビリー家の長女、シャルロッテ・ビリーです」
「初めまして、ロウ船長……シャルロッテ・ビリーです。噂はかねがねお聞きしています」シャルロッテは引きつった笑顔でお辞儀した。数日前は遠巻きに見ていただけだから知らなかったが、こうして間近で観察すると自然とかしこまってしまうようなひしひしとした威圧感がある。
ロウ船長は黒々とした眉をあげて怪訝な表情を浮かべた。その顔は一体こんな小娘に何の関係があるのかと言っているようなもので、あと数秒もあれば不躾にも女王を直接問い詰めていたことだろう。
その回答は女王の隣で控えていたえらく格式張った判事が説明した。頭の左右に巨大なカールのついた白いかつらを身につける伝統的なスタイルで、背筋に鉄骨が入っているかのように姿勢をピンと伸ばして、裁判状を懐から取り出すと演劇みたいにわざとらしく咳払いをした。どうやらロウ船長は気が短いようで、もったいぶらずにさっさと話せと男をにらみつけている。
「シャルロッテ・リーズ・ビリー。貴女は父セザール・ビリーの忌むべき犯罪行為を知りながら適切な対処をとらず、悪事に加担した疑いがかけられている。しかし証拠不十分であること、また貴族アデラール・パリアンテの証言から情状酌量の余地があるものとして不起訴とする。ただし、今回の一件は我が国に
「……つ、つまり……つまりですな。以上の経緯よりシャルロッテ・リーズ・ビリーを我が国から永久に追放することに決定した。この決定により、ミス・ビリーは速やかに母国を離れ、アメリカに渡ることを務めとする。さらには同貴族の提言により船長エドワード・ロウには彼女を貴殿の私船に同乗するよう要請をする」
「この人の船に乗るですって!?」シャルロッテは高貴な人が目の前にいるのも忘れて思わず声を荒らげた。それからすぐにハッとして口を押さえて、顔色をうかがったのはロウ船長の方だった。奇妙な上に不遜なことだが、このときは女王よりもよっぽど隣の男の方に気を遣わねばならないような気がしたのだ。
「これは他ならないパリアンテの温情ですのよ」
「だからって……!」冷静になって続きの言葉はどうにか飲み込んだ。「だからって罪もない商船を襲って略奪を――それから、もしかすれば殺人も――繰り返す連中の一味なんて死んでもごめんだわ」きっと父もこういう連中にはめられて今もどこかで苦しんでいるに違いないのだから。彼らに同行するのはそれこそ〝悪事に加担〟するようなものだった。
「しかしミス・ビリー……」女王が何かを言いかけたところで、部屋にはロウ船長の豪快な笑い声が響いた。その声は部屋の者たちを――女王も含めて――黙らせるに十分だった。船長はこれほどおかしなこともないとばかりに大きく肩を揺らした。
「誰も彼も気が違っているとしか思えないな」幸いにも彼のつぶやきは隣にいたシャルロッテしか聞き取れなかったが今度は別の意味で肝が冷えた。船長の態度はまるで自分を皇太子と勘違いしているみたいに横柄だった。「麗しき女王陛下、
「どうか冷たいことをおっしゃらないで。今のフランスであなた以上に信頼の置ける船長はいませんわ。毎回無事に帰港するのはあなたくらいのものですのよ。わたくしはあなたに期待しているのです。それにこれはわたくしの望みでもあります」
「分かりやすい脅しだ。しかし、まぁもっと実際的な話をしましょう。わたしは褒め言葉と餌が欲しくて駆けまわる犬じゃない」
「もちろん報酬もお支払いしますわ。あなたはずいぶんこの国に貢献しているし、爵位を与えてもいいと」
そこまで食い下がるのは意外だったのかロウ船長は顎にゴツゴツした手を当ててしばらく考え込み、それからもう一度シャルロッテにじっと視線を向けた。その目線はこの小娘を使ってどこまで要求できるかと考えているかのようで、シャルロッテは小さく身震いした。
「あいにく称号には興味がない質でしてね。しかし……どうしてもというのなら、わたしに考えがあります。そんなものよりもわたしに船を一隻与えていただけませんか? 面倒な利子や支払いの手続きはこの際なしにして」
「貴様、黙って聞いていれば女王陛下に対してなんとぶしつけな……!」部屋の端で黙って話を聞いていた従者たちはいよいよ耐えきれなくなって非難の声を上げたが、この礼儀を知らない船乗りはそれを左手とにらみ一つで制止した。
「どうです? 水夫でもないような浮浪者上がりに貸し出すよりもよほど利益になるでしょう。もう一隻さえあれば二倍……いや、三倍の品物を持って帰ってくると約束しましょう」
しばらく部屋には気まずい沈黙が流れた。もちろんシャルロッテにこの沈黙を破る勇気はなかった。誰もが女王陛下の次の言葉を伺い、おつきの従者たちは命令さえあればこの男を即刻縛り上げて民衆の前でさらし首にできるようにと気合いを入れている。そんな緊張状態でもロウ船長はまるで余裕を崩さなかった。まるでこの程度の修羅場は日常茶飯事だとでもいわんばかりだ。それにどうやら確実に自分の願いは聞き入れられると確信しているらしくて、女王を見据える瞳にも一寸の迷いもなかった。
やがて女王陛下は厳かに口を開いた。
「いいでしょう。ただし変わらずわたくしに貢献することです」
「どうも」
もし仮に相手がロウ船長だけだったとしても大抵の船乗りが持ち合わせているような荒々しさにおののいて何も口にできなかったが、それに加えてこの場には女王陛下までもが席を共にしている。そうなるとシャルロッテの喉は糸と針で縫われてしまったみたいに声の一つもあげられなかった。もっともこの場の圧倒的な権力者二人が意見を合致させたとあらばもう哀れな小娘一人に口を挟む余地なんてこれっぽっちも残っていない。
「冗談じゃないわ……!」知らず知らずのうちに決定した進路に思わずクラクラしてシャルロッテは無意識にガラス玉に触れた。ひんやりとしたガラスの感覚は少しだけ自らを冷静にして、それから思い出したのは今朝の女主人の言葉だった。「だけど、何も悪いことばかりじゃないわ。わたしは私掠船が大っ嫌いだし、この横柄な船長もその下で働く船乗りも信用していないけど……」シャルロッテはロウ船長を横目でみた。船長はシャルロッテなどには目もくれず口元に満足気な笑みを浮かべていた。「どうやらわたしには本当に興味がないみたいね。それに愛国心も――だけどわたしにとってはありがたい話だわ。変に愛国の船に乗って下宿の女主人が言ったようなことになるより空気のように扱われる方がよっぽどいいもの。それにロウ船長は間違いなく一流の船乗りよ」そもそもシャルロッテには拒否権なんてないのだ。もしかすると、どこかのタイミングでは抵抗もできたのかもしれないけれど、今はこの世の不条理と自身の意見はすべて飲み干す以外に他にない。もっとも誰かに意見するだなんて旧家に住んでいたころ以来一度だって試したことはなかったけれど……思えば随分と性格は矯正されたようだ。幼い頃よりもかなり気弱で意気地なしになったと思う。それはこの土地のあどけない幼なじみのせいだったり母を失ったショックのせいだったりもしたが、他ならぬシャルロッテ自身の望みでもあった。父の望む理想の令嬢は少なくともこういう方向性だったから。
「そうよ、お父さま……とにかく今は生きて……生きて海を渡ることだけを考えるべきだわ。そして必ず生きてお父さまの行方を捜すのよ」シャルロッテは自らに言い聞かせるように心の中でつぶやいた。それからこうも思った。「これは決して敗走じゃないわ。わたしがこの国を静かに出て行くのは逃げるわけじゃない。わたしが戦ったところで、どうなるかはわかりきってる。わたしには力がないの。力がないだけよ。その力さえあれば……きっと戦ってたわ。そうよ。だからこの判断は逃げじゃない。とりあえず海を渡って避難して、そこで真実を突きつける力が持てたのなら……きっと、きっと帰ってくるわ。だからこの選択はお父さまの名誉を守るために……」どれほどキツく自分自身を説得してもあまり心は晴れなかった。わたしは後悔するような選択をしたのだろうか? だけど今更どうしようもない。二人は合意し、わたしは船に乗ることが決定しているのだ。しかしどうしても後ろめたい。
女王との短い面会を終え、高級ホテルの外にでるとロウ船長はシャルロッテのことを引き留めて短く命令した。あの横柄な態度ですら自制が効いていたと思うとこれからが先が思いやられた。
「いいか、船の上ではわたしに従え。一週間後の早朝に出航する」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます