我慢できずにポッピング・アウト!(上)
空になったカップを持って路地裏に入ってきたシグルドが、ふるりと身震いした。
「今、すごい悪寒が」
「大丈夫? 風邪かしら?」
「そういうのとは違う気がします」
それならいいけれど。
路地裏で待機していた私は、ひょっこりと路地から顔を出して、シグルドが今来た方を見る。騎士が集まってきているわね。
「お嬢様、任務は終了したので、そろそろ男に戻していただいても?」
「ワンピースのままだと事故るわよ? 今回はお化粧もしてるし。それに貴方、宿をその姿で取ってるじゃない」
「屈辱です」
死んだ魚のような目になったシグルドの手を引く。
とりあえずここからは離れましょうか。
路地裏を通り抜けて、さらに人通りのないところまで、私達は移動する。
「なかなか追手が増えないと思っていたら、私にまでまだたどり着いていなかったのね」
「そういうことです。今回でようやく皇太子が出しゃばってきて、いよいよ、という感じですね」
女の子になって偵察に行ってくれていたシグルドから話を聞きつつ、私は頷く。騎士団ならあっさり私を追いかけてくるんじゃないかと思っていたけれど、なかなかお仕事が遅いみたい。私としてはラッキーだったわ!
「それでお嬢様」
「なぁに?」
「あれで良かったんですか? 解除薬をぶっかけただけですが、セレーナ様の魅了スキルを解除できたんですかね」
「解除されてるはずよ。そういう風に調合したもの」
本来なら飲んだほうがいいけれど、今回は魔力をぎゅぎゅっと圧縮したから、振りかけるだけでも効果がある仕様よ!
だからこれで騎士団長の魅了が解けたとして。
「あの責任感の強い騎士団長なら、何かしら動くんじゃないかしら」
「本当に動きますかね」
「その時はその時ね。別にそこまで期待はしてないもの。当たりだったら儲けものくらいだし。これで妹の魅了スキルに気がつければ、それを盾に皇太子を詰められるし?」
今回のは一石二鳥狙ってみようかしらっていう、ちょっとした思いつきだもの。
ああいうタイプの人間なら、魅了スキルを解いてちょいとつついたら、頭がスッキリして石盤が壊れていた真実を調べてくれるかもと思っただけ。
日が経つにつれて、石盤がどうして壊されたのかはやっぱり気になったから、こういう搦め手をとってみた。後は今は私だって断定されている石盤の犯人に、どうやって疑問を持たせるか、だけど。
「シグルド、メモは?」
「つつがなく。ぶっかけた飲み物を拭うふりをしながら、籠手の中に仕込みました」
「それに気づいてもらえれば完璧ね」
シグルドには「石盤を壊したのは誰?」とだけ書いたメモを預けていた。
シグルドが言うには、今、冒険者ギルドにはひっそりと「弱まっている結界はアニエス・ミュレーズによるもの」だっていうお触れがされているらしい。だからたぶん、彼らは基本的に私が結界を壊していると思っているはずよね。
そんな中に、疑問視させるようなメモ。
この違和感に気づける人だったらいいのだけれど。
「気づかなかったらどうします」
「どうもしないわ。無能な人間だらけで、この国が滅ぶだけね。石盤の結界が修復できるなら魔獣からは国が守れるでしょうけど……相変わらず皇族の周りをうろちょろしているらしいセレーナの目的がわからないもの」
「ミュレーズ伯爵家の没落には巻き込まれなかったようですからね。案外贅沢に溺れて、国庫の方面から国を潰したりするかもしれませんね」
「ありありと目に浮かぶわ」
これまでも散々贅沢をしていた彼女だもの。本気で考えていそうだわ。
「お嬢様、この後はどうしますか」
「予定通り、騎士団長の動向を窺うわ。魅了スキルが解けているようなら、私に冤罪ふっかけた皇太子にも解除薬をぶっかけてあげる。むしろ解除薬の池を作って放り込んであげるわ!」
「悪女によって身持ちを崩す自滅を狙わずに解除薬を使ってあげるのはお優しいですが、手段は問わないんですね、お嬢様」
「だってムカつくもの! 自滅なんて生ぬるいわ! 自責の念にかられて悔い改めるべきよ!! その上で私が死んだ四回分くらいの落下死を疑似体験してもらうわ!」
「おっそろしいお言葉が聞こえましたね。その計画は俺も初耳です」
もちろんよ! だって今まで言わなかったもの!
私、できるかどうか分からない魔法はいたずらに口にしない主義なの。だって私の魔力ならなんだってできるんだって、私自身が錯覚しちゃって泥沼になっちゃうから!
でもね、だからこそね、私は今言えるのよ。
「ようやく私は編み出したの。この性別転換魔法を創った時に感覚が掴めてね? 幻覚魔法と催眠魔法の応用で、私の過去の追体験をさせられる魔法を構築できたのよ。大丈夫。四回死んだところで、生きているから」
「台詞が矛盾している上にそら恐ろしいですね」
四回死んだところで心が折れるくらいなら死んだほうがきっとマシでしょうね! これぞ生き地獄でしょう!
「私を散々利用して捨てたあの男の泣き顔が楽しみだわ」
「お嬢様のあくどい顔、なかなか見ごたえがあります」
あら嫌だ、はしたないところを見せちゃったわね!
「それじゃ、お嬢様。そろそろ人の通りに出ますよ」
「はい、お願いね」
シグルドが私に魔法薬を差し出す。
最近の私達の町の移動は、基本的にこれだ。
私はぐいっと魔法薬を飲み干す。
ぽんっと、私はオッドアイの黒猫になった。
着ていた服は地面に落ちてしまう。その服の隙間からぷはっと顔を出せば、シグルドが猫になった私に小さなケープをつけてくれる。
「おや、お嬢様?」
「にゃぁに、シグルド」
「呂律回らないお嬢様ってあざといですよね」
「ひっかくわよ?」
「困ります。それよりこの服なんですけど」
服を拾い上げて、たたんで荷物に仕舞い込んでいたシグルドが首を傾けた。
「下着つけてなかったんですか?」
「今更ね!! 解除薬を飲んだときに、あにゃたが服しか渡さにゃかったからよ!!」
「麻袋の中に入っていませんでしたか?」
「入っていにゃかったわよ!!」
はて、とシグルドが不思議そうに首を傾げて、それから。
「あぁ、そうか」
「にゃにが」
「洗濯して、俺の女装用の荷物に混ぜてしまったかもしれません」
「気をつけて頂戴にゃ!!」
本当に!!
でもどうせ元の体に戻るのも、何かあったときの待機要員としてちょこっとの時間だけだと思ったし。なんなら、猫になって服をシグルドに片付けてもらうときに、履いてた下着をそのまま畳まれるのも恥ずかしいと思ったから言わなかったのよ。この乙女心を理解して。
「脱いだものを俺に洗濯されるのはいいんですか?」
「恥ずかしいわよ! でも仕方にゃいじゃない! 私が洗うと破れるんだもの!」
「洗濯板が使えないお嬢様、乙女心を犠牲にするしかなかったんですね」
「本当にね!!」
もうこの話はおしまい!
「さっさと行くわよ、シグルド!」
「仰せのままに、お嬢様」
シグルドは荷物をきちんとまとめると、その背に背負って私を抱っこしてくれる。
そうして通りへと出て、人混みへと紛れていった。
◇
いやぁ、私、黒猫になって良かったかもしれない。
冒険者ギルドで、生きていると知られた私の指名手配書がたちまちに広まったらしい。
騎士団長に解除薬をふりかけた日からさらに半月。
私はもう、素顔で通りを歩けなくなっている。
ふふ、昔、魚に変身する魔法薬を研究していてよかったわ。猫になる魔法薬はそれの応用で作ったのよ。私って天才。なんにでもチャレンジすることって、案外無駄にはならないんだわ!
「お嬢様、これを」
「上出来」
さて、そんなひっそりと逃亡生活を続けているある日の深夜。
再び密偵ごっこをし始めた私とシグルドは、王都にある騎士団本部の騎士団長の執務室に忍び込んで、彼が集めた石盤の破損時の情報について読み漁っている。
もちろん私は解除薬を飲んで、人の姿になっているわ!
「私が儀式をする前々日からの警備配置と日報ね。どれも異常なし。さらに日を遡っての日報もまた異常なし。収穫ないのね」
「最近の動向を見る感じでは、騎士団長の正気が戻っているのは間違いなさそうですが、石盤のことは何も掴めていないのは無駄足でしたね」
「本当にね」
騎士団長が石盤のことについて調べ始めたのには早々に気がついたから、一度どんなものかと思って忍び込んでみたのに……無駄足なのは悲しいわ。
他に目ぼしいものもないし、これ以上危険を冒すのも意味がないから、戻りましょうか。
「シグルド、帰りましょうか。これ以上、ここにいても無駄ね」
「仰せのままに」
私達は騎士団長の執務室を出ると、元あった通りに鍵をかける。ちなみに鍵は手先の器用なシグルドが、針金を二本使って器用に開け閉めしてくれたわ。それほど重要な書類はなかったとはいえ、こんなに簡単に開け閉めできる鍵でいいのかしら?
二人で騎士団の建物の廊下を歩いて外に出る。宿直の騎士もいたけれど、気配を殺して、うまくやり過ごした。
密偵ごっこができる私達にはこれくらい朝飯前なのよ!
「私って本当に天才だわ。密偵もできて、魔法も精通していて、皇太子妃教育も完璧。嫌だわ、私、天才すぎるわ!」
「天才のお嬢様、見つかるんでお喋りしないでください。三歩歩いても忘れないでくださいね」
分かってます、静かにします。
わくわくしちゃってついつい声を出しちゃったのを咎められてしまったわ。捕まりたくはないので、静かにするわ。
そうしてこそこそと、無事に騎士団の建物を出た。
「お嬢様、宿に戻りますか?」
「そうねぇ……あ、その前に皇太子の様子を見たいわ。ここまで来たら、一度くらい顔を拝んでみたいもの」
「そんなちょっと買い物ついでみたいに行くノリで行けるような場所ではないですよ」
「だめ?」
「……まぁ、無理ではないと思います。俺はどこかで待機しているんで、変身する魔法薬を使ってお一人で行ってきてください」
そうね! そうするわ!
私は早速、人気のないところで魔法薬を飲んだ。すっかり慣れたオッドアイの黒猫姿。シグルドも慣れた手付きで私の服を拾っていく。
「そうだわ、シグルド」
「なんでしょうか」
「私のせにゃかに解除薬をくくりつけてくれる? ついでだから、皇太子に振りかけてくるわ」
「良いですけど、気をつけてくださいよ」
ちょっとだけ眉根を寄せながらも、ちゃんと言ったとおりに私の背中に解除薬の入った小瓶をくくりつけてくれたシグルド。ちょっと重たいけれど、うん、なんとか動けるわ!
「お嬢様、じゃあ俺はここで待っているので」
「ええ。一刻ほどで戻るようにするわ」
そう言って、私は黒猫の姿のまま、王城の塀へと登っていく。ちょっと高さがあっても、魔法で補助しながら、余裕で越えた。
さぁて、あの皇太子の目を覚ましに行きましょうか!
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