女装して事務所へ


「くっ……まさかこんなことになるとは……!」


 翌日。放課後俺は事務所へと向かっていた。

 姉貴から「今日は事務所で用事があるから一人で帰ってくれる?」というメッセージが飛んできたあと、俺は人気の少ない別校舎のトイレであらかじめ持って来ていた女子制服に着替える。

 事務所には姉貴もいる。俺だということがバレないように念入りに女装した。

 鏡の前に映る金髪ロングの女子生徒をよく見る。

 これで姉貴にはバレないよな……絶対にバレないよな?

 鏡に映る俺は姉貴とは似ても似てつかない顔になっているので、大丈夫なはずだ。


「よし、行くぞ……」


 声も萌園アリスのものに変える。咄嗟に声が出た時に俺が男だとバレないようにしないとだ。

 そしてトイレから出ると、バッタリと女子生徒に出くわしてしまった。


「っ……!?」


 思わず地声が漏れそうになった。

 咄嗟に抑えたが、出くわした女子生徒の顔を見て、さらに驚愕に目を見開いてしまった。


「津出列さん……!」


 遭遇したのは愛好だったのだ。

 女装姿の俺から名前を呼ばれた愛好は訝しげな顔で俺を見てくる。


「え? 私の名前? ていうか今男子トイレから出てきて……」

「え!?」

 そうだった!? 今俺が出てきたのは男子トイレだった……!?

「え、えーっとぉ……」


 挙動不審なまでに目を泳がせ、汗を流しながら俺は言い訳しようとする。

 しかし愛好は首を傾げると、さらに俺の顔を覗き込んできた。


「ん? なんかその声聞いたことあるような……」

「うえっ……!?」


 そうか、愛好は萌園アリスの声を知っているのか……!

 これ以上話したら色々とボロが出そうだ。さっさと理由をつけ別れないと。


「じゃ、じゃあ私はこれで……」

「あっ、ちょっと待って……」


 愛好の引き止める言葉を無視し、俺はそそくさとその場から小走りで愛好から逃げた。

 やばかった。もう少しで色々とボロがでるところだった……。

 その時「まさか……」と呟いて俺の背中を見る愛好には気が付かなかった。






「事務所に来たはいいものの……」 


 俺は事務所が入っているビルを見上げる。

 未だ俺は事務所に入ることを躊躇っていた。

 そう、俺はとんでもない事実に気がついていなかったのだ。


『明日、「放課後ライブ」のメンバーに萌園アリスである君を紹介しようと思う。女装して事務所まで来てくれ』


 社長の女装という言葉に気が取られていて気づかなかったが、「放課後ライブ」のメンバーに紹介される、ということは姉貴にも紹介されるということなのだ。

 もし姉貴に俺が女装していることがバレたら……想像するだけで恐ろしい。

 一度、萌園アリスを始めてから怖くなって、姉貴に聞いたことがある。


『姉貴さ』

『何よ』

『もしもの話なんだけど、俺が自分で女装してたらどうす』

『まずは撮影会ね。五時間はするわ。そのあとは私と一緒にデート。皆んなに理太郎がかわいい姿で私といるところを一緒に見てもらわないと』


 悲鳴が出るかと思った。

 めちゃくちゃ笑顔で言われた。あれは本気だ。

 俺が震え上がったのは言うまでも無い。

 もしも女装がバレたら弱みを握られた上に、全世界に俺の恥が公開される……!


「帰りたい……」


 めちゃくちゃ帰りたいが、すでに今日の予定は決定済みだ。

 それにここまで来て帰るのも、俺を紹介するためにこの事務所まで来てくれたメンバーにも申し訳ない。

 だがしかし姉貴にバレたら……。

 ビルの前でう〜ん、と悩んでいると。


「あれ、さっきの子じゃない?」

「え? あっ……」


 声をかけられたので振り返ると、そこには愛好が立っていた。


(ギリギリに来て時間をずらしたつもりだったけど、まさか愛好とかち合うとは……)


 俺がどうしようかと迷っていると、愛好が俺に話しかけてきた。


「ねぇ、もしかしてなんだけど、あなたも「放課後ライブ」の事務所に行くの?」

「えっ、まあ、はい……」


 流石にここで「違います」とは言えなかった。

 ここで断っても後でメンバーに紹介するときに会うし、その時に嘘をついたとバレたら角が立つ。


「やっぱり! 学校で声を聞いた時にまさかと思ったんだけど、やっぱりあなたがアリスちゃんなのよね!? そうなのよね!?」


 愛好は興奮した様子で詰め寄ってきた。

 やっぱりバレてたのか……。俺は内心で冷や汗をかいた。


「う、うんそうだけど……」

「私も実はここの「放課後ライブ」のメンバーなんだ。一緒に行こ?」

「い、良いけど……」

「ほんと!? やった!」


 俺が了承すると愛好はパッと笑顔になり、腕に抱きついてきた。

 イチゴみたいな甘い匂いと、柔らかい感触が制服越しに伝わってくる。


「う゛ぇ!?」

「どうしたの?」


 思わず変な声が出たが、愛好は至極不思議な顔で首を傾げている。


(きょ、距離が近いと思ったけど、これが普通なのか……?) 

 愛好の距離感は明らかにおかしい。

 だけど愛好の様子は至っていつも通りで、それどころか逆に何が不思議なのかが不思議な顔をしている。

 こっちは心臓が爆音で鳴っててバレないか不安なのに。


「い、いやなんでも……」

「じゃあ行きましょ? そろそろ時間だし」

「うん……」


 俺と愛好はビルの中に入っていく。

 その間も俺の腕は愛好にがっちりとホールドされている。俺の腕にしがみついている愛好はかなり上機嫌そうだった。

 というか、俺にはあれだけ厳しい愛好だが、女子には結構優しいのか。意外だな。

 そんなことを考えながらエレベーターに乗り、事務所の中に入る。


「みんなはこっちよ。ついてきて」


 愛好は俺の手を引っ張りながら先導して事務所の中を進んでいく。

 その際、さりげなく手を握られた。

 ……待ってくれ。本当にこれが女子の距離感の取り方なのか? いや絶対におかしいだろ。


「あ、あの……津出列さん。なんで手を……」

「あれ? 私名前教えたっけ?」


(し、しまったーっ!?)


 そうだ、俺と愛好は学校のトイレ前で出会ったのが初対面なんだ。名前なんて知るはずがない。

 油断していた……!

 俺は慌てて言い訳をする。


「え、えっと……私が一方的に名前を知ってて……」

「え?」


 愛好は一瞬ポカンとした顔になると、ガバッと両腕を掴んできた。

 いきなり腕を掴まれて困惑していると、愛好は前のめりに質問してきた。


「……それ、なんで!?」


 えっ、食いつきてきた!?

 愛好が真剣な瞳で俺の目を覗き込んでくる。


「え、いや津出列さん美少女だし、前から気になってた、から……?」


 俺は出まかせの言葉を吐く。

 しかし愛好も学校では美少女ということで有名で、尚且つ最近「放課後ライブ」に所属していることが分かり、気になるといえば気になっていたので、全てが嘘なわけじゃない。


「っ、それほんと!?」


 腕を掴み確認してくる愛好。


「ほ、本当だけど……」

「そっか……分かった。そういうことなら、私も……」

「今何か言った?」


 最後の方が聞こえなかったので、愛好に聞き返す。

 しかし愛好は首を横に振った。


「ううん。さ、行こ。もうみんな待ってるから」


 愛好は顔を上げると俺の手を引き、社長や「放課後ライブ」のメンバーがまつ部屋へと連れて行ってくれた。

 そして社長室に入ると社長を除いて五人ほど、制服を着た少女がいた。姉貴もその中にいる。

 ……「放課後ライブ」ってまさか本当にみんな学生なのか?

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