我慢できずにポッピング・アウト!(下)

 皇太子の部屋の窓を覗く。

 皇太子妃教育のときに何度もお邪魔していた皇城の見取り図の把握は完璧よ。猫の姿のまま、さてどうやって部屋の中に入ってやろうかと画策していれば、あれ? と気がつく。


「この部屋、誰もいにゃいわ」


 皇太子、まだ部屋に戻っていないの?

 もうとっくに日付も変わっているような時間よ? それなのに部屋に戻っていないとか、どうして?

 そう思って、窓に映った満月を見て、納得した。


「石盤の儀式の周期ね……石盤が修復したのかしら?」


 石盤が修復されたことはまだ伏せられているのかしら。なんにせよ、儀式をしているのなら、まだ儀式の間にいることでしょう。

 それなら出直そうかしら。

 でもねぇ……。


「儀式の様子、少し覗いちゃいましょう」


 石盤の修復がされているのかも、気になるしね。

 よし、そうしよう、そうしましょう、と思って、とりあえず私は通気口を見つけて皇城へと侵入してみた。ちょっとドキドキだったけれど、適当に通気口を進んでいけば、見知った廊下に出られたので万事問題なしだわ!

 そこからは暗闇に紛れて儀式の部屋へ。

 途中見回りの衛兵を見かけたけれど、皇城のあちこちに飾られている花瓶の後ろに隠れてやり過ごす。

 ふ、ふふ。

 なんだかドキドキするわ。

 いけないことをしているみたいだわ。

 真実、不法侵入といういけないことをしているのだけれどね!

 ドキドキしながら廊下を進み、儀式の間へと続く、地下への階段がある場所にまでやってくる。

 当然、見張りが立っていて。

 さぁてこの見張り、どうしてやろうかしら。

 物音を立てて持ち場から離すのが定石かしら。二人いるから、二人同時に持ち場を離させないといけないわよね。

 それなら魔法で、と思っていると。


 コツ、コツ、コツ


 夜の廊下に響く靴の音。

 見回りの衛兵かしら?

 そう思っていたら。


「セレーナ様? こんな夜分遅くにどうされましたか」

「殿下のお帰りが遅くて、心配で。聞けばこちらと伺ったものですから」

「申し訳ありません。殿下は今、大事な御役目の最中でございますので、今しばらくお待ち下さい」

「待てないわ。私ね、殿下が儀式でお疲れなら、癒やして差し上げたいの。通ってもいいでしょう? ね」

「……どうぞ」


 あらあらあらぁ?

 すごい現場を見てしまったわ?

 廊下の奥からやってきたのは、セクシーなネグリジェに上着を羽織っただけのセレーナ。彼女が何をしに来たのか動向を見守っていれば、頑なに通すのを拒んでいた見張りたちが、急に彼女へと道を空けた。

 ……間違いなく、スキルね?

 魔法と違って、魔力残滓が残らないから、本当に厄介だわ。

 私は背中の解除薬を見る。

 あの衛兵に使ってもいいけれど……。


「……ごめんにゃさいね」


 ぼんやりとセレーナを見つめる衛兵たち。

 儀式の間へと続く地下階段を隠す扉を開けて、セレーナを通してしまう。

 私は静かに物陰から飛び出すと、扉が閉められる前に滑り込む。

 さて、私の妹は一体、何をしに儀式の間へと行くのかしら?

 私はセレーナを追いかけるように、地下へ続く道を進んだ。






 儀式の間はとても広い。

 壁のように大きな石盤が復数置かれているので、それなりの広さが必要だった。

 儀式そのものは単純で、儀式の間に安置された石盤の一つへと魔力を注ぐだけ。

 全ての石盤は魔力で繋がっていて、一つの石盤の魔力が弱まれば、その石盤が担う結界での機能が弱まる仕組みだ。

 それは魔力の配分であったり、結界範囲を決めるものであったり、結界が弾くものの制約であったり。

 その中で、私が壊したと決めつけられた石盤は、魔力を増幅させる機能を担う石盤だった。

 国一つを覆う結界に注ぐために必要な魔力は多い。

 だけどこの機能は一人分の魔力の波長を分析して増幅するような構築の魔法だったから、歴代の皇族は代々、魔力量が豊富な妃を娶って、皇族自身の魔力保有量を増やしつつ、石盤に魔力を注がせてきた。

 だから私は伯爵家でありながら、皇太子妃に選ばれた。

 本当に、この結界に必要な魔力のためだけに。


「キース! 大丈夫?」

「っ、なぜ、セレーナ、ここに?」

「貴方が心配で……大丈夫よ、衛兵さんにちゃんと許可をもらったわ」

「……そうか」


 こっそりと石盤の影から、皇太子とセレーナの様子を覗き見る。

 皇太子は額に汗を浮かべながら、苦しそうな表情で石盤の元に膝をついていた。結界に魔力を注ぎすぎて、魔力不足でも起こしたのかしら?


「キース、辛そうだわ。儀式を一旦、中止したら」

「……駄目だ、セレーナ。これは皇族の義務だからな。休むわけにはいかん」

「でも、キース。このままじゃ、貴方が倒れちゃうわ」

「そうだな……だが、まだ結界を張るには魔力が足りていないんだ」


 これはなかなかいい現場ね。

 私はこっそりと魔法を使う。もちろん、魔力は偽装した上に隠蔽もしてね。

 そうしている間も、セレーナが皇太子に寄り添って悲しそうな顔を作り、何かを言い募っている。


「そんな……それは、お姉様が石盤を壊したから?」

「そうだ。まったく、忌々しい……」

「ひどいわ、お姉様。きっと自分の魔力が豊富だから、雑に扱ってこの石盤を壊したのね」


 ん?

 なにか今、違和感があったわ。

 気のせいかしら?

 じっと様子を伺っていると、キースがセレーナに笑いかけている。


「優しいセレーナ。お前に心配をかけるわけにもいかないな。もう少しだけやっていくから、待っていてもらえるか」

「もちろんよ、キース。私が手伝えたら良かったのに」

「大丈夫だ。君にこんなつらい思いをさせたくはない」


 キースがセレーナの肩を抱き寄せ、抱きしめる。

 当然のように彼女の額や頬に、キスまで落としている。

 あー、あー、お熱いことです。

 どうでもいいから、さっさと魔力を流してしまいなさいな。

 私が半眼になるのも仕方ないと思うの。


「ねぇ、キース。早く私、貴方のお嫁さんになりたいわ。私に、キースのつらさを分けてほしい」

「私もだ。だが父上が、この結界を維持できる最低限の魔力もないからと、未だに渋っていてな……」


 そうでしょうね。

 だって皇太子妃の条件はまず第一に魔力量だもの。

 セレーナはお世辞にも、魔力量が多いとは言えないし。

 でもセレーナはそんなことお構いなしだとでも言うように、言い募る。


「陛下は残酷だわ…。愛する私達を引き裂いて、お姉様を嫌がるキースにあてがって……なんて残酷なの。だからきっと、お姉様は腹いせにこんなことを……」

「ああ、セレーナ……!!」


 いやいやいや。

 なんかもう、突っ込みどころが満載よ。

 愛する私たちを引き裂くって言っているけれど、私が皇太子と婚約したのは三歳の頃よ。あなたまだ、赤ん坊じゃないの。嫌がるもなにも、二人とも物心ついてなかったわ。それに私が腹いせにって、そんなめんどくさいことしてもお腹の足しにもならないじゃない。最初から政略なのだし。義務さえ果たしてくれさえすれば、愛人作ろうがなんだろうが、気にしなかったわよ。私が死ぬまでは。


「ああ、セレーナ、我慢できない。口づけていいか。お前の甘い体も堪能したい。きっとそうしたら、儀式もがんばれる……」

「そんな、キース。こんなところで……」

「薄着な君が悪い。こんな、男を誘うような格好で、こんなところまで来て……魔力枯渇した私に襲われても、文句はいえまい」

「あっ、キースっ」


 …………嘘でしょう?

 え、まさかこんなところで、ことに及ぶ気なの? 皇太子正気? 正気じゃないわね? というかセレーナのあの顔、確信犯ね? 何? え? ちょ、本当に服脱がし始めたわよ!?

 熱に浮かされたような顔でセレーナに口づけ、その薄い夜着を脱がせようとする皇太子。

 は。


「破廉恥だわ!!」

「は?」

「え?」


 私は石盤の影で叫んでしまう。

 それに気づいて顔を上げた皇太子の顔面目がけて、魔法で解除薬の蓋を開けて、瓶ごと操って、口に突っ込んでやったわ!


「んぐっ!?」

「キース!?」

「く、は。…………、これは、解除薬か??」


 突然飛んできた解除薬にむせながらも、それに気がついたらしい皇太子は目を瞬きながら、半分にまで減った解除薬の瓶を口元から外した。


「どこからこんなものが……、って、うわっ、セレーナ!? なんていう格好を!?」

「えっ、キース? ど、どうしたの!?」

「どうしたのではない! なんでこの神聖な儀式場でこんな格好をしているんだ!! ああ、すぐに部屋に戻りなさい!! ここは立入禁止だぞ!!?」

「ま、待って、ほら、キース! 私の目を見て? ね、落ち着いて」

「え、あ?」


 あっ! せっかくの解除薬飲ませたのに!


「そうはさせなくってよ!!」

「きゃぁっ」

「猫!?」


 我慢できずに飛び出して、セレーナの顔面に向けて体当たり!

 あの口ぶり、魅了スキルの発動条件は目が合うことのようね!


「一体何が……!?」


 皇太子が唖然としていると、儀式の間がにわかに騒がしくなる。


「殿下!」

「これは一体どういうことだ!」


 まず最初に踏み込んできたのは近衛騎士。それから皇帝陛下、そして入り口でうっかりセレーナの魅了スキルに虜にされていた見張りの衛兵。

 そして現場には服を脱ぎかけたセレーナと、何が起きているのか分からずに混乱している皇太子。

 そして私は再び石盤の裏へ。


「キース! お前はこんなところにまで女を連れ込んで……!」

「ち、父上! 誤解です!! 私は真面目に儀式を……!」

「どこがだ! 全て聞いていたぞ! お前がこんなところで女人に盛ろうとしていたことも全てな!!」

「ご、誤解です! そんな事実はどこにも!」

「このはしたない女を前にして、それを言えるのか!」


 ぐ、と皇太子が言葉をつまらせている。現行犯だものね。放っておいたら目も当てられないことになってたのは間違いないわよね。

 ちなみにだけど。

 セレーナが皇太子に詰め寄り始めた時から、風魔法を使って、その声を陛下の部屋に届けてみました。儀式の間に部外者がいるぞ、と伝えたかっただけなんだけど、なかなかのタイミングの良さです。


「セレーナ・ミュレーズ。キースの手前、目をつむってきたが、さすがにもう目を瞑ることはできんぞ。証拠も出揃っている。近衛、国家転覆罪で牢へと放り込め!」

「そんなっ! 私、なにも悪いことは!」

「だまれ! 騎士団長から証拠が上がってきている! 石盤の破壊はお前の仕業であるとな!」


 へぇー?

 石盤を壊したの、セレーナだったの?

 少し驚いたけれど、同時に納得もした。

 たぶん、この儀式の間に入るときは、今さっきやったように、スキルを使って見張りの口封じしていたのね。だから日報には何もなしと書かれていたのかも。

 それに犯人探しの証拠がなかったのも、もう既に陛下に提出済だったからなのね。いい仕事をするわ! 騎士団長! 見直したわ!


「そんな! 私じゃありません! 私のせいじゃないわ! ね、陛下? 私がそんなことするわけないでしょう……?」


 セレーナが瞳を潤ませながら、陛下を見つめる。

 これ、このままだと厄介なことになるわ!

 仕方なく、この場に踏み出そうとすると。


「スキル遮断を行使します」


 涼やかな声とともに、誰かがもう一人やってきた。

 その誰かが、瞬時にスキルを遮断する魔法を構築して、セレーナの魅了を無効にしてしまう。

 あー、いやだわ、ものすごく嫌だわ。

 私の天敵がやってきたわ。

 魔術師のローブをまとい、長い髪をゆるく編んだ、胡散臭い笑顔を浮かべる男性。

 あー……。


「助かった、グイード」

「礼を言われるほどでもございません」

「いや、魔法ならともかく、スキルになるとそなたくらいしか防げはしないだろう」

「勿体無いお言葉です」


 物腰柔らかく会釈をするのは、筆頭魔術師グイード。

 引きこもりの彼が出しゃばってきたか……。

 出るにも出られなくなって、石盤の影でこそこそしていれば、筆頭魔術師が胡散臭い笑顔を浮かべたまま、視線をセレーナに向けた。


「さて、どうしてこのような状況に? とても腹だたしい魔力波長を感じ取りましてやってきてみれば、随分と愉快なことになっておりますこと」

「何がだ? 何か気になることがあるのはいいが、それよりも余の愚息と、そこの娘を先に捕らえてくれ。並の騎士では娘のスキルにかかってしまうからな」

「御意に」


 しなやかな物腰で腰を折り、礼を取る筆頭魔術師。

 そこでようやくスキルを遮断されて目を白黒させていたセレーナが、ハッとしてまた無罪を主張し始める。


「待って! 違うわ! 誤解なの! 本当に!」

「そなたの主張は裁判で聞く。アニエスには許されなかったその主張の場で、存分に囀るがいい。まぁ、証拠は出揃っているゆえ、断罪は免れぬが……」

「離して!! キース! お願い、キースこっちを見て! グイード様! 助けてっ! なんで助けてくれないのっ」

「女の目元を隠しなさい。スキルはおそらく目元に宿っておりますよ」


 筆頭魔術師が笑顔を浮かべながら、彼女を取り押さえる騎士にアドバイスする。

 妹はどうやら筆頭魔術師にも粉をかけていた時期があったのか、ファーストネーム呼びをしているものだから呆れたわ。彼がセレーナにとっての一番の天敵だと理解していないのね。

 その上、皇太子といえば、騎士に挟まれ、呆然とその様子を見ていて。


「キース。そなたは儀式の続行だ。手を抜くことは許さない。魔力が枯渇してでも結界を維持せよ。沙汰はおって下す」

「……わかり、ました」


 意気消沈したような皇太子。

 彼が今、何を思っているのかはわからない。

 私は粛々と儀式を再開し始めた皇太子を、石盤の影から見つめる。


 私に濡れ衣をかけたセレーナは捕まり、私を追い詰めた皇太子にも罰がくだされる。

 形的には私の復讐は叶った。

 ここまでくれば、ざまぁみろと笑えるものかとも思ったけれど。


「……胸の内はスカッとしにゃいものなのね」


 ぽつりとつぶやいて、私はそろそろこの儀式の間を出ようと踵を返す。

 もうそろそろ一刻経つでしょうし、シグルドが心配するわ。

 そう、考えていたら。


「……あぁ、こんなところにいましたか」


 背中がぞくりとする声。

 数回程度しか顔を合わせなくても、私に対して嫌悪のにじみ出る声というものは間違いなく分かるもので。


「生きているとは残念です。あのまま死んでいれば良かったものを」


 振り向けば、猫の私を見下ろす筆頭魔術師がいた。

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