ツンデレさんに絡まれた
「ねえ、ちょっと話があるんだけど」
亜麻色のツインテールが俺の机の前に仁王立ちしていた。
吊り上がった蜂蜜色の瞳はキツく俺を睨みつけ、胸の前で組んだ両腕はその豊かな双丘を押し上げ……ることはなかった。
なぜなら双丘というよりも絶壁だからだ。
「あんた変なことを考えてんじゃないでしょうね」
「いえ、全然考えてません」
否定したのになぜかさらにギロリと睨まれた。
彼女の名前は
この学校では美少女なので、姉貴ほどまではいかないが、かなりの有名人でもある。
そして……最近俺の姉貴が所属する「放課後ライブ」に彼女もVTuberとして所属していることが明らかになった。ああ、そういえば俺も「放課後ライブ」に所属していることになったんだっけ。
愛好は俺が朝登校し、椅子に座るや否や俺の目の前までやってきた。
「それで、今時間あるの」
「あるけど、それがどうかした?」
「ちょっと今からついてきなさいよ」
「いや、でもちょっと姉貴のパシリに……」
さっき姉貴から『ちょっとお昼のご飯購買で買ってきて。五分以内』と連絡が来たのだ。早く届けないといけない。
「良いからついてきなさい!」
「い、痛っ!? ちょっと耳引っ張るなって!」
愛好は俺の耳を引っ張って無理やり立たせると、がっしりと腕を掴んで教室から力づくで引き出した。
腕を引かれるまま引っ張ってこられてやって来たのは、滅多に生徒も教師も通らない屋上の入り口前だった。
愛好は俺を壁の前に立たせると、俺の顔の横にバンッ! と音を立てて手をついた。
ひっ、と思わず悲鳴が漏れた。
「あんた。分かってんでしょうね」
「お、お金ですか……」
「カツアゲじゃないわよ! そうじゃなくて、昨日のことよ!」
「昨日のこと? ああ、事務所で」
「それ以上言っちゃだめぇっ!」
「むぐっ!?」
愛好が俺の口を両手で塞いできた。
急に息ができなくなった俺は愛好の手をギブアップの意味を込めて何度も叩いた。
「絶対に余計なこと言うんじゃないわよ! いい!?」
愛好がとんでもない眼光で聞いてくる。俺は何度も頷いた。
俺の口から手を離した愛好は額に手を当てて、呆れたように首を横に振った。
「まさか誰が聞いてるかも分からないのに、迂闊に昨日のことを話そうとするなんて信じられない。はぁ、これだから素人は嫌なのよ」
愛好は「いい?」と俺の胸に人差し指を立てる。
「私はね、そもそもあんたがウチに入ることは反対なのよ」
「なんで俺が入っちゃ駄目なんだ」
「はぁ? そんなことも分かんないわけ? だったら説明してあげるわ。ウチの箱は女子ばかりで今までやって来たの。これがどういうことか分かる?」
「ファンは男性が多いし、アイドルとして見てる奴も多い」
「な、何よ……分かってるんじゃない」
愛好は目を見開いた後、ハッとして頭を振った。
「じゃあ尚更じゃない! それが分かっててなんでウチに入ったのよ! ウチの箱に男子が一人入るってことがどういうことか分かってんの!? 今まで積み上げたブランドが崩れ去る可能性もあるのよ!?」
「それは……」
本当は俺のせいではなく、半ば強制的に所属させられたのだが、それを言うことはできない。
なぜなら俺がVTuber『萌園アリス』として活動してる秘密も話さなければならないからだ。
言いたいことをぐっと飲み込んで、俺は愛好に反論する。
「でも、正式所属じゃなくて、姉貴のチャンネルのサブキャラ的な立ち位置なんだぞ」
「そんなのファンには関係ないわ。ウチの箱としての魅力は女子しかいないこと。ウチは男にとってのいわゆる桃源郷なの。そこに男一人が入るだけで、どれだけの人間が興醒めすると思う? ノイズなのよ、あんたは」
「……」
正直にいって、愛好の言葉には全て賛成だ。
なぜなら、俺も「放課後ライブ」という箱のファンなのだから。
そこに男が入るというノイズで、どれだけの人間が冷めていくのかも大体分かる。
確かに、姉貴との配信では俺はかなり受け入れられていた。批判意見はほとんど見なかったといっても良い。
だが、それは姉貴のファンの中に限っての話だ。
「放課後ライブ」全体として見れば話は別になる。
箱の中でアイドルとしてキャラを売っているVTuberもいるし、そのファンからは難色を示されれるかもしれない。いや、示す方が多いだろう。
その気持ちはよく分かる。本当に、よく分かる……!
(……ほんとになんで所属しちゃったの俺)
全てはあのイカれお祭り好き社長に弱みを握られてしまったのが運の尽きだ。
自分を今すぐにでも引き裂いてやりたい気持ちになったが、とりあえず気を鎮める。
愛好が理解したか聞いてきた。
「私の言いたいことは分かった?」
「ああ、十分分かった」
「そう。じゃああんた、ウチの箱に所属するっていうの、取り消しなさい」
愛好は今までとは違う、真面目な顔で俺にそう言った。
これには俺も真面目に答えなければならない。
「……悪いが、それは出来ないんだ。ちょっと事情があってな。だから──」
「だから?」
愛好が追うように聞いてくる。
「妥協点を探ろう」
そう、もう俺が「放課後ライブ」に所属してしまうということは変えられない。
だからここでするべきは、お互いの妥協点を探ることだ。
「津出列の言うことには一理ある。ていうか俺も賛成だ。だからこうしよう。俺は姉貴以外の配信には絶対に出ないことにする。これでどう?」
「……ふぅん?」
先ほどまで俺を睨め付けていた愛好はそれをやめて、両腕を組んで俺に話の続きを促した。
一応俺の話を聞く気になった、と言うことだ。
「俺が姉貴以外の配信には出てこない、って分かったら箱のファンの人たちは安心するんじゃないか。まあ、冷める人が出るのは止められないけど。これで俺のせいで起きる現象は最大限抑えれるはずだ」
「…………そうね、確かにあんたがもう所属することが決定してるなら、それが一番マシね」
愛好は斜め下を見て呟いた後、息を吸って俺をビシッと指差した。
「良いわ! あんたのその妥協案を採用したげる!」
愛好にそう言ってもらえたことに俺はホッと安堵の息を吐く。
「じゃあ、受け入れてもらえたということで、俺はこれで……」
「待ちなさい」
「ぐえっ」
愛好が俺の襟首を掴んで引き留める。
「何するんだよ」
「まだ重要なことが残ってるでしょ」
「重要なこと?」
「そうよ! 良い!? 自分が事務所に所属してることは絶対に言うじゃないわよ! 芋づる式で私がバレるかもしれないんだから!」
愛好は俺の鼻先に指を突き立て、そう言った。
「……なんだ、そんなことか。そもそも言うつもりないって」
「どうかしら。理奈の話じゃ結構ウチのファンなんでしょ? ファンだった事務所に自分が所属するってなったら、嬉しくなって友達に言い触らしちゃうんじゃないの」
「いや言わないって。大体、言ったら姉貴もバレるし。俺は姉貴が一番大切なんだから言うわけないじゃん……あっ」
「何よ、急に後ろを見てそんな変な声あげて」
愛好は首を傾げ、俺の視線を辿るように後ろを振り向く。
「いくら連絡しても返事がないと思って探しにきたら……何をしてるのかしら愚弟と愛好?」
愛好の背後には姉貴が立っていた。
しまった……! 今のキモいセリフを聞かれた……!
というか肉親が大切なのは当然なんだけど、改めて一番大切って言葉にしてるところ聞かれるの、精神的にキツすぎる……!
姉貴も俺がキモすぎるからか、目を見開いて、心なしかゴミを見るような目で見られてる気がするし……。
「あ、あのね理奈」
「姉貴、パシが遅れてるのは理由があって……」
「理太郎。姉ちゃん、今何を話してるのか分からなかったから、教えてくれない?」
ニッコリと笑顔で質問してくる姉貴。めちゃくちゃ怖い。
「え、ええと……俺が事務所に所属したことは話さないって」
「そこじゃないわ。もっと後」
「俺が事務所に所属してることをバラしたら、姉貴もバレるから言わないって」
「その後」
「姉貴が一番大切だから言うわけな」
「ごめん、お姉ちゃん聞こえなかったから、もう一回言ってくれないかな?」
ニッコリと笑った姉貴が首を傾げてお願いしてくる。めちゃくちゃ怖い。
てかなんで今スマホを録音状態にして後ろ手に回したんだ?
「あ、姉貴が一番大切だから……」
「オッケー、もう良いわよ」
姉貴はニッコリと満足そうに笑うとスマホをスカートのポケットにしまった。
今の笑顔で分かったが、多分姉貴は脅すために俺のキモすぎ発言を録音したのだろう。
絶対にいつかあれを使われる。そうに違いない。
いつかスマホからあのキモすぎ発言が流れるのかと思うと、恐怖で震えてきた。
「愛好」
「な、なに……」
「弟を連れてった件は今日は許してあげるわ」
「あ、ありがと……」
姉貴は愛好の肩に笑顔でポンと手を乗せると、階段を下っていった。
愛好は反対に若干青い顔になっている。
「お、おい大丈夫か」
「わ、私は大丈夫よ。それよりあんた、今日の夜は気をつけなさいよ……」
「あ、ああ……?」
よく分からんが、夜道に気をつけろってことか?
そしてちょうどチャイムが鳴ったので俺たちは急いで教室へと戻った。
その日、下校する時なぜか姉貴がアイスを奢ってくれた。
しかもやけに上機嫌だった。
何でだろう?
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