第七節 アドラ

 ミカエラは衝撃を受けていた。

 古代兵器さえ素手でぶっ飛ばす力を持った少年が、なす術もなく大人しく正座させられ、叱られた子供のように小さくなっているのだから。

 これが母親の力。やはりどんな家庭でも母親のヒエラルキーは最上位で、逆らえない現実があるのだと思い知った。

 しかし、お叱りの内容は厳しくはなかった。ティクヴァールが遠出しようが、ダンジョンに潜ろうが、アドラはそれを咎める事はなかった。

 ただ一つ、彼女が困ったような表情を浮かべる理由は、やはりというべきか秘匿するように言い聞かせていた筈の『晄体神紋カーヴォード・カドモン』が表沙汰になってしまった件であった。


「あの力が公になってしまった今、あなたは行方をくらませなければなりません。あれは女神の振るった力の一端であり、現代では権力の象徴ともなり得ましょう。必ずや、あなたを確保しようと世界中が動き出す程の力なのです」

「……そんなに大層なものだったのか。でも、あの時は」

「ティクの言い分もわかります。命の危機にさらされた彼女を救う為に力を行使した事を。だからは私は……」


 アドラがティクヴァールの頭を胸に抱きしめる。


「……ティクを誇りに思いますよ。本当に、大きく、強く、優しい子に育ったね」


 ポンポンと頭を撫でる。

 子供を褒めるような動作に、思春期真っ只中の青少年であれば気恥ずかしくて拒否するだろうが、ティクヴァールはやや照れ臭く思いながらもされるがままであった。

 仮に色情に塗れた男がこの光景を見たのなら、アドラの色香と母性を感じさせる象徴に包まれている少年に「そこを代われ」などと言い出すであろう……ミカエラはそんな感想を抱いた。


「そういえば聞きそびれてたんだが、どうしてアドラがここに? タラッタにいたんじゃ?」

「ティクがダンジョンを進んでいた同じ頃に、アッシェラートさんが尋ねてきたの」

「……なんでアンタがアドラを?」


 警戒心に滲ませ、アドラを庇うようにティクヴァールはさながら番犬のように立ち塞がる。

 どんな状況にあっても悠々としていた態度を崩さなかった彼が、初めて神経を尖らせて警戒心を露わにした瞬間にミカエラは目を見張った。

 だが、そんなティクヴァールの警戒をアドラはやんわりと諌める。


「アッシェラートさんとは古い知り合いなの。だから警戒しないでいいわ」

「……分かった」

「それよりも、これからの事を考えましょう」

「タラッタに帰らないのか?」

「あそこはもう、野次馬に囲まれていると思うから帰れないわ。新しい移住先を考えないとね」

「……アドラが懸念していたのは、こういう事態だったのか。悪い、俺のせいで」


 自らの不注意の影響がアドラにまで波及した事実に暗い影を落とす。

 まだダンジョンを脱したばかりだというのに、物事がこんなにも早く動くとは思っていなかった。

 無駄な野次馬根性を見せる烏合の衆に怒りが湧き上がるが、そもそもの発端は自分にあるので、生起した怒気を一端抑え、より建設的な未来に思考を誘導する。

 いつまでもクヨクヨするのはティクヴァールの性に合わない。


「引っ越しか……もっと人の少ない田舎に行くか? アドラには負担をかけちまうと思うけど、俺が頑張ってカバーするから」

「ティクがそこまで気負う事はないわ。そうね……『丘の国クィリナ』に留まるより、国外へ逃げるという手もあるわ。喩えば極東の『根の国ニライ』とか」

「外国か。それもいいかもな」


 国外逃亡も視野に入れている企てを前に、ミカエラは待ったをかける。


「アンタはそれでいいの? ダンストになってみたいって、あれだけ言ってたじゃない……」

「事情が変わった。確かに、俺にその気持ちはあったし、今もそれは変わらないが……それよりも、アドラの方が大事だ」


 決意を固めた眼差しに、彼がもう意思を曲げないと理解した。

 嗚呼、分かっているとも。

 この僅かな時間の中で、ティクヴァールがどれだけ養母アドラを大切に思っているかなど。

 彼女の為なら、彼は自身のやりたい事を、夢を、あらゆる欲求を封じ込めて尽くすだろう。

 そんなティクヴァールの行動原理を、、ミカエラは苦々しい感情に駆られた。

 重い空気が宿の一室を支配する────そこへ、重苦しい空気を払拭するような一声が投げかけられる。


「では、我が社へ来るというのはどうでしょう?」


 暗い雰囲気を打ち破ったのはアッシェラートであった。


「……どういう事だ?」

「ですから、我が民間軍事会社『ソロモナル』にご招待すると言っているのですよ。スカウト、とも言いますね」

「だが、そうするとそっちに迷惑が……」

「それには及びません。我が社……というよりは、私にはある伝がありまして、ティクヴァールさんを匿う事も、周囲に圧力をかけて詮索させない事も可能なので」

「しかし……」


 それでも不安は拭えない。

 確かにアッシェラートの申し出はありがたいが、彼の組織に迷惑がかかるのではないかと。

 そんな懸念を払拭するように、アッシェラートは話を続ける。


「それに、ティクヴァールさんがダンジョンで見せた力は、我が社にとっても大きな戦力となりえます。その力を是非とも我が社で発揮してほしいのですよ。我が社が匿い利益を得て、そしてティクヴァールは自らのやりたい事を叶える。ウィンウィンな関係です」


 アッシェラートの提案に、なるほど大変魅力的ではあると感じた。

 彼女の出した提案はティクヴァールからすれば衣食住に加えて職場まで用意された至れり尽くせりのメリットしかなく、おおよそデメリットと不安視される要素が一切見当たらない。

 こんな好条件はブラック企業よろしく、表に記載されている内容と、裏の内情がまったく異なる詐欺広告でしか見ないだろう。

 アドラの古い知り合いだというアッシェラートを信用するに値するかはまだ分からないが、こちらを助けるようとしてくれている誠実さは感じられた。


「際限のない隠遁生活は身も心も蝕みます。アドラさんの為にもなりますよ?」


 アドラの為────それは彼にとって急所に等しい言葉であった。


「もう、私を出しにしないでください。ティクも、そこで揺らいではダメ」


 話の出しに使われた当人は、困った問題児を見るかのような眼差しを二人に向け、己を理由に行く末を決めてはならないと諫言する。

 特に、その言葉の矢印はティクヴァールに向けられていた。


「ティクの心の思うがままに決めなさい。やりたい事があるんでしょう?」


 彼を育ててきたアドラだからこそ、幼少期の全てを知っている彼女だからこその言葉であった。

 『晄体神紋カーヴォード・カドモン』という特異性故に、狭い世界で暮らす事を余儀なくされていた影響で世間一般の子供に与えられる娯楽すらも与える事ができなかった。

 それにより、ティクヴァールには夢中になれるものがないと知って、親心に苦悩した。

 そんな彼からやりたい事があるなんて言葉が出たのに、自身を理由に諦めようとするなんて許容できなかった。


「ようやくティクが見つけたやりたい事を、私は応援したいの」


 やりたい事の為に、自分の為に突き進めと背中を押され、ティクヴァールの中で決心がついた。


「アッシェラート……いや、社長の提案を受け入れようと思う。受け入れさせてくれ」

「こら。そこは敬語と、お願いしますも付け加えなきゃダメよ」

「……社長、よろしくお願いします」

「えぇ、勿論です」


 アドラにやんわりと指導されながらも、ティクヴァールはアッシェラートの提案を受け入れた。

 契約書などの諸々の手続きはまだにしろ、契約成立とばかりに両者の間で握手が交わされる。

 正式な社員としての登録はまだ後日だが、こうして配信業を兼業する民間軍事会社『ソロモナル』の一員になったティクヴァールに、一部始終を見守っていたミカエラがニヤついた表情で絡みに行く。


「じゃ、これからはあたしの事を先輩と呼ぶことね。あたしは上下関係には厳しいから、しっかりと敬いなさいよ」

「へいへい、パイセン」


 冗談めかした絡みに対して、何の敬いも感情も籠もっていない返事を放つ。

 無論、本気の敬仰など求めていなかったミカエラは、面倒くささを含ませた雑な返しを嬉しがって笑みを浮かべた。後輩ができた事でご機嫌になっているのだろう。


「初配信にはあたしが付き添って、手取り足取り厳しく教えてやるんだから、覚悟しなさい」

「おぉい、マジかよ……」

「ガチで嫌そうな声を出すな。それにね────」


 そう言ってミカエラはティクヴァールの肩に腕を回し、周囲に聞こえないように小声で話し始める。


「スマホの件、隠しておくの?」

「……すっかり忘れてた。俺的には、ここにいる皆んなに明かしてもいいと思うが」

『我らが至上の主レガリアントの許可を得たのなら』

「ちょっ……!」


 主人から許しを得られた瞬間、空気を読む能力が欠如しているスマホギボリムは、音声を発しながら機体を晒す。

 突然としティクヴァールの懐から現れた物体────スマホの登場に、その存在を知らなかったアドラとアッシェラートは「あら?」と微かな驚きを含ませた声を溢した。


『機体は対悪性獣類ディブック殲滅用自立型機動尖兵ギボリム────であったが、現在は我らが至上の主レガリアントの要望により携帯型魔動機器へ形を変化させた、我らが至上の主レガリアントの為だけのスマホである』


 全てをあけすけに説明するスマホに、ミカエラは頭を抱えた。

 逆にティクヴァールは説明の手間が省けたので、そんな感じであると頷いた。


「ほぉ、あの古代兵器がここまでコンパクトに。随分と現代に適応できているものね」


 アッシェラートが興味津々な様子で宙に浮遊するスマホを注視する。

 意外にも喫驚する気配はなく、只々まじまじと見るだけで特に動揺のような反応も見られない事にミカエラは拍子抜けした。


 ────あれ? 普通に受け入れられてる? あたしの思い過ごし?


 ティクヴァールには無闇矢鱈と見せるなと注意したが、もしかしたら杞憂だったのかもしれないと思い始める。


「うーん、人前に出すだけならともかく、正体は隠した方がいいですね。無益な悶着を生み出しかねません」


 しかしアッシェラートからも注意が入ったので杞憂ではなかったらしい。

 アッシェラートは満足して観察を終えると、今度はアドラがスマホを手に取って見つめ出す。

 何も語らず、何の感想を出さず、俯き加減でジッと見つめているだけだった。

 そしてぽつり────逃げられないのね、と。


「もし、あの子に何かがあった時……助けてあげてね」


 消え入りそうな声で発せられたその言葉は、目前の無機質な機械にのみ届き、その他の誰の耳にも届く事はなく静寂の中に消え去った。

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