貴方と迎えるハッピー・エンディング!

 私はつるの間に見え隠れする、まだ小さな緑の実を見て、思わず声を上げた。


「シグルド! トマトは林檎のように木になると思っていたけれど、違ったのね!」

「新しい発見があって良かったですね。林檎が木になることを知っていただけでもお嬢様はすごいです」


 隣で同じようにトマトの生育状況を見ていたシグルドに頭を撫でられた。

 どうして!?


「し、シグルド? どうして頭を撫でるの?」

「いえ。とうとうお嬢様も平和ボケしてきたのかと思うと、感慨深くなりまして」

「平和ボケしてないわよ!」


 失礼ね!

 私はシグルドに言い返すけれど、でも、シグルドの言いたいことは分かるわ。


「ようやく念願のマイホーム、マイ畑だもの! シグルドこそ、これから平和ボケしていくんじゃなくて?」

「そうかもしれません。トマトごときできゃあきゃあ言うお嬢様といると、毒気が抜かれますから」

「トマトは偉大よ! 種をくれたおばさまが言うにはたくさん栄養があるそうよ! ごときっていったら失礼よ!」

「そういうところですよ、お嬢様」


 シグルドにそう指摘されるけれど、どういうところなのか分からなかったので、私はまた緑色の実に目を向ける。


「も、もう少しだけ魔法使ってもいいかしら」

「やめておいたほうがいいですよ。ここまで育てば季節的にも自然と熟れますし、畑仕事を覚えたいって言って畑を作った意味がなくなるじゃないですか」

「そ、そうね!」


 確かにシグルドの言う通りだわ!

 私は立ち上がる。

 私の目の前に広がるのは、広くて緑が茂った畑。

 朝、種を蒔いたばかりの畑。

 ……茶色の畑が寂しくて、ついつい魔法で成長させてしまった畑だ。


「初心者が種から育てるには難しいですからと、止めなかった俺も悪いですが。下手に成長させても、食べきれませんよ?」

「……気をつけるわ」


 そうね、楽しくなっちゃって、魔法を使い過ぎたわ。

 しょんぼりと肩を落とせば、シグルドが私の頬にちゅ、とキスをしてくる。

 ……なんで?


「シグルド、なんで今、キスしたの?」

「可愛い奥さんがしょんぼりしてたので」

「!! お、おくっ、おくさっ」

「まだ慣れないんですか? そろそろ俺としては次の夫婦の段階に行きたいんですけど」

「は、ははは破廉恥だわ!」


 私はせっかく立ち上がったのに、またしゃがみ込む。

 ポッ、ポッ、と頬が熱を持って熱いわ!

 そう、そうなのよ!

 私と、シグルド、とうとう結婚しちゃったのよ!

 私が崖から飛び下りてから、約二年。

 ようやく一つところに落ち着いた私とシグルドは、とうとう先日、結婚いたしました。






 話せば長くなるのでかなり割愛するけれど、つまり私とシグルドは、二年かけて壊れかけていた国中の結界を修復した。

 それも、ただの修復ではなくて、構築自体を少しずついじりながら、結界を新しく作り直したくらいの大仕事をこなしたのよ。

 今まで皇城で一括管理していた結界の要を、要所要所で分散して設置するような構成に変えた。こうすることで、大本が壊れたとしても、地方の要が生きていれば簡単に崩れない。それにメンテナンスや魔力の維持もしやすいように、一つ一つの要を平均魔術師の魔力レベルにまで落としたわ。そのせいで複数の魔術師が必要になるけれど、これまで皇族にだけかかっていた負担が分散できるなら良いことでしょう?


 その結果。

 まず私がこそこそ結界をいじってるのは城にバレたわ。

 これはまぁ、予想の範囲内。

 そこから騎士団がやってきて、ひと悶着があったわ。

 指名手配が解除されていたとはいえ、何をされるか分かったものじゃない。私とシグルドはしばらく逃げ続けていたけれど、最後の街で待ち構えていた騎士団長にはめられた。

 いよいよ捕まる、と思ったとき、騎士団長を筆頭に、騎士全員に土下座された。


「事実確認を怠り、貴女を犯人と決めつけ、害そうとしたこと、深くお詫び申し上げる!」


 街の人の目のある中での、騎士全員の土下座は壮観だった。これは完全に予想外。さすがのシグルドもドン引きだったわ。

 そんなこんなで一悶着あったものの、騎士団長の話をよくよく聞いてみれば、皇帝が今後のことで話し合いをしたいといっているということで、会って欲しいと言われた。断ったら、私が最後の街で結界を張り直している間に、皇帝が行幸されてしまった。

 人を大量に動かしてまで来てしまったものを追い返せるわけもなく。

 仕方なく、私は皇帝陛下に謁見した。

 要は第一皇子は廃嫡し、第二皇子を皇太子にするから、再び皇太子妃になってほしい、というお願いだったのだけれど。

 私は笑顔でお断りした。

 だって結界を作り直した今、私みたいな魔力が取り柄の女を皇太子妃にする理由がなくなったもの。

 勝手に結界を作り直したことをお詫びしつつ、このままでは結界が保たずに甚大な被害が各地に出ていたことも説明しつつ、私が皇太子妃になるメリットもないことを主張して断った。

 皇帝陛下は私が国にいることで他国への牽制がとか、民からの支持がとか、どうのこうの言っていたけれど。


「俺の嫁(予定)を寝取るつもりなら、嫁連れて亡命します」


 婚姻はしてないものの、シグルドが皇帝陛下に向かってそんな宣言をし、私がそうしましょうかと肯定しちゃったものだから、皇帝陛下も亡命だけはやめてくれ! とお願いされて、結局皇太子妃の話はなくなった。

 そうして私とシグルドは、これまでの慰謝料兼褒賞として、皇帝から旧ミュレーズ伯爵領の一部をもらい受け、屋敷をかまえることになった。

 ちなみに剥奪されていた伯爵位を改めて叙爵されてしまったわ。私はいらなかったのだけれど、結界修復の第一人者の私を平民にするわけにはいかないからって、ミュレーズ伯爵を私が継ぐ形になった。

 我が国初の女伯爵ですって。

 領地経営なんてしたくない! ってごねたら、国から優秀な官吏を何人か派遣してもらえた。領地は基本国営で、私の伯爵としての主なお仕事は結界のメンテナンス。これもはや国営組織にしたら? 私は働きたくないわ! ってさらにごねたら、数年のうちには国営組織にできるように人材確保をしてくれることになった。


 そんなふうに皇帝と話をつけ、晴れて女伯爵となった私は。

 悪趣味な感じにやたらと豪奢だったミュレーズ伯爵邸を建て直し。

 シグルドが持ってくる書類に署名し。

 庭に畑を作り。

 シグルドに教会へと連れて行かれ。

 気がついたらシグルドと結婚していた。


 ……完全に忙しい合間の不意打ちだったわ!!

 貴族が婚姻するための書類は既に国に提出されていたし、神父による婚姻の祝福も終わっていたわ!! なんてこと!!

 べ、別に結婚式を盛大にしたかったとかじゃないのよ! 覚えていないわけじゃないのよ! もっと落ち着いて、こう、この二年慌ただしかったし、もうちょっとくらい、恋人生活をね、ねぇ!?


「お嬢様、そろそろ屋敷に戻りましょう。暑さで倒れますよ」

「わ、分かってるわ!」


 誰のせいで体温が上がっていると思っているのかしら!!

 熱くなる頬をぱたぱた手で仰ぎながら立ち上がる。

 歩き出した私の足元を三毛猫ちゃんがにゃーんと通る。


「あっ、畑は駄目よ! 足が汚れちゃう!!」

「お嬢様二号、さすがですね。お嬢様に似てマイペース」

「のほほんとしてないで、捕まえて!」


 二年前に私と入れ替わった三毛猫ちゃんは、この二年の間、驚くことに自分の足で私達の後をついてきた。

 ふらっといなくなっても、また気がついたらふらっとやってくるのを繰り返して、結局ミュレーズ伯爵邸に居着いちゃったのよね。

 猫ちゃんを捕まえたシグルドが戻ってくる。

 猫ちゃんは相変わらずシグルドのことが苦手みたいで、ぐるるると喉を鳴らしてた。

 その猫ちゃんを受け取って、改めてお屋敷の中へ。

 屋内に入れば、この屋敷の維持のために雇ったメイドが私に声をかけてきた。


「奥様、お手紙です」


 メイドと、猫ちゃんと手紙を交換するようにして受け取り合う。

 手紙の差出人を見れば、義弟のカルロスからだった。

 封を切って、読んでみる。


「……カルロス、今は隣国の学院に編入して、一から色々と学んでいるらしいわ。妹のこととか、親のこととか含めて、皇帝陛下のご配慮ですって」

「良かったですね。ある意味、ミュレーズ伯爵家の一番の被害者でしたから」

「そうね」


 カルロスはあの親のもとで育てられさえしなかったら、真っ当な道を歩めたはずの子だもの。妹のスキルのせいでさらに人生を狂わせられて、本当だったら私が救ってあげなくちゃいけなかった子。

 その彼も、隣国にいた遠い親戚の元に預けられ、今は学生として勉強しているらしい。彼は努力ができる子だから、きっと大丈夫。導いてくれる大人が正しければ、ちゃんと正しい方向へ進めるはずだわ。


「お嬢様、嬉しそうですね」

「そう見える?」

「そう見えます。俺、嫉妬深いので、他の男からの手紙をいつまでも読んでると、襲ってしまいますよ」

「それはご遠慮したいわ!」


 まだ昼間よ! 何言ってるの!

 手紙の返事はまた後で書くとして、手紙をメイドに返す。

 すねてしまったシグルドの方を向けば、彼はいつもの従者としての定位置で後ろに控えていて。

 なんて言えば伝わるのかしら。

 夫婦と言うには微妙に遠い、この物理的な距離感。


「……ねぇ、シグルド」

「なんですか?」

「私、ふと思ったのだけれど」

「はい」

「この距離って、夫婦の距離なのかしら」


 私はシグルドとの間に出来てる空間を指差す。

 口ではいろいろ言う割に、シグルドこそ、私の夫の自覚はあるのかしら?


「この距離じゃ、従者のときのままじゃない。ほら、こちらへ」


 おいでおいでと手招きをする。

 シグルドは一歩だけ、距離を詰めた。

 私は無言になる。


「……シグルド」

「はい」

「もっと近づきなさい」


 シグルドはまた一歩だけ近づいた。

 まだ微妙に距離があるわ。


「隣に来なさいって言ってるの! 貴方は私の旦那様なんだから!」


 もう! と、声を上げれば、途端にシグルドが顔を背けた。

 え、何その反応は。


「シグルド? どうして顔を背けるの? 私何かおかしなこと言ったかしら?」

「…………………………………さい」

「え?」

「……もう一回言ってください」


 何を??

 私はシグルドの差す言葉がどれか分からなくて、首をひねる。

 直前の言葉を思い返して……あ。

 せっかく冷めていたのに、また私の頬が熱くなる。


「ば、馬鹿なこと言ってないで、私の隣を歩きなさいっ」

「……お嬢様」

「な、なにかしら!」

「お嬢様の隣は夫である、俺の権利でいいんですよね」


 さっきまで動かなかったのが嘘みたいに、シグルドが一歩を詰めてくる。

 逆に私は恥ずかしくなって、その一歩から離れようと、後ろに下がって。

 一歩一歩、シグルドが近づくたびに後ろに後退すれば、やがて私は壁際に追い詰められてしまう。

 シグルドが壁に手をつき、私を囲ってしまう。

 逃げ場が、ないわ……!


「お嬢様、なんで逃げるんですか」

「し、シグルドこそ、近づき過ぎではないかしら!?」

「隣に呼んだのはお嬢様ですよ」

「隣に来なさいとは言ったけれど、密着しろとは言ってないわ!」


 シグルドの呼吸が分かる距離。私は顔を背けてシグルドに言い返すけれど、シグルドは私の顔を覗き込もうとする。


「お嬢様こっち向いて」

「い、嫌よ。絶対向かないわ」

「こっち向いてくれないと、俺の理性が崩壊しますよ」

「どうしてそうなるの!?」


 貴方の理性の耐久値が知りたいわ!

 思わずシグルドの方を見たら。


「可愛い奥さんが俺を旦那様と呼んでくれたんです。理性なんて簡単に崩壊しますよ。ね、アニエス」

「ぴゃっ」


 み、耳元でささやくのはずるいわ! それにそれに、今このタイミングで名前を呼ぶなんて……!


「好きです、アニエス。愛しています。もう、いいでしょう? 俺にもっといっぱいご褒美くださいよ。貴女が欲しくてたまらないんです」

「し、シグルドっ」


 そう囁くシグルドの手が、不埒な動きを仕出して―――


「にゃーお」

「……………………」

「……………………」

「夫婦仲がよろしいのは分かりましたので、そういうのは寝室かつ夜にお願いいたします」


 メイドに抱っこされた三毛猫ちゃんによって、シグルドのスイッチがオフになった。

 シグルドは忌々しそうに三毛猫ちゃんを見る。


「……お嬢様を攻略しても、二号が邪魔するんですね」


 私としては天の救いよ! 後で三毛猫ちゃんにおやつをあげましょう!

 残念そうにシグルドが身体を離す。

 私はほっとして肩の力を抜いたら。


「続きは夜に、アニエス」

「……!!?」


 耳元で、そんなっ、そんな色気のある声で囁かないで!!

 思わず耳を押さえてシグルドを見れば、彼は少しだけ楽しそうに目を細めている。

 無表情の中に隠れた、ほんの少しの感情。

 たまにこぼれ出るそれに、私はひどく弱くて。


「……優しくして頂戴ね、旦那様」


 私としては精一杯の譲歩のつもりで言った台詞だったのだけれど。

 ……まさか、これが逆効果になるなんて、夜になるまで私は気がつかなかった。


 とりあえず、もしまた人生をやり直せるとしたら。

 シグルドがこんなにねちっこい男になる前に、もっとちゃんとした躾をするようにするわ!

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