第二節

 肌を撫でる空気が変わった。

 その異変に即座に気づき、そして視覚情報を以っていつの間にか場所が移り変わっていると、ティクヴァールは把握した。

 先程まで立っていたダンジョンのエントランスとは違う作りの空間。安全地帯と呼ぶには物々しい雰囲気が漂っている。


「────見てこれ! 転移よ転移! まさに古代文明の技術! はぁー、今回は久々に当たりを引いたわね」


 まるで緊張感の欠片もない声音。

 声がした方向へと振り向けば、そこには端末を飛ばしながら、子供のようなはしゃぎようを見せるダンストの少女の姿があった。

 ティクヴァールの存在に一切気に留めず。まさか、気づいてないのかと疑問に考えた彼は、ダンジョンを物色している少女に近づいた。


「アンタ、いつまでやってんだソレ」


 さすがに危ないだろう、と声をかける。


「ん? 何? 今忙しいから相手してらんないのよ。だからサインとかなら後にして」


 しかし、彼に返ってきた言葉は酷く冷たかった。

 なんだサインって。別にそんなものを強請ったつまりはまったくないんだが。ティクヴァールは心外極まりないと感じた。


「……って、あたし以外の転移者!?」

「うぉ、面白ぇ反応」

「何でここにいんのよ!? 避難は? 脱出は? さっきの揺れはどうしたって逃げるとこでしょ!?」

「その言葉、そっくりそのままアンタに返してやるよ」


 普通に正論ではあったので、少女は言葉に詰まった。

 自身の口から避難しなかった事を批難するものの、それは少女自身も同じ穴の狢である。見事に批判は己の身に跳ね返った。

 ぐぬぬ、と悔しそうな視線をティクヴァールに向ける。そして、一瞬だけ腕に装着された端末を一瞥した後、今度は宙に浮いている端末に向かって「うっさいわね!」と怒鳴る。

 忙しい奴だな、ティクヴァールはそんな感想を抱いた。


「と、とにかく、転移が発生するようなダンジョンに、アンタみたいな素人には危険だって言ってんの!」

「俺って素人っぽいか?」

「明らかな素人でしょうが! 何よ、そのおつかい帰りみたいな格好。とてもダンジョンに潜る為の装備とは思えないわね。ナメてんの?」

「んな訳はない。至って真面目に、ダンジョンに稼ぎに来たんだが」


 そんな装備で? と言いたげな視線を送った少女であったが、このまま口論しても埒が明かないと意識を切り替えるように一度溜め息を吐く。

 正直、無謀、愚行、何考えてんだこのバカやろーと言いたい事は山ほどあるが、それらを全て飲み込む。時間の無駄だからだ。


「……まあいいわ。ここで立ち止まって、時間を喰うのもなんだし、取り敢えず先に進んでみるわよ」

「それもそうだな。晩飯の前には帰りたい」

「何でそんなに呑気なのよアンタ」


 マイペースさを指摘されるが、ティクヴァールは気にしない。周囲による自身の評価には余り興味がないらしい。

 何だコイツと思いつつも、少女は歩き出そうとして、ふと思い出す。


「そういえば、アンタの名前聞いてなかったわね」

「ああ、自己紹介がまだだったな。俺はティクヴァール・マリアン」

「ふーん、ティクヴァールね。あたしはミカエラ。ミカエラ・ロンギフローラムよ。しばらくの間だけど、まあよろしく」


 お互いの自己紹介を終え、臨時パーティの編成を了解する証として握手する。


「さて、この辺りの撮れ高はもうなさげだし、そろそろ進むわよ」

「仕切り出しやがった」

「当たり前でしょ? あたしはこう見えて、幾多の危険地帯、ダンジョンを配信してきた実績と自負があるんだから。とりあえず、危険がないようにあたしに従って動きなさい」

「へいへい」


 テキトーな返答をしつつ、彼らは進行を始めた。

 道中、他愛の話を交えつつ、警戒もしながらダンジョンの回廊を進んでいく。

 進行して分かった事だが、このダンジョンは多数の道が入り組むタイプのものではなく、一本道しかない特殊なタイプのものであった。

 迷路ではなく、シンプルな一本道。それだけ聞けばなんとも楽なダンジョン踏破になるだろうと考えてしまうが、実はそう単純な話ではない。

 大抵、楽な道程、最後にどんでん返しが待っているというのがお約束である。加えて、道中にて何かしらのトラップがないとも限らない。

 ミカエラは、そのようにティクヴァールと、宙に浮かびながら追従する端末に向けて説明した。


「ところで気になっていたんだが、それ何?」


 ティクヴァールは宙に浮かぶ端末に指をさす。


「何って……配信用のドローンカメラに決まってるじゃない」

「へぇ、こんなちっせぇ機械が映像を撮るのか」


 珍しそうに四方八方、あらゆる角度からドローンカメラを観察する。

 そんな様子にミカエラは呆れた表情を浮かべた。

 ここまで典型的な田舎坊主も今どき珍しい。絶滅危惧種になっているのでは? と思わざるを得ない反応だ。


「アンタ、結構な言われようよ」


 腕に装着されたドローンカメラとは別の端末を外し、ティクヴァールに向かって見せつける。

 そこには様々なコメントが寄せられていた。


[ダンジョンにいるのに危機感ゼロで草]

[好奇心旺盛な野生のサティルかよ]

[男はいいから、もっとミカちゃんを映せよ]

[お爺ちゃんみたいな反応]


「……これは?」

「視聴者たちのコメントよ。アンタに対して珍獣を見たような感想を書いてるって訳」

「そんな事もできるとは。ダンストは奥が深いな。で、この視聴者の感想を映し出している端末は何だ?」

「……ここまで来ると絶句だわ。まさか魔鏡盤スマホすら知らないだなんて」

「ああいや、スマホの存在は又聞きで知っていたが、実物を見た事がなくてだな」

「一体どんな未開の地に住んでんのよ」


 スマホのコメントと同じような印象を叩きつけられ、少し納得いかないような気持ちになり、口をへの字に曲げる。

 彼の拗ねた様子を見たミカエラの視聴者たちが[ギャルが田舎もんをいじめてる][純朴なイケメンになんて事を]と騒ぎ始める。

 何であたしだけ、コメントも同罪じゃない、と釈然とない気持ちを抱きつつ、ミカエラは道すがらスマホやドローン、ダンジョンストリーマーについての詳細を彼に話した。


「とりあえず、ダンストにはスマホは必須ね。あたしはドローンとスマホで使い分けてるけど、コストを削減したいならスマホだけでも事足りるわ」

「それ一つだけでダンストになれるのか」

「何? ダンストに興味があるの?」

「実を言えば興味が湧いた。なあ、俺もスマホがダンストになれるんだよな?」

「なれるにはなれるけど……高いわよ、スマホ」

「……いくらだ?」

「あたしが同じモデルなら────八〇〇〇〇ミナはするわね」


 ティクヴァールは絶句した。膝を曲げ、地に手をつく程に深く絶望した。

 彼の財布事情からすれば、その値段は余りにも高額であったからだ。

 己の懐の寂しさがこれ程までに憎たらしく感じる日が来るとは思いもよらなかった。


「……スマホはもう少し後で考えよう」


 しょんぼりとした彼の背中は哀愁を漂わせていた。

 しかし、今はダンジョンという未到の空間に身を寄せているので、クヨクヨはしていられない。

 気を取り直し、二人はダンジョンの一本道を更に進んでいく。

 そこでミカエラはふと違和感を感じた。


「……おかしいわね。結構進んだ筈なのに、原生生物の一匹も出やしない」


 一向に現れない敵性生命体。

 従来のダンジョンであれば侵入者の迎撃に姿を現している筈なのに、ここではそれが今のところ予兆すら見せないのだ。

 既にダンジョンは中間のフロアに差し掛かってにも関わらず。


「何だか拍子抜けね。もっと撮れ高があると思ってたのに」

「だが、ここまで何もないと逆に何らかの悪質な罠が仕掛けられている可能性も────」


『侵入者を感知。迎撃用自立型機兵ゴーレムの機動を開始します』


 中間フロアに足を踏み入れた瞬間、警報がダンジョン内に響き渡った。

 突如とした警報、しかも侵入者たる自分たちを迎撃するアナウンスが流れたのだから、ティクヴァールとミカエラは瞬時に戦闘態勢に入る。


「────ようやく敵さんのお出ましだ」


 二人の目前に光が────このダンジョンに転移させた同質の光が放出され、そして光の中央に一つの物体が姿を現した。

 無駄を削ぎ落とした、どこまでも機能美を追求したかのようなフォルム。けれども刻まれた意匠は神秘的で、芸術的な美しさも兼ね備えている。

 生命の灯火はなく、人工的に造られた擬似生命を持つそれは────。


「ゴーレム!?」


 そう、ミカエラは驚愕の声をあげた。

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