1-2 初めての訪問者
あれから数日が経った。
時間が経てば、自ずとこの夢から覚めてしまい、気づけばまた病院のベッドの上だった……。
なんてことにはならなかった。
どうやら僕は本当にこの場所で生きているようだ。
もしかしたら、僕はもう元の居場所には戻れないのかもしれない。
だけどそうだとしたら、それは僕にとって好都合なことだ。
天涯孤独だった僕にとって、あの場所にやり残したことや置き忘れたものは何もない。
ただ息を吸って吐き、他人の時間を奪うだけの存在だったから。
でも、ここにいればそんな罪悪感も抱かなくて済む。
だからもう、狭くて窮屈なあの場所には戻りたくはなかった。
朝、目を覚ました僕はベッドの上で上体を起こし思いっきり背伸びをする。
最初は何もなかったこの小屋の中も、ここ数日で少しずつ物が増えてきた。
いつものように僕は小屋の外へと繰り出し朝日を浴びると、湖のそばに用意した丸椅子に腰かける。
「今日は何の絵を描こうか」
あれから僕は自分の絵について色々と試してみた。
最初は半信半疑だったが、でも思った通りだった。
スケッチブックに絵を描けば、それが形(現実)となって現れる。
理屈や仕組みなんて知ったことではない。
僕は手当たり次第に色んなものを形にしていった。
椅子や三脚、筆や鉛筆削り、それから予備のペンや画用紙と、まずは絵を描くために必要な道具を。
そして思い出したかのように、ベッドや衣服といった生活に必要なものも描いていった。
お腹が空けば、野菜や果物なんかも描いてみた。
その甲斐あってか、僕の周りは次第に住みやすくなっていく。
「そうだ、次は畑や田んぼを描いてみようかな」
そうすれば、いちいち食べ物を描かなくて済むかもしれない。
でも上手く描けるだろうか。
参考になる景色や写真が無い以上、自分の記憶と想像力に頼るしかない。
ここまで絵を描いてきて一つ分かったことは、絵の具現化には自分の感情が大きく関わっているということだ。
自分で描いた絵に対して「上手く描けた」という満足感があって、初めてその絵が形となって現れる。
ようは、それなりのクオリティが必要だった。
試しに適当に絵を描いてみたり、無理やり上手く描けたと思い込んでみても、その絵が具現化することは無かった。
「……やっぱり、あんまり自信ないな」
絵を描くのにはそれなりの時間がかかる。
描き上げたとき、あまりいい出来でなかったら、きっと僕はその絵に納得できないだろう。
これまでにもそれで何枚かの絵が具現化できなかったわけだし。
そんな風に描き出すのを躊躇っていると、何かが僕の服の裾を引っ張ってきた。
「ココ、そんなところにいたんだ、おはよう」
「わんッ!」
ココとは、初日に僕が「大樹の絵」に描き加えた犬のことだ。
白と黒の毛並みを持った中型犬。
ありきたりかもしれないけど、ココと名付けた。
ココは嬉しそうに尻尾を振りながら、どこからかフリスビーを加えて持ってくるそれも昨日僕が描き出したもの。
「また遊んで欲しいの?昨日散々遊んだでしょ?」
フリスビーの投げ過ぎで、少し筋肉痛になっているくらいだ。
「わんわんッ」
そうだと言わんばかりに元気よく吠えるココ。
「あ、そうだ。君も一人じゃ寂しいだろ?少し待ってて。友達をつくってあげる」
「バウ!」
僕がそう言うと、ココは僕の傍らで伏せの姿勢をとる。
まるで僕の言葉を理解しているかのようだ。
でも、それは犬のココだけではない。
他にもウサギやリスが何匹かいて、一切喧嘩することもなく、いつも僕の近くでじゃれ合っている。
僕が「おいで」と言えば寄ってくるし、「肩に乗ってごらん」と言えば本当に乗ってくる。
何というか少し怖いくらいだった。
形になったその瞬間から、人懐っこくて従順な彼ら。
僕が描いて形になった生き物は、どこか普通の動物とは違うのかもしれない。
だからこそ僕は、まだ「人物画」を描くことができなかった。
◆◆◆
それは一週間が過ぎたくらいの頃だった。
外はとうに暗くなり、星の光だけで大樹の形が分かる綺麗な夜。
小屋の中でランプを灯し、相も変わらず絵を描いている時だ。
何か大きな物体が湖に飛び込んだのか、外から爆音が鳴り響いた。
犬たちがしきりに吠え始め、他の小動物たちも急いで僕の周りに集まってくる。
「一体何が……」
こんなこと初めてだ。
ランプを片手に恐る恐る外へと出る。
暗くて見えづらくはあったが、確かに湖の水面には大きな波紋が広がっていた。
その大きさからするに、相当な質量の何かだ。
隕石だろうか……。
よく見れば、ぶくぶくと水面から気泡が湧き出ている。
しばらくココたちと並んで様子を見ていると、とうとうそれは姿を現し始めた。
まず見えたのは銀色の二本の角。
次いで、深紅の瞳と無数の牙を持った巨大な頭。
そして、それを支える長くて太い首がむくむくと水面から上がってくる。
その高さからあっという間に見上げる形となった僕は、ついには腰を抜かして尻もちをついてしまった。
「これって、まさか……」
全身を覆う白銀の鱗と、その巨体に見合うだけの爪や翼、そして長くしなやかな尾。
のしのしと鈍い動きで湖から這い出てくるその巨大生物の正体は、「竜」だった。
その圧倒的な存在感と迫力に、僕はただ息を呑む。
恐怖と、そして好奇心で、僕はその存在から目を逸らせずにいた。
「すごい……初めて見た」
思わずそんな当たり前の感想が口をついて出しまう。
逃げた方がいいのだろうか。
いや、そんなの無意味だ。
こんなに開けた場所では、逃げも隠れも出来やしない。
あっちがその気なら、僕たちなんてきっとひとたまりもないはずだ。
だから、ただ息を殺してそれが通り過ぎるのを待つしかなかった。
それなのに……ココたちが思いっきり吠え始める。
「ココ、モモ!ちょっとまずいってば!」
慌てて僕は二匹の犬を抱えて後ずさる。
しかし、もう遅い。
僕たちの存在に気づいた白銀の竜は、こちらを一瞥。
終わった……。
そう思った。
だけど……。
「え?」
僕はその竜の予想外の動きに目を疑った。
その大きな影はこちらに近づいてくるどころか、むしろ急いで距離を取ろうとしていたのだ。
どう見ても怯えているようにしか見えない。
あれだけの図体を持った生き物だ。勝手に獰猛や狂暴なんて印象を持っていたが、実際はけっこう臆病だったりするのだろうか。
しかし、それにしても様子がおかしいような……。
僕はランプをかざし、もう一度目を凝らす。
明かり越しに見たその姿は見るからに弱々しく、まるで覇気を感じられなかった。
「もしかして君、どこか怪我をしているの?」
立ち上がり少し距離を詰めようとするが、竜はこちらに背を向け慌てて逃げようとする。
やはりココたちのように僕の言葉は通じないようだ。
「あ、待って」
もはや飛ぶ力もないのか、地面を這うようにして移動する竜。
よく見れば翼は力なく垂れ下がり、歩き方もぎこちない。
微かに聞こえてくる呼吸音もどこか不自然だった。相当弱っているようだ。
そして数歩進んだ先で、とうとう限界が来たのか倒れこんでしまう。
どうしようか……。
一瞬の躊躇の後、やはり放っておくことも出来ず、僕は側まで駆け寄った。
そして、気づく。
「……ひどい、どうしてこんな……」
その竜の全身はボロボロだった。
至る所から出血し、切り傷や刺し傷、それにこれは火傷だろうか、溶け落ちたような箇所まである。
その姿は目を背けたくなるほど痛ましく、生きているのが不思議なくらいだ。
弱っているどころか、もはや瀕死の状態だった。
それでもまだ懸命に生きようとしている。
だけど、もう……。
不意に目の前の竜が、病室で横たわる自分と重なって見えた。
「……君もきっと心細いよね」
何かしてあげたいけど、僕に出来ることは何もない。
だからせめて、そばで看取ろうと思った。
虚ろな瞳でこちらを見ている竜。
寒いのか、あるいは恐いのか、俄かに体が震えている。
僕はスケッチブックに焚火の炎を描き、それを具現化する。
そして、そのすぐそばで竜の絵を描くことにした。
傷だらけの竜ではなく、凛々しく堂々たる姿の竜を。
きっと君が元気だったら、こんな風に飛ぶんだろうね……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます