そよ風

「二人とも! 魔物が来るかも!」


 茂みに撒かれていた『誘魔剤』がなんなのか知った私は、急いで二人の待つテントへと引き返した。


「魔物……どうして?」


 私の言葉に困惑するシェリー。

 だけど、アンリエットはさすがだ。

 すぐに表情を引き締めて、私に理由を問うてきた。


「リディ、説明をお願いします」


「えっと、向こうの方に『誘魔剤』ってのが撒かれてて。鑑定してみたんだけど多分よくないものだよね?」


「『誘魔剤』ですか……なぜそんなものが……」


「『誘魔剤』って……?」


 シェリーが尋ねると、アンリエットは頷いた。


「『誘魔剤』は周辺の魔物を呼び寄せる薬品です。魔物の間引きなどで使われるもので、国軍や陛下の認められた騎士団のみが厳しい管理のもと使用を許された禁製品……なのですが」


「なんでか、こんなところにあるってわけか」


 結構、まずい事態かも。


「とりあえず、魔道具鳴らすね」


 魔物が集まってきたところでこの周辺の奴らなら何体かかって来ても、まず問題ない。

 でも、それは私たちの場合だ。

 他の生徒たちが危険かもしれないので、なんとかこの事態を伝える必要があった。


 魔道具を使用すると、かなり大きな音が鳴った。

 ちょっと耳がキーンってする。


「これでみんな緊急事態って気づくかな?」


「そうだといいですが……私たちも森を出ましょう。『誘魔剤』が使われたとなれば、演習どころではありません」


「そ、そうだね!」


 テントを畳む時間もなさそうなので、全部まとめてテオドールの『体内収納』にしまう。

 焚き火を消してから、私たちは森を出るために歩き出した。


 歩いてる最中も、何度も魔道具を鳴らす。

 一度だけじゃみんなに伝わらないだろうから、念入りだ。

 こうしていれば大きな音に驚いて魔物が寄ってきにくくなるし、この音を聞いた他の生徒たちも山彦のように鳴らし始めた。

 これでほとんどの生徒が異常事態を察するはずだ。


 歩いている最中、合流した生徒たちに事情を説明しつつみんなで固まって森を出た。


「みんなちゃんと森から出てるね。よかった〜」


 シェリーがほっと息を吐いて呟く。

 森を出たところは見晴らしが良くなっていて、そこには多くの生徒たちが集まっていた。


 森の外に集まる生徒たちの中には見知った顔もいる。

 私たちの姿を見つけたアルベールが、こちらへとやって来た。


「お前たち、無事だったか。魔道具が鳴って急いで出て来たんだが、何か知ってるか?」


「鳴らしたの私。『誘魔剤』が撒かれてるの見つけて」


「はぁ!? なんでそんなもんが! ……いや、今は理由はいいか。とにかくお手柄だ、お前たち」


 アルベールへ簡潔にことの経緯を説明する。

 すると彼は私たちの近くから離れて、生徒たちの中心あたりに颯爽と立つと大きな声を張り上げた。


「聞け、お前ら!! 森の中で『誘魔剤』が見つかった!! 知らなねぇやつもいると思うが、魔物を呼び寄せる禁製品の薬剤だ!!」


 アルベールの声を聞いた生徒たちが、ざわめき出す。

 しかし、アルベールは続ける。


「騒ぐなッ!!! 騒いだところで状況は変わらん!! 落ち着いて対処しろ! お前たちは優秀な我が国の貴族たちだ!!」


 なんというか、すごい。

 普段頼りない姿ばっかり見せているアルベールが、このときばかりはかっこよく見えた。


 これがカリスマというものなのだろうか。

 騒ぎ出しそうになっていた生徒たちは静まり返り、真剣な眼差しでアルベールを見つめる。


「わかったなお前ら!! この先は先生の指示に従え! くれぐれも身勝手な行動はするなよ!!」


 アルベールの言葉を生徒たちと一緒に聞いていた先生たちがハッとして、すぐに生徒たちにテキパキと指示を出し始めた。


 何人かの先生が森の方へ向かっていく。

 おそらく、森の中に取り残された生徒がいないか確認に行くのだろう。

 とても危険だけど、先生としてやらなければならないことだ。

 その中には、私たちの担任であるシャグラン先生の姿もあった。


「リディちゃん、ここから離れるって」


「あ、うん」


 森の方を見ていた私の手をシェリーが引く。

 他の生徒たちはもう移動を始めている。


「エッタ、行こう」


「……」


 私と同じく森を眺めていたアンリエットに声をかけるが、反応が返ってこない。


「エッタ……?」


「風が……リディ、シェリーさん! 来ます!」


「えっ……」


 アンリエットの大きな声に遅れて、森の中から数えるのも馬鹿らしいほどの数の魔物が溢れ出す。


 その数は百や二百では済まないだろう。

 千か、もしかしたらそれ以上か。


「『魔物氾濫スタンピード』……」


 誰かの声が聞こえてきた。


 それはまさしく魔物の大氾濫と言えるもので。

 撒かれた『誘魔剤』が、最悪の結果を招いてしまった。


 アルベールのおかげで静まっていた生徒たちが、この光景を見て再びパニックに陥りはじめる。


「落ち着けッ!! 落ち着けお前ら!! 騒いでもどうにもならん!!」


 アルベールが必死に呼びかけるが、それは虚しく響くだけ。

 この状況で、冷静さを保てる人なんてアルベールのような度胸や勇気に溢れる人か。

 もしくは私のように自分の強さに自信があって、この状況からの生存を確信できる人だけだ。


「エッタ、なんとかできたりする?」


 隣で同じく冷静さを保っているアンリエットへと尋ねる。


 みんなの安全を守りつつこの事態を解決するためには、『魔物氾濫スタンピード』をまとめて倒す必要がある。

 ちまちま削っているだけじゃ、対応しきれなくて他の人たちが襲われてしまう。

 だけど、私や私の魔物たちの中にこれだけの数の魔物を一気に殲滅できる手段はない。


 だけど、アンリエットなら。


「そうですね、この数なら。弱い魔物ばかりですし……私が本気を出せばどうとでも」


「ア、アンリエット様……?」


 アンリエットが笑う。

 それは、普段の深窓の令嬢然とした優しい微笑みではない。

 戦意を剥き出しにした、戦闘狂の笑み。

 アンリエットの本性だった。


 シェリーはそんなアンリエットを見て、びっくりした表情で固まってしまっている。


 私からしたら、懐かしい感じだ。

 ゼフィール辺境伯領にいた頃は、よく見ていた笑顔だから。

 学園では猫を被っていたのである。

 本当にひどい外見詐欺だよ。


「エッタ、お願い」


「はい、任されました」


 アンリエットが魔力を練り上げる。

 魔力に特化しているステータスを持つ私をも上回る圧倒的な魔力。

 それを感じ取った生徒たちは、騒ぐのをやめて身構える。

 森から湧き出てくる魔物たちすら、怯えてその動きを止めてしまう。


 アンリエットの体から放出される膨大な魔力。

 その発露はすなわち、彼女の大魔法が発動する前触れだ。


「『そよ風の魔法ゼフィール』」


 風が、吹く。

 嵐でも、暴風でも、台風でも、竜巻でも、旋風でもなく。

 肌に触れ、わずかに撫でるような優しい風。

 あまりにも矮小な、そよ風だった。


 それは、アンリエットの編み出した大魔法。

 超広範囲に渡りそよ風を発生させ、範囲内のすべての輪郭を掴む魔法。

 攻撃魔法ではなく、


 大魔法にあるまじき、静かな魔法。

 だけど魔法使いならば、この魔法の恐ろしさはすぐにわかる。


 なにせ魔法の射程は手の届く範囲ではなく、視界内ではなく。

 


 王国最強の武を誇る辺境伯の名を冠したそよ風ゼフィール

 それは魔法の射程を目の届く範囲から、視覚も聴覚も嗅覚でもまったく届かない千里の先へと拡大する大魔法なのだ。


 それはつまり。

 この『魔物氾濫』のすべての命が、アンリエットの手のひらに収められたのと同義。


 そよ風を手繰るアンリエットは、ただ一言呟いた。


「『風刃』」


 シン、と。

 魔物たちが動きを止める。

 異様な雰囲気だった。

 あれだけいる魔物たちが、等しく停止した。

 いや、違う。


 よく見ると、その首筋に細い線が走っている。

 その線をすべるように、首がズレる。

 魔物たちは、停止したのではない。

 動けないのではない。

 ただ、もっと単純に。すでに死んでいるのだ。


 アンリエットの呟いた一言。

 希少魔法でもなんでもない『風魔法』の、初歩の初歩である『風刃』の魔法。

 子どもだって使える、ただ風の刃を飛ばすだけのとても簡単な魔法。


 ただ、『そよ風の魔法ゼフィール』によって、すべての魔物を射程圏内に収め。

 極めて強力な魔法使いであるアンリエットが扱うだけ。


 それだけで、初歩魔法の『風刃』は姿を変えた。

 すべての魔物をあやまたず、首を狩る死神の刃へと。


 それが王国最強の武、ゼフィール辺境伯家の姫君。

 アンリエット・ド・ゼフィールの力だった。


「す、すご……」


 シェリーが呆然と呟く。

 他の生徒たちも同様だ。その場に縫い付けられたように誰一人動けない。

『魔物氾濫』という脅威が、突如収まり。


 それを成したのは有名な大魔法使いなどではなく、隣人である同学年の一人の少女。

 頭の処理が追いつかなくなっても仕方ない。


 私だって、始めてこの魔法を見たときは腰を抜かして驚いた。


「エッタ、さすがだね。お疲れさま」


「ふう、さすがに少し魔力を使いすぎました。でも、これ、で……」


 大役を終えて、力を抜いていたアンリエットの表情が険しくなる。


「そんな、なんで急に現れて……いったいどこから……」


「どうしたの?」


「……リディ、私もうさっきのでかなり魔力が減ってしまってて。なんとかできますか?」


 すごく申し訳なさそうな顔で森の方を指差すアンリエット。

 その指先を追いかけて、森の方へと目を向ける。


 夥しい魔物たちの亡骸の向こう、血染めの森を揺らす影が見えた。

 遅れてやってくる地を揺らす震動。


 大きな足音とともに、やっと目視できるほどの距離まで近づいて来たそれは。

 巨大な、あまりにも巨大な。


「……ドラゴン」


 なんとかできるかって……できるのかなあ。


 やるしかないけどさ。

 アンリエットは魔力が足りず、他の人たちの中で一番強いのは多分私だ。


 だから私がやる。私が、ドラゴンを倒す。

 覚悟を決めて、魔法を発動させた。


「――『召喚サモン』っ!!!」

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