第六話:第二の現場(副題:探偵と刑事のファーストコンタクト)
「藤堂詩織さんから確認が取れました。その上で改めてお聞きしますが、貴方は
「はい……」
一通り吐いて、ただでさえ空っぽだった胃の中の物をぶちまけた後に、110番をしてから警察官が来たのは本当にすぐだった。
多分、最低でも十分以内には警察官が来た。ひょっとしたらもっと早くだ。
「この工場を調べようと思った理由は?」
最初は明らかに交番から駆け付けたのだろう警察官が到着し、この工場の周囲を赤いカラーコーンやらで封鎖している内にパトカーや覆面車がドンドン集まり、自分は第一発見者という事でこうして刑事の調べに応えている。
「仁科さんの自宅の様子から、車も自転車も使った形跡がありませんでした。そして自宅の荷物の中から釣り竿だけが見当たらなかったので、藤堂さんの自宅から犬を連れて徒歩圏で行ける河川敷だろうと場所を絞りまして」
今自分に質問をしているのは、なんとなく日本人っぽくない美男子――に、見える美人だ。
遠目にはやけに綺麗な男が来たなとしか思えなかったが、近づいて驚いた。
「確かに河川敷に近いですけど……なぜここへ?」
「仁科さんが失踪されたと思われる日は、予報になかった短時間の豪雨が発生していたのを思い出しまして……」
「ああ、なるほど。雨宿りが出来そうな場所か……」
伊万里と名乗ったその刑事は、メモを取る手を止めて顔を覗き込んでいる。
「随分と視野が広いですね。ご職業は探偵ということですが、やはり経験上?」
「ええ、まぁ。主な仕事はいわゆる浮気や素行の調査ですが、失踪した家族を探してくれという話はよくありますので」
「今回のように、警察に届け出を出した上で?」
「いえ、今回のようなのは珍しいです。基本的には、あまり警察沙汰にしたくない場合が多いですね」
「安くないお金をかけてでも、ですか」
「はい。あの、例えば年頃の……家出した高校生などは……。警察に届け出を出される方もいますが、ご家庭によっては……」
「ははぁ」
途中まで話を聞いていた年のいった刑事は、探偵と職業を名乗っただけで胡散臭そうな態度になって妙に強い言葉を使っていたが、この人からは特にそんな気配がない。
なんというか、少なくとも今はシンプルに情報だけを欲している感じがする。
(まぁ、ひょっとしたら刑事ドラマなんかで良く見るアメとムチのアメ役なだけかもしれんけど)
実際、先ほどの刑事に比べて話安いから口が滑りやすくなってる自覚はある。
「しかし、釣りか……なるほどなぁ」
「竿があったのですか?」
「いや、そっちは今の所発見していません。ただ、凶器がね……」
伊万里刑事はスマホを起動させてなにやらタップしてから、その画面を見せてきた。
ドス黒い乾いた血にまみれた、折り畳み式の多機能ナイフ。
――あ。
(たしか、仁科さんの購入物の履歴の中にあったな……)
釣り竿と同時に購入されていた万能ナイフ。
よくある万能ナイフらしくハサミややすりと一緒に、鱗取りや毛抜きがセットされていたため、釣った魚をその場で捌くために買ったんだろう。
(でも……ということは)
「あの、やはり倒れていた男性達を殺害したのは……仁科さん、なのでしょうか?」
「まだなんとも言えません」
ま、そりゃそうか。
刑事としてはうかつに断言するわけには行かない。
ましてや自分は探偵。報道とは程遠い人物だ。
(とはいえ、なんかこう、情報を引き出されるだけってのも癪だな)
確かに報道マンとは違うが、探偵という職業は情報を得る事が第一の仕事だ。
せめて何かを得なければ悔しいじゃないか。
「あぁ、そういえば刑事さん」
「? なんです?」
「事務所にあった、死亡した学生たちが飲み食いした後のゴミなんですが」
「ああ……今鑑識が回収して調べている所です」
「では、彼らのうち誰かが使っていた薬も分かったんですか?」
薬、という言葉にピクリと刑事が反応した。
「薬?」
「ええ、中身のない薬のシートが……。ゴミの中で一つだけ浮いていたので気にかかって」
知らなかった、のは間違いない。
まだゴミ袋の方はあまり調べていなかったのだろう。
「二粒分だけですが。あれは学生達が?」
「……他に入っていたのは飲食物かい?」
「ええ。なぜかここからかなり離れたエコマートの袋に、あそこのサンドイッチや総菜パンの包み袋が一緒に入れられてました」
「……エコマート。最寄りの店舗でも少し遠いな。車なら20分くらいだが……」
そう、車だ。
捜査のために全開になった
おそらく、あの男達が使っていた物だろう。
「すまない、九条さん。今回は帰ってもらって構いませんが、正式に聴取を取ってアレコレ書類を作成しなければならないので、改めて署に来ていただくか、あるいはそちらの事務所か自宅にお伺いしなければならないのですが……」
「ああ、はい。いいですよ」
正直どちらでも構わない。
別に訪ねて来る人間なんて客くらいだし、友人だって訪ねて来る事はほとんどないし、仮に来るとなっても連絡くらい寄こすだろう。
「ただ、どちらにせよご連絡を頂ければ……こちらが名刺になります」
「ええ、すみません。九条探偵事務所所長、九条 三継さん……あ、失礼いたしました。私の名刺も渡しておきますね」
女性刑事は、仕草すら綺麗だった。
羽織っているコートの内ポケットから名刺入れを取り出し、その一枚をスッと引き抜き丁寧に渡してくる。
「改めまして。警視庁捜査一課所属」
「
「こちらからも連絡いたしますが、何か気付いたことや思い出した事がありましたら、気軽にお電話をください」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「探偵とかいう男は帰ったのか?」
「いえ、本人確認のためにこちらへ向かっている藤堂ご夫妻を待つそうです」
「ふん。三十そこらの若造にしては殊勝な心掛けだな」
九条という第一発見者の探偵から一通り聴取を終えて、伊万里警部補は現場へ戻る。
死亡していた6名は、詳しい時間は分からないが、恐らく死亡して一週間以上は経過している。
今でこそ窓や扉が開き、空気が多少変わったが、それでも屋内には死臭がこびり付いている。
(一度寮に戻れたら、今日は少し高いシャンプーを使わないとな)
今日中は仕方ないとして、明日からも捜査のために多くの人間に会わなければならないというのに、死臭を残したままにするわけにいかないとため息を吐きながら、腐り始めている死体に目を向ける。
「それで、この男達は? 服装は若者向けの、だけど少々高価な服装……大学生くらいのように見られますが」
「それなんだが、とんでもない事が分かってな」
ベテランで刑事畑一筋の三枝警部が、顎で死体発見現場の向こう側――事務所スペースの方を指し示す。
「向こうから、この若者共が飲み食いしていたゴミが見つかったんだが」
「はい、九条さんも言っていました。……そういえば、その中に錠剤の包みカスがあったとか」
「物証の名称は正確な単語を使え、伊万里。空のPTPシートだ」
鑑識が遺体の写真を撮り、ドアノブやテーブル、旋盤などに粉をふりかけ指紋を検出している。
その邪魔にならないよう彼らを避けながら、三枝は男たちの死体へと近づく。
伊万里はその後に続いて、
「彼らの中に持病持ちが?」
「いや、あの薬はトリアゾラム。睡眠薬だった」
スキルの普及により最近使われなくなった、それでも効果は確かにある睡眠薬の名前に、伊万里は眉を顰める。
刑事として、その薬品名は聞き逃せぬものだった。
「最近頻発している、連続婦女暴行事件で使用されている?」
「そうだ。……一月ほど前に、勇気ある被害者が母親と共に警察を訪ね、話してくれたことで発覚した事件だ」
「特捜が立てられてましたね」
「ああ、ウチからは芹川班が出ている。だからお前も知っているんだろう?」
死体は全て腐敗臭を漂わせているが、その一番の元は体というより、零れてから固まり、腐敗した血液からだ。
男達の死因は全て、心臓を貫かれるか喉元を斬り裂かれ、それ以外の負傷は一切ない。
「大学のサークルのパーティに参加した際、男から勧められたソフトドリンクを飲んでから記憶がなかったと」
「サークルのメンバーどころか、その大学の学生でもなかったようだがな。新入生を狙って、それらしい大きな飲み会を狙って紛れ込む機会を
衣服の血が付いていない部分は、比較的綺麗な物だ。
それを捲ると、虫こそたかっているがまだ無事な肌が見える。
「偶然目を覚ました時には手を出される前で、必死に逃げた……と本人は言っているが――」
「警部、それ以上は特捜以外が口に出すべきじゃないです」
「ふん、その特捜が騒ぎ出すぞ」
「……使用されていた薬品、まさにトリアゾラムでしたね」
「そうだ、そして」
一人、また一人で服を捲り、三枝警部は犯人の肌を確認していく。
「その中の一人は、翼を模した入れ墨が入っていた。だったな」
その一人の肌には、翼が生えていた。
「詐欺師を殺した女子高生が自死して、今度は連続強姦犯を殺した老人が自死……ですか」
「まぁ、断定するにはまだ早すぎるが……しかしな」
奥の方で一人離れた所で死んでいる老人の顔を覗き込む。
とても穏やかな死に顔だ。
とても、五人の若い男達を、ナイフ一本で殺傷したとは思えないような静かな微笑みを浮かべたまま。
自らの首を斬り裂き、亡くなっていた。
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