第一話:探偵、九条ミツグ

 男にとって、嫌な物なんて腐るほどある。

 だがその中でも得にツラいのは、いい歳をして叱られる事ではないだろうか。


『聞いているのですか、三継ミツグさん?』

「ええ、はい。ちゃんと聞いております」


 仕事で目上の人間に叱られるのなんて、よくある事で嫌である事トップ3に入るが…まぁ、仕方がない。

 幸いまだそういう事態はないが、それが年下だったらと思うと目も当てられない。


『まったく、貴方という人はこんな時間に眠そうな声を出して……もうお昼前なのですよ? 仮にも私の家である九条の姓を名乗る人間が――』

「申し訳ありません。昨日は夜通し……それこそ朝方まで仕事をしておりましたので――」

『いつまでも私立探偵というフラフラした仕事をしているからです!』

「いえ、ですが母さん……!」


 それでも、三十超えて親に叱られるのは色んな意味でキツすぎる、勘弁してくれ……。


「キチンと独立して自分の食い扶持は確保できるようになりましたし、俺としては十分な生活を――」

『不規則な生活をしておいて十分もなにもありません! 大体貴方、事務所にしているビルの間取りの一角を無理やり自分の部屋にしているだけじゃないの!!』


 仕方ないでしょ、真昼間に不倫相手の女とシケこむ馬鹿なんているわけないんだから……あぁ、いや、去年の今頃にいたな。堂々と務めている会社内でやらかしてた奴が。

 その前にも……おっと、結構いるな。


『貴方はやれば出来る人なんですから、それこそスキルの一つや二つを入れて習熟させればもっといい仕事がすぐに見つかるでしょうに』

「申し訳ありませんが、どうしてもそういった物は苦手でして……」

『お兄様達はそれぞれの技能にスキルを活かして政治家に俳優としてしっかりした……ええ、立派に生活を立てております!』

「俳優やってる忠次兄さんは、相変わらず滅茶苦茶な生活をしているようですが」


(……主に女関係で)


『口答えするんじゃありません!!』


 うっす。


『忠次さんもアナウンサーのお嬢様をお嫁をいただき、先日キチンと挙式いたしました! なのに貴方は式に顔も出さずに!』

「いえ、あの……仕事が立て込んでおりまして……」


 浮気の証拠を掴むために、依頼人の奥様に偽の同窓会の手紙を仕掛けてもらった日がよりによって結婚式だったのだ。

 確実に証拠をつかむには、奥様に確実な予定が出来たと相手が確信して動いたところを狙うのは探偵のセオリーである。


 そしたら忠次兄さん、よりにもよってその日に結婚式の日程放り込んでくるんだからホントにもう!


「そのことは忠次兄さんに電話で直接お話をして、許しを得たのですが」

『じゃあ貴方、忠次さんのお家にご挨拶に伺いましたか?』


 うぐ……ぅ。

 あの人の女周りの話、生々しくて苦手だからちょっと避け気味なんだよなぁ。


 新一兄さんは親父の下で仕事していて忙しいし、思う所あって母方の性を名乗っている自分としても会いづらい。


 そう考えると、家族と会った事なんてこの数年で一回くらいか。


「いえ、まだ……一応お祝いの手紙と電話、粗品は送りましたが」

『相手のお嬢様は、それはもう良い娘さんでしたわ』


 ……アカン。

 また例のあれか。


『三継』

「はい」

『貴方も結婚なさい』

「勘弁してください」

『勘弁?』

「あ」



 ヤッベ、本音がポロッと零れ出ちまった。



「いえ、その――」


 俺は誰かと共同で幸せな生活を作れるタイプじゃないんですよ!

 兄さんたちは器用にやっているけど……。


「そうは言ってもですね、母さん。そういうのは相手が――」

『見合いをこちらで用意いたします』

「本当にそれだけは許してください」


 止めてくれって家を出た時……どころか出る前から何度も何度も言ってるでしょうが!

 もう十年近くだぞ!?


 というか今何年だと思ってるんだ、母さんが現役だった平成の世とは違うんだよ!


「あのですね母さん、一応俺も成人した上に実家も出ている社会人な訳でして――」

『いいですか? 貴方がいつまでもフラフラしていてはお兄様達の、強いてはお父様の名に傷が付きます。分かっているでしょう? 貴方のお父様は――』



――ピンポーン……っ



 ナイス! 依頼人か!


「母さん、申し訳ありませんが仕事が入ったようですので失礼いたします!!」


 返事は聞かない。社会人として依頼人を待たせるのは問題だからね仕方ないね!

 ガチャンと受話器を叩きつけて、途中だった着替えを済ませよう。


 さぁ、仕事の時間だ!!







◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇







「失踪したお爺さまの捜索依頼ですか」

「はい」


 事務所を訪ねてきたのは、二十代半ばの若い女性だった。


(藤堂詩織さん、二十五歳。……専業主婦とは、また珍しいな。大抵ウチに来るのは共働きの家が多いのに)


 というか、こんな若い人が来ることが珍しい。

 大抵こんなひっそり隠れ立つようなビルの探偵事務所にまで来るのは、この近隣に住むご年配の方が多いのだが……。


(左手の指輪が真新しい。新婚か。髪も爪もキチンと手入れされているし衣服も真新しい。少なくとも生活は良好。旦那さんは結構いい所に務めているのかな……。手からわずかに荒れ防止のハンドクリームの匂いがする。家事をしっかりするタイプか)


 たまにある厄介な客とは少々違うようだが、顔色からして深刻であるのは間違いないのだろう。


(にしても、行方不明者の捜索とは……。ウチの依頼のほとんどが浮気調査か素行調査なんだけど)


「警察にはもう捜索願いを?」

「ええ、暗くなっても戻らず、実家に戻っても帰った形跡がなくて。……それからもう一週間になります」


 詩織さんは、一応出したお茶には手を付けずにソファーに腰をかけたまま、膝の上に置いた手を握りしめている。


「祖父は、私が結婚してからも私の事を心配してくださって……よくウチに顔を出しては、ラッキーの……飼い犬の散歩を手伝ってくれていたんです」

「……では、失踪されたのはその散歩中に?」

「はい。夕方にラッキーだけ戻ってきて……それで慌てて探し始めたのですが」


 詩織さんは頷くのと同時に、写真を差し出してきた。

 大きな白い犬と共に写っている、眼鏡をかけた年老いた男性。

 捜索対象ということか。


 ……あれ?


「この写真ではこの男性、お爺様……えぇと」

仁科にしなです。仁科にしな征史もとふみ

「仁科さんですか。どうも杖を突いていらっしゃるようですが?」

「ええ。十年前に自転車にぶつけられて……大きな怪我はなかったんですが、数か月経って、杖がないと歩くのが辛くなったと言い出してそれから――」

「それでも、犬の散歩を手伝っていたんですか?」


 まぁ、杖を突きながらでも歩けるくらいの元気はある老人は珍しくないけど。

 犬の散歩となるとリードを持たなくちゃいけないからちょっと工夫しないと面倒じゃないか?


「あ、いえ、私が結婚して家を出た頃になってから、トイレに行くのにすら苦労するのは面倒だと言い出しまして……」




「お医者様の勧めもあって、都営の能力管理センターでスキルをいくつか入手したんです」


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