1-3 初めての会話

 それから数時間が経った。

 とっくに焚火の炎は消え、空も明るんできている。

 いつの間にか夜が明けていたみたいだ。

 絵を描き終えた僕は、大きな欠伸と背伸びをする。

 うん、これで完成かな。

 だけど、この竜の絵が具現化することはない。

 あくまで僕が描いたのは目の前の竜であって、別の個体ではないからだ。

 具現化するには、色々とルールのようなものがあるようで、「既に目の前に存在するものの模写」は具現化の対象にはならない。

 これもここ何日かで分かったルールの一つだった。

 描いたもの全部が全部具現化してしまったら、それはそれで扱いに困りそうなので正直良かったと思う。

 そもそも僕はただ純粋に絵を描きたいだけであって、何かを生み出したいという訳ではないのだ。

 とは言っても、この力にはかなり助けられているわけだが。


 僕は、目の前に横たわる竜にもう一度目を向ける。

 あれ……?

 その竜の姿に僕は目を疑った。

 先ほどまで瀕死の状態だったはずの竜。

 しかし、どういうわけか竜はまるで何事もなかったかのように平然としていたのだ。

 その身体にはもう傷一つ残ってはいない。

 僕の視線に気づいたのか、竜は首を持ちあげこちらをじっと見つめてくる。

 一晩で回復したの?

 いや、でもそんなはずはない。

 だって数分前に確認したときには虫の息だったはずだ。

 それに周りには乾ききっていない流血の跡だって残っている。

 僕が絵を完成させた途端に……。

 そして、僕は思い出す。

 最初の大樹の絵。

 そこに葉や動物を描き足した時、確かにそれらは反映され現実として現れた。

つまり、僕がこの竜の正常な状態を描き上げたことで、傷を消し去ったということになる。


「こんなことも出来るなんて……」


 でも、少しまずいかもしれない。

 竜は立ち上がると、その鋭い瞳で僕を見下ろした。

 竜の主食なんて聞きたこともないけど、明らかに肉食なようだし、もしかしたら今の僕はこれ以上ないご馳走にでも見えているんじゃないだろうか。

 異変を察したココ達が僕の隣に並ぶが、この竜がその気ならひとたまりもないだろう。

 僕は、冷や汗を流しながらそこから動けずにいた。

 しかし、竜はそんな僕の様子を見て、一歩下がり頭を低くする。

 その行動に少し安堵するが、一体どんな意図があってのものなのか全くわからなかった。


 そして、さらに思いがけないことが。


「竜は賢い生き物だから」


 突如、背後からかけられた声に、僕は慌てて振り返った。

 しかし、そこには誰もいない。


「ここ」


「えっと……」


 きょろきょろと辺りを見回すが、人らしき影は見当たらない。


「ここよ」


 そして、ようやくその声の主を見つける。

 それは、僕の頭上、左斜上で浮いていた。


「え……小さい……」


 僕はその姿を捉え、開口一番そんなことを口にしてしまう。


「人間の分際で失礼」

「あ、ごめん……つい……」


 人の形をしたそれは、僕の手のひらくらいのサイズしかなく、背中にある羽でひらひらと飛んでいた。

 女の子をそのまま小さくしたような姿形で、とても綺麗な容姿をしている。

 どこか無表情な顔つきも、その美しさをいっそう際立たせていた。

 その姿はまさに……


「妖精?」

「そう。だけど正確には冠妖精」


 冠?

 確かにその漆黒の髪の上には、冠のような髪飾りが乗っているけど。


「普通の妖精より、ずっと格上の存在。当然人間なんかよりも」


 僕の疑問を察したのか、心なしかさらに浮かび上がり、より見下す姿勢をとる妖精。


「そんなことよりも、あなたこそ何者?形は人間だけど、少しだけ違う感じがする」

「僕は……ってちょっと待って。もしかしてここには他にも人がいたりするの?」

「何を言っているの? あなたも人間」

「まぁ、それはそうなんだけど……」


 僕の曖昧な受け答えに妖精は首を傾げる。

 だけど僕の素性にはさほど興味はないようだった。

 ようやく僕の視線まで降りてきた妖精は、僕の手にあるスケッチブックに視線を向ける。


「ずっとあなたを見ていて、あなたが少し変……面白そうだったから顔を出してあげた」

「あ、ありがとう……?」


 そして、スケッチブックを指して言う。


「欲しい物があるの。出して」

◆◆◆


 一体何を出してほしいのかと思っていたら、


「赤くて甘いこれくらいの大きさの果実。あなたが前に食べていた」


 とのこと。

 僕はすぐにそれに思い当たり、それを三個ほど描いて具現化して見せる。


「これで合ってる?」

「そう、これ」


 この妖精が欲しがっていたものは、どうやらイチゴだったようだ。 

 数日前にイチゴを描いて食べたことがあるが、いつの間にか数が減っていたことがあった。

 ココ達が勝手に食べたと思っていたが、どうやらこの妖精の仕業だったらしい。

 満足そうにイチゴを両手で抱えて食べ始める妖精。

 竜と言い、妖精と言い、僕の頭の中に異世界や異次元といった言葉が思い浮かんでくる。

 本当にこんな生き物がいるなんて……。


「なに?」

「あ、ごめん」


 無遠慮に見ていたせいか、妖精から上目遣いで睨まれてしまった。

 僕は誤魔化すように慌てて話を振る。


「そう言えばさっき、竜は賢い生き物って言ってたけど」

「そのままの意味。あなたに助けられたことを理解している」

「そうだったんだ……」


 その竜は今も遠巻きにこちらを見ていた。

 僕と目が合うと、尻尾をペシペシと地面に叩きつけ、どこか嬉しそうだ。

 そう思うのは少し自惚れすぎだろうか。

 でも、何にせよ元気になって良かった。

 あとで触らせてもらえたりしないかな。


「おかわり」

「え?」

「おかわり」

「あ、うん。少し待ってて」


 有無を言わさない迫力でおかわりを要求する小さな妖精。

 僕はすぐにスケッチブックを開き、再びイチゴを描き始める。

 ちなみに一度具現化してしまったその絵の再利用はできない。

 つまりイチゴが五つ欲しいのであれば、必ず五回イチゴの絵を描かなければならないということだ。

 これは少し不便だった。

 妖精は僕が絵を描く手元を隣でじっと見つめてくる。

 少し照れくさかったので、何か話をとも思ったがなぜか上手く言葉が出てこなかった。


「……」

「どうしたの? 手が止まってる」

「ううん、なんでもない」


 そう言えば、こうして誰かと会話をするなんて、いつぶりだろう。

 元居た世界でも誰かと言葉を交わす機会なんて殆どなかった。

 母親が亡くなってからは特にそうだ。

 最後に話をしたのは、いつ誰とだったか……。

 あまりに久しぶりのせいで、会話の仕方を忘れてしまったのだろうか。

 

 真剣な眼差しで僕の手元を見つめる妖精。

 僕と同い年くらいかな。

 少し大人びて見えるけど、どこかあどけなさも残っている。

 そしてふと、その横顔を見て重大なことを思い出した。


 そう言えば、僕……女の子と話したこと一度もない……。


 いや、それ以前に自分と同世代の人との交友すら無かったような……。

 そのことに思い至ると、段々と不安が募ってくる。

 つまらない奴だと思われたくないな……。

 せっかく話しかけてくれたんだ。できれば仲良くなりたかった。


「そうだ。君の名前は何て言うの?」


 何かきっかけを作ろうと思い、まずは無難なことを聞いてみる。

 僕の問いかけに無言で振り向く妖精。

 だけど一瞬の沈黙の後、彼女は再び絵の方へと向き直ってしまう。


「そんなことを聞いてどうするの?」

「あ、いや、言いたくないならいいんだ……」


 予想外の拒絶に少しへこんだ。

 警戒でもされてるのだろうか。

 それからしばらく無言の時間が続き、僕はようやく絵を完成させる。


「できたよ、どうぞ」

「……」

「どうかした?」

「これは何て言う果実?」

「えっと、イチゴだけど。もしかして初めてなの?」

「悪い?」

「いや、そういうわけじゃないけど。また欲しくなったらいつでも言ってね」


 妖精は黙って頷く。

 そして小さな口でもぐもぐと頬張り始めた。

 中々会話が弾まない……。

 気まずい沈黙というわけではないけれど、出来ればもっと話してみたい。

 久しぶりの誰かとの会話に僕は少し舞い上がっていた。

 でも今話しかけたら怒るかな。

 絵を描くふりをしながら僕は話しかけるタイミングを見計らうが、妖精は今もなお夢中になってイチゴを食べている。


「なに?気が散る」


 ちらちらと見ていることがばれた。


「あ、ごめん。何でもない」

「はい」

「え?」

「一つあげる」

「……ありがとう」


 僕がイチゴを狙っていると思ったらしい。


「違うの?」

「えっと……」

「返して」

「はい……」


 難しい……。

 これまで殆ど人と関わってこなかった僕にとっては、彼女とのやり取りは非常に難しいものがあった。

 人付き合いの豊富な人なら、こういう時上手くやれるのだろうか。

 でもこの妖精は少し変わっているような気がしなくもないけど……妖精はみんなこんな感じとか?

 だけど僕は、こんな間抜けなやり取りもなぜか不思議と楽しいと感じていた。


「なにを笑っているの?」

「あ、ごめん。ただなんというか……」


 僕は緩んだ顔を隠すように慌てて口元に手を持っていく。


「なに?」

「えっと、なんというか……久しぶりに誰かと話が出来たのが嬉しくて」

「あなたやっぱり変」

「変……かな……」

「イチゴ」

「イチゴ?」

「また出してくれる?」

「もちろん、いつでも食べに来て!」

「フェルピエラ・ティタリー・シフォンロード」

「え、なに? 呪文?」

「違う。名前。もう二度と言わない」

「あ、ごめん! えっと……ふぇる?」

「フェルピエラ。フェルピーでいい」

「フェルピー! よろしくね! えっと僕は泉梨央いずみ りお

「イズミリオン? 名前も変」

「ちょっと違うかな……リオって呼んで」

「リオ」


 こんな感覚本当にいつ以来だろう……。

 ううん、違うな。 

 ようやく僕は気づく。

 久しぶりだなんて思っていたけど、きっとこの感覚は初めてなんだ。

 人との関りを純粋に楽しむなんてこと、これまで一度もなかった。一度も出来なかった。

 いつだって僕の脳裏には「どうせ僕はすぐに死んでしまうんだから」と、そんな言葉がちらついていたから。

 嫌われたくないとか、相手のことをもっと知りたいとか、そんな風に思うのも全部初めてのことだった。

 道理で上手く会話ができなかったわけだ。

 だって僕は今日、生まれて初めて本当の意味で人と関わろうとしたんだから。

 まぁ、人ではないんだけど……。


「君はこの辺に住んでるの?よかったらまた遊びに来てよ」

「そうする」


 もしかしたら僕は寂しかったのかもしれない。

 この世界に来てからの話ではなく、もっとずっと前から。

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