勉強会

「ネージュ、お前この成績はまずいだろ」


「うぐ……」


 金髪の髪をショートヘアにしたメガネの女性が、数枚の紙を机の上へと放り投げた。

 それをちらりと見て、私は言葉に詰まってしまう。


「いくら特待生とはいえ、限度はある。わかるだろ?」


「……はい」


 数日前、テストがあった。

 レヴール王立学園のテストは筆記と実技に分かれる。特徴的なのが、宮廷作法や舞踏などといった科目があること。

 貴族が多く通う学園で、かつここに通えるような経済力を持つ平民はもれなく上流階級。

 となれば、卒業後を見据えてそういったことも学園で教えていくことになる。


 はっきり言って、めちゃくちゃ難しい。

 農家の娘だった私は学がないのだ。前世の記憶のおかげで数学や科学などに関してはなんとかなっている。

 だけど、国語や歴史などはそもそも世界が違うのだから一から覚え直し。

 そこに宮廷作法やらなんやらが加わるのだからもうダメ。


 そもそもここは国内最高峰の学校である王立学園。

 教えてることのレベルが高すぎるのである。


 その結果が、私の目の前に積み上がる赤点の山である。


「はぁ……」


 これみよがしなため息に思わずびくりと体が震えた。

 私は今レヴール王立学園の教員室にいた。目の前に座っている女性が、私のクラスの担任教師。

 ミレーヌ・シャグラン。

 担当科目は科学。平民でありながらレヴール王立学園の教職に就いた才媛だ。


 しかし、とにかく厳しい先生である。

 その厳しさから『鉄の女』などというあだ名が付けられているとかいないとか。

 彼女の前では傲慢な貴族子弟ですら背筋を正す。恐るべき女であった。


 職員室に呼び出され、教員机の前で直立不動で立たされる。

 異世界に来てまでこんな経験したくなかった。


「お前、ダンジョンによく行ってるそうだな?」


「な、なぜそれを」


「報告くらい来るに決まってるだろ」


 ギルドに登録する際にレヴール王立学園の生徒であることや寮で暮らしていることなど、個人情報を登録した。

 それがどうやら先生の元まで報告されているらしい。


 先生が組んでいた脚を組み替える。

 その仕草だけで体が震えてしまう。


「なあネージュ、ダンジョンは楽しいか?」


 突然満面の笑みを浮かべて、聞いてくる。

 なんかもう、怖かった。とにかく怖かった。多分、鬼人オーガとの戦いのときより今の私は震え上がっていた。


 なんでこんなことを聞いてくるのか意味がわからない。

 なんでそんなに笑顔なのかわからない。

 絶対ろくなことにならない。私の冒険者としての直感がそう告げていた。

 

 だけど沈黙は、きっと彼女の機嫌を損ねるだけだ。

 どんなに怖くても、震えていても、私は答えるしかないのである。

 意を決して、声を上げる。


「た、楽しい、です」


 それは弱々しい声であった。

 喉から絞り出したような、貧弱極まりない情けない声。

 私にはそれが精一杯だったのだ。


 満面の笑みを浮かべた先生がうんうんと満足そうに頷く。


「よし、お前補習な。合格するまでダンジョン禁止」


 私は膝から崩れ落ちてさめざめと涙を流した。





「勉強会をします!」


 私は高らかに宣言した。

 ここはアンリエットの寮室のリビング。

 集まっているのは、この部屋の主人であるアンリエットとその侍女であるジネットさん。

 それから、私が呼んだシェリーだ。


 私の宣言にアンリエットは微笑みを浮かべるだけ。ジネットさんの淹れる紅茶を優雅に楽しんでいた。

 シェリーは「わあ」なんて声を上げてぱちぱちと手を叩いてくれる。


 私は机の上へと教材を並べて、赤点だったものをピックアップしていく。


「これと、これ。あとこれも」


「こ、こんなにやるんだ」


 ずらっと並ぶ大量の教科書たちにシェリーが驚く。

 そんな私たちを見て、アンリエットがため息をついた。


「リディ、赤点取ったらしいですね」


「え、そうなの?」


「うぐっ……なぜそれを……」


 私は誰にも言っていない。

 こんな恥ずかしいことを私から誰かに言うわけないのだ。

 なぜアンリエットは知っているのだろうか。


「シャグラン先生から聞きました」


 先生よ、なんでアンリエットに言ってしまうのだろうか。

 でも私とアンリエットの関係を知っていれば伝えていてもおかしくはないかも。

 それどころか、後見人である領主様まで話がいってたりする可能性すらある。

 なんにせよ、恥ずかしい。穴があったら入りたい。

 赤くなる顔を隠すように、テオドールのもふもふへと埋めた。


「まったく、勉強会なんて……素直に言ってください。私たちの仲なのですから、勉強なんていくらでも見てあげます」


「エッタ……」


 少し照れくさそうな様子で話すアンリエット。

 私は感動した。やっぱり持つべきものは友達だ。

 アンリエットみたいな素敵な友人が持てて私は幸せ者なのだろう。


「……二人は仲良いんだね」


 シェリーが小さく呟く。


「シェリーは赤点なかったの?」


 彼女も私と同じ平民の特待生だ。しかも、私と違って前世の記憶なんていう下駄を履いていない。

 私と同じか、それ以上に勉強についていけてないのではないかと思うんだけど。

 というかそう思ったから、一緒に赤点を回避しようって感じでシェリーを呼んだのだ。


「えへへ。実はちょっと、自信あったの」


 そう言って、シェリーは自分の鞄から返却されてきたテスト用紙を取り出した。

 百点。百点。百点。百点。

 びっしりと丸で埋められたテストたち。

 ぐうの音も出ないほどの好成績だった。


「天才だ……」


 私と条件は同じなのに、どうしてこんなにも差がつくのだろうか。

 ダンジョンにかまけていたから勉強が疎かになっていたのはたしかにあると思う。

 だけど、シェリーだってアルベールとダンジョンに行ってるとこの間楽しそうに話していた。


 これが、頭の出来の違いなのだろうか。

 自分のことを馬鹿だなんて思ったことはないけど、もしかして私は馬鹿だったりするのかな。

 私はあまりにもあんまりな基礎スペックの差に絶望してうちひしがれた。


「すごいですね、シェリーさん」


 アンリエットも感心している様子だ。


「はい、勉強は自信あります! だからリディちゃん、あたしも手伝うよ!」


 花が咲いたような笑顔を浮かべるシェリー。優しい。

 頭も、心も、顔も、ついでに胸も。

 すべてにおいてずたぼろに負けている私という人間はいったいなんなのだろうか。


 それから二人に勉強を教えてもらう。

 意外にも、シェリーの教え方はちょっとわかりづらい。

 天才と秀才なら、教えるのは秀才の方が向いているなんて聞いたことがあったけど、まさにそれだ。

 彼女の教え方は感覚的というか。多分、見えている視点が違うのだ。


 勉強をして一からひとつずつ積み重ねていく私に対して、シェリーは段数を飛ばして一気に積んでいく。

 なるほどこれが天才かあ。

 なんて、そんな感想しか出てこないよ。


 一方で、アンリエットは教え上手だった。彼女は努力を地道に積み上げてきた秀才なのだろう。

 的確で、わかりやすく。

 私がつまづくポイントを知っているのは、きっと彼女も同じだったから。

 それは、アンリエットの努力の跡。


 なんというか、意外だった。

 戦闘狂という残念ポイントがあるとはいえ、私の知るアンリエットはそれ以外に関して完璧な貴族令嬢だったから。

 勉強ができて、強くて、頼りになって、かっこよくて。

 でもそれは、彼女が小さな頃からずっと頑張ってきたからだったのだ。

 私がアンリエットと知り合ったのはたった一年ほど前。

 完璧な彼女しか知らなかった私は、こうしてその努力の足跡に触れることができるのがなんとなく嬉しかった。


「アンリエット様ばっかり、リディちゃんに教えててずるいです」


 そんなふうに膨れるシェリー。


「ふふ。シェリーさんより私の方がリディと相性がいいみたいですね」


 ドヤ顔で勝ち誇るアンリエット。


 それから競うように勉強を教えてくれる二人のおかげで勉強は捗り。私の頭がパンクしそうになったところで今日のところはお開きとなる。

 また明日の勉強会を約束して、私たちは解散したのだった。

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