いつの間にやらリスペクト!(side.騎士団長)

 またか、とゴドウィンは深くため息をついた。

 眼の前にできた魔獣の氷彫刻を見て、呆れるどころか段々と天晴れと言いたくなる気もする。

 |ローリー・ポーリー(だんごむし)から始まったこの氷彫刻の出現は着々と増えていて、今や国境沿いの町での名物になっている。次はどこにこの氷彫刻ができるのか、ピンチのときはうちの町にきてくれるのかと、仕事が遅い騎士団に比べ、町の人々からの期待値も上がってきていた。


「殿下、どうですか」

「間違いない、アニエスのものだな。あの魔女め、やはり生きていたか……!」


 外壁のある国境の町。

 市街地にまで侵攻してきた魔獣たちがことごとく氷彫刻になっているのを見て、忌々しそうに皇太子が舌打ちをする。

 その様子を横目にしつつ、ゴドウィンは淡々と騎士に指示を出した。


「この魔獣たちを片付けておけ。いつものように氷ごと叩き割って、燃やせ」

「はっ!」


 近くで検分していた騎士に指示を出すと、その騎士から以下の者たちにも指示が行き渡っていく。

 てきぱきと動き出した騎士たちを眺めていれば、隣にいた皇太子がゴドウィンに話しかけた。


「なぜもっと早くこのことを報告しなかった。この氷彫刻が現れてひと月経つぞ。職務怠慢ではないのか?」

「報告は逐一上げていましたよ。検分のため筆頭魔術師にも同行を依頼していました。けれど断られ続け、今に至ります」

「これくらい派手にやっているなら認識阻害の小細工をしたとて、普通の魔術師でも分かるだろう!」

「その魔術師たちに口を揃えて言われましたよ。アニエス様の魔力と言われても、属性が違う、波長も違う、と」

「くそっ、アニエスの魔力が特殊なものじゃなければ……!」


 皇太子はさらに舌打ちをした。

 アニエスの魔力はかなり特殊で、あまり知られていないが、彼女に扱えない属性はないほどだ。その上属性が混じり合うので、その時々で魔力の波長も変化する。魔力の本質を見極めなければいけないが、アニエスのその魔力を感じ取れるのは、懇意にしていた皇族と、彼女を毛嫌う筆頭魔術師くらいなものだった。


「でもこれでアニエスが生きていることは分かった。ゴドウィン、すぐに手配書の準備をしろ。従者らしき銀髪の男も一緒にだ。共謀犯として指名手配しておけ」


 憎き親の敵と言わんばかりに憎悪を募らせる皇太子に、ゴドウィンは無言のまま。

 さっきから反応が鈍いゴドウィンに、皇太子の眉がぴくりと動いた。


「ゴドウィン、どうした。何をそんなに考え込んでいる」

「考え込んでいるわけではありませんが……少し、意外でしたもので」

「意外?」


 訝しむ皇太子に、ゴドウィンはうなずく。


「故意的に破壊したにしては、こうして騎士団では到着が遅く、冒険者たちでは手に負えない魔獣の始末を自分でつけているようですから。魔獣に襲わせたくて石盤を破損させたのならともかく、これではアニエス様の手間がかけるだけでは?」


 至極真っ当な分析をするゴドウィンに、皇太子は鼻で笑う。


「どうせ英雄のようにちやほやされたいだけの、浅はかな悪知恵だろう。魔力しか取り柄のない、馬鹿な魔女の考えそうなことだ」


 アニエスを見下し、蔑む皇太子。

 だが、ゴドウィンにはどうもそうは見えなかった。


「殿下、お言葉ですが」

「なんだ」

「浅はかや、馬鹿ならば、こんなことはしないでしょう」

「こんなこと?」

「氷漬けにするよりも、刻んだり、燃やす方が圧倒的に早い。アニエス様ならそれらができるのに、そうはしていない意味。それに、結界が綻んでいる場所は修正しているようだと魔術師から報告も上がっています。名誉がほしいなら、気づかれにくい結界の修復など、する意味もないでしょう」


 魔術師の報告では、魔獣が町中に現れたときなどは、国が管理する大もとの結界の綻びがあった痕跡があったらしい。それが巧妙に修復されていて、冒険者の低ランク魔術師では見落としてしまうほどだが、Aランク以上の貴族並みに魔力がある魔術師からの報告には、そういったものも上がっていた。


「国の結界は大規模ゆえに複雑と聞いています。石盤の仕組みや構築、魔力の流れを理解しないと、修復するどころか綻びを広げるだけだと聞いてます」

「…………」


 さすがの皇太子も、ゴドウィンの正論に押し黙る。

 たとえばもし、皇太子が同じように石盤の儀式なしで結界を修復しろと言われたら。


「……前言撤回だ。馬鹿のふりした策士か。余程こちらのほうがたちが悪いがな」


 同じことができる気がしなかったようで、皇太子は三度舌打ちした。

 ゴドウィンも同意しつつ、それでもやはりアニエスの行動に違和感があって、眉をしかめる。


「まったく、こんなところにまで私を引っ張り出して、セレーナとの時間が減ってしまうじゃないか。母上に預けてきたが、ミュレーズ伯爵家のこともあるし、心配だ」


 ぶつぶつと小声で文句を言い出した皇太子に、ゴドウィンはふと思った。


「セレーナ様はまだ王城に?」

「そうだが? ミュレーズ伯爵家の断罪が行われて、まだひと月だ。セレーナだけが罪を犯していないとはいえ、心ない噂は社交界でつきまとう。傷ついている彼女を放っておけないだろう」


 何を当たり前のことを、とでも言いたげに視線を向けてくる皇太子に、ゴドウィンは首をひねった。


「いえ、確かにその通りです。繊細な彼女のことですから、きっとカルロスのことも含め、心を痛めていることでしょう」


 ただ、と。

 ゴドウィンは何かが引っかかる。

 その引っかかる何かを掴もうとしても、霞のように逃げていって、思考がはっきりしない。

 何かを考え込むゴドウィンに、皇太子が呆れた。


「騎士団長という立場上、思慮深いのはいいことだがな。考えすぎるというのは、欠点かもな」

「申し訳ございません」

「謝ることではない。ただ、泥沼にはまるなよ」


 ゴドウィンはゆっくりと頷いた。


「それで、殿下。結界の修復のほうはいかがですか。まだ時間がかかるようであれば、各地に騎士を常駐させる手配をした方がいいかと」

「分かってる。今グイードにやらせている。石盤そのものの修復目処は立っているが、魔力が足りないらしい」

「魔力ですか……」

「一度魔法を解いて、石盤を再起動する必要がある。その起動の魔力がとんでもないんだ。直系皇族だけじゃ足りない」


 この国で一番魔力を持っているのは皇族だ。

 その皇族の直系だけでは足りないというのだから、その魔力はとんでもない量が必要なのだろう。


「アニエス様がいればよかったのですが」

「確かにあの女がいれば、魔力は足りる。さっさと見つけたいところだ」

「そう言えばセレーナ様は? 血のつながられたご姉妹ですが、魔力の量はどうなんです?」

「馬鹿なことを言うな! セレーナを魔力源になんて可哀想な義務をさせられるわけないだろう。あんな燃料みたいな役割は魔女一人で十分だ。そもそも我ら皇族がやるのも納得がいかない」


 忌々しそうに何度も舌打ちを繰り返す皇太子に、ふとゴドウィンは思う。


 ―――この方は、このように人を道具としてしか見ないような方だったか?


 今の発言はあまりにも人を統べる者としての意識に欠けたし、皇族としての義務をあまりにも軽視しすぎていた。


「殿下、お言葉が過ぎます」

「あぁ、済まない。気が立っていた。さすがに石盤の儀式は皇族じゃないと務めるのが難しいのは分かっている」

「それならいいのですが……」


 その儀式に、皇族でもないアニエスをただの燃料のようにあてがうのは、当然なのだろうか。

 一度、疑惑が生まれてしまえば、まるで蓋を閉めた箱から飛び出すように、次々と疑問が生まれてくる。


 どうして殿下はこうもアニエスを軽視する?

 セレーナはなぜまだ城に? 彼女は殿下の婚約者ではないだろう?

 力のあるアニエスならば、こんな回りくどいことをしなくても良かったのでは?

 セレーナだけ特別扱いなのは何故? 伯爵家が没落した今、彼女を囲い込むのは悪手では?

 そもそも、本当にアニエスが石盤を壊したのか?

 ふと、そこで気がついた。

 アニエスの魔力痕跡を気にするくせに、自分はいちばん大事なものを見ていなかったと。


「……殿下」

「なんだゴドウィン」

「石盤の破損ですが、あれに魔力痕跡はありましたか?」

「魔力痕跡だと? そんなもの―――そんなもの、調べるまでもなく、アニエスの仕業だろう?」


 今、不自然な間があった。

 何か言おうとして、皇太子は思考を打ち切ったようにアニエスの仕業だと断言したように見えた。


「キース皇太子殿下」

「どうした、改まって」

「石盤を調べましょう」

「調べる必要はない。あれはアニエスの仕業だ」

「調べてはいないんですよね?」

「くどい! この件は終わったことだ!」


 怒りだした皇太子は背を向けると、もう付き合っていられないと言わんばかりにゴドウィンの元から去っていく。

 今、自分がそばに行くのは火に油を注ぐだけだろう。

 護衛の騎士を呼びつけるため、ゴドウィンも歩き出した。

 歩きながら、考える。

 不自然な態度の皇太子。

 どうしてこうもアニエスを犯人だと決めつけるのか。石盤の検分をしっかりやっていない疑惑のある今、頭ごなしにアニエスを犯人と決めつけるのは如何なものか。

 だが、それはゴドウィンにも言えること。

 どうして当時、アニエスを犯人と決めつけた? むしろ石盤の検分をするのは騎士である自分の役目だった。でもそれをやった記憶はなく、それをやろうとすら思わなかった。

 皇太子だけを責められない。明らかに自分の怠慢でもある。

 どうしてそうなってしまったのかを思えば、それはひとえにセレーナを守るためだ。

 アニエスがいると、セレーナを害する。だからアニエスに対して皆、厳しい態度をとる。

 連鎖的に、最後の最後までセレーナの安否を気にかけていたカルロスのことも思い出す。彼もまた、アニエスを軽視し、セレーナを可愛がっていた。

 それは当然だ。だってセレーナは可愛い。大きな水色の目も、長く艶のあるストロベリーブロンドの髪も。

 ゴドウィンもまた、そんなセレーナの虜の一人だ。

 今もまた、自分だって仕事がなければセレーナのもとへ馳せ参じて、甘い言葉の一つや二つ。


「……なぜ、セレーナ?」


 我に返った。

 今、自分は何を考えていた?

 アニエスの無実の可能性を考えていたはずだ。それなのに思考が自然にアニエスの有罪に傾いていた。

 証拠が、ないのに。


「……気が狂いそうだ」


 今思考しているのは本当に自分なのだろうか。

 アニエスのことを思うと、憎さが増してくる。

 だけどその憎さの原因となるものが見当たらなくて、ゴドウィンは頭を思いっきり掻きむしった。


「だ、団長っ?」

「……なんでもない。俺の代わりに殿下の護衛に行ってくれ」

「了解しました……?」


 通りすがりにぎょっとした騎士に指示を出し、ゴドウィンは深く息をつく。

 最近ずっとそうだった。

 なんだか気がつくと、胸がざわついて、落ち着かない。

 この氷彫刻の魔獣の件で、半月ほど色んな街を転々としているからだろうか。

 以前にも長期遠征のときにこうなったときがある。

 何かが足りなくて、もどかしくて。


「セレーナ……」


 ゴドウィンは自分が知らずのうちに、一人の少女の名前を呼んでいることにすら気づかない。

 気怠くすら感じてきたこの身体に、活を入れるようにゴドウィンは前を向き、歩きはじめた。

 そしてちょうど外壁の内側、町中に戻ってきて、休憩がてらどこかで食事でもと、歩いていると。


 ビシャッ


「…………」

「すみません、ああ、お召し物が」


 前方から歩いてきていた少女が、何もないところで転んだ。

 しかも間が悪いことに、相手は飲み歩いていたのか、手にカップを持っていて、そのカップが彼女の手からすっこ抜け、中身ごとゴドウィンの頭に振りかかる。

 ゴドウィンは顔に手を当て、偶発的に起こった事故にため息をついた。


「申し訳ありません。騎士の方でしょうか。私の不注意でご迷惑を。罰はいかようにも……」

「いや……本来ならこの程度避けられるよう、訓練を受けている。それなのに避けられなかったのは、ぼんやりとしていた俺だ。気にするな」


 少女が慌てて立ち上がって、ゴドウィンの濡れた肌を少しだけハンカチで拭ってくれる。でも薄いハンカチ一枚では拭いきれなくて、ゴドウィンの髪からはぼたぼたと液体が滴ったままだ。

 なんて厄日かと思いつつ、ゴドウィンが穏便に済ませようとすれば、相手の少女は食い下がる。


「ですがそのままではこちらも申し訳ありません。着替えを用意しますので、どこか宿か、店の奥でも借りましょうか」

「いや、いい」

「……お優しいお言葉、ありがとうございます」


 平謝りするように頭を下げていた少女が顔を上げる。

 さらりとよく手入れの行き届いた銀の髪。

 切れ長で、落ち着いた雰囲気の新緑の瞳。

 小さな桜貝のように、健康的な色をした淡いピンクの唇。

 清楚な雰囲気で、どこか儚い空気をまとう美少女だ。

 ゴドウィンは吸い込まれるように、その少女を見つめる。

 いや、息をするのも忘れて、見惚れた。

 とても愛らしい。

 胸をきゅっと締められるくらいに愛らしい少女を、初めて見た。


「君、名前は?」

「名前ですか?」


 首を傾げた。可愛い。


「……シグリ、と」

「シグリか。いい名前だ」


 表情が変わらないけれど、聞けば返ってくる可愛らしい声に、ゴドウィンは優しく微笑む。

 シグリと名乗った少女が、一歩後ろに下がったような気がした。


「貴女は気にしなくていい。今、私はとても気分がいいんだ」

「……そうですか? それならいいですが」


 シグリはそう言って、頭を下げて去っていく。

 その後ろ姿すら、可愛い。

 別に魅了魔法にかかったわけではないと思うのだが、まるでそう、これは恋のように。


「……私が恋など笑わせる。職務中だというのに」


 そう自嘲したゴドウィンは、ふと目を瞬いた。

 思考がクリアになっている。

 今まで頭のどこかにあった霞のようなものがなくなっていて、思考がとてもしやすい気がした。

 気のせいだろうかと思いつつ、濡れてしまった鎧を脱いだほうがいいかと歩きながら、籠手だけを先に外した。

 かさりと何かが滑り落ちる。


「紙?」


 籠手と自分の手の間に挟まっていたかのように滑り落ちてきたその紙を拾い上げた。

 二つ折りにされたその紙を広げる。


 “石盤を壊したのは誰?”


「そんなもの……」


 アニエスだと言い切ろうとして、歩みを止めた。

 今まで停滞しがちだった思考が、一気に動き始める。

 騎士団や貴族、一部冒険者には、既にアニエス・ミュレーズによる謀反として、結界の弱体化は触れ回っている。

 だからこそ、こうして冒険者は魔獣討伐のため、結界付近の町へ集中して集まってきていた。

 この結界の弱体化を知るはずの人間は、今改めて犯人が誰かと指摘するなんて考えるはずがない。

 それに何より。


「なぜ、石盤が壊れたことを……?」


 これこそ騎士団と皇族しか知らない極秘情報だ。

 それがどうして。

 そして一番気になるのは。


「アニエス様は何故、無実を主張しておきながら、自ら身を投げうって……?」


 アニエスが崖から落ちる瞬間、そして落ちたあと、魔法が使われた形跡は一切なかった。これは魔術師一同、皇太子も意見が一致していることだ。だから、死んだ可能性の方が高いと思われていて、証拠のためだけに死体捜索が行われていた。

 だから正直、アニエスが生きていたとして、奇跡のような状態に近い。その中で、こうして彼女が精力的に魔獣を退治する理由。

 例えばだが、追い詰められた人間の心理は往々にして諦めが入る。彼女が自棄を起こしていたとしたら、その魔力を存分に使い、こちらに損害を加えられた。

 それをしないで、無実を主張したまま、諦めたかのように自死のような真似をした。

 そしてこの紙。

 もう一度よく考えるべきだと言わんばかりのメモに、ゴドウィンはその紙片を見つめながら、往来で立ち止まる。

 しばらくまた、渋い表情で思考の海に沈んでいると。


「団長? どうしたんですか? ジュースでもかけられたんですか? ……あれ? これ、解除薬ですか? 何か状態異常魔法でもかけられたのですか?」


 通りすがりの騎士が驚いて、矢継ぎ早にゴドウィンに質問攻めをする。

 その騎士の質問に答えようとして。


「……解除薬?」

「この匂いとこの色は解除薬のようですが」


 困惑している騎士を前に、ゴドウィンは自分に振りかけられた液体を一滴すくいとり、舐め取る。

 得体のしれない液体を舐め取ったゴドウィンに、騎士がぎょっとしていると、その味を確かめた彼は厳しい表情になる。


「……団長?」

「銀髪碧眼の美少女だ」

「は?」


 突然美少女を要求したゴドウィンに、騎士が自分の耳を疑うかのように聞き返す。

 だがゴドウィンはもう一度、同じ言葉を繰り返した。


「銀髪碧眼の美少女を探せ」

「な、なぜ?」

「その美少女が俺に解除薬をかけた。気になることもある。今すぐに銀髪碧眼の美少女を探せ!」

「はっ!!」


 騎士が目を白黒させながら、ゴドウィンの指示に従って、人探しをする手配を進める。

 堅物であり、どこかの伯爵令嬢に一途と噂の騎士団長が美少女だと言うのだから、相当な美少女なのだろう。

 騎士はちょっとした好奇心をかかえつつ、騎士団長命令の遂行に走った。

 それを見送ったゴドウィンは、はぁ、とため息をつく。


「あれは一体誰なんだ」


 解除薬といい、このメモといい、おそらく鍵を握るのはあの少女。

 一体何が目的で自分にこんなことを?

 彼女のことを考えるだけで、胸が苦しくなる。


「調べなくてはいけないな」


 銀髪碧眼の美少女の行方。

 それと。


「……やはり、石盤のことは調べたほうがいい」


 たとえ皇太子と道を違えようとも。

 主人の間違った道を正すのは、臣下である自分の役目なのだから。

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