散財

「そうなのか?」


 肩を落とす私を見てマスターは意外そうに首を傾げる。

 百万ルタを払えないことを疑問に思うなんて、いったい私を何者だと思っているのか。

 簡単に払える額じゃないよ。


 そんなふうに考えたところで、現在私が着ている服に思い至った。


 レヴール王立学園の制服だ。

 国中から貴族が集まり、王族すら入学する王立学園はこの国で最も格式が高い学校と言ってもいい。

 そんな学校の制服を着ているのだから、貴族と勘違いされているのかもしれない。


「払えないですよ、そんなの。私、貴族じゃなければ冒険者としても駆け出しの農家の娘です」


「特待生か?」


 マスターの問いに首肯して返す。

 農家の娘なのにレヴール王立学園の生徒。

 加えて希少な召喚魔法の使い手となれば、特別に入学が許された特待生だと思い至るのは簡単だ。


「特待生なので領主様や学園から支援はいただいてますけど、百万ルタはさすがに持ってないです」


 学園からは月に二万ルタの奨学金を支給されている。

 普通の生徒と違って授業に必要な教材は無料でもらえるし、学費から寮の家賃や光熱費に食費なんかもまとめて全部無料。


 特待生はものすごく高待遇だ。

 まぁ、このくらいの支援がないと平民がレヴール王立学園に通うなんてできっこないから当然といえば当然。


 その分特待生は基本的に数年に一人しか出てこないらしいので選抜基準はとても厳しい。

 今年は二人いるけどね。


 それとは別に辺境領の領主様からも奨励金をいただいている。

 その額なんと、年間五十万ルタ。


 すごく太っ腹な感じがするけど、貴族社会では辺境伯の庇護下にある私の活躍はすなわち辺境伯家の功績とも見なされる。

 そんなわけで現在の私の立場は、辺境伯家で働く騎士や文官に使用人といった従者とそう変わらない。


 それを考えれば、この五十万ルタは私の一年分の働きに対する前払いの給料のようなもの。

 実際に辺境伯家で働いている従者たちはもっともらってるし、わりと妥当だと思う。


 大事なことは、これがただ施されるだけのお金ではないということ。

 言ってしまえば私が学園に通うこと自体が仕事だ。

 なのでこの五十万ルタは自由に使っていいお金です。

 労働の対価だから。


「そうか。いくらなら払える?」


「五十万ルタまでなら、出せます」


「ならそれでいい」


「いいんですか!?」


 特に悩むそぶりもせず半額にまけてくれるらしいのでびっくりする。


「これはもともと俺が昔使ってたものだしな」


「冒険者だったんですか?」


「ああ」


 懐かしむような表情で頷くマスター。

 どうやら彼はこの喫茶店を開く前は冒険者だったらしい。

 こんなにすごい迷宮器を集めているのだから、きっとかなりの実力を持った冒険者だったのだと思う。


「で、買うか?」


「あの、本当に五十万ルタでいいんですか?」


 さすがに美味しい話すぎるので訝しんでしまう。


「本当だ。仕入れ値がゼロなんだからいくらで売ってもいいだろうよ」


 この『智慧の義眼』をはじめとしたここの迷宮器は、ほとんどマスターが現役時代に集めたもの。

 だからいくらで売っても利益しか出ない。

 そういう理屈らしい。


 なかなか暴論のように感じるけど、彼なりに考えがあるみたいだ。


「この『智慧の義眼』には少し思い入れがあってな。どこぞの誰かにくれてやるよりか、有望株の嬢ちゃんに使ってもらいたい」


 そんなふうに語るマスターは再び私に尋ねてくる。


「で、どうする?」


 もう私に迷いはなかった。


「買いますっ!」


「ふっ。毎度ありだな」


 急いでお金を取りに行く。

 これで貯金がすっからかんになるけど後悔はまったくない。

 前世も含めてこれほど大きな買い物をしたのは初めてだけど、『智慧の義眼』は間違いなくそれだけの価値がある品だ。


 領主様もまさか渡した一年分のお給料を入学してたった一週間ですべて吐き出してしまうとは思うまい。

 だけど仕方ない。『智慧の義眼』が欲しいんだもの。


 マスターにお金を払い、晴れて自分のものとなった迷宮器をさっそく装備する。


 鏡に映る私の左目は、宝石のように輝く真紅の色。

 亜麻色の髪とヘーゼルの目というモブっぽい色合いの中に、鮮烈な赤が混じるだけで印象がかなり変わって見える。


 なんだか厨二病感が上がってしまったけど仕方ない。

 装備していない間になくしてしまったり奪われてしまったりしたら悲しすぎるので、もうこの義眼を外すことはきっとないだろう。

 墓場まで道連れにして行くつもりだ。


 オッドアイを隠すために眼帯をしてもいいけど、それこそ厨二病感が跳ね上がる。

 本末転倒というやつだ。

 甘んじてオッドアイを受け入れよう。


 有用な迷宮器が手に入りとても満足している私に、マスターが声をかける。


「嬢ちゃん。安くしてやった代わりにと言ってはなんだが、一つ頼まれてくれないか?」


「頼み事ですか?」


「ああ」


 何やら頼みがあるというマスター。

 彼は本来百万ルタのところを、半額の五十万ルタで『智慧の義眼』を譲ってくれた。

 私にできることならその頼みを聞きたいと思う。


 喫茶店の方に戻りさっき座っていたカウンター席に再び座る。

 サービスだと言ってコーヒーを淹れてくれたマスターは改めて切り出す。


「頼みというのはそのぬいぐるみのことだ」


「この子?」


 隣に置いてあるテディベアのようなぬいぐるみを抱き抱えながら聞き返す。


「そいつを嬢ちゃんに引き取ってほしくてな」


「引き取る?」


 ブラウンの毛皮を撫でるとふわふわと気持ちのいい手触りが返ってくる。いつまでも撫でていたいくらいだ。


 この子を私が引き取ることでマスターになんのメリットがあるのかはわからない。

 でも、このぬいぐるみはけっこう気に入っているので引き取ることに躊躇いはない。

 タダでくれるというなら、むしろこっちからお願いしたいくらいだ。


「どうだ?」


「もらえるなら、ありがたく引き取ります」


「そうか! いやー、こいつが嬢ちゃんのこと気に入ったみたいでな。よかったよ」


「?」


 なんかよくわからないことを言っている気がするが、まあいいだろう。


 名前を付けてやれとマスターに言われたので、安直だが『テオドール』と名付けることにした。

 この歳になってぬいぐるみに名前を付けるとか気恥ずかしいけど、名前付けた方が愛着も出るしいいかと納得する。


 赤い目を輝かせて、テオドールを抱きしめた私はルンルンとした気分で寮への帰路に着く。

 だけど帰り道の途中で、私はなんとなく足を止める。


「ん……気のせい?」


 ふいに視線を感じたのだ。

 よくわからないまま、私はきょろきょろと周りを見る。

 だけど誰かが私を見ているなんてことはなかった。


「なんだったのかな」


 きっと気のせいだったのだろう。


 ふと腕の中のテオドールに視線を向ける。

 黒いガラス玉の目の中には、不思議そうに首を傾げる私の顔だけが写っていた。


「帰ろ」


 暗くなった街を寮へ向かって一人歩く。

 月の光が、夜の街を淡く照らしていた。

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