ここでようやくコンデネイション!(side.皇太子)

 皇太子であるキースがセレーナと出会ったのは、彼女がデビュタントとしてデビューしてからだった。

 それまで領地で大切に育てられたというセレーナは、のびやかで、笑顔が朗らかで、なんだかキースの胸の奥のしこりを溶かしてくれるような存在だった。

 それとは正反対に、幼い頃からずっといる、同じ血を分けた姉妹である婚約者のアニエスには、ひどい劣等感を常に覚えていた。

 アニエスはいわゆる天才というものだった。

 誰に教えを乞わずとも魔法を使い、皇族並みの魔力を用い、幼い頃から淑女としての嗜みも完璧で、教師に叱られたことなど一度もない。

 そんな彼女と比べたら、キースは魔力の扱いも下手で、何度も繰り返し練習しないと魔法は使えなかったし、新しい魔法の創造なんて到底出来やしない。アニエスの魔法構築力はキースだけではなく、同世代で筆頭魔術師にまで上り詰めたグイードにまで妬まれるようなものだったのだから、その底知れなさは異常だった。

 けれどその異常も、側にあればそれが普通だと思ってしまう。

 皇族という身分からして、平凡から無縁だったキースに、アニエスを基準にしてはいけないと教えてくれる人は誰もいなかった。



 ◇



 儀式で魔力が枯渇し、寝込んでいたキースは、気がついたら離宮で軟禁状態となっていた。

 いつの間に移動してきたのかも覚えがない。こんこんと眠っている間に、誰かによって移動させられたようだった。

 寝台の縁に腰掛け肩を落とすと、キースは今回の儀式で起きたことをぼんやりと思い返していた。


「セレーナ……」


 思うのは、自分が守ってあげたいと思っていた少女。

 いや、その気持ちすらも、操られていたものだったのだろうか。

 キースはセレーナに好意を持っていた。

 それがいつしか恋情に変わっていた。皇族だからと私情を滅するようにと育てられてきたキースが、ゆっくりと育んできた気持ちだった。

 その、つもりだった。

 それが蓋を開けてみれば、セレーナは魅了のスキル持ち。

 自分の気持ちが操られたものだという事実に、キースはかなりのショックを受けていた。

 自分がセレーナの魅了スキルにかかっていたのは自覚がある。そうでなければ、あの儀式の場で女人を襲うことなど、思いやしない。そこまで人間を捨てたくはなかった。

 浅ましい。

 自分も、そしてそうさせたセレーナも。

 自嘲して、やるせなくなった胸の内を空気とともに肺から吐き出す。もう何もかもがどうでも良かった。

 自分は廃嫡されるだろう。

 もしくは皇太子として立太子したままだとしても、今までのような自由が許されないのは間違いない。

 好きだった女とも添い遂げられなければ、婚約者もいない。もちろん、皇太子妃になりたいとう貴族令嬢は多いけれど、でも。


「ああ、だからアニエスを……」


 今更ながらに、父や母、そして周囲がどうしてアニエスに肩入れをしていたのかを思い出す。


 “そなたなら国を任せられるな。”

 “貴女みたいな子がキースの妃で良かったわ。”

 “私が教えられることがないくらいに、優秀でございます。”

 “どこにでても恥ずかしくない、完璧な淑女でございます。”


 アニエスに向けられる賞賛の声。

 はりぼてのような薄い言葉ではなく、間違いなくそこには気高く、自信に満ち溢れたアニエスの姿があった。そして皇太子であるキースに一切媚びることなんてしなくて、一人で何でもこなしてしまう。誰かの手を借りるなんて姿を見たこと、一度もなかった。

 それは、冤罪をかけられたときですら。


 ―――魔力だけを求められる人生なんてもうこりごりです。


「いや……ちがうか。私と同じだったんだ」


 アニエスは皇太子という生き物と同じように、哀れな女だったのだと、いま初めて気がついた。

 実の両親から人身御供のように皇家に差し出され、異双の魔女という異名の元、崇拝と畏敬を集めた。

 彼女は気高くあること、常に自信を持つことで、自分を保っていたのかもしれない。

 アニエスと比較され続けひねくれた自分よりも、よっぽど真っ直ぐな生き方で、彼女のその芯の強さを、両親は買っていたのかもしれなかった。

 けれど彼女もまた、人の子だったと。

 冤罪をかけられたことで、今まで我慢してきたものが全て吹っ切れたのかもしれない。


「あの時は罪人としてしか見ていなかったが……ははっ、今思うとすごい大逃走だったな」


 すべての始まりの日。

 確かあのときは、セレーナが胸騒ぎがする、お姉さまに何かあったのかも、としきりに訴えかけられたから、キースが儀式をしていたアニエスの元へと様子を見に行った。

 そこでアニエスが壊れた石盤を前に立ち尽くしているのを見て、彼女が石盤を壊したと思った。

 そこで、いつか騎士団長が言っていたようにきちんと状況を確認していれば、もしかしたらこうはならなかったのかもしれない。もう、何もかもが後の祭りだったが。

 自己嫌悪に陥りながら、その後の逃走劇に思考を巡らせる。

 それこそ、異双の魔女と呼ばれたアニエスの本領を見たと思った。

 キースが気づき、儀式の間の外に控えていた騎士に捕縛を命じた瞬間、アニエスの周囲に無数の魔法陣が展開された。

 まるで一筆書きをするかのように宙をなぞったアニエスが描いた魔法陣は、彼女の身体を眩ませた。

 視覚誤認、感覚誤認、魔力誤認、

 そこにいたはずなのに認識できなくなったアニエスは、気がついたら儀式の間にはいなかった。

 それでも勘の鋭かった騎士団長がいたおかげで、なんとか捕捉。走りながらでは瞬発的な大魔法の構築はできなかったのか、アニエスは細やかな風や氷属性の魔法を使い、騎士の行く手を妨害することを繰り返した。

 魔術師の応援を呼ぶ間にも、彼女はドレスの裾を器用にさばいて、ヒールで地を蹴り、何度も騎士たちの前から姿を消した。見失うたびにゴドウィンが騎士たちを指揮し、確実にアニエスを追い詰めるための包囲網を築き上げる。

 そうした逃走劇の果てにたどり着いたのが、あの崖で。

 あそこでアニエスは、綺麗な笑顔で落ちていった。

 あれだけ駆使していた魔法をあの時に使わなかった理由は分からない。生きるも死ぬも、どうでも良かったのだろうか。死んでもいいなら、どうしてアニエスは逃げるという選択肢を取ったんだ。


「魔力だけを求められる人生なんてもうこりごり、か……」


 あの言葉が全てだったのかもしれない。

 天才と思われながらも、異双の魔女として恐れられていた婚約者。それはキースも同じで、さらには劣等感まで抱いていたからこそ、彼はアニエスに歩み寄ることをしてこなかった。

 あまつさえ、魅了スキルにかけられて、彼女の妹の言いなりになっていた事実。

 全ては必然で、あるべきところにあるべきものが収まった形が、今なのかもしれない。

 何を考えても、今更だ。

 キース自身、もう、何も考えたくない。

 それでも脳裏に巡るのは、長年積み重ねてきたセレーナへの愛情と、アニエスに対する劣等感と後悔。

 閉じ込められた部屋の中、キースは疲れたようにため息をついた。


「失礼しますよ、皇太子殿下。グイードでございます」

「……珍しいな、お前が私に何用だ?」


 キースが深い自己嫌悪の迷路に入りかかっていると、それまで鍵がかけられていた部屋の扉が開く。入ってきたのは宣言通り、筆頭魔術師のグイードだった。


「皇太子殿下におかれましては、ご機嫌麗しゅう?」

「麗しいと思うのか?」

「いいえ? ですので疑問文でお尋ねしてみました」


 グイードのしれっとした表情に、キースはうんざりとした目を向けた。彼とは国政の中で稀にやり取りすることがあるけれど、いつも浮かべている笑みが胡散臭くて直接やり取りすることはあまりない。

 そんな彼がここに来たのは。


「筆頭魔術師のお前がここに何の用だ」

「陛下のご命令でございまして。キース皇太子殿下の異常状態についてご容体の確認に参りました」


 胡散臭い笑顔を浮かべるグイード。

 キースは自分の今の状況を思い出し、自嘲の笑みをこぼした。


「……好きにしろ」

「もちろんです」


 言うやいなや、すたすたとグイードは部屋の中に入ってくる。それからキースの目の前にまで来ると、その額に手を当てた。


「失礼しますね」

「……」


 グイードの魔力がキースの中に入ってくる。まるで肌を逆立てられるようなその感覚に、キースは歯を食いしばった。


「後遺症等はなさそうですね。スキルの残滓もなく、今は間違いなく正気だと断言できましょう」

「……そうか」

「それで、殿下」


 知らず識らずで息を詰めていたキースは、詰めていた空気を吐き出した。

 深く息をつきながら、キースはグイードを見る。グイードはいつもの胡散臭そうな笑みを浮かべていた。


「殿下にくだされた裁定ですが」

「ああ」

「魅了スキルの被害者であることを踏まえても、皇太子としての自覚が足りず、ということで廃嫡となります。後継は第二王子ですが、彼は皇族にしては魔力が少々弱い。石盤が壊れた今、必要な魔力は今までの倍以上必要になりますから、殿下にはしばらく儀式を継続してもらうことになりました」

「そうか……」


 皇太子としての自覚が足りない。

 そうはっきり突きつけられると、なんだかいっそ、清々しい気もした。


「……セレーナはどうなる」

「お優しいことですね、ご自分を追い詰めた方をご心配なさるなんて」

「たとえスキルだろうと、長くともにいたいと思ったんだ。少しくらい情が湧いてしまってもいいだろう」


 キースがぶっきらぼうに告げれば、そういうものですかとグイードは笑う。


「彼女は石盤の破壊による国家転覆罪にて、死刑が決まりました。所持しているスキルの使用が極めて悪質なこともあり、処刑にはそれほど日数はかからないでしょう。反省の色も見えないため、生きていても同じことを繰り返すと判断されました」

「そうか……重いな」

「妥当でしょう。目には目を、歯には歯を、と言いますし」


 キースは苦く笑みをこぼした。

 セレーナがいなくなる。

 ずっと隣にいた彼女と、もう会えなくなる。

 胸がきしきしと痛んだ気がした。

 それから、ああ。と、一人物思いに耽る。

 自分の行動のほとんどは魅了スキルに影響されていたのかもしれない。それでも、スキルが解除された後に残ったこの気持ちは、間違いなくキースのもの。


「せめて、苦しまずに逝ってほしいな」

「お優しいことですね」


 再び、グイードがキースに同じ言葉を告げた。

 キースはそれに頭を振って、「聞き流せ」と言うと、不意に真面目な表情になる。


「セレーナのことは分かった。セレーナとは別に、アニエスの件はどうだ。生きているのは分かっている。私が指名手配をかけたが、なかなか捕まらん。せっかく引きこもったお前も出てきたんだ。もう逃げる必要もないだろうから、あいつを見つけて、正しい場所に戻してやってほしい」

「正しい場所とは?」

「それは」


 グイードに言葉を返そうとして、キースは詰まる。

 アニエスの帰る場所はもうない。

 幸か不幸か、彼女の生家は取り潰され、両親は人身売買に関わっていたために処刑。義弟であるカルロスも、今は身分剥奪で平民落ちしている。最後の家族だったセレーナも処刑され、血を分けたアニエスの家族は皆いなくなる。

 そして元婚約者である自分も、身分を剥奪された。

 彼女が戻ってきても、また皇帝に利用され、国に飼われるだけだ。

 もう魔力だけを求められる人生なんてこりごりだと、そう言って崖へと踏み出したアニエスのことを思えば、ここに戻ってくるのは正しいことだとは言えない気がした。


「……忘れてくれ。指名手配だけは外しておいてくれ。騎士団の目をかいくぐり、魔獣退治を請け負っていた女だ。私の知らないところで、彼女ならうまく生きていくだろう」

「では、指名手配だけ解除しておきます」

「頼んだ」


 これでもう、皇太子としての役目はないだろう。

 グイードが退出していくと、キースは再びベッドの上へと身を投げだして、目をつむる。

 疲れてしまった。

 セレーナのことを思うのも、アニエスのことに考えを巡らせるのも。

 もう少しだけ眠ろうと、キースは意識を閉じた。

 目が覚めたら、もう少しだけ心の整理がついていることを望みながら。

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