第二話 人間 と 妖精

2-1 訪れた邪悪

 今日は曇りだった。


「雨が降るかもしれないな」


 僕は窓からどんよりとした空を見上げる。

 基本的にこの場所は快晴の日が多いが、たまにあるこんな日には小屋の中でのんびりと過ごすことになる。


「次、リオの番」


 僕とフェルピーは、神経衰弱をしていた。

 フェルピーが暇だから何か出してと言うので、トランプを具現化。

 それからというもの、彼女はトランプにはまっているというわけだ。


「それ……」

「どうかした?」

「わたしが捲ろうと思ってた」

「ご、ごめん……」


 そして彼女はかなりの負けず嫌いだった。

 そんなこんなで彼女が満足するまでゲームをすること数時間。


「そろそろ帰る」

「あ、もうそんな時間か。雨が降らないうちに帰った方がいいね」


 その時だった———。


 外から聞こえてくるけたたましい鳴き声。


「これって……」


 おそらくシルバの鳴き声だ。

 でも、シルバのこんな大きな鳴き声、今まで聞いたことがない。

 それにココやモモも同じようにしきりに吠えている。

 それはまるで、僕たちに危険を知らせているかのようだった。

 妙な胸騒ぎに僕たちは急いで、外へと飛び出していく。

 そして、すぐにその原因が分かった。


「ねぇ、あれ……」

「……人間」


 深刻な声音で呟くフェルピー。

 向こうの方から数十人にも及ぶ人間の集団が、こちらに向かって接近していたのだ。他にも何頭もの馬と、鉄格子の付いた巨大な荷台が。

 ど、どうしよう……。

 横目でフェルピーを見れば、彼女はにわかに震えている。

 こんなフェルピー初めてだ。

 そ、そうだ、何が目的かは分からないけど僕が一度行って話をすれば……。

 そう思い、強ばる足を無理やり動かし、僕は一団に向かっていく。


「リオ、行っちゃだめ」

「え?でも……」


 次の瞬間、その集団から無数の眩い光が放たれる。


 そして、その光は全てシルバに向かって容赦なく襲いかかった。

 悲鳴を上げるシルバ。


「そんな! 待って! なんで!!」


 僕はいても立ってもいられず、シルバのもとに駆け寄ろうとする。


「リオ、だめ!」


 追ってくるフェルピー。


「呪滅の使徒、へクタよ。その理をもって、かの者に不条理を———麻痺の刻呪パラリーシス

「呪滅の使徒、へクタよ。その理をもって、かの者に不条理を———蝕みの刻呪ディリティリオ

「太陽の使徒、アルマよ。その灼熱の翼を広げ、我が身に理の一端をお貸しください———火の球イグニ・スフィエラ

「太陽の使徒、アルマよ。その灼熱の翼を広げ、我が身に理の一端をお貸しください———火の蛇イグニ・アングイス


 わけの分からない呪文のような言葉とともに、次に次に繰り出される残虐な攻撃。

 なにあれ……魔法!?

 でも、今はそんなことに気を取られている場合ではない。

 シルバはそれらを一身に受け、逃げることもできずただされるがままだ。

 どうして、こんなことを!


「お願い! やめて! その子は僕の友達なんだ!」


 しかし、そんな僕の必死の叫びも、攻撃による轟音に飲まれてしまう。


「やめて! やめろってば!」


 その間も、シルバは必死に翼を広げ、何とか飛び立とうともがいていたが、連続的に続く猛攻がそれを許さなかった。

 砂埃で視界が遮られ、とうとうシルバの鳴く声すら聞こえなくなった頃、ようやく攻撃が鳴り止んでいく。


「おい、いったんやめだ。これ以上やると死んじまう」


 舞い上がった砂埃が落ち着き、次第に開けてくる視界。

 シルバは最初に出会ったときと同じ姿で項垂れていた。

 そしてその向こうには、冷酷な笑みを張り付けた集団が。


「おい、待て! あれ、人間か?」


 その中の一人が僕に気づき口を開く。


「あー、やっぱり人がいやがったか。しかもガキじゃねえか」

「隊長どうします?」

「どうするつってもな……あん?おい待て、あれ……」


 隊長と呼ばれた右目から頬にかけて傷のある男。

 彼は僕……ではなく、その後方へと視線を向ける。


「おいおい嘘だろ……ありゃ妖精か?」


 その言葉を皮切りに集団がざわつき始める。


「リオ、これ以上はだめ。早く逃げて。私ももう帰る」

「で、でもシルバが……」

「助けられない。あいつらは密猟者。欲の為なら何だってする」


 フェルピーは真剣な眼差しで僕を見据えて続ける。


「リオ、あなたは人間だからあいつらにとって価値はない。今引けば無事でいられる」

「でも、見捨てるなんて……そんなこと……」


 僕を思っての言葉だったが、僕は簡単には受け入れることが出来なかった。

 話せば何とかなる。僕は悠長にもそんなことを考えていた。

 僕が躊躇っていると、集団の奥から、別の男が姿を表す。

 先程から魔法のような攻撃をしていた人たちとは格好の違う男で、高級そうな服装に身を包んだ恰幅のいい男だった。


「おい、何をしておるんだ! なぜ攻撃をやめる! また竜が逃げてしまうではないか!」

「安心してくだせぇ、旦那。呪滅の魔法でもう身動きできませんから。そんなことより、見てくださいよ」


 傷の男は顎で、僕たちの方へと視線を誘導する。


「おぉー、おぉぉぉー! あれは妖精か!! 捕まえてくれ! 捕まえてくれ!」

「しかし、我々の依頼は銀竜一頭の捕獲ですからねぇ。どうしたもんか……」

「上乗せする! 上乗せするに決まっておるだろ! 銀竜の二倍! いや、三倍じゃ! 依頼内容は妖精一匹の生きたままの捕獲! 以上!」


 目の色を変えた男はそう言い放った。


「聞いたか野郎ども! さっさと取り掛かれ!」


 そんな……。

 これまで以上の勢いで、こちらへと向かってくる集団。


「逃げて!フェルピー!」


 僕はただそう叫ぶことしか出来なかった。


◆◆◆


 集団が僕とフェルピーに向かってくる最中、先程まで苦しそうにもがいていたシルバが再び暴れ出した。


「おいおい、まじかよ。何てタフな野郎だ……」

「お、おい! 次も逃したら承知せんぞ!」

「分かってますよ、旦那。おい、てめぇら、殺さねぇ程度に徹底的に痛めつけろ」


 鳴り止んでいた魔法が再び発動される。


「お願いだから、もう……」


 僕はふらふらとシルバに駆け寄ろうとする。


「リオ、行ってはだめ!」


 僕の後ろ髪を引っ張り、止めに入るフェルピー。


「フェルピーは逃げて! ここは僕が何とかするから!」


 僕はそんな宛のない言葉を吐いて、フェルピーの制止を振り払った。

 さすがに人間の僕相手には攻撃を躊躇ってくれるはずだ。

 そんな懇願にも似た予測でシルバの前へと出ようとした。

 しかし、当然のようにその考えは裏切られる。


「はっ! あいつ馬鹿か! 自分から飛び込んできやがった!」

「リオ!」


 赤い閃光が僕めがけて飛んでくる。

 だけど……。

 けたたましい咆哮とともに、一瞬にして視界が遮られる。

 シルバが僕を庇うように翼を覆いかぶせてくれたのだ。


「シルバ!」


 その間も止まることない容赦のない魔法。


「シルバ! もういい! もういいから、早くどいて!」


 生きてさえいてくれれば、また僕が傷を治してあげられる。

 だからお願いだ! どうにかして逃げて!

 シルバに守られた暗い視界の中で、轟音だけが鳴り響く。

 そしてそんな中に、微かに聞こえてくる動物たちの鳴き声があった。

 ココたちだ。


「なんだ、この犬は!」

「いてぇ! 何かに噛まれた! あん? リスかこれ?」


 ココたちまで……なんで……どうして逃げないんだ……!

 その時、痛みに耐えかねたのかシルバが体制を崩した。

 とうとう僕の身体が露わになる。


「……!」


 僕に吸い寄せられるように飛んでくる無数の魔法。

 被弾する直前、僕の目の前に飛び込んできたのはモモだった。

 その小さな身体で数多の魔法を受け止め……


 そして彼女は僕の目の前で……弾けた。


 血しぶきが僕の身体中に降りかかる。


「あ、あぁ……嫌だ……嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ! モモ!!」

「避けて!リオ!」

「……!」


 視界が眩い光に覆われたかと思った瞬間、肩から首にかけて焼けるような痛みが広がっていく。


「がぁぁぁあぁぁぁあああぁぁぁぁ!!」

「リオ!」

「ぐ……!」


 味わったことのない痛みで、僕は声にならない絶叫を漏らす。


「豊穣の女神ユフよ。その大いなる懐で、かの者の傷を癒したまえ———部位回復クラーティオ


すぐ近くで聞こえるフェルピーの声。

それと同時に少しずつ痛みが引いていく。

フェルピーが治してくれた?


「分かったでしょ、リオ。彼らは———!」

「捕まえたぞーーー!」

「っしゃあ! よくやった!」

「いや、放して!」

「フェルピー!」


 僕はフェルピーを鷲掴みにしている男の足元にしがみつく。


「ちっ! なんだこのクソガキ!」

「フェルピーを放せ!」


 何度も顔や頭を蹴られ、痛みに耐えながらも僕は必死に食らいついた。

 無駄だと分かってはいたけど、だけど僕にはこれくらいのことしか出来なかった。


「しつけぇぞ!」

「ぐッ!」


 しかし、後方から来た別の男に腹部を蹴られ僕は堪らず手を放してしまう。


「殺しますか?」

「あー、いいよ、ほっとけ。そんなことよりその妖精をしっかり閉じ込めておけ。確か鳥籠があっただろ? そこにぶち込んでおけばいい。いいか? 絶対に逃がすんじゃねぇぞ!」

「いたたたた! くそ、この妖精噛みつきやがった!」

「羽を持て、羽を」

「痛い! 放して!」

「フェルピー……」


 僕は這いつくばるようにしてフェルピーを掴んだ男に手を伸ばすが、しかしその手は空しく宙を切っただけだった。


「ふん、諦らめろ、ガキ。そんなことよりお前、ここに住んでるのか? 珍しい顔つきをしてるようだが?」


 僕を見下ろすように中腰の姿勢をとった男は、そのまま僕の髪を掴み無理やり視線を上げさせる。

 隊長と呼ばれていた傷のある男だった。


「お前、やけにあの竜や妖精と仲がいいように見えたが、テイマーかなんかなのか? 竜を手なずけるなんて中々やるじゃねぇか?」

「……くッ」

「それにこの場所……どうやってあの小屋を建てた?どうやってあれだけのものを運んだ?」

「……」

「聞いてんのかぁ、おい?」


 そう言って男は僕の頬を叩いてくる。

 くそ、どうすればいい……。

 このままではシルバとフェルピーが連れて行かれてしまう。


「隊長、特に何もないですわ。椅子やら皿やらばっかで、金目のものは何も」

「ちッ、ちょっとは期待したが、まぁいいか」


 小屋の中を物色していた男の言葉に、傷の男は興味がそがれたとばかりにようやく僕を解放する。


「あ、ただこいつ、どうやら絵描きみたいですわ。ほらこれ」


 男が手に持っていたのは、僕のスケッチブックだった。


「あん? そんなもんいらねぇよ、捨てておけ」

「へーい」


 目の前に投げ捨てられるスケッチブック。

 そうだ、これで武器を描けば……例えばナイフとか、包丁とか……。

 いや、でもそんなものではあの魔法に太刀打ちできるはずがない。

 じゃあ、銃とかなら?

 無理だ……そんな複雑なもの具現化できない。

 それになにより、描くのに時間がかかってしまう。


「お、降ってきやがったか……おら、ずぶ濡れになる前にずらかるぞ」

「う……待て……」


 しかし、僕の声が届くことはなく、彼らはシルバとフェルピーを連れ去っていく。


「くっ」


 鈍い痛みを堪え何とか立ち上がり、僕は彼らの後を追う。

 だけど距離は開くばかりだった。

 無意味なのは分かっていた。

 追いついたところで、いったい僕に何が出来るというのか。

 とうとう僕は足を止め膝をつく。


「く…………う……っ…………」


 僕はただ涙と嗚咽を堪え、大切なものが連れて行かれるのを黙って見ていることしか出来なかった。

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