第五話:捜索こそ探偵の基本

「ふぅぅぅぅ……。捜索三日目か」


 いや、正確にはプラス一週間なわけだが。


「歩いてこれそうな所となると、あとはもうここら辺しかないんだが……」


 仁科征史さんの自宅にあった釣竿は渓流釣り用の物だった。

 PCに残っていた履歴も合わせると、渓流を始めるためのサイトを適当に見て、そこでオススメされていた竿をそのまま購入したのだろう。


(スキルを入れた経歴がなかったのは、一度スキル無しでどれいうものなのか試す意味合いがあったのかもなぁ)


 購入物の中にキャンプ用品の簡単なグリルセットはあったけど、釣りの必需品であるクーラーボックスはなかった。

 あくまで推測だけど、まだ本格的に釣りを始めるつもりはなかったのだと思う。


(加えて、いなくなった5月29日は予報になかったゲリラ雨が降っている。どこかで雨宿りした可能性は極めて高いと思うんだけどな)


 降った時刻は昼の二時ごろ。

 仮に仁科さんがここまで歩いてきたとしたら……昼食を取ってから歩いたらギリギリたどり着くか。


(お昼に散歩として出かけて、犬を近くに括りつけてから釣りを少し楽しんでまた帰るついでに夕方の散歩をこなすって考えだったのかも)


 ご老体にしては運動量がキツい気もするが、スキルを入手してから調子を良くした老人はこれくらい動くらしいからなぁ。


(ましてや仁科さんは、健康管理用の医療マイクロマシンを入れている。それくらいの運動量は大丈夫と、それまでの経験で確信していたのかもしれないなぁ……)


 少量のご飯どころか、みそ汁と漬物程度しか食べなくなっていた高齢者が、スキルを入れた途端に動き回り、一か月で食欲も戻ったっていう話もよく聞くし……。

 衰えた視力や聴覚をスキルで補正したら、外出欲が高まったなんてのもスキルあるあるだ


(脳や筋肉が発達した成人よりも、衰えた高齢者の方がスキルが馴染むのが早いなんて論文もそういえばあったな……)


 日本ではスキルのインストールは15歳までは基本的に禁止だが、欧州なんかじゃ物を覚えていく幼少期にこそスキルを使うべきだとかなんとかで、度々デモも起こっているし……。


(怖くないのかねぇ……頭によく分からない物を落として、感覚が変わるってのは)


 いやもう、それまで安い上に旨くて好きだったカップ麺が微妙に塩辛くなって苦手になってしまったのはキツかった。


(いや、今は仕事だ。ここらで雨宿りできそうな場所は……)


 たどり着いたのは、ある程度整備されている河川敷の一部。

 周囲にある程度の民家や施設しかなく、比較的他の区域よりも緑が目立つ場所だ。


(仁科さんが上げてた動画は一通り見たけど、自然豊かな場所を好む傾向がある。多分、撮影するならこういう場所の方を選ぶと思うんだが……)


 近くにあるのは、子供を連れた親がチラホラいる公園や、年季の入ったアパートや商店、離れた所には、何やら寂れた工場……工場こうじょうというより工場こうばだな。


 マップアプリ。――近年では地図もスキルで知識として脳に放り込めるので、いつサービスが終了するか冷や冷やしている物を起動して確認してみると、どうもインテリアの工場らしい。

 今も稼働しているのかは……ちょっとわからない。


(認知症などの症状がなく、体力的にもある程度余裕のある人が、ああいう明らかに公共ではない場所に立ち入るとは思えない……けど)


 釣りにちょうど良さそうな段差がある水場がすぐ側にあり、ちょっとしたフェンスはあるがそれだけだ。


「一応、目撃の有無くらいは確認しておくか」







◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇







(有限会社シノオカ・新東京都第七区工場……ねぇ)


 スマホで更に調べてみたら、平成の終わり頃に立ち上げられた工場のようだ。

 初期の頃は、主に学校の備品――机や椅子、黒板や棚と言った物を作っていたが、その後大手インテリアを扱う中堅会社に買収され、それからはそこそこ多い仕事をこなしていたが、事業計画の変更に伴い閉鎖。それから五年近く放置されているということだ。

「つまり、無人なんだよなぁ……」


 こういう所は下手すると、少々面倒なタイプの学生ややからがたまり場にしている事がある。

 ちょっとやんちゃな程度ならば全然問題ないのだが、最近話題のスキルドラッグ――薬物を使用した人間の酩酊感や恍惚感といった独自の感覚をコピーし、スキルの習得のようにして使用者に味合わせる新種のデジタルドラッグを嗜むための隠れ家だったりしたら、最悪酷い目に合うかもしれない。


 それこそ数週間前に、スキルドラッグを使用した結果被害妄想に陥った三十代の普通の主婦が、包丁を持ってスーパーで暴れ回るなんて事件があったばかりだ。

 その時はちょうど万引き犯を連行するために来ていた警察官二名が押さえて大した被害は出なかったとニュースでは言っていたが……。


(そーっと。そーっと覗いて人の気配があったら素早く離れる)


 まだ明るい時間帯なので大丈夫だとは思うのだが、逆に夜に物音がすればすぐに通報されると思ってこんな時間に集まる可能性だってありえなくはない。


 仮にそうでなくても、ホームレスなどが寝床にしている可能性も十分ある。

 暴力的かどうかは分からないが、トラブルになるかもしれない以上慎重にならざるを得ない。


 出来るだけ音を立てないように、錆びだらけのフェンス・ドアをゆっくり開ける。

 特に施錠がされていないそれが、蝶番の部分の錆が最近こすり落とされているのを見つけてしまい緊張が走る。


 着手金以下ののお金しかもらっていないし、さっさと帰ろうかな。という欲望と、少額でもいいと言ってそれを受け取ったのだから、出来る事は全てやるべきだという両親がかち合う。


(……優しい美人の頼みは無下には出来ない、な)


 結局、その斜め上の欲望が打ち勝ち、更に中へと入っていく。

 花壇やコンクリートの隙間やひび割れからは勢いよく雑草が伸びている。


(……コンクリートの隙間の雑草は所々ちぎれていたり、折れたままになっている。しかもまだ色が落ちていない)


 少なくとも最近、人の出入りがあったということだろう。

 足を止めて、耳を澄ます。

 真っ先に耳に入る川の流れや公園の喧噪を意識的にシャットアウトし、目の前――すなわち工場の内部へと全神経を集中させるが、人の気配はしない。


 なんとなく感じる反響音のようなものが響くだけだ。

 調査となれば聞き込み、聞き込みとなれば人に会う必要があるとスーツに革靴でここまで来たのだが、せめて履き慣れていて音を立てにくい運動靴にすればよかったと後悔しながら、ジリジリと進んでいく。


(……これ、むしろ俺が通報されないかな)


 工場――おそらくトラックなどの搬入口なども兼ねている大きな出入口は、開ければ大きな音がするだろうし目立つだろう。


 第三者からすれば間違いなく泥棒に近い思考で侵入口を探す。

 目についたのは事務所らしき区画の普通の扉。

 どうやら奥の方は、作業場区画と繋がっているようだ。


 生い茂った背の高い雑草に触れて僅かな音も立てないように、静かに、静かにドアへとたどり着き、用意していた手袋を着けてからそっとノブに手をかける。


(? おっとぉ?)


 まず最初に驚いたのは、施錠されている気配がなく、何にも引っかかる事無くノブが回り切った事。

 そして次に驚いたのは、そのドアノブの鍵穴部分。それに蝶番の部分が傷だらけだった事だ。


(……こじ開けられている? 手袋、念のために用意しておいて正解だったな)


 そのおかげで傍から見れば完全な空き巣であるという事実を意識の隅に追いやり、摺りガラスへ耳を近づける。

 やはり中からは何の音もしない。

 時折出る『キ……ィ……』という金属のこすれる音におっかなびっくりしながらノブを回し、ドアを開ける。


(ああ、やっぱり誰かいたのか)


 放置されたままの事務机の上の一角には、口を縛られたゴミ入りのコンビニのレジ袋が集められている。

 飲みかけのペットボトル――あり触れた500mlのから1.5ℓのものもバラバラにだ。

 ただ、ペットボトルのどれもしっかりと栓がされており、そのためかさほど異臭は感じない。


(お茶にコーラに新発売のピーチソーダ。散らばってる唯一のゴミは袋開きにしたスナック菓子のみ。ちょっと冒険心を出した中高生の秘密の隠れ家……みたいな感じだな)


 灰皿こそあるがそこに煙草の吸殻はおろか灰すら残っておらず、ビールや酎ハイといったアルコールの類も見当たらない。

 もしここにそういった類のものが散らばっていたら、恐らくここで引き返してしばらく要素w窺っていただろう。

 具体的には数日の間の人の立ち入りなどで、どういう人間が入っているのか確認してからではないと動けないだろうという確信がある。


 なにせ、九条ミツグという男がどうしようもなくビビりな男だという事はよく分かっている。

 本人なんだから。


(もし出会っても、警戒させないように気を付ければ大丈夫そうだ)


 心なし軽くなった足取りで更に部屋を調べてみる。

 口を縛られているコンビニのレジ袋を開いてみると、予想通り弁当の空き容器やパンやサンドイッチの包みなどが中に入っていた。

 さすがに少々時間が経っているため、こちらは袋の口を開けた途端に異臭がした。


(あれ? エコマートの袋に弁当? この近所にあのコンビニあったっけか?) 


 ペットボトルの量や大きさから、最後にここで屯っていた時はそれなりの大人数がいたはずだ。

 ここから最寄りにエコマートまでは……あまり出歩かない場所だから正確ではないかもしれないが、それでも二十分ほどは歩くはずだ。


(少なくとも、ここに来るまでのナビ画面にエコマートの表示はなかった。学生の集まりが、わざわざ遠いコンビニにまで足を運ぶかな……)


 仮に学生だとしたら使えて自転車。

 ……これだけの量を買うには、それでも少し遠すぎる。


(小学生とかならば元気さ有り余ってそういう行動取ってしまうって可能性も考えられるけど……)


 捨てられているゴミの中から、そういう……幼さ・・は感じない。

 中高生あたりだと思っていたのだが……。


(それにこれなんだ? 薬のシート?)


 なにより、ゴミ袋の中の一つにカプセル……いや、錠剤が二つ入っていたのだろう銀色のゴミが入り込んでいた。


(トリア……なんとか錠……〇g配合……薬の名前とかを書いてる所に、ちょうどコーラの雫が固まってこびり付いちゃってるな)


 さすがに異臭が漂い始めている、しかも薬関係のモノには触りたくない。

 見た所普通に売られている薬のようだが、万が一を考えると下手に触って自分の痕跡を残したくない。


(……学生は学生でも大学生、とかかもなぁ)


 アルコール飲料の類がないのは、車を使ったためかもしれない。

 ただ、大学生がこんな所にわざわざ隠れる必要なんてないと思うが……。


(実家暮らしで遊ぶ自由なスペースがなかった? いや、そんなバカな話があるわけないか)


 買い物の量からして、よほどの大食漢でもない限り最低でも四人くらいはいたハズ。


(まぁ、慎重に行くに越したことはないか)


 袋などを全て戻し、一番奥の扉目掛けて再び慎重に足を進める。

 恐らく作業場に繋がっているのだろう簡素なアルミフレームの、どこにでもありそうなドアへと近づき、ノブをそっと開く。


「……っ!? うぉっ」


 ドアがわずかに開いて、向こう側とこちらの空間がわずかとはいえ繋がった途端に、これまで感じなかった酷い悪臭がしてきた。


 反射的に服の袖を引き延ばして鼻周りを覆う。


(これは……腐敗臭)


 自分のうっかりで水場やら冷蔵庫からたまに匂う事もあったアレに似た、だが段違いの濃さの臭いがドアを開ければ開ける程流れて来る。



―― いなくなって一週間と少し。まさかなぁ……。



 工場部分に放置されていた何かが腐敗した可能性。

 野良犬や野良猫がかき集めた餌か、あるいはそのものがここで亡くなりそのまま腐敗している可能性。

 そしてもう一つ――できれば考えたくない可能性だが……。


(いや、さすがに一週間でこんなひどい匂いになるまで腐敗する可能性は少ないか。最近気温は上がりつつあるけどまだそこまでじゃない)


 あまりにもひどい臭いなので、一度ドアを閉じてから深呼吸をする。

 胸いっぱい腹いっぱいに空気を吸い込み、息を止める。


(出来る事ならゴーグルのようなものが欲しい所だけど)


 余りに酷い匂いに、眼球が刺激を受けているかのように錯覚する。

 もう人の気配がないと確信したので、今度は勢いよくドアを開け、真っすぐに中を見る。



「……ぉ……ぐ……っ」



 そこにあったのは死体のカーペットだった。



 五人の――おそらく二十歳前後くらいの、男と見られる死体が転がっている。

 パッとではただ男達が倒れているだけのなのだが、その内から全て零れたのだろう大量のドス黒い血だまりの跡と、彼らの肌をうごめく蛆や蠅が、一目でもう手遅れなのだと教えている。


 奥の方に、旋盤やら作業台やらが並んでいる所にもう一つ人影がある。

 床に転がっている五人とは違い、パイプ椅子に座っている。


 

 探していた老人が、笑ってそこに座っていた。

 笑顔のまま、首を斬り裂いて。



 気が付いたら、来た道を必死で戻り、外へ通じるドアを蹴り明け、



 そこで俺は、盛大に吐いた。


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