2-5 脱出

「ハフマンよ、進展はあったか?」


 程なくして、カスデイラと呼ばれていた妖精がこちらへと近づいてきた。

 ハフマンさんは、先ほど僕が話した事の顛末を簡潔に伝える。


「おのれ、人間の屑どもめが! それで、いつ救助に向かうのだ!」

「いえ、それが……」


 顔を曇らせるハフマンさん。

 ちょうどその時、タイミングを見計らったかのように、先ほどの老妖精たちが小屋からぞろぞろと出てきた。


「これはこれはカスデイラ様。そんなに慌てていかがなさいましたかな?」

「話はまとまったか? フェルピエラの救助はいつになる?」

「その話なのですが……大変申し上げにくいのですが、フェルピエラ様の救援は難しいかと」

「なに?」

「密猟者に捕まった妖精が無事に里まで帰った例はありません。救援に向かったとしても、おそらく被害が増えるだけでしょう。どうかご理解下さいますよう」

「ならぬ! フェルピエラは我が婚約者であるぞ! 全力を尽くして助けに向かうのが道理であろうが!」

「カスデイラ様、お気持ちは分かります。しかし、これは妖老会での決定事項ですので」

「ぐ……だ、だめだ! いくら妖老会の決定とは言え納得ができぬ!」


 なんとなくこのカスデイラさんが一番偉い立場の妖精だと思っていたのだが、どうやらこの妖老会という組織もかなりの権力があるようだ。


 それにしても、カスデイラさんはフェルピーにかなりの好意を寄せているらしい。

 老妖精を相手に食い下がる彼に、僕は少しの期待を抱く。

 もしかしたら、妖精族みんなでフェルピーたちを助けに行けるかもしれない。

 しかし、


「ご安心ください。既に別の婚約者候補を何名か用意しております」

「……」

「必ずやカスデイラ様に相応しい花嫁を見繕って差し上げましょう」

「し、しかしだな……我はフェルピエラが……」

「ですが、フェルピエラ殿とはあまり上手く行ってなかったようで? 夜伽どころか、指一本触れさせてもらえなかったとか?」

「く……なぜそれを……」

「フェルピエラ様は次期王妃としての自覚が足りなかったようですな。ですので、次のお相手はもう少し積極的で大胆なお相手をと思っております」

「積極……大胆……」


 カスデイラさんの咽喉を鳴らす音がここまで聞こえてきた。


「ご理解いただけましたかな?」

「そ、そう言うことなら仕方があるまい……」


 どこか不服そうなカスデイラさんだったが、しぶしぶと言った形で頷いた。


「ちっ、クソ王子が……」


 そんなカスデイラさんを見て、カリムさんが小さな声で毒を吐く。

 殺気の籠った声音に驚き、僕は傍らにいたカリムさんを見上げてしまった。


「こっちのことはいい。さっさと済ませろ」

「あ、はい」

「……お前、まさかそれ……」

「嘘でしょ……」


 カリムさんとフラムさんは途中まで描いた僕の絵に目を向け、表情を強張らせた。


「言っておくが、他の妖精族に危害を加えるような真似をしたら容赦はしない」

「分かってます。これはあくまでここから脱出するための手段です」

「それで、あとどれくらいかかるわけ?」

「えっと、あと十分……いや、十五分くらい欲しいんですが……」

「いや、無理でしょ」

「あと五分で完成させろ」


 時間が無いのは分かっている。

 次第に周りの妖精たちも、黙々と作業をしている僕に怪訝そうな目を向けていた。

 だけど、これ以上焦って描いてしまえば、また失敗に終わってしまう。


「おい、さっきから何をやっているんだその人間は?」


 そして、とうとうカスデイラさんが僕に注意を向けてきた。

 まずい……完成まではまだ時間がかかる。

 しかし、そこでハフマンさんがカスデイラさんと僕の間に割って入ってくれる。


「この者は今、遺書を書いているようです」

「遺書だと? 誰がそんなことを許した? 今すぐ処刑しろ! こいつのせいで、フェルピエラは……」

「心中お察しします。ですが、処刑をするにしても、準備が必要でございましょう。それまでの僅かな時間を死の恐怖で震えさせながら待たせるのも一つの罰になりましょう」

「ふん、ものは言い様だな。だが、その人間それほど怯えているようには見えんが」


 僕に訝し気な目を向けるカスデイラさん。

 僕は慌てて震えるふりをすることに。


「し、死にたくない……なぁ……」


 ぎこちない僕の演技に、顔を引きつらせるカリムさんとフラムさん。


「ど、どうやら恐怖で狂っているようですな」

「……まぁよい。さっさと準備を済ませろ。我が直々に手を下してやるわ」


 卒なくカスデイラさんの相手をしていたハフマンさんも、僕の演技を前にして冷や汗をかいていた。

 すみません……ハフマンさん。


 そして、ハフマンさんの機転のおかげで何とか時間を稼げた僕は、目的の絵を描き上げる。

 いよいよだ。

 僕は傍らに控えていたカリムさんとフラムさんに目配せをする。

 僕の意図を汲み取った二人は軽く頷いた。


「分かっているな? 少し脅かして逃げるだけだ」

「はい」

「今更だけど、失敗とかしないわよね? それが今からこの場に現れるんでしょ? 全くその光景が想像できないんだけど……」

「大丈夫……だと思います」


 そんなことを言われると僕まで不安になってくる。

 大丈夫なはずだ。絵は上手く描けた。


「ハフマン卿、遺書が書き終わったようです」

「……そうか」


 カリムさんの報告に、ハフマンさんだけではなく周囲の妖精たちも反応を示す。

 そして口々に発せられる罵声。


「人間風情が———」「人間ごときが———」「人間の分際で———」


 ———人間はあらゆる生物にとって天敵……忌むべき存在。


 フェルピーの言った言葉を思い出した。

 どうしてこうも人は嫌われているのだろうか?

 いや、今はいい。そんなことは後回しだ。

 明後日に行きかけた思考を無理やり停止させて、目の前のことに集中する。


「準備はよいな?」

「はい」


 ハフマンさんは小声で僕に確認をとると、「こっちへ来い」と促してくる。

 僕は言われた通りハフマンさんに付いていく。僕の後ろにはカリムさんとフラムさんが。

 連行される形で、小屋の片隅に設けられた簡素な処刑台へと導かれた。

 僕は今更ながら湧き出てきた恐怖を紛らわせるように、両手に持ったスケッチブックとペンを力強く握りしめる。


「リオ……とか言ったな。今からわしが言うことはただの独り言だと思って聞いてくれ。返事や相槌は不要じゃ」


 道すがらハフマンさんが口を開く。


「フェルピエラ様は昔はよく笑う子じゃった。

 だが、先代の女王陛下……フェルピエラ様の母君にあたる方が亡くなってからは心を閉ざしてしまってな。

 毎日つまらなさそうに過ごしておったわ。

 じゃが最近は、前より少し楽しそうでの。

 他のものが見ても気づかんだろうが、長年フェルピエラ様の世話係を務めてきたわしになら一目瞭然じゃった。


 たぶん、リオよ……お前さんが原因だろうな」


 その言葉に、僕は嬉しさと申し訳なさが入り交じったような複雑な思いを抱く。

 しかし淡々と語るハフマンさんからは、僕を責めるような空気は感じられなかった。


「だから頼む。何としてでもフェルピエラ様を連れ戻してくれ」


 ハフマンさんは最後に、何かを堪えるようにかすれた声でそう言った。


「あの、ハフマン卿……」

「なんじゃ?」


 僕の代わりに口を開いたのはカリムさんだ。


「ハフマン卿も、ご一緒に……」

「無理じゃ、お前たちの足を引っ張るだけに決まっておろう」

「そんなことは……それにここに残られてはハフマン卿が……」

「わしのことは気にするでない。フェルピエラ様のことだけを考えておればよい」


 いったい何のことかと、そわそわしだした僕にフラムさんが答えてくれる。


「もし、あんたがその変な力を使って、逃げ切ったらここに残るハフ爺が責任を問われるってわけよ」

「安心せい。別にすぐに殺されるわけではないわ。精々あのバカ王子の機嫌をとって生きながらえて見せるわい」


 余計なことに気を取られるなと、ハフマンさんはカリムさんたちに念を押す。

 それに、もうハフマンさんを心配する時間的猶予は残されてはいなかった。


「ようやく来たか、ゴミめ」


 処刑台———僕が具現化したただの丸椅子———の上で待ち構えていたのは言うまでもなくカスデイラさんだ。


「ふん、いい顔になったな」


 僕の強張った顔を、恐怖の色と受け取ったらしい。

 ただ僕にもそれが緊張によるものなのか、恐怖によるものなのか、もう分からない。ただ、心臓の音だけがうるさいのは確かだ。


「よし、さっさとここに座らせろ」


 僕は地面に正座の形で座らされる。


「聞け、皆の者! ここにいる人間は、我が愛しきフェルピエラを密猟者に明け渡した外道だ! ゆえに死刑に処す!」


 すごいざっくりとした言われようだ。

 カスデイラさんの言葉に、僕への罵声で応える妖精たち。


「最期の慈悲だ。何か言い残すことはあるか? フェルピエラ、ひいては妖精族への謝罪の言葉なら聞こう」


 僕は深呼吸をする。

 そしてスケッチブックを開き、ページを捲った。

 そこに描かれた一枚の絵。

 お願い、僕を助けて。

 僕はペンを握り、最後の三文字を書き加えた。



———RIO



 次の瞬間、手元のスケッチブックから光の粒子がふわりと舞い上がる。

 よし、成功だ!

 そして、それはあっという間に形となり、僕の背後に現れた。


「な、なんだ!」


 頭上を覆うほどの巨大な影に、僕の隣でカスデイラさんが慌てふためく。

 僕はそれを横目に後ろを振り返った。

 確かにそれは僕が思い描いた通りの姿形だった。


 シルバ、君の姿を借りたよ。


 頭上を見上げる妖精たち。

 ようやくその正体に気づいた彼らは、一様に驚愕の表情を浮かべていた。


「……なぜ、竜がここにいるんだ⁉」

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