第八節 ソロモナル
『
国の中央部辺りにあるセルスクラン湖を囲うように開拓されたこの都市は、潮風が吹き抜けるが故にレンガ造りの町並みが広がるネタンスと比べて、旧来の建物を再利用しつつ、次世代を思わせるビルディングが立ち並んだ街並みとなっている。
無論、高層ビルが雑多に並ぶ訳ではなく、歴史ある景観を守りつつ都市開発が成された場所であった。
ビル群が立ち並ぶオフィス街の地区は、セルスクラン湖を一望できる観光名所として客を引き寄せる為に、あらゆる娯楽施設が建設されており、ティクヴァールたちが下車する駅もこの中に含まれていた。
平日の昼下がりなので人出は少なく、時期的にも外れているため観光者も出入りも僅かだが、それでも万が一を考えて認識阻害の魔術をかけてからプラットホームに降りた。
「スゲェ、これが都会……」
タラッタは勿論、貿易が盛んなネタンスと比較しても毛色がまったく異なる都市の姿にティクヴァールは圧倒されていた。
そんな田舎坊主丸出しの挙動でキョロキョロする少年を尻目に、ミカエラは認識阻害の魔術がしっかりと作用しているのを確認する。
これだけ目立つ振る舞いをしている人物がいるにも関わらず、誰も気にする様子が見られないから機能していると言っても差し支えないだろう。
「ほら、物見遊山は後にして。一足先に本社に向かった社長たちが待ってるし、他の社員たちへの自己紹介とか、住む所を案内しないといけないんだから」
ミカエラに急かされ、ティクヴァールは先導されながら改札口を通り抜ける。
セルアティの駅の構内はやや複雑化した迷路のようになっていて、仮に一人で巡回しようものなら出口を求めて彷徨う魔物と化していただろう。
しっかりとミカエラを見失わないように追従し、しばらく歩いていくと出口に到着した。
「たまげたな……」
思わず立ち止まる。
駅から見えた街の様子にすら圧倒された彼が、正真正銘の都心というものを目の当たりにし、呆気に取られるのは至極当然の反応であった。
タラッタと比べるべくもない圧倒的な質量と広大さ。まるで一つの異世界に迷い込んでしまったのではないかと錯覚を覚える程に、ティクヴァールは暴力的なまでの情報量にため息が漏れ出た。
ある種にカルチャーショックを受けている田舎ボーイであったが、そんな反応などお構いなしにミカエラ「ほら早く」と移動を催促したので、ティクヴァールは慌てて彼女の後を追う。
さすがに活動拠点だけあって勝手知ったる足取りで目的地へと進んでいく。初めてミカエラを頼もしいと思った瞬間であった。
ひとしきり歩いたところで、彼女は路地に入る。道幅は狭く、人の雑踏も表に比べて随分と少ない……ゼロに等しい通路。
本当にこの道なんだろうかと訝しんだが、ある建物の入り口に立ち止まった様子から、ここで間違いないらしい。
そこは一見すると何の変哲もない雑居ビルだが、これがアッシェラートの言っていたカモフラージュの一つなのだろう。
「入って」
ミカエラに連れられて建物の中に入る。
入ってすぐのロビーはそれなりに広く、体裁もしっかりと整えられた内装であった。ただしティクヴァールにそういった違いなど知識にないので、これが大変豪華な建物なのだと誤解した。
少しだけおっかなびっくりといった様子でミカエラの後をついていき、彼女に促されてエレベーターに乗り込んだ。当たり前だが、ティクヴァールはエレベーターの存在を知らない。
エレベーターの扉が閉まり、ゴトゴトと軽微な揺れが発生したので、ティクヴァールは心配そうな声をあげる。
「お、おい。閉じ込められたし、なんか揺れてるんだが、大丈夫なのか?」
「閉じ込められたって……ああそう、知らないのね。これはエレベーターって言って、階層を行き来する為の移動手段だと思えばいいわよ。で、この揺れは移動中に発生するものだから安心して」
「そうなのか。いきなり閉じ込められたと思ったからびっくりしたぞ」
「都会の建物では大抵エレベーターよ。まあ、うちのエレベーターはちょっと古いから普通により揺れはあるけど、安全性に問題はないから」
ミカエラの言葉通り、エレベーターは問題なく目的の階層へと到着する。
扉が開き、ティクヴァールはおっかなびっくりといった様子でエレベーターから降りると、そこは落ち着いた雰囲気のある事務室であった。
「おお、確かにさっきの部屋とは別の場所だ」
「アンタのその反応、リアクションに困るのはあたしなんだけど。これからの活動拠点はここだってのに、そんな様子だと不安だわ」
おそらく、ティクヴァールの教育係は自分の仕事になるだろうとミカエラは考えていた。
付き合いなどダンジョン攻略の間だけだが、それでも他の社員と比較すればこれ以上ない関係だ。他はゼロなのだから。
加えて、彼の性格もある程度は把握しているので、ミカエラに都会での身の振り方を任せられるのも必然だったのかもしれない。
これから先の未来を憂いていると、入室に気づいたのか、事務室の奥から二人ほどの視線が向けられた。
「ようやく来たか」
「ちょっと待ちくたびれんしたわー」
到着を待ち侘びていたような科白が、凛とした強さを秘めた声と、小動物のような蕩けるような声で放たれる。
奥から現れたのは、
どちらも女としては極上の部類の容姿をしており、街中で見かけたら十人中、十人が目を奪われる程だろう。見た目が第一印象になる配信者としてはこれ以上ない人材なのは間違いない。
「あのね、こっちにも色々と事情ってもんがあるのよ。移動中ずっと認識阻害の魔術をかけたあたしの苦労聞きたい?」
「他者の苦労愚痴ほど不毛なものはないから遠慮したいな」
「不幸の又聞きなら愉快なんだけれどもね」
軽口の叩き合いから察するに、ミカエラと彼女たちの気心の知れた仲である事が伺える。
ティクヴァールからすれば初対面にあたる彼女たちの会話には口を出さず、じっとその様子だけを見ていた。
そんな彼の視線に気がついたミカエラは、今日顔を合わせた面々に自己紹介するように水を向けた。
「ティクヴァール・マリアンだ。今日からここで世話になる。様々な事には素人でペーペーの新人だが、よろしく頼む」
「汝の噂は予々聞いている。私はロロ・クラーク。ミカとは同期になるが、あまり気負う事なくフラットに接してほしい」
「わっちはエイスキア・アルアビュール。ミカとロロとは一年後輩になるから、そちはわっちにとっての初めての後輩になるね。……先輩らしく可愛がってやります」
ロロ・クラークと名乗った女は、
それでいて、女性らしい凹凸もあるのだからプロポーションは見事という他ない。
エイスキア・アルアビュールと名乗った女は、黝い色の髪を持つ小動物のような蕩けるような声の人物だ。小柄ではあるが幼児体型ではなく、女性らしいどこか艶やかな色香を醸し出しており、彼女の声と合わさって前屈みになる男は後を絶たないだろう。
恋愛ごとなどに疎いティクヴァールでも理解できるくらい、目の前の女たちは上物すぎる。ミカエラも並べばさぞ絵になる光景になるだろう。
「……アンタら、揃いも揃って顔がいいな」
配信者とは往々にして顔のいい連中ばかりだが、彼女たちは特にそれが際立っている。
いい女なぞアドラで見慣れたと思っていたティクヴァールでも唸る容姿だったので、ついボソリと本心が漏れてしまった。
「ネットでイケメンて持て囃されてるティっくんが言う事じゃないね」
「てぃ、ティっくん?」
「わっちの考えたニックネーム、気に入ってくれた?」
エイスキアはくすくすと揶揄うように笑う。
突然のニックネームの命名に少々面食らったが、よくよく考えてみたら交友を深めるのには丁度のではないだろうか。
距離の詰め方に驚きつつも、ティクヴァールは彼女の歓迎の意を込めた渾名を受け入れた。
「ティっくんか、いいな。じゃあアンタの事はどう呼べばいい?」
「わっちのことはエイハって呼んでね」
「エイハか。分かった」
互いに渾名を呼び合う関係に早々なった事で、ロロがニヤついた表情で冷やかす。
「早速ニックネームとは、エイハは唾をつけるのが早い」
「イケメンは嫌いじゃないからね」
「面食いめ」
「真っ当な好みと言って欲しいな」
あっさりと肯定してしまった為、揶揄い甲斐のない奴だとロロは肩をすくめる。
その様子を呆れた目で見ていたミカエラは、自己紹介も終えたのでアッシェラートから告げられていた指令を彼女たちに言い渡す。
「じゃ、早速だけどあたしたちで配信するわよ」
「彼の紹介と宣伝かい?」
「そ。SNSの反応を見るに、コイツの今後に期待が寄せられてるから、うちに所属と紹介すればバズり間違いなし」
「それはそう。そして、ティっくんという話題性の塊に付随して、わっちたちも話題急上昇になるかも。……ところで、ミカはティっくんって呼ばないの?」
「確かに、思い返せば『アンタ』とか『コイツ』とかとしか呼んでいないな。まさか、ミカとあろう者が照れているのか?」
「そ、そんな訳ないでしょ」
そう強がって見せたが、実際のところミカエラには照れがあった。
事務的な会話や、偶にある同業者との社交といった仕事上の掛け合いであれば問題ないが、プライベートとなると男性経験が途端に皆無になる為、男子への私的な呼び名というのはどこか気恥ずかしかった。
ミカエラは頬を微かに染め、若干睨み付けるようにしてティクヴァールを見やる。
「てぃ……ティっくん……」
「おう、ミカ。改めてよろしくな」
「何でアンタは即順応できてんのよ!」
「……新しい職場に馴染もうとしたら怒鳴られたんだが」
「照れてるの。許してあげて」
「照れてないわよ!」
照れ隠しで再び怒鳴る。
ミカエラは、自分がイジられ枠に収まりつつある気配をそこはかとなく感じ、解せないといった顔で抗議した。
しかしながら、この中で一番リアクションを返すのがミカエラであり、ツッコミも随一な事から彼女の地位は揺るがないだろう。
「もういいから、早くセッティングして!」
「「はーい」」
こうしてミカエラの一喝により、ティクヴァールの紹介を兼ねた初配信の準備が始まった。
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