異世界スケッチ ~具現化スキルで、スローライフは送れない! 仕方がないので、異世界ごと描き換えることにした~
シグオ
第一話 異世界 と 絵
1-1 描きかけの絵
———もう絵を描けなくなるのか。
余命宣告を受けたとき、僕が最初に思ったのはそれだった。
僕の世界は普通の人に比べてずっとずっと狭い。
この真っ白な病室の中と、その窓から見える変わることのない景色だけ。
たったそれだけで僕の世界は完結してしまう。
だけどそんな世界でもたった一つだけ、僕が夢中になれるものがあった。
それは絵を描くこと。
きっかけは、なんてことはない。亡くなった母が六歳の誕生日にくれたクレヨンと一冊のスケッチブックだった。
それから僕は絵を描き続けた。
だってそこには何だってあったから。
行きたい場所に、見たい景色、欲しいものや食べたいもの、さらには存在しない空想上のものまで。
たった数本の筆と一枚の紙で僕の世界は無限に広がっていった。
でも、それももう終わりのようだ。
もはや鉛筆を握ることも許されず、ただベッドに横たわるだけ。
とうとう僕の見える世界は、真っ白な天井だけとなった。
あぁ、もっと絵を描いていたかったな。
たったそれだけなのに。
多くは望まなかった。それなのにどうしてこの世界はこんなにも残酷なんだろう。
もしも僕が神様だったら、世界をこんな風には描かなかったのに。
どうか次の世界では、思う存分絵を描いていたい。
どうか次の世界があるのなら……。
◆◆◆
ここは一体……。
暖かい風に顔を撫でられ目を覚ますと、そこには広大な大地が広がっていた。
視界いっぱいに広がる草原と、鏡のように澄んだ湖。
なんて綺麗な景色なんだ。
そんな絶景の中心で僕は一人、いつの間にか腰を下ろしていた。
夢でも見ているのだろうか。
さっきまで病院の一室にいたはずなのに。
いや、でも確か急に胸が痛くなって……それで集中治療室に運ばれたんだっけ……それから……。
そこまで、思い出して何となく悟った。
そっか……僕はもう……。
道理で心地がいいわけだ。
体も軽くて、もうどこも痛いところはない。
今なら歩くどころか、走ることだってできそうだ。
そう思い、早速腰を上げようとしたところで、自分の傍らに何かが置かれていることに気づく。
鉛筆とスケッチブックだ。
どれも結構な年季が入っていると思ったら、どうやら僕が生前使っていたもののようだった。スケッチブックも途中のページまで僕の絵で埋まっている。
とりあえず僕はそれらを抱えて歩いてみることにした。
そうだな、まずはあそこに見える湖まで行ってみることにしよう。
自分の足で歩くのなんて何年振りだろうか。
そのせいか僕の足取りはひどくぎこちなかったが、それでも、一歩、また一歩と歩みを進めるうちに、少しずつ歩き方を思い出してきた。
「よし、次は……」
調子に乗った僕はそのまま歩みを早めていき、そして走り出す。
きっと僕の足の速さなんて大したことはないけれど、でも確かにこの時の僕は、風を切り、髪をなびかせ、全力で走っていた。
「はは、すごい!」
生まれて初めての感覚に自然と笑みがこぼれてくる。
でもさっき死んだばかりなんだっけ。まぁそんなことどうだっていいや。
今はただ、この自由に動かせる身体と、この雄大な自然を感じていたかった。
「わッ!」
夢中になって走っていたが、とうとう転んでしまう。
そのまま大空を見上げ仰向けに寝そべった。
「はぁはぁ……さいこう……」
少し走っただけで、すぐに息切れを起こし、鼓動が速くなる。
だけど、それだけだ。
呼吸が出来なくなることも、胸が苦しくなることもない。
本当にここはどこなんだろう。
自分の身体といい、景色といい、現実味が湧かないことばかりだ。
やっぱり、夢か、あるいは天国なのだろうか。
しかし、素足にあたる草の感触や吹き抜ける風の匂いが、ここがまぎれもない現実だと訴えてくる。
それから息を整えた僕は、少し歩いてようやく湖畔までたどり着いた。
雲一つない空を映し、きらきらと輝く湖が僕を出迎えてくれる。
そしてその中心には、
そんな神秘的な光景に、だけど、僕は少しの違和感を覚える。
どうしてこの木、半分枯れているんだろう……。
それも、ちょうど右半分だけ。
いや、枯れているというより、最初から葉がついていないような……。
そして次に覚えたのは既視感だった。
あれ……この木どこかで……。
連鎖するように、自分の記憶と目の前の光景が一致していく。
木だけじゃない。
湖やその周りの景色も全部……これって……。
僕は急いで抱えていたスケッチブックを開いた。
その最後のページを。
そこには描きかけの絵があった。
一つの大樹を中心に、湖や草原が広がる情景を描いた絵だ。
そして最後まで描き切ることのできなかった絵だ。
僕がただ想像で描いただけの景色が、どうしてか今、目の前に広がっていたのだ。
◆◆◆
たぶんこの辺かな。
湖と大樹、その両方を見渡せる位置まで距離をとり、描かれた絵と
「大樹があって、枝がこう伸びているから……」
絵と景色を何度も見比べ、後ろ歩きや横歩きで微調整を繰り返す。
うん、ここからの景色で間違いなさそうだ。
やはりどこからどう見てもこの光景は僕の絵そのものだった。
湖の形も、大樹の大きさも、遠くに見える山脈の位置まで全部。
「一体何がどうなってるんだか……」
思わず空笑いがこぼれてしまう。
あり得ないことの連続で、最早自分がどこにいるのかなんて、もうどうでもよくなっていた。
ずっと死と隣り合わせで生きてきた僕にとっては、そんなことは大した問題では無かったのかもしれない。
そんなことよりも……。
「この樹、やっぱり何だか不格好だな」
僕は自分の置かれた状況も忘れ、描きかけの絵を見ながらそんなことを思ってしまう。実際にその景色が目の前にあるのだから猶更だ。
写真で見たどんな景色よりも美しく、幻とすら疑ってしまいそうなほどに神秘的な光景。
空想上の情景だからこそ成り立つ美しさとでも言うのだろうか。
だからこそ、中途半端に出来上がってしまったあの大樹が際立って見えてしまっていた。
せめて絵の中だけはと思い、僕はその場に腰を下ろして膝の上にスケッチブックを置く。
まさか続きが描けるなんて思ってもいなかった。
鉛筆を持って、もともと描く予定だった残りの葉を付け足していった。
いつものように僕は時間も忘れてのめり込んでいく。
既に葉を描き終えても、僕の手は止まらなかった。
「何か物足りないと思っていたんだよね」
そんな独り言を呟きながら、さらに僕は絵に手を加えていく。
大樹を彩る花やつぼみ。
湖から湧き出たかのような華麗な蝶。
湖畔に遊びに来た小動物。
そしてそんな自然の片隅にひっそりとたたずむ小さな小屋。
僕は思うがまま、思いつくがままに描き上げていく。
たった一本の鉛筆とスケッチブック、その黒と白だけでそれらを表現していった。
一時間か、それとも二時間か、あるいはもっとかもしれない。
そして最後に、僕はいつものように絵の右下に『RIO』と筆記体でサインを書き足す。
よし、完成!
本当は色も加えたかったけど、それはまた今度にしよう。
「あ!」
その時、ずっと絵に集中していた僕の目の前を一匹の蝶が横切った。
見たことのない綺麗な蝶だ。
それに釣られて僕は顔を上げる。
そして飛び込んできた光景に僕は息を呑んだ。
「これって……」
わざわざ自分の絵を見返すまでもない。
そこにあったのはたった今自分が描き足して完成させた絵そのもの。
大樹は余すところなく緑に覆われ、所々花やつぼみで着飾っている。
大小様々な蝶や、犬やウサギ、リスといった小動物も、見た目や数に至るまで何もかもが絵の通りだった。
鉛筆を持った右手が震えている。
でも恐怖からではない。
空はとっくに夕焼けで、そこには先ほどまでとはまた違った美しさと、そして哀愁があった。
夕日の眩しさに目を細め、自分の描き出した景色を見つめる。
次は何を描こうか。
僕は既にそんなことを考えていた。
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