2-2 最初の友

 それから間もなくして、本格的に雨が降り出してきた。

 雨に打たれ、ただ途方に暮れていると、向こうの方からゆっくりと近づいてくる小さな影があった。


「ココ!」


 僕はすぐに気づき、全身の痛みを庇いながら駆け寄っていく。

 よかった、無事だったんだ!

 安堵に顔をほころばせたのも束の間、ココは僕が近くに来たことに満足したのか、その場で倒れ込んでしまった。

 僕は急いで抱き抱える。


「あ……そんな…………」


 とめどなく流れ出る血。

 僕の手はあっという間に真っ赤に染まっていく。

 もはや息をするのがやっとなくらいの重症だった。

 あんなに綺麗だった黒と白の毛並みは、今はもう見る影もなくボロボロで、体の半分近くが焼けただれている。


「……くぅん」


 弱々しく鳴きながら、まるで慰めるかのように僕の手を舐めてくるココ。

 虚ろな目は今にも閉じてしまいそうで、微かな呼吸も次第に弱まっていく。


「だめ! だめだよ、ココ! 死んじゃだめだ! 待ってて、今僕が!」


 僕は急いでスケッチブックとペンを取りに戻った。

 大丈夫、大丈夫だ!

 きっとこの力で治すことができる!

 急いでココの元へと戻った僕は、すぐさまスケッチブックにペンを走らせる。


「くそ! こんな時に!」


 雨がスケッチブックを濡らし、上手く描くことが出来ない。

 僕は自分の体を屋根代わりにして、何とか描く。


「もう少しだから!まってて!」


 急げ!急げ!

 血と汗でペンが滑る。その度に服で拭っては持ち直した。


「あとちょっとだから!」


 僕はしきりに声をかけ続けた。ココは今もまだ必死に生きようとしている。

 ココが力一杯走っている姿を思い出し、その姿を描いていく。


「よし!」


 僕はものの数分で絵を完成させた。

 よかった、ココはまだ息をしている。

 僕は素早くサインを書き入れた。


「よし、これでココはもう…………」


 しかし、何かが変わった様子はない。

 ココは弱ったままだ。


「どうして⁉ これで完成なのに!」


 僕はそのページを破り捨て、新しいページにもう一度描く。

 今度は先程よりも素早く。


 だけど、ココに変化はない。


「くっ……」


 どうしてこんな時にまで!

 僕は地面に拳を叩きつけて叫んだ。


「これで完成なんだ! 上手く描けたじゃないか!」


 上手く描けた! 上手く描けた!

 僕はそうやって何度も自分に言い聞かせるが、その絵は効果をもたらしてはくれない。

 こんな時にまで絵の良し悪しなんてどうだっていいだろ!

 僕は再度ページを破り捨て、もう一度描き直すことに。


 そして、先程よりも少し時間をかけて、三度目の絵が完成した頃、


「ココ?」


 嫌な予感を覚えた僕は視線を上げ、恐る恐るココの様子を伺った。


「ココ? ねぇ、ココ?」


 ぐったりと横たわるココ。

 先程まで呼吸に合わせてにわかに上下していたはずの身体も、今はもう少しも動いてはいない。


「ココ! ねぇ、ココってば! 返事をしてよ!」


 名前を呼べば、いつも嬉しそうに返事をくれたココ。


「お願いだよ……」


 僕を置いていかないでよ……。

 雨と涙で濡れたスケッチブック。

 きっと大丈夫だ。この力さえあれば……。

 僕は完成した絵にサインを書き足した。

 しかし、何も起こらない。


「う……ぐす……はは、大丈夫、大丈夫……きっと僕の絵が下手くそだっただけだから……もう一度描き直すね」


 丁寧に慎重に、時間をかけて再び描いた。

 しかし、何も起こらない。


「……あれ、おかしいな……」


 もう一度描いた。

 何も起こらない。

 もう一度……。

 もう一度……。

 もう一度……。


「……嘘だ……嘘だ嘘だ! 何なんだよこの力は! 一番必要なときになんの役にも立たないじゃないか!」


 僕はペンとスケッチブックを叩きつける。

 でも本当は分かっていた。

 なんの役にも立たないのは力の方ではなく、僕の方なんだと。

 その後も、何かの間違いだと思い、何度も絵を描いた。

 スケッチブックのページが無くなるまで何度も何度も。

 しかし、結果は同じ。

 これだけ時間をかけてようやく気づく。


 ———死んだものは生き返らない。


 自分の死にすら無頓着だった僕は、そんな当たり前のことすら忘れていたみたいだ。

 そして今日、初めてそれを理解する。

 激しくなる雨の中、僕はココの傍らでしきりに泣き叫んでいた。



 やがて雨が止む。

 僕は無気力に立ち上がり、ココやモモたちみんなの亡骸を集め、湖の畔に埋めた。

 そして、その場所にお墓を創った。


「ごめんね、みんな……」


 そこで僕は死んだように眠りについた。

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