第20話



 シルクが帰ってきたことで、第一区画からは驚くほど犯罪がなくなった。


 シルクの存在がそれほどまで強い抑止力になるのか。いや、そりゃそうなるだろう。三強の内が一強、シルク。ソンズとの交戦を見て、ソンズも本気かどうかよくわからなかったとはいえ、全力でぶつかり合えば互いに生殺与奪の領域に達するほどの激闘になることは必須だろう。


 そんな怪物が目を光らせている中で、暴れるバカはいない。


 ダリアはシルクの恋人で、仕事もなくなり、俺はなんだか急に、自分がひとりぼっちになってしまったかのような錯覚に陥った。


 いや、事実、俺はひとりぼっちだった。


 あのとき、ソンズから手を指し伸ばされ、俺は手を取りそうになった。「生き残るためならヴァルキリアだって殺せる」と言ってしまった。あれは本心だった。俺は、俺のことしか考えていない。



「待たせたな」



 どこぞのイケメン中年男みたいな台詞と共に、レオがエラーガールを米俵みたいに方に抱えて戻ってきた。なんだかんだ言いつつ、勝ったのか。いや、当然か。三強の強さは今見たばかりだ。エラーガールが異質な動きでレオを翻弄したと言っても、この実力差を完璧には埋められなかったのだろう。



「こいつを『不全室』にブチ込んでおけ」



 そう言って、部下のひとりにエラーガールを受け渡す。


 フゼンシツというのが何かは聞かされていないが、恐らく、牢屋だ。何でもアリのこの世界で対象を完全に捕えておくことはできないだろうから、恐らく回復しないように少しずつダメージを与え続け、機能不全にし続けるような施設があるのだろう。



「シルク。戻ってきていたのか」


「持ってきたのか、じゃないよ。君の不在がバレて、ソンズが襲撃に来ていたんだよ。たまたま僕が戻ってこれたからよかったけど、そうじゃなかったら全滅だったよ」


「こっちもこっちで俺がケジメをつけなきゃいけない問題だったんでな。それで、首尾は」


「ああ」



 シルクはさらりと首を傾げるように振って、髪をなびかせる。


 キザったらしい振りをして、周囲を観察したようにも見えた。


 ここはダリアの建造したマンションの一室。ダリアとレオとシルクと俺しかいない。



「見つかったよ。五層への階段が」



 俺はその言葉に、食いついた。


 第五層! ここよりも時間の進みが12倍遅い、新しい夢の舞台!



「第五層! 見つかったのか! なぁ、えっと、ここが第四層で、時間の進みは? ここは2年とかだったよな。じゃあ、第五層は……?」


「およそ30年続く夢だ……ところで、君は?」


「彼はリヴィーズよ。貴方たちが不在の間、ここヴァルキリアを守ってくれていたのです」


「そうか、君が報告にあったリヴィーズだな」



 シルクはそう言って、少し嫌そうに目を細める。


 何を考えているのか分からないミステリアスな外見に反して、感情の起伏が表情の機微に現れる人だな、と思った。



「第五層には、ヴァルキリアの中でも新規参入者を含めず信頼できる古参組だけで向かう。場所も伝えない」


「俺は……?」


「君は含めない」


「ふ、ふざけんな! これまでどんだけの労力をヴァルキリアのために費やしてやったと……!」


「聞けばほぼ独断で処刑をしていたようだけど? 短時間でそこまでハートを鍛えられるのは、人喰い以外にほぼあり得ない。人の命は美味かったか?」



 誰から聞いたんだ、なんて聞くまでもなく、俺は言葉を失う。ダリアが告げ口をしたんだ。シルクとイチャイチャちゅっちゅしてるこのクソ女が。


 反論のひとつでも言おうと俺が口を開くより前に、何を思ったかダリアが間に立った。



「シルク。先の騒動で仲間も大勢裏切ったわ。古い人間も新しい人間も関係ない。今ある戦力を削るのは、得策とは思えないわ」


「僕とレオがいれば戦力は充分だよ。あと必要なのは武力じゃない。善意なんだ。そいつには強さへの渇望があり、それは時に悪意に繋がり得る。僕らがこれから目指す未来に、彼のような人間はいらない」



 キッパリとそう言い切られ、俺は、少し傷ついた。


 彼の言う通りだったからだ。彼らが何を目指しているのかは知らないが、俺に、善意なんて崇高なものは存在しない。



「ダリア、信用できる市民と戦闘員だけを集めろ。第五層の扉は、僕らで対処する」


「対処?」



 俺はその言葉に、食いつく。


 なんだ、対処って。



「……」


「そういや、ここまで階段の前に扉があって、戦闘の跡があったよな。それも、結構盛大なやつ。もしかして、『扉』の前にはボスみたいなやつがいて、守ってんのか」


「教える必要はない」


「……はァ!?」



 俺はここに来て、キレた。



「ふざけてんのかお前! 三強だか何だか知らねぇけど、階層を守ってるボス相手に戦力削って挑もうってのかよ!? 魔王城見つけた後にわざわざパーティメンバーを置いていくバカがどこにいるよ!? 普通は持てる限りの全戦力で挑むもんだろうが!」


「……はぁ。攻略が完了したら僕らは第五層でレベリングを行い、充分に力をつけてから第四層に戻り他のメンバーを招集する。秩序を担う僕らの戦力の保持が完了すれば、イデリアはより文化的で創造的な世界になる」


「そんなモン理想論だろうが! 第五層のボスってどんくらい強いんだ? 少なくともお前ひとりじゃ敵わないくらい強いから、だから引き返してきたんだろ? お前以上の戦士がこの世界にどれだけいるよ。レオひとりだろ? どんな相手か知らねぇけど、そんな中途半端な戦力でどうにかしようってのかよ!」


「僕は現実世界への帰還を目標にしている。そのためにはこの世界を研究する場所が必要だ。僕らだけで第五層へ向かうことに意味がある。だから、君はもういらない。ダリア、摘まみ出せ」


「で、でも……」


「賛成だ。これ以上、部外者に情報を与えるわけにはいかない」



 レオも、偉そうに腕組みしながら俺を追い出すことに一票投じた。



「……わかったわ」



 待てよ、と言いかけて、俺は自分がマンションから落ちていることに気づいた。ここはダリアが描いた町。ダリアの意志ひとつで自在に姿かたちを変えられる。俺の立っていた場所に穴を作られ、それで、俺は一階まで真っ逆さまに落とされた。


 とすん、と俺は一階に着地する。


 俺の目の前で、自動ドアが勝手に開いた。


 『せめて大人しく帰ってください』とでも言うようなダリアの言葉が聞こえたような気がして、俺はムカっ腹が立って、拳をわなわなと震わせた。


 俺をのけ者にしておいて、俺を信頼しているかのような対応に、腹が立った。つくづく、腹が立つ。『貴方ならお行儀よく出て行ってくれるでしょう?』って意味だろ? 糞、腹立たしいにも程がある。


 諦めきれない。


 しかし、選択肢は絶望的だ。あいつらと揉めたところで、絶対に勝てない。


 俺はシルクとソンズの先の戦闘を思い起こす。


 ……敵うわけがない。怪獣同士の戦いのようだった。あんな現場に巻き込まれるなんて、とてもじゃないが、想像もつかない。



 あんな怪物たちが攻略に手こずるもっと化け物が、第五層への扉を守っている……?


 俺は、こんなにも弱いのに。


 よろり、と足がビルの外へ動いた。


 畜生。


 俺は、どこへでもなく、ぶらぶらと町を歩き始めていた。

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