2021年6月24日

 今日は出勤日ではなかったが八時に起き、一時間ほどネットサーフィンをした後、午前までに、何度も推敲しながら履歴書を二つ書き上げた。十二時、昼を食べに出かけるついでにそれらをポストに投函すると、その途端、何だか徒労に思えてきた。路傍に綺麗な花を認めて、家に持ち帰ろうと摘み取ったその刹那枯れてしまったような。奮発して蕎麦を食うつもりだったが牛丼チェーンに変えた。何の感動もなくそれを食べた。これなら家で野菜炒めでも作った方がマシだったと後悔する。俺の人生は常にこのようなちょっとした後悔に支配されている。

 一体どこで道を踏み誤ったのだろう。アパートに帰ると、特にもうやることもないから、こんなくだらないことを考えてしまう。本当にくだらない。何故なら原因が分かったところで、その対策を活かす場は未来永劫やってこないからだ。あの採用ホームページに書いてあった未経験者大歓迎という言葉はきっと嘘に違いない。百歩譲って本当だったとして、それならそれで、経験者が定着しない過酷な現場を意味するだけだ。それでも俺はそういうものに縋らなければならない。益々、修正不可能な方向へと拗れていく。蟻地獄に飲み込まれる一寸先の己をリアルに想像し、具合が悪くなる。

 俺はカーテンを乱暴に閉めて、部屋は幾分薄暗くなったがまだ満足出来ず、布団を頭から被る。そうしていても嵐は決して過ぎ去らないことを知っていても、これはもう幼い頃からの癖のようなもので、俺は幼い頃から成長していない。出来なかった。成長する機会を奪われたと自分では思っている。

 蛹の状態の昆虫は、生命を維持するのに最低限必要な組織を除いてその中身はドロドロで、それ故非常に繊細で、外部から衝撃を与えると蛹のまま、死んでしまい、永遠に成虫にはなれない。

 学校というものに行かなくなったのは、小学五年の夏休み明けからだ。でも当時の選択を今の俺は否定することが出来ない。それは、勇気ある選択だった。子供だった俺にとって学校は世界そのものだった。学校に行かなくなることの重大さは、だからはっきりと自覚していた。それでも耐えられなかったのだ。今の俺が蟻地獄に立っているというなら、当時の俺はまさしく地獄の只中にいた。当時の俺は身体が小さくて、所謂イジメを受けていた。

 最も執拗に俺をいじめていた奴は地元のサッカークラブに所属していた。サッカーボールを使った遊びの一つに、鳥かごというものがある。鬼を一人決め、鬼にボールを取られないように、他のプレイヤーはパスを回していくという、単純で、その分際限なく残酷になり得るゲームだった。昼休みになると、俺は強引に、鬼として鳥かごに参加させられて、いつまでもボールを奪えないまま、体力の限界まで走らされた。遂に籠の中で倒れ込むと籠は檻へと変わり、今度は身体目掛けてシュートを何本も打たれてアザだらけになった。アザはそのうち消えても、心に負った傷はいつまでも癒えない。俺はその頃からスポーツというもの全般が嫌いになった。俺を執拗にいじめていた奴は地区の選抜に選ばれるくらいサッカーが上手かったが、裏を返せば地区選抜止まりの男であった。到底プロにはなれない。地区選抜の上に県選抜があり、その更に上には地方選抜、……と巨大なピラミッドがあって、オリンピックに出ているような奴は、その頂点に君臨しているのだ。自分が立っている足元に埋まっている骸の存在など、気にかけたことはおろか、存在すら多分知らないはずだ。そんな奴らが与える感動なんて、薄っぺらくて敵わない。そんな奴らは極悪非道に違いない。そう思わないと、俺は俺の人生をやっていられない。

 俺の人生……。十八の時、このまま引きこもっていては駄目になると思い、家を出て一人で暮らし始めた。世間知らずの俺は最初、金を貯めて夜間学校に通おうと思っていたが、程なくそんな余裕はどこにもないことに気がついた。生活はいつもギリギリで、いまを生きるのに精一杯だった。それでもジリジリと摺鉢の底へと落ちていく感覚があった。こうなってしまった分水嶺は間違いなく小学五年の夏休み明けにある。でも俺はそれを仕方がないことだったと捉えている。なら、そもそもこんな虚弱な人間、生まれてこなかった方が良かったのだろうか。いや、俺はこんな自分にも生きているだけの価値があることを、立証したくて、家を出たのだ。ただ、ここで価値とは一体何だろうと考える。俺には単に、幼虫が美しい翅を持つウスバカゲロウへと変身するために必要な養分としての価値しかないのだろうか。搾取されるだけ搾取され続け、動かなくなったら誰にも看取られずに朽ちていくのだろうか。ウスバカゲロウのその美しい翅を見て、果たして誰がその裏で犠牲になった者へと少しでも想いを馳せてくれるだろうか。最早、悲しさすらない。ただ、俺は、俺の人生の中ですら主役ではないのかもしれないと否が応でも感じてしまう。どうせ主役になれない人生ならば、実家に引きこもっていた方がマシだったのではとも。そうだったなら、少なくともいまこの瞬間の息苦しさはなかったかもしれない。でもそれは、安楽死を望むことと何も違わないような気がする。俺は死にたいのだろうか。分からない。何も分からなくなる。薄い透明な膜が全身を覆っているかの如く、現実に対する諸々の感度が一様に麻痺してしまっている。

 嫌な汗を掻いてきて、被っていた布団を跳ね除ける。仰向けのまま枕横をまさぐりスマートフォンを探し当てる。そうしてニュースサイトを見る。相変わらず新型コロナウイルスの話題が報じられている。二十一日に第三回目の緊急事態宣言は解除されたが東京の新規感染者数は依然毎日数百人を数え、緊急事態は明らかに続いている。巷では、オリンピックに支障が出かねないから解除したのだという憶測が飛び交っている。オリンピックの開催までもう一ヶ月を切っている。開催はもう既定路線だ。幾人かの著名人が聖火リレーを辞退した。オリンピック委員会の経理部長が急死した。インターネットを中心に、開催を再延期ないし中止した方が良いのではという声が日に日に大きくなってきている。それでももう、誰にも止められないところまで来ているらしい。それは多分本当のことなんだろう。この国全体が沈みかかっている、ようにも思える。この国全体を飲み込むくらい巨大な蟻地獄からは、一体何が羽化するのだろう。それは果たして美しい姿をしているのだろうか。

 スマートフォンを傍に放り投げる。どすんと音がする。それを皮切りに、六畳の草臥れた天井がガラガラと崩れてぺしゃんこに押し潰される。そんな妄想に取り憑かれて、俺は外に散歩に出ることにする。アパートの周りは閑静な住宅街だから、傍から見た俺は紛れもなく不審者だろう。そういえば、二年くらい前、令和に入ってすぐの頃に、立て続けに無差別殺傷事件が起こった時期があった。新型コロナウイルスの流行によって、当時漂っていた空気感はすっかり世間から忘れ去られてしまったように思うが、あの頃、事件を起こした犯人たちは無敵の人というネットスラングでしばしば嘲笑されていた。家族、友人、社会的信用、何一つとして持っていないから、何をすることも躊躇わない、だから無敵。今の俺と、ほとんど紙一重で、大差ない。変わらないが、いまの俺は無敵なんかではない。だから彼らもきっと、同様に、無敵なんかではなかったんだろうと強く思う。全ては起こってしまったことだから、もう何の慰めにもならないけれど。

 歩いていると、都市公園法によって誘致距離250メートルの範囲に一つの設置が推奨されている、平凡な街区公園が眼前に現れる。高度に娯楽が発達した現代では、例えコロナがなくても子供達からは見向きもされないような。でもその横を通り過ぎ去ろうとした時、ふとトラウマの存在に気がつき俺の足は止まる。

 そこでは、三人組の、制服を着た恐らく近所の中学の生徒たちが、鉄棒をゴールに見立て、サッカーのPKの練習をしている、ように見えた。キッカーの生徒はゴールではなくキーパー役目掛けてシュートを放っている、ようにも見えた。キッカーの生徒の蹴る足のスピードには一切の躊躇いがない、ようにも。そうして、キーパー役の生徒の目尻のあたりは赤くなっている。

 あの頃、俺に寄り添ってくれる友人がクラス内に一人いたら、果たして人生はどのように変わっていただろうかと、くだらない妄想を繰り広げたことが、何度か、正確な数を覚えていないくらいには、ある。それは決まって眠れない夜のことであった。もう起こってしまった過去のことを考えてみてもイマの辛さは微塵も緩和されなくて、それでも俺は馬鹿だから学習しなくて、つい暗闇の中で実現しなかった世界線に焦がれ、そうしてやがて世間では夜が明けても俺だけが、あの時あの場所から一歩も動けていないような、そんな感覚にその都度苛まれた。

 目尻のあたりを赤くしている彼の元にも、きっとこの先幾度となく眠れぬ夜というものは訪れるのだろう。それは、いまここで俺が彼を助けようが助けまいが変わらない。変えられない。見ず知らずの俺がせいぜい救うことが出来るのはいまこの瞬間の彼だけで、未来はいつも不確実性に満ち溢れている。下手に関与することで、後々の状況が悪化してしまうことだって十分にあり得る。だから俺が行動を起こすのは結局のところ、究極的には他ならぬ俺のためで、もっと言うならいまこの瞬間の自己を満足させるためである。それでも足は震えるし、武者振るいと言うにはあまりに脇から多くの汗が流れ出ている。体調は、決して万全とは言えない。早く煙草が吸いたい。そんなことを漠然と思っている。

「なあ、サッカー楽しそうだな。良かったら俺も混ぜてくれよ」

 半笑いでそう声をかけると、キッカーをやっていた生徒二人は無言で目を合わせたのち、その場を立ち去った。キーパー役の生徒は暫く呆然とその場に立ち尽くしていたが、俺の方をちらりと一瞥だけすると、キッカーたちとは別の方角へ走って行ってしまった。俺はそのことに少しだけ肩透かしを食らったが、別に感謝の言葉が欲しくてやったことではないかとすぐに冷静になる。そうして誰も居なくなった公園へと侵入すると、ポケットから煙草を取り出し火をつける。深く、喉のあたりに違和感を覚えるまで吸い込んで、勢いよく吐き出す。その際に軽く咳が出る。初めて煙草を吸ってみた時のことを思い出す。あれは初めて貰った月給で買った煙草だった。不良めいた雰囲気に密かに憧れていて、虚弱な己の殻を破りたいという気概があった。その当時のことを少しだけ思い出した。頭がクラクラとしてくる。でもそれを、いまはそれ程悪く感じていない自分がいる。マスクを外し半笑いで紫煙を燻らす俺を見て、道行く人が怪訝な目を向けてくる。俺はそれを見ても不思議と全く気分を害さない。これは勝利の一服であると同時に、社会に対する俺なりの細やかな抵抗である。段々と、そんな気になってくる。道行く人は、怪訝な目こそ向けてくる人はいれど、誰も注意まではしてこない。それは、ヤバい奴と関わって、限りある人生を浪費したくないからで、それはきっと、社会を賢く生きていく上では正しい選択なのだ。そんな社会に対して、俺はクソ喰らえと思うが、でも一方で俺はこれからもそんな社会で生きていかなければならない。来月以降、暫くシフトは減らされるだろうから、この一箱を吸い終わればきっと俺もヤマダさんと同じく禁煙を余儀なくされるだろう。

 短くなった煙草を地面に捨て、靴で火を揉み消す。公園を立ち去り余韻が己の中で完全に消えてしまう前に一度、その場で目を閉じ、走り去って行った少年の華奢な背中を思い出してみる。そうして、せいぜい俺みたいにはなるなよと、つい柄にもなく、未来の彼に向けて、祈ってみたりなんかする。

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トーキョー2021 @otaku

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